文化・芸術

January 17, 2018

『ポーの一族』花組公演

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 前日のANAインターナショナルでのお茶会からの帰りは11時を過ぎていたけど、4:50に目覚ましをかけて起床。身支度を調えて6時発のエアポート急行で羽田へ。
 伊丹から宝塚大劇場に着いたのは9:45。その時点で見た目150人超が当日券めあてに並んでました。
 貸切だったソワレの公演も、もしかしたら当日券が出るかもしれないと思って朝早い全日空にしたのに、係員に聞くと「当日券は出ない貸切」ということだったので離脱。その後も列はどんどん伸び、行列の長さは個人的にこれまで一番だった『黒豹の如く』を超えていたかも。立ち見は三列。250人近くが立見っぽい。
 土日に貸切多く入れるのは営業施策として仕方ないけど、ダブル予定の遠征組のためにも当日券も売るのを入れて欲しい。
 やることがなくなったのでル・マンでモーニング。
 11:00から初『ポーの一族』。
 良いわ…
 原作は一族の歴史を前後させながら描いているので、年代はバラバラになっているけど、その時系列を整理していて、ぼくみたいに何回も読み返して記憶してない原作ファンにも優しいつくり。
 時系列で描かれているからエドガーの孤独が原作より良く分かるし、アランとの出会いも必然に感じる。潤色の小池修一郎先生凄い…。
 上演時間二時間半という制約の中で、よくエピソードを整理してまとめ、しかも美しいフィナーレもつけたな、と。
 明日海りおエドガーと柚香光(ゆずか・れい)アランじゃなければここまで美しく仕上がらなかったろうし。BL的な要素が強く、我の強いトップ娘役だと不満を示しそうな作品だけど、苦労人である仙名彩世さんがエドガー母に回って脇を締めているという奇跡的なメンバーが揃っていたから可能な舞台。
 今後、みりお・れいのようなフェアリータイプの美少年が演じられるような二人が揃わない限り、再演は難しいかも。
 『ポーの一族』は音楽も良かった。
 レチタティーヴォをわざとつかってみたり、ラップ調の曲もあったり。劇団付の太田健さん凄い。
 歌詞は萩尾望都さんの原作に載っている詩のようなト書きに小池修一郎先生が補って歌にしている感じ。
 夜は宝塚ホテルでお茶会。

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 昨日はルマンのサンドイッチでモーニングをいただき、『ポーの一族』で感動し、パスタで豚高菜ピラフをビールで流し込み、若水の温泉に入ってひと休みした後、タカホでお茶会に出て、馴染みの店で一杯呑んで戻り、もう一回温泉に入って、タカラヅカ・スカイ・ステージを見ながらボーッとする朝。
 日本のサブカルの金字塔的作品である『ポーの一族』が、こんな完璧に3D化されたのに、観られる=チケットをなんとかできるのは、ヅカヲタだけというのは厳しいかな、と感じる。
 昨日のお茶会で「原作読まれた方ことのある方」と問われて手を挙げたファンは極一部で、宝塚ファンが『ポーの一族』という出し物を見に来ている、という感じなんだろうな、と。
 千秋楽はいつものように、全国の映画館でライブビューイングをやるので多くの方に見てもらえれば、と願わざるを得ない。
 しかし、原作を読んでじっくり観るより、与えられた美しさをそのまま感じて息を飲んでいる方が多い宝塚ファンが、結果的に舞台を100年間支えて、まがりなりにもミュージカルを日本に定着させたわけだし。
 逆説的にいえば「ジャンルを殺すのは(小煩いわりにはそれに見合ったカネを出さない)マニア」というがよく分かる感じ。
 たとえばみりおエドガーがアランに「ぼくたちの部屋に来ない」って言う場面。
 会場全体が息を飲んだのがわかった。
 今日の大劇場も『ポーの一族』で空気の奪い合いに。
 2回目を見て、宝塚のマンガ舞台化ものは多くの映画化作品とは違い原作を○イプしていないと改めて感じる。
 忠実に再現しようとして、しかも二時間半の中に収め、観客を3Dで圧倒するだけ。
 その「忠実に再現するだけ」のために、豪華な舞台衣装、セット、80人もの出演者で空間を埋め、視覚で圧倒する。
 それは人形浄瑠璃を役者が演じた歌舞伎と似ている。
 人形浄瑠璃の人形は3Dではなく2D。なぜなら、後ろ姿をみせようとすると、遣い手が人形の前に来ざるをえず、その瞬間にファンタジーが壊れるから。
 舞台役者は背中が命と言われるが、背中でも語れるのが3Dの説得力。
 にしてもみりおのエドガー、れいちゃんのアランは原作から魂とともに抜け出てきたような印象。
 エドガーは原作より気性が荒い感じにつくってる。シーラが自ら一族になったという小さな変更を加えたことで、妹のメリーベルを救うためにエドガーは止むを得ずバンパネラになった悔しさが浮き立つ感じ。
 それにしても前の方で観ていると、みりおバンパネラにエナジーを吸われたくなる。キングポーはお断りだけどw
 それにしても日本映画のマンガ実写化ものの原作リスペクトのなさ、カネのなさを補おうとすると浅知恵の惨めさと宝塚の原作を忠実に再現しようとする姿勢は180度違うわな…。
 それにしても見終わった後の劇場全体のため息の大きさは、エリザベート並み。
 馴染みの鮨屋でてっさをいただきながら2回目の舞台を反芻。

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 みりおの代表作はこれまで『春の雪』の清顕だったけど、『ポーの一族』は多分、誰も真似出来ない代表作になったな。
 それにしても、江戸時代の人形浄瑠璃と歌舞伎の関係は、今のマンガと宝塚になるかもしれない。
 村上隆が3D化すると説得力が違うと言ってたけど、ホント。
 昨日、みりおがセリフを言って下手に去る瞬間、エドガーがいる、と感じた。
 『ポーの一族』ダブルという荒業にそなえ、温泉で身体をほぐしてから大劇場へ。こんな平日なのに、立見席を求める列が長く伸びていて驚く。
 今日からみりおの開幕アナウンスからあけおめがなくなった。
 華メリーベルはやっぱり褒めない訳にはいかない。演技の化け物系娘役に育つかも。お化粧もんまいし。
 予科生の時から気になってた鈴美椰なつ紀さんも大劇場で初台詞貰っていたし、良い公演!
 あきらのポーツネル男爵も良かった。
 パスタでランチのあと、2公演目に。
 『ポーの一族』は平日ニ公演でもそれぞれ100人ぐらい立見が出ている。
 傑作の予感しかなかったけど、東宝でもえげつなくチケット取っておいて良かった。
 銀橋での印象的な芝居が多く、前の方の席はみりお、れいの美しさを堪能できる。
 銀橋の去り際が本当に美しいので、5列目ぐらいから内の上手は最高かも。
 高低差を活かしたセット、盆をぶん回す小池流演出もあって、高い所の芝居が多いのも特徴。
 みりおはベルばら、エリザに続いてクレーン乗りもこなす。浮遊感がたまんない。
 ということで金曜日からの5日間で観劇6回、お茶会2回、遠征1回の予定を完了。
 幸せ。

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September 21, 2017

『神々の土地 ロマノフたちの黄昏』

Romanov
 現在、宝塚大劇場で公演中の『神々の土地 ロマノフたちの黄昏』はラスプーチン暗殺を巡るドラマです。

 作家の上田久美子先生は宝塚歌劇団の座付作者で三本の指に入る存在。期待して見に行ったのですが、さすがの出来映えでした。

 『神々の土地』は大劇場の後、東京宝塚劇場でも上演され、これから何回も見ることになるので、作品のことはさておき、背景となるラスプーチン暗殺のことを少し勉強し直しました。

 考えてみれば《1917年の最初の二か月、ロシアはまだロマノフ王国であった。八か月後には、ボルシェビキが国家の枢機をになっていた。この年のはじめには、彼らは、ほとんどだれにも知られていなかった》のですから。

 これはトロツキーの『ロシア革命史』序文の冒頭の言葉。

 あまりにも急激な転換は、イギリスがロシアを戦線離脱させないようにラスプーチン暗殺を支援する動きをみせていたり、ドイツがレーニンを封印列車でロシアに送り込んだりするような動きにも触発されたのでしょうが、ラスプーチン暗殺の後、10週間しかロマノフ朝がもたなかったということを考えると、小さな猟奇的事件として片づけられないかな、とも思います。

 ニコライとアレクサンドラの全治世をつうじて、卜者やヒステリー患者が宮廷出仕のために招かれたのですが(『ロシア革命史 I』p.91)、農奴を解放したアレクサンドル二世の治世においても魔女などを信じる「ライ病病みの宮廷奸党」(ibid. p.104)などは存在していて、それはロマノフ朝の特徴かもしれません。

 また、解放者とも呼ばれたアレクサンドル二世はナロードニキの爆弾で暗殺されたことで、息子のアレクサンドル3世は祖父ニコライ1世のような専制政治を目指すなど反動が進みます。アレクサンドル3世も暗殺されそうになりますが、直前に発覚して逮捕されたメンバーにレーニンの兄ウリヤノフがいたことは有名。

 にしても、ロマノフには暗殺事件がつきまとうんですよね…ニコライII世などは日本でも暗殺されそうになるんですから…(大津事件)。

 ラスプーチン暗殺は、宮廷革命を目指すものだったんですが、暗殺のやり方、その後の権力掌握の段取りも含めて杜撰きわまりないもので、十月革命におけるトロツキーの水際だったやり方とは対照的で、ロマノフには、もはや才能が枯渇していたのかな、と感じます。

 『神々の土地』は一時間半の中で、ラスプーチン暗殺と宮廷クーデターの失敗を見事に描いているんですが、ジプシーたちがボルシェビキというは斬新すぎる設定だし、それがレーニンのために!というのは寡聞にして存じませんでした。クロポトキンなどアナキストたちの群像を重ねすぎていたかな、みたいな。

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April 08, 2017

四月大歌舞伎の歌種と米吉

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 四月大歌舞伎を見物してきました。席をとったのは昼の部。演目は『醍醐の花見』『伊勢音頭恋寝刃』『一谷嫩軍記 熊谷陣屋』。

 『醍醐の花見』はたわいない新作歌舞伎舞踏。見所は大野治長、治房の兄弟を中村歌昇、種之助の兄弟(歌種)が舞うところ。踊りの旨い歌昇が勇ましく舞うところに、女形で出ることが多い種之助が童髪で加わり眼福でした。女形が立役で出るというのは、宝塚だと男役が手足を出してレオタードのような衣装を着て踊る(ダルマ)みたいな感じウキウキしてしまうのはなぜだろうw日本舞踊は偉そうに語れないけど、決まった姿がいじらしくて堪らない。三月大歌舞伎の中村梅丸に続き、種之助の舞台写真も買うか悩むw

 二つ目の狂言は染五郎の『伊勢音頭恋寝刃』。去年ぐらいに海老蔵が『夏祭浪花鑑』を演ったから、対抗上、夏狂言としてかけたんでしょうか。『夏祭浪花鑑』は文楽を歌舞伎にした狂言だけど、『伊勢音頭恋寝刃』は歌舞伎から人形浄瑠璃になっている。染五郎(高麗屋)は御曹司系では大好きな役者なので大許しというか、こういうちょっと情けないけど、切れると暴れるような刹那的な役は似合う。親父の幸四郎はマジメ一方な感じになってしまったけど、染五郎は若い頃のスキャンダルも含めて、ちょっと脇が甘いところが魅力。

 仲居万野の澤瀉屋さんはうまいねぐらいの印象だが、米吉は痩せて綺麗になったかも。米吉は染五郎がラスベガスのベラージオで「鯉つかみ」演った時に連れて行った女形だけど、相性いいのだろうか。

 高麗屋は、先代の幸四郎が東宝歌舞伎に走ったように、團十郎宗家を頂点とした歌舞伎界の秩序を許せないというか、どのみち自分たちの血じゃないか、という気分があると思う。今の幸四郎もいったんは外に出たし、染五郎はアメリカというかベガスのエンターテインメントと組んでいこうという構想があったりして。

 グローバル展開がまったくできてない松竹は自分たちの価値がわかっていなくて、せっかくの歌舞伎という唯一無二の無形文化財を若冲とか北斉という系統でどうにかするという発想がなくて情けない。新しい展開がないままだと、いま染五郎が幸四郎になったとたんに米国資本と組んで…なんてことになったりして。いまの染五郎はなかなかやると個人的には思っているんで。

 それにしても、高麗屋(染五郎)と成田屋(海老蔵)は相手役の女形を育てたがっているのだろうか。現在の最高の女形は菊之助と七之助だけど、もう自分の劇団持っているし、玉さまは孤高だし。

 戦後の歌舞伎は歌右衛門さまも、玉さまも、ドメスティックな市場しか考えていなくて、その中での生き残りを芸の昇華を通じて達成するというスタンスだと思ったんだけど、染五郎や海老蔵は、グローバル経済の中で自分たちの劇団を生き残らせるか、なんてことを考えていたら凄いんだけど。梅丸、種之助は大好きだけど、本人にそれだけの野望がありそうな感じはしないし、当面、立役主導でいくのかな、と思ってます。

 くだらない作品だと思っている熊谷陣屋で、今日初めて「なるほどな」と思ったのは、染五郎の義経が後光を差す位置にいること。『義経千本桜』でも、義経自身は前面に出ないのに、厳しい人の世に差す後光として象徴的に描かれているという橋本さんの文楽論を思い出す染五郎の義経でした。

 にしても時代物の熊谷陣屋、寺子屋なんかは「なんで、こんなにつまらなくて気持ち悪い作品を21世紀の銀座でかけているのか本当に分からない」としか思えない。単に芝居に飽きた江戸時代の客を驚かすために、自分の子供を殺して主君をたてるみたいな気色悪い物語を、人気のなくなった人形浄瑠璃でやる分には「ある異常な人々の普通の行動」として認識されると思うけど、銀座で人間国宝がやると意味が違ってくるんじゃないかな。幹部俳優が口伝で伝えられたとしても、そんな仁は意味がなく、くだらない。

 世話物では魚屋宗五郎も五月にかけられるけど、これも面白くもなんともない作品。談志が死んだ勘九郎に見てくれと言われて「俺が魚屋なら妹を殺した主君を打つという具合に脚本を変える」と言ってた。

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May 18, 2016

エレーヌ・グリモー ピアノリサイタル

 エレーヌ・グリモーのピアノリサイタルに行ってきました。

 Hélène Grimaudはフランス生まれなのにブラームスで評価を受けるというデビューでした。

 リサイタルは2部構成。

 1部は最新のアルバム『Water』から。『Water』は水をテーマにしたインスタレーションといますかコンピュレーション・アルバムです。水をイメージとした8曲のピアノ曲の間に二ティン・ソーニーによるアンビエント・ミュージックを挟む構成。

 コンサートでは1部が

1. ベリオ:水のクラヴィア
2. 武満徹:雨の樹 II(オリヴィエ・メシアンの追憶に)
3. フォーレ:舟歌第5番嬰ヘ短調 Op. 66
4. ラヴェル:『水の戯れ』 M. 30
5. アルベニス:『アルメーリア』第2巻「イベリア組曲2巻2曲」
6. リスト:「エステ荘の噴水」
7. ヤナーチェク:『霧の中で』~アンダンテ
8. ドビュッシー:「沈める寺」

 2部がブーラームスのピアノソナタ第2番嬰ヘ短調。

 デビューと最新作でどうでしょう、という感じ。

 武満の「雨の木」はこんなに旋律が良かったかな、という曲。ドビュッシーの「沈める寺」はキラキラ輝いていました。

 プラームスは現代音楽みたい。ちなみに、この嬰ハ短調は《若干19歳のブラームスが作曲し、クララ・シューマンに捧げた》とのこと。

 クラシックのピアニストにもセルフ・プロデュース能力が求められる時代だな、と感じました、。

 10列目という望外な席で、美しいお姿を見られたこともラッキーでした。

 オフィシャルサイトから「沈める寺」をどうぞ

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May 08, 2016

『十六夜清心』

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 今月の歌舞伎座には最も好きな『花街模様薊色縫 十六夜清心 さともようあざみのいろぬい いざよいせいしん』がかけられています。

 初演は安政の大獄が猖獗を極めていた安政六年。トルストイの『にせ利札』に先立つこと40年あまり前に、めくるめく悪の自己増殖運動をあますところなく描いています。

 序幕で演奏される「梅柳中宵月」(うめやなぎなかもよいづき)も清元の最高傑作になっています。文句が素晴らしい。

♪朧夜に星の影さへ二つ三つ、四つか五つか鐘の音ももしや我身の追手かと、胸に時うつ思ひにて、廓を抜し十六夜が
♪落て行衛も白魚の、船の篝に網よりも、人目厭ふてあと先に、心置く霜川端を、風に追れて来りける
♪嬉や今の人声は、追手ではなかつたさうな、廓を抜てやう/\と、爰まで来たことは来たれども、行先知ぬ夜の道、何処をあてどに行うぞいの
♪暫し佇む上手より梅見帰りの船の唄
♪負んぶ忍ぶなら/\闇の夜は置しやんせ月の雲に障りなく辛気待宵十六夜のうちの首尾はエヽよいとの/\
♪聞く辻占にいそ/\と、雲脚早き雨空も、思ひがけなく吹晴て、見かはす月の顔と顔

 今年は原作の河竹黙阿弥生誕二百年。

 現代劇にも通じるような人間のリアルを描いた十六夜清心ですが、なんと7年ぶりの上演。同じ昼の部に上演される『寺子屋』みたいなのを毎年かけるんだったら、松竹は十六夜清心とか鶴屋南北ものをもっと上演すべきですよね。

 しかも十六夜清心は近松批判にもなっているんです。上方の心中物のようにこってりではなく、さらりとしていて、しかも失敗することもあったんだよ、と。
 平日の昼だったら、余裕で幕見できると思いますんで、騙されたと思ってぜひ。しかもたった1200円!

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March 22, 2016

中村芝雀改め五代目中村雀右衛門襲名披露「三月大歌舞伎」

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 芝雀さんの雀右衛門襲名披露興業を見物しにいきました。

 雀右衛門は関西歌舞伎の大名跡ではありますが、入りは少し心配していたんです。

 でも、芝雀改め五代目中村雀右衛門さんはなかなか綺麗な方なので人気があるんでしょうね、まあまあ入っていたのでよかったです。

 父親で先代の雀右衛門さんは戦争で苦労しましたが、三代目の長男(中村景章)が戦死したことから、養子として四代目を襲名したしたという経緯があります。

 戦死した景章さんは五代目中村芝雀を追贈されたんですが、六代目芝雀は後に四代目時蔵となって早死にし、五代目中村雀右衛門を襲名した芝雀さんは七代目という複雑な歴史があります。

 それでも、父親が1964年に四代目襲名披露で演じた『祇園祭礼信仰記・金閣寺』の雪姫で襲名披露興業を打つんですから健気なものです。

 元は文楽の雪姫は「三姫」の中で一番好き。手を縛られた中、父・雪舟譲りの筆力で鼠を桜の花びらで描くという、なんともエロチックな場面が見せ場です。

 これを見物できたから、ま、いいかな、と。

 にしても、先代の雀右衛門さんも口上に連なっていた錦之助襲名披露で『双蝶々曲輪日記 角力場』が上演された時、濡髪は富十郎さんだったんだよな、なんて休演していた菊五郎の代わりに二役を熱演していた菊之助を見ていました。

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February 21, 2016

『ピアフ』

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 大竹しのぶさんの『ピアフ』は何回も見たいとは思わないけど、再々演の今回、見ておいて本当に良かった、と感じました。

 なんていいますか、大竹しのぶさんの演技は、奇跡を目の前で見せられているようで。

 しかも、最前列で唾が飛んできそうなところで見物できて。目をみはって見つめ続けるしかない舞台で、大竹しのぶさんは、時々、完全にイってるんじゃないかと思う時がありました。

 パンフレットに載っていたジャン・コクトーの「私は彼女ほど魂を倹約しない人を知りません」という言葉に深くうなずきます。にしても、なんていう女性なんでしょうか、ピアフは。実際に近くにいたら、困ってしまうでしょうね…。

 ピアフは神懸かった巫女みたいな存在なのかも。イブ・モンタン、シャルル・アズブール、ジョルジュ・ムスタキなど彼女を通りすぎていった才能豊かな男たちは、彼女の前で等身大の自分をさらけ出さなければならなくなって、結果的に自分を見つめ直して世に出ることができた、みたいな。

 新約聖書の時代にも異言で泣きわめくような女性信徒みたいなのがいたことが使徒行伝などで報告されてまして、そうした困ったちゃんたちはパウロたちカトリカ(普遍のCatholica)教会からは駆逐されたけど、マクベスの魔女たちじゃないけど、やっぱりどこかに残っていたみたいな。

 パンフで親友トワーヌ役の梅沢さんが、ピアフは男を育てるのが偉い、みたいなことを言っているんですが、それに対して、大竹しのぶさんは「私、育てたいとは全然思わない(笑い)」と聞かれてもないことを天然にぶちかましているんですが、まあ、そんなところも凄いな、とw

 ピアフで大竹しのぶさんは、後半、弱っていって車いすに座ることが多くなるんですが、ストールの下には黒の舞台衣装を常に着ていて、何回もそこから不死鳥のように立って歌い出すんですよね。

 ああいうのを見ると、演出とかやりたかなったな…と。

 歌右衛門さんとか古い歌舞伎の人はよく「見物」って言ってたんですけど、ほんと、珍しいもんを見物させてもらった感じ。

 凄かった。

 にしても、『愛の讃歌』は別の方なんですが、『水に流して』は越路吹雪さんとやっていた岩谷時子さんの訳詞なんですね。

 宝塚的には、マレーヌ・ディートリッヒ役の彩輝なおさまも素晴らしかったです。宝塚ならではの華麗な男役が、男まさりのディートリッヒという役を得て輝いていました。

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January 15, 2016

種之助の三番叟

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 歌舞伎座で壽初春大歌舞伎を見物してきました。

 お目当ては昼の部の最初に上演される廓三番叟(くるわさんばそう)。

 ご存じの通り、三番叟の名前は祭儀的な能の「父尉」「翁」「三番猿楽」の三番目の演目から来ています。能では今、父尉(ちちのじょう)が省略され、翁(おきな)を能楽師が、三番叟(さんばそう)を狂言師が担当する形での上演が一般的です。

 翁が天下泰平を祈るのに対し、三番叟は五穀豊穣を寿ぐといわれており、歌舞伎でもおめでたい興業である1月に毎年、祝祭的に演じられます。

 あまりにも構成的な翁より、三番叟は文楽など他の芸能に影響を与えており、もちろん歌舞伎の所作(舞踊)にも取り入れられました。

 今年の壽初春大歌舞伎で上演された廓三番叟(くるわさんばそう)はさらに、原型を発展させ、舞台はなんと廓に。出てくる三人組も傾城と新造、幇間というくだけっぷり(元は翁、千歳、三番叟)。しかも、内容は大籬(おおまがき=格式の高い妓楼)で、太夫が飲み過ぎて別のお座敷で休んでいたら、幇間が呼びに来るという設定。

 この大事な演目に中村種之助が出たんですよ!父は中村又五郎、兄は歌昇。播磨屋一門で研鑽を積んでいます。

 種之助は93年5月生まれだから、まだ22歳。

 ぼくは女形は歌右衛門さんから入って、玉さまで勉強させてもらったので、若い女形は菊之助、孝太郎ぐらいしか贔屓がいなかったのですが、その孝太郎が年男で48というを知って愕然としました。

 年をとると芸者遊びも半玉趣味になると言われているそうですが、今日の種之助の振袖新造は本当に綺麗でした。仕草がここまで可愛い女形は久しぶり。

 「およそ千年の鶴は仕着せの縫いに止めたり」からの踊りも楽しかった。

 今日は種之助が寿新春大歌舞伎で三番叟を踊るところだけを確認しに来たようなものだったけど、後になって「あの時の種ちゃん見なかったの?モグリだね」と言えそう!

 手をついて少し傾いで控えている種ちゃん、本当に良かった。

 廓三番叟の傾城は孝太郎、太鼓持は染五郎。どちらも好きな役者さんなので初観劇にはぴったりでした。余りやる演目じゃないのに松嶋屋さんは3回目というのに驚く。鈴ノ段での種まきの所作もよかった。

 また幕見でも見に行こうかな!

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January 12, 2016

ブーレーズのハルサイ

 覚悟はしていましたが、ピエール・ブーレーズの新年早々の訃報には自分の生きてきた時代が歴史になりつつあるのかな、なんてことを改めて感じさせられました。

 驚かされたのは大学時代に、友人に聞かせてもらったクリープランド管弦楽団との『春の祭典』でした。

 いまでこそ、アマチュア・オーケストラでもストラヴィンスキーのハルサイは演奏されるようになってきたようですが、当時は難曲とされていました。

 また、レコードでの定番はレナード・バーンスタイがNYフィルを振ったやつで、これは頑張って買って持っていました。

 当時のブーレーズは格としてはカラヤン、ベーム、バーンスタインに一枚落ちという感じでしたが、とにかく現代音楽しか演らないという特殊な指揮者というイメージでした。中学生の頃にベートベンを出したんですが、あまりにも遅いテンポで、すぐに廃盤になった記憶があります(もちろんそんな好きモノが好むようなレコードは買えませんでした)。

 で、友人宅で聴かせてもらったハルサイは変拍子が忠実に再現されていて、レニー/NY盤が平面的と感じさせられました。

 その後はバルトーク、シェーンベルク、ヴェーベルン、ベルクとブーレーズの振る現代音楽を積極的に聴くようになっていきましたが、ブーレーズによって現代のオケのレパートリーは大幅に増えたと思います。

 そのハルサイのバレー付きでも見ながら、合掌。


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December 24, 2015

十二月大歌舞伎の松也と團子

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 十二月大歌舞伎は昼も夜も大好きな七之助祭だなと思って楽しみにしていたんですが、どちらも良かったです。

 というか、尾上松也が新しくスターシステムに乗ったんじゃないかと確信するとともに、子役で出ている市川團子(中車=香川照之の長男)の上手さに舌を巻きました。

 玉さまが出ているにもかかわらず相変わらず空席が目立っていたのは心配だったけど、古手の幹部連中が中心の編成から少しずつ変わりつつあるのかな、とも感じました。

 昼の部では『本朝廿四孝 十種香』しか見物していません。

 ここで驚いたのが勝頼に尾上松也が抜擢されていたこと。11月に続いての歌舞伎座本公演での主役。一年前には信じられないほど。20歳のときに父・松助を亡くし、後ろ盾がいなくなってから、よくここまで来たと思います。14年には『三人吉三』で勘九郎、七之助を相手にお坊吉三を演じ、今年は東宝版『エリザベート』で狂言回し役のルキーニを歌い倒した松也は「スター誕生」の予感がしていましたが、まさか、ここまで短期間に上りつめるとは思ってもみませんでした。

 御曹司系の役者にはひ弱い印象が強いんですが、必ずしも名門ではない彼には力強さと色気が舞台から匂ってきそう。勝頼で松也はカツラにシケ(乱れ髪)を垂らしていたんですけど、そんな勝頼見たことない。最近の本朝廿四孝では菊之助の勝頼が綺麗だったけど、菊之助は単にすっと座っている感じだったけど、松也は座っているだけで色気ダダ漏れさせていました。昔なら文句つけられていたんじゃ…なんて。どうなんでしょ?

 夜の部の『妹背山婦女庭訓』では淡海を演っていますが、これも凄い出世の役。これからも太らないで、体型を維持してほしいと思います。そして海老蔵、染五郎に互していってほしい。

 ヒロインのお三輪は七之助と玉さまが役替わりというか、杉酒屋と道行恋苧環(みちゆきこいのおだまき)を七之助、三笠山御殿を玉さまがやる趣向。玉さまは、女形の大役であるお三輪を七之助に託しているんだと思います。

 ぼくの永遠のディーバである歌右衛門さまの役はぜんぶ玉さまが継いだけど、そのうち、玉手御前や政岡は菊之助、お三輪などは七之助などに分けて継がせようとしているのかな。菊之助は菊五郎になるから女形ばかり演っていけないので、できない部分を七之助にやらせようとしているのかな、と。

 『妹背山婦女庭訓』は高い桟敷から見たんですが、玉さまの足をずっと見ていて、微動だにしないところはさすがだな、と。

 にしても苧環を背中に挿して動き、時には愛おしそうに抱くというビジュアルは人形にはできないわな、と改めて思いました。

 『妹背山婦女庭訓』の杉酒屋では市川團子に舌を巻きました。團子は中車(香川照之)の長男。ヤマトタケルの稽古場をテレビでしか見たことなかったけど、天才っていうのはいるんだな、と。子どもなのに演じきっている。舞台を背負っている。

 歌舞伎で杉酒屋は1970年以来の上演で、その時は片岡我當(仁左衛門のお兄さん)が丁稚小太郎を演っていたけど、将来が楽しみ。

 團子で気がかりだったのは、ちょっと太っていたことかな。まあ、歌舞伎の子役では時々あることなんで、順調に育って、できれば男前になって、将来は猿之助を継いでもらいたい。なんつうか澤瀉屋に生まれた初めての御曹司系の役者って感じ。拍手も凄かった。

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