書籍・雑誌

June 09, 2024

『紫式部日記』

91lk69vkgl_sl1500_

『紫式部日記』紫式部、角川ソフィア文庫

 『御堂関白日記』に続き、角川のビギナーズ・クラシックス(日本の古典)で読みました。

 全2巻で1巻は記録的内容。2巻は手紙と女房たちへの批評を中心とした記録的内容の「消息文」と言われる内容となっています(文末には「ございます」にあたる「侍り」を多用)。このため、後半は日記部分が筆写される中で、書簡などがまぎれこんだのではないかという説もあるようで、なるほどな、と。

 道長の要請で書かれたというのが定説のようで、あまり納得もいかないというか、よくわからないのですが、無知なままの日本古代史の興味がさらにかき立てられました。

 日記が書き始められた頃は長徳の政変(九九六年)から十二年が過ぎているのですが、定子後宮の華やかさの記憶は残り、道長家長女の彰子後宮との比較に興味津々だったことが日記からもうかがえます。

 さらに、日記に記録されている一条天皇からの勅使として参上した蔵人の少将道雅とは、定子の兄・藤原伊周の十七歳になる息子で、没落したとはいえ、一条天皇の定子への思いはつよく、まだ、中関白家も復活しようとしていたのかもしれません(道雅は花山法皇の皇女を殺した疑いや喧嘩沙汰で没落を決定付けるのですが)。

 とにかく日記部分は、藤原道長の長女で一条天皇の中宮となった彰子の2度の皇子出産や祝賀の様子を中心に、時の権力者や平安貴族の様子を生き生きと描いています。さらにその中で道長の人物像が浮かび上がり、政治的影響力だけでなく、文化人としての側面も持ち合わせていたことがわかります。

 《紫式部は、それぞれの立場の人々の、その立場を象徴するような姿を的確にとらえて書き留めています。彼女の眼ははっきりと政治を見極め、その中で様々の思惑を抱く人々を見ている》という解説はなるほどな、と(k.840、kはkindle番号)。

 よくよく考えてみれば、道長のように外戚として権力を振るうためには、《まず娘を持たなくてはならず、次にはその娘と天皇の年恰好が合わなくてはならず、入内の後には娘が天皇に寵愛されなくてはならず、さらに子供が、それも男子が生まれないとなりません。当然達成できるケースは非常にまれで、良房以降は道長の父・兼家がそれを成し遂げるまで百二十年間、摂政は何人もいたものの「外祖父摂政」は世に現れませんでした。道長は父に続いてその座に就くことを目指しているのです》(k.856)とのこと。

 道長主催の一条天皇と彰子の子の誕生パーティーで、道長は「紙」を賭けてスゴロクに興じる場面が描かれているのですが、「紙」は貴重品だったんだな、と『光る君へ』の枕草子誕生の場面に思いを馳せました。

《『源氏物語』「若菜 上」の中にも、東宮に嫁いだ光源氏の娘、のちの明石の中宮が里帰りして男子を産み、光源氏が孫の顔を覗きに来る場面があります。「若宮はおどろき給へりや? 時の間も恋しきわざなりけり(若宮はお目覚めかな? 束の間でも会いたくてならないものだなあ)」というせりふはすっかり御爺さん。そこにはまた、明石の中宮の養母である紫の上の、赤ちゃんを抱いて離さず、この場面の道長のように衣をしょっちゅう濡らしては着替えるという溺愛ぶりも、ユーモラスに描かれています》(k.1173)というあたりも興味深かったたし、紫式部は『遊仙窟』を典拠に「若紫」の巻を書いており、漢文に通じていた公任との機知にあふれる会話も残されています。

 紫式部の生まれ育った家は道長の正妻・倫子の土御門殿とは東京極通りを隔ててすぐ向かいだったのか、とか興味は尽きません。

 出産のため里下がりしていた彰子のいる道長邸に、一条天皇は御所焼失の後の倹約を示すために、薄着で御幸するのですが、祝いの席で酔っ払う公達の中、実資は女房どもの衣の枚数を数えてちゃんと倹約しているかどうか調査したというあたり、実に実資らしいと感服。

 勢いにまかせて実資の『小右記』にも手をだすことに。

| | Comments (0)

May 22, 2024

『御堂関白記 藤原道長の日記』角川ソフィア文庫

Gnyaisua8aa11_m

『御堂関白記 藤原道長の日記』繁田信一編、角川ソフィア文庫

 まさか『御堂関白記』をダイジェストにせよ読むことになろうとは思いませんでしたが、面白かったです。

 書き始めの頃、道長しか宮中に参内せず、アタマ来て日記を半年も休んでしまう道長とか、犬が食った死体が内裏や寺社の軒下に転がり、そういった穢れにヤんになる道長とか、いきなり抱きしめてあげたくなる感じ。

 正妻倫子の子である頼通を可愛がる道長も分かりやすいし*1、一条天皇の中宮となった彰子の無事出産を祈願するための金峰山詣は往復十数日をかけてしっかり歩いて完遂するのですが、お礼参りは穢れがあったからとあっさりと中止する道長も良いな、と。

 解説を読むと、書き下し文の文法とかメチャクチャな道長に驚きます。あんなに大切な一条天皇の崩御の「崩」を書けずに「萌え給ふ(萌給)」と『御堂関白記』に書き残してしまうほど。漢詩大好きな一条天皇に合わせるため、下手な漢詩の会を主催し、そこへ接待ゴルフのように付き合わされる平安貴族も大変だなと感じますが、一向に漢文が上手くならない道長も可愛い。

 漢字をあまり勉強していなかった道長については解説でも何回も指摘されています*2。

 中世の鎌倉時代は東国国家論的に理解していたんですけど、御堂関白記を読んでいると、古代の平安貴族の政治性の高さに驚かされます。権門的な見方はなるほどな、と改めて感じます。

 それにしても六国史が、九世紀末で終わっているので、平安時代史はフロンティアなんですよね。

《藤原道長の書いた日記『御堂関白記』が広く一般に知られるが、史料として刊行されたのは一九五○年以降のことである。摂関期の研究は一部の研究者によって行われていたのだが、史料が公刊されるようになってようやく平安時代史の研究も盛んになってきた。
摂関期の日記や儀式書を読み解けるようになったのはこの三○年と言っても過言ではない。日本古代史の中で、平安時代史はフロンティアなのである。
また、日記、儀式書や文書はその読み方も六国史に比べると個々に難しい。『日本書紀』をはじめとする六国史は一次文書を編集して出来上がっているので、ある見方で統一されているという問題はあるかもしれないが、筋道がたてられてまとめられており、その分読みやすい。
六国史を編纂していたのは律令国家である。六国史編纂後、正史を編纂することが全くなくなったかと言うとそうではない。「新国史」という正史を編纂する事業は継続されていたのだが、結局完成はしなかった》と『摂関政治』古瀬奈津子、岩波新書、2011の「はじめに」に書かれているのを思い出しました。

 それにしても『御堂関白記』読んでみると、さすがに佐藤英作日記なんかより、よほど上品だな、と感じますね。こんど出てきそうな宮澤喜一日記がどの程度か楽しみではありますが。

 それにしても平安時代の日記、「ビギナーズ・クラシックス 日本の古典」にたくさんございます!

藤原道長『御堂関白記』
藤原行成『権記』
藤原実資『小右記』
紫式部『紫式部日記』

 いくつか読んでみようかな、と。

 晩年は兄、道隆のように水飲み病(糖尿病)に苦しみ、視力も衰えるのですが、仏道に反するものの肉魚を食べタンパク質を取るようにするなど、合理的な対処方法に感心します。晩年は御堂関白の名で呼ばれるようになった法成寺で九体の阿弥陀如来の手から自分の手まで糸を引いて息を引き取ったのですが(源信『往生要集』のように)、兼好法師は『徒然草』第二十五段で、大火や戦乱によって伽藍が荒廃したことを世の無常として喩えているな、とか思い出しました*3。

*1
頼通の母親は源倫子であり、頼宗の母親は源明子であるが、右の一件に明らかなように、倫子と明子との二人の妻たちを同等に扱うように努めていた道長も、倫子所生の子供たちと明子所生の子供たちとを同等に愛そうとはしなかったようなのである。
k.878(kはkindle番号)

*2
『御堂関白記』に残された藤原道長自筆の漢文は、その少なからぬ部分が、常識的な訓読法では読み下し得ないような、何とも個性的なものであり、言葉を選ばずに言うならば、ずいぶんとでたらめなものなのである。しかも、『御堂関白記』の記述には、とにかく誤字や脱字が多い。
k.943

藤原道長が「降」という漢字を覚えたのは、この頃のことだったのかもしれない。というのも、降水があったことについて、寛弘七年までの『御堂関白記』には、常に「雨下」「雪下」と見えるのに対して、寛弘八年以降の『御堂関白記』では、「雨降」「雪降」と見えるようになるからである。
k.4280

*3
《京極殿・法成寺など見るこそ、志留まり、事変じにけるさまはあはれなれ。御堂殿の作り磨かせ給ひて、庄園多く寄せられ、我が御族のみ、御門の御後見、世の固めにて、行末までとおぼしおきし時、いかならん世にも、かばかりあせ果てんとはおぼしてんや。大門、金堂など近くまでありしかど、正和の比、南門は焼けぬ。金堂は、その後、倒れ伏したるまゝにて、とり立つるわざもなし。無量寿院ばかりぞ、その形とて残りたる。丈六の仏九体、いと尊たふとくて並びおはします。行成大納言の額、兼行が書ける扉、なほ鮮かに見ゆるぞあはれなる。法華なども、未だ侍るめり。これもまた、いつまでかあらん。かばかりの名残だになき所々は、おのづから、あやしき礎ばかり残るもあれど、さだかに知れる人もなし》

| | Comments (0)

May 17, 2024

『源氏物語を読む』高木和子

61hmbfq7zs_sy522_

『源氏物語を読む』高木和子、岩波新書

 『源氏物語』は与謝野晶子訳で桐壺と若紫、若菜ぐらいしかまともに読んだこともないので、全体の流れみたいなのを知るためにAudible版で「聴いて」みました。

 厳密にはどうかわからいのですが、なんかレヴィ=ストロースの交叉いとこ婚のような関係性の中で不義が繰り返される構造、光源氏の皇統が続かない仕掛け、サイドストーリーの玉鬘十帖とエピローグである宇治十帖の役割、コメディリリーフのような末摘花、夕顔、六条御息所など怨霊の通奏低音などがよく理解できました。思いが遂げられないからそれに代わる存在を求め、それがまた悲劇をもたらすという長編化の流れというか。

[目次]

Ⅰ 誕生から青春
 一 両親の悲恋と美しき若君 桐壺(きりつぼ)巻
 二 色好みの主人公 帚木(ははきぎ)・空蝉(うつせみ)・夕顔(ゆうがお)巻
 三 憧れの人とゆかりの少女 若紫(わかむらさき)・末摘花(すえつむはな)巻
 四 不義の子の誕生 紅葉賀(もみじのが)・花宴(はなのえん)巻

Ⅱ 試練と復帰
 一 御代替わりの後 葵(あおい)・賢木(さかき)・花散里(はなちるさと)巻
 二 不遇の時代 須磨(すま)・明石(あかし)巻
 三 待つ者と離反する者 澪標(みおつくし)・蓬生(よもぎう)・関屋(せきや)巻
 四 権勢基盤の確立 絵合(えあわせ)・松風(まつかぜ)・薄雲(うすぐも)・朝顔(あさがお)巻

Ⅲ 栄華の達成
 一 幼馴染の恋 少女(おとめ)巻
 二 新たなる女主人公 玉鬘(たまかずら)・初音(はつね)・胡蝶(こちょう)巻
 三 翻弄される人々 蛍(ほたる)・常夏(とこなつ)・篝火(かがりび)巻
 四 玉鬘との別れ 野分(のわき)・行幸(みゆき)・藤袴(ふじばかま)・真木柱(まきばしら)巻
 五 六条院の栄華 梅枝(うめがえ)・藤裏葉(ふじのうらば)巻

Ⅳ 憂愁の晩年
 一 若い妻の出現 若菜上(わかなのじょう)・若菜下(わかなのげ)巻
 二 柏木の煩悶と死 柏木(かしわぎ)・横笛(よこぶえ)・鈴虫(すずむし)巻
 三 まめ人の恋の悲喜劇 夕霧(ゆうぎり)巻
 四 紫上の死と哀傷 御法(みのり)・幻(まぼろし)巻

Ⅴ 次世代の人々
 一 光源氏没後の人々 匂兵部卿(におうひょうぶきょう)・紅梅(こうばい)・竹河(たけかわ)巻
 二 八宮の姫君たち 橋姫(はしひめ)・椎本(しいがもと)・総角(あげまき)巻
 三 中の君へ、そして浮舟へ 早蕨(さわらび)・宿木(やどりぎ)・東屋(あずまや)巻
 四 薫と匂宮、揺れる浮舟 浮舟(うきふね)・蜻蛉(かげろう)巻
 五 浮舟の出家 手習(てならい)・夢浮橋(ゆめのうきはし)巻

| | Comments (0)

May 15, 2024

追悼、ポール・オースター

Img_4115

あまり小説は読まない方なんですが、ポール・オースターは結構、読みました。数年前に蔵書を1/3にした時も整理できませんでした。

「アメリカ文学史上初めて現れたエレガントな前衛」というのが日経の追悼記事に載っていましたが、なるほどな、と。朝日に載った柴田元幸さんの追悼文の中の「老いを喪失でなく新たな可能性模索の機と捉える姿勢」という言葉も印象的でした。

オースターの中で好きな作品を、多くの方と多分違う方向から選ぶとすれば『トゥルー・ストーリーズ』と『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』と"TIMBUKTU"ですかね。

『ナショナル…』の方は編者だけど、立派なオースターの作品になってます。

"TIMBUKTU"は高校時代の女性教師が素晴らしかったな。読みやすい英語でした。

『トゥルー…』では。アート専門の書店につとめていた頃、ジョン・レノンがマン・レイの写真集を見せてほしいと現れて、オースターと

《「ハイ」と彼は片手をつき出しながら言った「僕はジョン」

「ハイ」と私はその手を握って大きく振りながら言った。「僕はポール」》

と挨拶する場面とかよかったな。

《『グアヤキ年代記』という文化人類学の大著の英訳が刊行されたとNYタイムズで読んだ。訳者は若い頃のオースター。「上質な小説の味わい」と惚れこんで訳したのに版元は潰れ、ゲラ刷りは紛失し、原作者は物故して発表の目途が絶たれてしまったという。
ところが、ゲラは20年後に舞い戻った。友人が古書店で偶然手に入れたのだ。わずか5ドルで。どこまでもオースターらしくて感心したのを覚えている。この顛末を綴ったエッセイ》も素晴らしかった。

合掌。

| | Comments (0)

May 14, 2024

『<自己愛>と<依存>の精神分析 コフート心理学入門』和田秀樹

9158gdaanhl_sy522_

『<自己愛>と<依存>の精神分析 コフート心理学入門』和田秀樹、PHP新書

 コフートは「名前ぐらいは知っているかな」ぐらいの存在でしたが、著作はもとより解説書なども手に取ったことはありませんでした。今回、和田秀樹さんの解説書ぐらい読んでみるか、と思いたったのは『「推し」で心はみたされる?』熊代亨、大和書房の東洋経済の書評インタビューを読んで感心したから。

 この書評欄のインタビューで熊代亨さんが語っている《ナルシシズムと聞けば、持つべきではないもの、克服すべきものというネガティブなイメージが浮かぶかもしれません。
「人間は生涯かけてナルシシズムを充たす必要があり、それを充たすうまさは成熟していく」と考える研究者もいました。ハインツ・コフートという精神分析学者です。本書では、このコフートの理論を推し活に当てはめながら話を進めています。
コフートの理論のとくに重要な特徴は次の2つです。第1に、ナルシシズムを「生涯充たされる必要のあるもの」と考えたこと。つまり人間にはナルシシズムの充足が必要という考え方です。第2に、ナルシシズムを人間が経験を積む中で「成熟していくもの」として捉えたこと。
ナルシシズムの成熟は、承認欲求や所属欲求の充足、コフートの用語でいえば鏡映自己対象体験や理想化自己対象体験をうまく積み重ねる中で進むというのです。それなら、推し活もナルシシズムの充足だけでなく、成熟にも寄与できるかもしれません》というのに、妙に納得感あるな、と感じたんです。

 ざっくり言うと父が厳しく、母が優しかったフロイトはエディプスコンプレックスという概念を発明したんですが、それはフロイト個人の生い立ちによるもので、父親がだらしなかったり、母親がとんでもない存在ならば逆の発想もあったろうから、フロイトのように自己を律することがなにより大切でナルシシズムはもってのほか、というのはおかしい、ということでコフートは人間は所詮、他人と比べても大して変わらず《「人間、人に頼らずに生きられるものではない」「人間だれだって自分がかわいいものだ」》(k.70、kはkindle番号)という、分かりやすい平易な人間理解で患者に接して成功したそうです。

 フロイトのような《無意識の世界をあれこれと想像するのでなく、患者がほんとうに感じていることをたいせつにしようという考え方です。前者の考え方が「自己対象」という概念につながり、後者の考え方が、「自己」(セルフ)や「共感」の重視につながる》と考えた、と(k.551)。

 フロイトはナルシシズムを否定的にとらえたのですが、そもそも《「ナルシシズム」は、一八九九年にネッケという人がある種の性的倒錯、つまり自分のことが好きで好きでたまらないというようなことを説明するために使った用語》だそうで(k.699)、それを受容したフロイトは《男が男を好きになってしまうのは実は男が好きなのではなく、自分を好きだから男を好きになるのだと考えました。自分に似ている男だから好きになるというのですが、それは現在のホモセクシュアルの理論とはまったくかけ離れています》というような間違いを犯している、と(k.726)。これに対して《コフートの自己愛の理論というのは、あくまでも相手が支えてくれることで自己愛は健全に発達していくというモデル》だそうでして、なんか、こっちの方がいいな、と(k.943)。

 さらに、患者に接する時にも「共感は他者の中の自己を認識する」と定義した「共感」をベースにしていたそうです(k.1364)。和田先生も《私は本業として高齢者をよく診ます。すると、老人は年をとってからほめられるという体験やみんなが自分のことを大事にしてくれるという体験がすごく減っているという》ということで、これも納得的だな、と(k.1936)。

 《コフートは、患者さんを共感的に観察し、その自己愛ニーズを満たしてあげることで、患者さんが子ども時代に親の愛情不足で生じた穴を埋めてあげるのが分析家の仕事だと考えていました。そして、最終的には、現実には満たしてあげることができなくても、共感をして人間的な絆をつくり、ことばを通じてわかってあげる体験をさせてあげることで、患者さんの自己が固まり、他の人を自己対象として利用できる、つまり、他の人を信じられる人間にできると考えました》ということで、いつかコフートの『自己の分析(The Analysis of the Self)』や『自己の修復(The Restoration of the Self)』を読んでみようと思います(k.2483)。

| | Comments (0)

April 29, 2024

『中世荘園の様相』網野善彦、岩波文庫

Img_3860

『中世荘園の様相』網野善彦、岩波文庫

 

 網野さんの本はかなり読んでいたつもりだったけど、一般向けの本ばかりだったんだろうな、と改めて反省。学生の頃、この『中世荘園の様相』を読んでいたら、マジで日本中世史をやろうとしたかもしれないなどと仕方ないことを考えながら読みました。

 

 本書は太良庄の開発から、東寺の荘園となるいきさつ、百姓や代官同士の訴訟合戦、突然やってきて突然終わる得宗支配と南北朝の混乱、何がなんだか分からない観応の擾乱に晒されながら、農業以外の手仕事なども含めて経済が発展、貨幣経済がこんな荘園にまで浸透していく様子が生き生きと描かれていて感動させられます。

 

 いまの列島に生きる、ほとんどの人は、中世には荘園で百姓をして生きていた祖先の末裔でしょう。先祖たちが、どのように自分たちの権利を護り、守れなかった時には、どう対応したか、そんなことも分かる気にさせられます。

 太良庄が成立した後、治承・寿永の乱(源平の争乱)に巻き込まれ、やがていったんは御家人となった土着の豪族の領地となるのですが、それが鎌倉幕府から排され、東国武士が直々に地頭となって入部するというあたりから始まります。その地頭が横暴を極めるという、お約束の展開となるのですが、全国の土着の権利は《荒々しい関東武士の土足の下に蹂躙されはじめていた》(p.24)ということで、「泣く子と地頭には勝てぬ」という諺は、最初にガーン!と幕府と惣領のパワーを見せつけるために、わざと集中的にやった当時の世相をあらわしているんだろうなとか考えてしまいました。

 それにしても、新たに開いた耕作地は、たとえ最初は借り物の土地の延長線上にあったとしても、開発者のものになるというのは東国武士の権力集団の明るさというか合理性も感じさせられます。承久の乱の気分が醸成されるのも、いったんは東国武士に与えられた打撃から回復した土着層が、中間管理職的に再雇用されるも、過去を忘れなかったからなんだろうな、とか(p.26-28)

 『中世荘園の様相』の様相で凄いな、と思うのは治承・寿永の乱、承久の乱、元寇、得宗支配の強化と突然の崩壊、南北朝の争乱、当事者でもおそらく何にがんだか分からなかったんじゃないかと思う観応の擾乱などの大事件が、山深い小さな荘園にも確実に影響を与えていること。また、東寺や地頭などの代官だけでなく、農民も含めた訴訟合戦の膨大さには驚かされます。鎌倉幕府も苦労したろうな、と。

 こうした訴訟は「所職」を巡って行われるのですが、《「名主職」や「領家職」など、中世社会内部での地位を表わす用語であり、また同時にそれに随伴する職務や利権(得分権)を意味する》もので、《「所職」は、基本的には上位者から補任されるものであり、その点では職務としての意味合いが強いが、一方でそれを手に入れた者はそれに付随する排他的な得分権を手にすることができた》(p.439)ということで、網野さんは、所職とは得分であり、主従関係の意味は喪失されていく、というものです。所職から主従関係が喪失されていく過程で下剋上が発生するのですが、そうした権利を巡る闘争も織豊政権、徳川幕府によって終わりをつげ、荘園自体も終わる、ということなんだろうな、と。

 岩波書店が、これを岩波文庫に入れた意義は大きいと思いました。

 以下は解説の清水克行先生による太良庄の歴史のまとめです(p.431-)

 《父平忠政の私領太良保を継承した開発領主、出羽房雲厳が本書の最初の主人公であるが、一二〇八(承元二)年、彼はその土地を地域の御家人稲庭時国に譲って早々に没落する。

 しかし、その稲庭も承久の乱で没落、太良保は地頭若狭忠清の手に帰する。一方、京都では仁和寺菩提院の行遍の工作により、一二四○(延応二)年、太良保は東寺に寄進され、東寺供僧領太良荘として生まれ変わる。新たに太良荘の経営のために現地に乗り込んだ東寺の代官定宴は、百姓勧心らの協力も得て、地頭若狭忠清の勢力を排除することに成功し、一二五四(建長六)年に念願の実検(田数把握)を実現する。この時期、代官と百姓たちの間には懸命の連帯があり、両者のあいだには生きた主従関係が存在していた。(第一章)

 ところが、蒙古襲来の激震のなか、太良荘では末武名の名主職をめぐって稲庭時国の孫娘である中原氏女と、出羽房雲厳の養子である宮河乗蓮の対立が起こる。おりしも東寺では供僧グループが実力を蓄え、太良荘経営に貢献した行遍・聖宴・定宴ら菩提院一派の排斥が進む。この東寺内部の対立が現地にも波及し、故勧心の名田をめぐって西念(勧心の甥)と重真(勧心の下人)のあいだでも争いが起こる。また、預所浄妙(定宴の娘)と地頭若狭忠兼(忠清の次男)との間でも助国名をめぐって争いが再燃する。こうして荘内の混迷が深まるなか、逃亡百姓や下人といった人々が名主職を競望する新たな力として浮上していく。また、それにともない名主職などの「所職」(荘園制内部の地位と、それに随伴する職務や利権)も次第に一個の権益化、非個性化の道をたどり、本来の補任者との主従関係とは切断された意味合いを帯びるようになってくる。(第二章第12節)

 一三〇二(正安四)年、鎌倉幕府の得宗(北条氏嫡流)の勢力拡大により、地頭若狭忠兼は罰せられ、太良荘は一時期、得宗領となる。得宗支配下では、借上(高利貸)あがりの熊野僧、石見房覚秀が起用されるなど、時代は人々の利得や欲望を解放する方向へと向かい始める。しかし、鎌倉幕府が滅び、後醍醐天皇の建武政権が発足すると、東寺は太良荘の領家職と地頭職を手に入れ、荘支配を復活させる。そのなかで太良荘の百姓、禅勝・実円らは惣百姓と連帯し、地頭代脇袋彦太郎を追い落とす。これが太良荘の歴史始まって以来、最初の「土民」の「一揆」だった。しかし、その後、禅勝・実円らは復権を企てる若狭忠兼との抗争に血道をあげ、みずからの「所職」に執着するあまり、惣百姓の反発を招き、姿を消す。新たに現れた法阿や乗蓮(宮河乗蓮とは別人)らの惣百姓たちは、過去の人間関係の歴史と因縁を無視した図々しくも現実主義的な風貌をもっていた。(第二章第三〜四節)

 その後、室町幕府下の守護大名一色氏の支配は、一三七一(応安四)年、地域の国人たちが起こした応安の国一揆を鎮定し、新たな秩序を生み出した。しかし、その「守護領国制」においても、上は天皇から、下は一般の百姓まで、すべての人々はなお「所職」の世界のなかにあり、荘内に生きる人々の生活は基本的になんら変わるところはなかった。「歴史を無視する人たちはそれを克服する力を欠いており、歴史になお未練をもつ人々はそれを主張し切る力をもっていなかった」(三五五頁)。所職のなかに生き、その遺産のなかでしか「自由をまもる砦」を求め得なかった百姓たちの歴史は、一五八八(天正十六)年、豊臣政権による太閤検地の実施により、その幕を下ろす。(第三章・終章)》

 50年以上も前に書かれた本だから色々克服されるべきところもあるかもしれませんが、GWが終わったら小浜まで延伸された北陸新幹線に乗って太良庄を訪ねてみようかな、と思います。

| | Comments (0)

April 07, 2024

『源氏物語論』吉本隆明

Img_3181

『源氏物語論』吉本隆明、ちくま学芸文庫

 大学生の頃に出た『源氏物語論』は、当時、吉本さんには別なものを求めていたので、文字通りざっとしか読んでいませんでした。吉本源氏に対してアカデミックな立場から行われた批評に対してこっぴどく反論した評論の方が印象に残っていますが、それでも、自分の源氏物語に対する基本的な見方は吉本源氏なんだろうな、と思って改めて文庫版を読み返してみました(文庫版はちくま学芸文庫が創刊された時に、吉本さんの源氏がラインナップされたので、記念に求めました)。

 ぼくが吉本源氏が凄いと感じたのは「第IV部環界論」の物の怪についての部分です(p.187)。

《葵の上が産褥の床で物の怪に憑かれて、容貌から口調まで六条御息所に変貌して、あらぬことを愁訴している丁度そのとき、六条御息所じしんは思いつめて心神が喪失した状態で魂が身体から離れてゆくのを体験している。そして葵の上が、修法によって物の怪から離れて静かになったとき、六条の御息所は、じぶんは六条の住いにいただけなのに、衣裳には、修法のさいに護摩のため焚かれる火にくべられた芥子の香りが滲みこんでいてなかなかにとれないと感ずる。
 『源氏物語』の作者は、ここでも物の怪を送りやる側の離魂状態の心神喪失と、物の怪にのり憑られる側の変貌した状態が〈同時性〉の関係にあることをはっきりととらえた。そしてこの物の怪の名をになっている側の心神喪失の状態と、そこに憑かれた側の変貌とが〈同時〉におこる描写は、怨念を送るものの魂が身体から離れて、怨念を受けとる側に入り込むのが、物の怪の背後でおこったことだという洞察をあたえた。これはわたしのせまい知見では『源氏物語』の作者がはじめてあたえたものだった。》

 これは、源氏物語の「昼」の部分を統御しているのが藤壺であるとすれば、「夜」は六条御息所の物の怪である、という「夜」の部分を展開したものですが(p.185)、「昼」の部分についても《『源氏物語』の作品世界を霞のようにおおった幼児的な心性の雰囲気と、そのためにかもされる主人公たちの近親相姦的な願望を、世界が敏感で高度なのにかかわらず、密封されているところからきている》(p.171)というあたりは凄いな、と。

薫中将はあらかじめ欲動もてない存在として描かれたのは、胎児のときに柏木との密通で生まれたということで、厭わし子として母の女三宮からうとまれたからだというのはなるほど、と。家柄、姿は格別なものの、徹底的に愛から遠く生まれた存在だから、紫式部は薫に仏教的な芳香を放つ身体を与え『法華経』の「薬王品」の護持者であることを象徴させたというあたりもなるほどな、と(p.100)。

 八の宮の一周忌の黒染の喪着をつけたと心に黒染の衣をつけた薫が月を眺める場面は宇治十帖の世界で最も優れていると書いてある「総角」は読んでみようかな、と。でも、そうした欲動がないことが大姫を衰弱させ、浮舟を自殺に追い込むというあたりの読み込みも素晴らしいな、と。浮舟は死んだ大姫の代わりの人形であり、それは雛を川に流すことで罪が浄化されるという伝承に根ざしている、と。

| | Comments (0)

『ミクロ経済学入門の入門』坂井豊貴

61aactq3iml_sl1500_

『ミクロ経済学入門の入門』坂井豊貴、岩波新書

 コカ・コーラとペプシコーラのどちらが好きかというところから無差別曲線の解説をするなど、親しみやすい内容だが、一番、感動したのがギッフェン財の説明。

 これを留学時代の貧しい食生活から説明したあたりが素晴らしい。筆者は留学先の地元スーパーのPB商品だった1袋1.5ドルの不味いパスタを買っていたのですが、時々は高くて美味しい2ドルのパスタを購入していた、と。こうしたなか、このスーパーが1.5ドルから1.6ドルに値上げした時、もう贅沢な高いパスタを求めることをやめ、安いパスタの消費量を増やすことで対応しようとした、というんです。

 本当なら、差額が0.5ドルから0.4ドルに縮まったので、高いパスタを買いやすくなったわけですから、そっちを買うと予想されますが、生活防衛のため、絶対買わなければならないパスタが値上がりしたら、可処分所得は少なくなるわけですから、安い1.6ドルのパスタをもっと買うことになる、と。

 大部分の財は「需要法則」の通り、価格が上昇すればその財への需要量は減少するのですが、ギュッフェン財とは価格が上がると需要が増すもので、貧しい地域の必需品がそうなることがあるということでしたが「そんなことあるかい!」と普通は考えますよね。

 しかし、19世紀のアイルランドでのジャガイモ飢饉の際のジャガイモの需要は、値が上がるほど上昇したそうで、背に腹が替えられない状況では、生活必需品の価格が上がると需要は高まる、と。これを発見したイギリスの経済学者ギッフェンにちなんでギッフェン財と名付けられたそうで、なるほどな、と。

 「不確実なくじと、それと無差別になる確実な金額を、そのくじの確実性等価という」とのことですが、期待効用が計算通りには感じられない条件つき財=保険、たからくじ、馬券などの説明も面白かった。

 どちらも格差拡大につながる話で、《おおよそ持っている人には、なお与えられ、持っていない人からは、持っているものまでも取り上げられるであろう( ルカ 19:26、口語訳)》ということなのかな、と。

 このほか、ナッシュ均衡、パレート優位、ベルトラン寡占市場、クルーノー寡占市場、ブライステーカーなどの経済学用語が平易に説明されています。

 ナッシュ均衡とは、自分が行動を変えると損をする膠着状態のことで、必ずしも双方にとっていいとは限りませんが、逆に双方にとって一番いいナッシュ均衡状態のことをパレート優位と定義する、と。これもイタリアの社会学者ヴィルフレド・パレートによって提唱されたもので、誰の効用も犠牲にすることなく、少なくとも一人の効用を高めることのできる変化を「パレート改善」と呼ぶ、と。

 ミクロ経済学とゲーム理論はつながっているな、と改めて感じました。

| | Comments (0)

『進化のからくり』千葉 聡

Img_0663

『進化のからくり 現代のダーウィンたちの物語』千葉 聡、ブルーバックス

 毎日出版文化賞を授賞した『歌うカタツムリ』岩波科学ライブラリーは地味でパッとしないカタツムリが進化研究では重要なプレイヤーであることを解き明かしていましたが、『進化のからくり』では、カート・ヴォネガット が《ガラパゴス諸島の生物は、アフリカのものと比べると、パッとしないと言わざるを得ないでしょう。しかし、それが彼らの運命であり、彼らが百万年を経て進化した結果なのです》(『ガラパゴスの箱舟』朝倉久志訳、早川書房、1981)と書いたガラパゴスの島で、著者が本を読むところから始まります。

 修士課程で預かったサーフィン好きの学生が、突然インドに旅だってしまったものの、研究室に戻ってきて、やがてサーフィン好きの米国人ポスドクと意気投合して、そこからホソウミニナが生物的に別れていく途中ではないかというストーリーに基づく研究が覆され、二生吸虫の感染による異化だったというあたりの話しは凄いな、と。そして、その章に遠藤周作の『深い河』と1968年制作のサーフィン映画の嚆矢だった『エンドレスサマー』をもってくるあたりのセンスが素晴らしい。

 フリオ・イグレシアスが『北斗の拳』のサウザーのように内臓逆位(Situs inversus)だったとは知りませんでした。

 なんかパッとしない左巻きカタツムリのジェレミーの話に感動するとともに、それが終章で多くの市井の生物愛好者の助けによって、日本で新た
展開を生むあたりの大団円も見事。

 スコットランド出身のポスドクが小笠原のフィールド調査に行くあたりの描写も素晴らしいな、と。

[目次]
第1章 不毛な島でモッキンバードの歌を聞く
第2章 聖なる皇帝
第3章 ひとりぼっちのジェレミー
第4章 進化学者のやる気は謎の多さに比例する
第5章 進化学者のやる気は好奇心の多さに比例する
第6章 恋愛なんて無駄とか言わないで
第7章 ギレスピー教授の講義
第8章 ギレスピー教授の贈り物
第9章 ロストワールド
第10章 深い河
第11章 エンドレスサマー
第12章 過去には敬意を、未来には希望を
第13章 グローバルはローカルにあり

| | Comments (0)

March 18, 2024

『NHK「100分de名著」ブックス 清少納言 枕草子』山口仲美

81gbcr9sl_sy522_

『NHK「100分de名著」ブックス 清少納言 枕草子』山口仲美、NHK

「100分de名著」はだいたい良いんですが、この枕草子編では4回分の講義に、特別章「女の才能、花開く 清少納言と紫式部と和泉式部」を加えたお得な構成となっています。

 有名な春はあけぼのから始まるんですが、清少納言の斬新さは、「時間」で自然美を切り取るという発想であるというのはなるほどな、と。

《『古今和歌集』の春の歌を調べてみると、春の自然美は、 霞、桜、梅、柳、 若菜、 鶯、 雁、 百千鳥、 呼子鳥 といった風物なのです。「時間」で自然美を切り取るという発想は、『枕草子』以前には見当たりません》(k.1401)。

《『枕草子』以後にできた『後拾遺和歌集』 になると、時間から切り取った情緒的な風景が歌に取り上げられています。「花ざかり 春のみ山の あけぼのに 思ひ忘るな 秋の夕暮」(一一〇二番歌) などと、『枕草子』の影響を感じさせる歌も出てきます。清少納言による、時間から自然美を切り取るという視点がいかに新しく、人々に衝撃を与えたかが分かるでしょう》(k.366)

 という引用は日本の古典の素人にとって、ありがたい指摘です。

 また、枕草子は中宮定子の全盛期の割と短い間に書かれて《凋落が始まってからの屈辱的で悲しい出来事はほとんど書かなかったということです。あくまで、明るく輝き、 意気軒昂 とした定子のサロンの様子を描き切っている。ここに『枕草子』の虚構があります》(k.307)というのは知らなかったな…《紫式部が宮仕えに出た時は、清少納言は、宮仕えを終え、引退して数年経っています。和泉式部は、いわば紫式部の同僚で、紫式部のほうが二~三年先輩です》(k.1162)というあたりも。

 古典をよく読む方には常識かもしれませんが、《清少納言と和泉式部は平易な日常会話語を好んで、前者は散文を綴り、後者は和歌を詠んでいました。それに対して、紫式部は、歌の世界で用いる雅やかな言葉「歌語」が好み》(k.2006)というあたりもありがたい教示です。

| | Comments (0)

より以前の記事一覧