『平成史 昨日の世界のすべて』與那覇潤、文芸春秋
なんでも検索できる環境になって、我々は現在のトレンドの波に飲み込まれて、過去の歴史からのつながりから「いま」を考える思考方法を失ってはいないか、という問題意識から、インターネット上の情報があふれるようになった平成史をさぐるのが本書。
平成はマルクス主義と昭和天皇という「ふたりの父の死」とともに始まり、二つの大震災とコロナ禍を挟んで天皇の譲位で終わりました。
《昭和の日本で猛威を振るったマルクス主義も天皇主義(?)も、「どう考え、いかに行動すべきか」の指針を示してくれる点は共通なのですが、その学び方には大きな違いがあります。前者(左翼)は『資本論』をはじめとしたテキストの解釈、すなわち「言語を通じた読解」で身につけるものなのに対して、後者(右翼)は天皇というひとりの人格の「身体を模倣した習得」で学ぶ(まねぶ)ところに、それぞれの特徴が表れています》(k.349)が《身体を排除し「言語に徹する」のは怖いことでもあって、「理論的に考えて、不同意の人間は「殲滅」するしかない」といった極論を止められないことがある。たとえばフランス革命中に恐怖政治を展開した元祖・極左のロベスピエールは、パンフレット等の「ことばで書かれたもの」の力だけで、(一時的な)最高指導者に昇りつめた人物とされています(k.368)》。そして《さらにややこしいことに、純粋に言語だけで人びとを組織し続けるのは難しいので、やがて当の左翼の中から「絶対的な指導者の身体」を有する(と見なされる)人物が出てきます。1930年代以降のソヴィエト連邦で人類全体の教師に喩えられたスターリン(53年死去)が典型で、あらゆる学問はむろんのこと、芸術的になにが優れているかの基準まで、全部スターリンに決めてもらうといったことが起きるわけです(k.372、kはkindle番号)》。
昭和と平成は20世紀から21世紀をまたいだわけですが、その20世紀はナチスとスターリニズムの勃興と滅亡を持ったことで、人間の獣性と悪と直接的暴力に直面する機会を得て、性善説を捨て去ることができ、21世紀はトランプを持ったことで、民主主義を信じすぎることから免れる可能性を得た、ともいえるのかもしれません。やはり歴史は負の部分からの学びが多いわけで、インターネットから抽出される正解から得られるものは限界がありそうです。
こうして《20世紀末から生じた「言語よりも身体優位」の風潮は、問題を起こす人の心を言語化して理解するというより、生理的な嫌悪感に基づき物理的に排除する方向へと帰着》(k.3747)する、というのが全体の流れでしょうか。
政治的に平成は《「ポスト冷戦」とともに始まった――とは、この時代を扱うほぼすべての論説に記されています。しかし昭和天皇と社会主義の「死」がともに同じ年に起きたことの意味を、ほかならぬ日本人の視点から掘り下げる作業は、意外にもあまりなされてこなかったのではないでしょうか。 ひとことでいえば、1989年の1年間を通じて、日本人が思考する上での参照軸、「左右」の二つの芯棒がともに折れたのです。平成史とはそこからの再建の物語であり、そしてそれが挫折する悲喜劇でもあります》(k.305)。
その平成の日本政治については首相たちの寸評が面白かった。
《田中角栄の時代までは、自民党の側も「補助金で黙らせればいい」という対応ですんだのですが、田中内閣(1972~74年)のもとで生じた財政の膨張により、保守派にも「国民に官からの自立を促し、政府を維持可能な規模に縮小する思想」が必要とされてきます。その機をとらえて活躍したのが香山や、前章でふれた村上泰亮、その共同研究者だった佐藤誠三郎(政治学。32年生で改元時に56歳)らでした》(k.1216)ということですが、『反古典の政治経済学』村上泰亮はいつか読んでみたいと思います。
細川政権についての《幕藩体制の「分権性」を評価する細川護熙=香山健一のビジョンもまた、そうした視点を共有するものであり、中北氏はこうした―80年代のポストモダン右派的な―ビジョンを「日本型多元主義」と呼んでいます》(k.1224)という視点はなるほどな、と。
《小沢一郎や、逆に自民党の側で改革を推進した橋本龍太郎らを「六〇年代末からの学生運動や住民運動などの隆盛を、「体制側最若手」として受け止めた」、「運動側が主張する「戦後民主主義の欺瞞」や「体制破壊」には同意できなくとも、体制に内部改革が必要であるという認識は持っていたはず(69)」の人びと》(k.1314)だという政治学者の待鳥聡史(1971年生の団塊ジュニア世代)の指摘はなるほどな、と。
そして1993年に発足した非自民連立政権は「転向を知らない子どもたち」のクーデターだった、と。
福田赳夫についての《戦時下で汪兆銘政権の財政顧問を務めた福田は、1967年から都知事として革新自治体の雄となる美濃部亮吉とも、彼を庇護した大陸浪人出身の福家俊一(自民党衆院議員)を通じてコネがあり、国交正常化以前に周恩来首相とのパイプ役を依頼したほか、79年の都政奪還時にも暗黙の合意を得ていました(k.4756)》というのは知らなかったな…。
このほか、革新自治体の誕生は自民党支持層の変化についての見方も面白かった。《砂原さんが注目するのは意外にも、GHQによる占領下に行われて戦後日本の税制を規定した「シャウプ勧告」(1949~50年)です。そもそも戦時体制下ですでに、戦後の地方交付税交付金の原型となる「都市の富を農村に回す」制度は作られていましたが、シャウプ勧告はそれを追認したほか、事業税・入場税・遊興飲食税など都心部から得られる税収を(市町村ではなく)道府県に割り当てたため、いわば大都市は国と上部自治体(県)から二重に「搾取」される構造が生まれました。 70年代に都市部で勃興した革新自治体は、そうした状況への異議申し立てでしたが、当時はまだ霞が関に比して地元の権限が弱く、また担い手の左派政党が反・資本主義のイデオロギーに固執して柔軟性を欠いたこともあり、やがて住民は「支持政党なし」に陥るか、自民党に回帰してゆきました(k.5505)》。
《菅首相―仙谷長官が取り仕切った民主党政権中期は、そうした時代に出された「答え」としてのニューレフトがようやく、国の中枢に到達した瞬間でもありました》(k.5591)というのもなるほどな、と思い前田和男『民主党政権への伏流』も読んでみました。個人的に民主党政権は本当に期待しましたが《菅~野田内閣は、「左」が現実主義を取り入れ、「右」は単なる現状追認ではない思想性を持って歩み寄ることが、新たな時代を切り開くと信じられた戦後後期の潮流の残り火(k.6209)》となってしまいました。《1993年5月にも、連合の初代会長・山岸章が改革派の有力知事に書簡を送り、地方自治体から積み上げての政権奪取を目指す「殿様連合構想」があったが、翌月の衆院解散を経てにわかに細川非自民政権が成立したため、画餅に終わったことがあった(前田和男、前掲『民主党政権への伏流』、252-261・305-307頁)。見方によっては、維新の会はちょうど逆の方向で失敗したともいえよう。432 前掲『幻滅の政権交代』、561頁(k.6398)》というのは知らなかったな。
このほか、面白かったところをあげていきます。
《カント的とは、「現実としてこういう流れがあるから」といった論法とは完全に切れたところで、ストレートに「全員が従うべき規範、価値観」を追求するスタイル》(k.3993)というクリアカットさは初めて。
コジェーヴ『ヘーゲル読解入門』の「日本化についての註」に関しての解説で《「進歩」のように万人にとって有意味な物語を紡げなくなると、人間は茶道のお碗を右から回すか左から回すかといった風な、「本質的にはどっちでもいい拘り」に意味を見出して生きていくだろう、という趣旨》(k.858)というのは初めて読みました。
《ハンチントンの主眼はフクヤマの『歴史の終わり』への批判にあり、西洋的な近代社会を「全人類のゴール」ではなく、数ある文明類型のひとつへと相対化することで、全世界をアメリカの流儀で統治しようといった「世界の警察官」構想を抑止するという趣旨でした(137)。しかしその後の国際政治の展開は、同書をむしろ「多文化共生なんて幻想。異なる文明とは対決しかない」といった、ニヒリズムの書物として受容させていく(k.2331)》
《1994年春に東大駒場の新科目「基礎演習」のテキストと銘打った『知の技法』が、1年間で30万部を売り上げて話題を呼びますが、編者の小林康夫さん(表象文化論)と船曳建夫さん(文化人類学)はともに東大紛争の闘士でした(70)。かつて大学を「解放区」にしようとした世代が、カリキュラムの内容を公刊し「開放区」を作ることで、内実が見えにくかった象牙の塔をオープンにする試みだったともいえます》(k.1330)というのは知らなかったです。
この間、個人的に息苦しくなってきていると感じる原因はコンプライアンス界隈の跋扈でしょうか。《この社会は確実に「画一化」もしています。昭和の時代には「政治家なら裏金くらいあって当然」・「芸能人だもの、不倫のひとつやふたつは当たりまえ」ですまされたことが、よし悪しは別にしてもう通らない。 ローカルな慣習や暗黙の合意で処理されてきた事案が、ひとたび白日の下にさらされるや、非常識きわまる利権として糾弾が殺到し、だれも弁護に立つことができない(k.132)》ようになりました。
平成はアニメや漫画がサブカルの王者として君臨した時代だったとも思うのですが、エヴァとジブリについては紙幅をかなりさいています。
『旧エヴァ』は14歳の碇シンジの失敗し続けるビルドゥングスロマン(成長物語)であり、父・ゲンドウは暴力をためらう冬月のような甘っちょろい(または、平和ボケした)インテリ教授の権威を転覆して、権謀術数に手を染め「解放区」のように治外法権が許される特務機関ネルフの支配者におさまったが、いかに「父になれない」存在かが主題だった。しかし、ゲンドウの内面は空疎であり、「全共闘世代は父になれるか」こそが、『旧エヴァ』の命題ではなかったか、というのは初めて読みました。
ジブリについては、満洲国の最高幹部の東條英機・松岡洋右・岸信介らは憲法にすら縛られない放埒な経営を経験したことで、内地の政界に戻って戦時体制を指揮。そして、宮崎駿監督の『風の谷のナウシカ』で敵役を演じるトルメキアの遠征軍の描写は満洲国の戯画になっている、という見取りもなるほどな、と。
《普通なら高畑さんはもう映画を撮れないところですが、作品に流れる「マルキストの香り」を愛して支援を続けたのが、共産党からの転向者で(『もののけ姫』の世界観にも影響を与えた)網野善彦の親友でもあった日本テレビの実力者・氏家齊一郎》(k.2387)で、《2013年の遺作『かぐや姫の物語』では、11年に逝去していたにもかかわらず氏家が製作としてクレジットされましたが、日本古典を民衆の目線で映画化する構想には、朝鮮戦争下で網野らがとりくんだ「国民的歴史学運動」の残響を聞くこともできるでしょう(k.2393)》というのは知らなかったな…。
他のアニメ作品については《八〇年代は押井守監督の『うる星やつら/ビューティフル・ドリーマー』〔84年の劇場アニメ映画〕に象徴されるだろう。主人公たちは学園祭の前夜の時間の内に閉じこめられてしまう。いつまでたっても学園祭の当日はやってこない。永遠に終わらない前夜祭――。覚醒することのない美しい夢(ビューティフル・ドリーム)。それが八〇年代精神である。 もっともよくその精神を受け継いだ宮台真司は、過酷な九〇年代を闘い抜き、今日へと至った。まるで今夜の宮台の結婚パーティーこそは、その後夜祭のように見えると。〝前夜祭〟から〝後夜祭〟へ。そして……。「結局、〝学園祭〟はなかったんだよ」 そんなふうに私は呟いていた(k.5453)》という見方はなるほどな、と。
1993年に発足した欧州連合(EU)は中世期のカトリック圏と重なり《EUに至る礎を築いた戦後初期の欧州統合論者――仏外相シューマン、西独首相アデナウアー、伊首相デ・ガスペリらは、いずれもカトリックだった(板橋拓己「黒いヨーロッパ ドイツにおけるキリスト教保守派の「西洋」主義」遠藤乾・板橋拓己) 》(k.2581)というのは知らなかったな…。
《イタリア共産党が第二次大戦末期のパルチザン活動を通じて、サレルノの転換(44年)とよばれる広範な反ファシズム勢力との提携に踏み切ったのと対照的に(193)、党幹部全員が投獄されていた日本共産党ではむしろ「獄中非転向」の神話が形成され、妥協の拒否こそがモラルとなっていったのです(k.3048)》というのも分かりやすい。
教育勅語が勅語だったのは《文面上は国家が上から義務を課すというより、君主が道徳的に見て立派なふるまいをし、国民(臣民)がそれに倣って暮らすことで住みよい社会ができるとするタテマエであり、だからこそ法令ではなく「勅語」の形式をとった。いま風にいえば天皇こそが最強の「インフルエンサー」だということですが、こうした発想は明治の盛期に生まれて敗戦直後に東大総長(1945~51年)を務め、社会主義陣営も含めた全面講和を唱えた南原繁(1889年生)の世代までは前提でした。そうした君主崇拝は民主主義にふさわしくないのでは、とする感性が定着するのは、大正生まれだった弟子の丸山眞男(1914年生)の世代からです》(k.325)というのはなるほどな、と。
ちょっと残念だったのは小泉・竹中の規制緩和、アベノミクスへの評価が浅すぎたこと。専門でないことはわかりますが、それこそネット世論に流されすぎていると感じました。
[目次]
序 蒼々たる霧のなかで
第Ⅰ部 子どもたちの楽園
第1章 崩壊というはじまり:1989・1ー1990
ふたりの父の「崩御」
消えた左右の抑圧/父なき社会への助走
子どもたちが踊りはじめる
第2章 奇妙な主体化:1991ー1992
運動しはじめる子どもたち
気分は「近代以降」(ポスト・モダン)
大学の変容が始まる/昭和の老兵が去りゆく
第3章 知られざるクーデター:1993ー1994
フェイクニュースだった大疑獄?/密やかな「父殺し」
転向者たちの平成
女という前衛を夢みて
第4章 砕けゆく帝国:1995
エヴァ、戦後のむこうに
帝国の造りしもの
連立の価値は
組織のかたち 人のかたち
第5章 喪われた歴史:1996ー1997
「戦後の神々」の黄昏
「戦前回帰」は起きたのか
死産した「歴史修正主義」
イノセントな時代の終わり
第Ⅱ部 暗転のなかの模索
第6章 身体への鬱転:1998ー2000
自殺した分析医
帰還兵の暴走
届かない郵便
「脱冷戦」政治の終わり
第7章 コラージュの新世紀:2001ー2002
エキシビションだった改革
地方への白色革命/崩壊するアソシエーション
SNSなきインフルエンサー
第8章 進歩への退行:2003ー2004
凪の二年間
工学化される「心」
韓国化される日本?
希望の居場所はどこに
第9章 保守という気分:2005ー2006
リベラルと改革の離婚
「あえて」の罠
ノスタルジアの外部
子どもたちの運命が分かれる
第10章 消えゆく中道:2007ー2008
現在の鏡のように
ひき裂かれた言論空間
セカイから遠く離れて
リブートされる平成
第11章 遅すぎた祝祭:2009ー2010
市民参加の果てに
あきらめの倫理学?
軽躁化する地方自治
「後期戦後」の終焉
第Ⅲ部 成熟は受苦のかなたに
第12章 「近代」の秋:2011ー2012
デモへと砕けた政治
「知識人」は再生したか
機動戦の蹉跌
残り火が消えるように
第13章 転向の季節:2013ー2014
知性の経済的帰結
失われた「マジ」を求めて
歴史の墓地
「戦後」という父が、帰る
第14章 閉ざされる円環:2015ー2017
平成知識人の葬送
世界が「セカイ」になるとき
欠け落ちてゆく内面
新時代への模索
第15章 はじまりの終わり:2018ー2019・4
西洋近代に殉じて
再東洋化するルネサンス
令和くん、こんにちは
いまでも平成(あなた)はわたしの光
跋 歴史がおわったあとに
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