
『となりの史学 戦前の日本と世界』加藤陽子、モリナガ・ヨウ、毎日新聞出版
現代の国際情勢を考える際、特に中国やロシアの歴史認識には驚かされます。プロパガンダと一蹴するのは簡単ですが「なぜ彼らはそう考えるのか?」と考えれば、本書は不可解に見える歴史認識の『文脈』を解き明かす方法を紹介してくれます。
《歴史に学ぶとは、ある事象が生起した文脈、コンテクストを理解する》という加藤先生による本書は《近代日本が一度ならず干戈を交えた相手国、つまり戦争をした相手国との二国間での歴史共同研究の最前線からの実況報告を行っています。[日本と中国][日本とロシア][日本と英国][日本とドイツ]、それぞれの場合において、戦争終結後の和解と共存の真の方向性を探るために開催された国際会議の成果を中心にして伝えようと努めました》とのこと(あとがき)。
[中国]
まず、日本に対して無茶なプロパガンダを仕掛けている中国に関して、個人的には「なんであんなメチャクチャな歴史認識なんだろう」と不思議に思うわけですが、その背景には《中国では、1911年の辛亥革命時に掲げられた、「建設」(近代化)と「統一」(統一国家の形成)という二大目標が、いまだ達成されていないとの認識があるために、現代を見つめる時は、「1911年の視点」になるという。 そうであれば、中国とその国民の関心は、「建設」と「統一」が未完成である理由へと向かおう。二大目標の達成を阻んだ最大の障害として日本を位置づける見方》があるという説明は納得的(k.227、kはkindle番号)。さらに、こうした夜郎自大な歴史観に民族復興プロパガンダが加わるわけですから、ハチャメチャになるのかな、と。
最近、琉球王朝に関する虚文を主張していますが、これは日清戦争の原因にもなった、というのは面白かった。《中国側は、「当初は重視されなかった『虚文』を重視し、琉球王の復封」を図ろうと動いた。その理由は、「これを座視すれば朝鮮との朝貢・冊封関係に波及しかねない」との懸念に突き動かされたためという。本来の伝統的な冊封概念は、中国と朝貢国との1対1対応で完結するはずである。しかし、琉球をめぐる日本との競合の中で、対琉球関係を対朝鮮関係と連動するシステムとして捉えるような、新たな国際関係認識が中国側に生まれたと見られる》(k.260)というんですから、何事も歴史的背景があるんだな、と。
また、太平洋戦争終結後、蒋介石は日本が建設したインフラの維持・活用を目指したんですが、こうした《技術者留用に警戒感を抱いたのがアメリカだったことだ。1945年10月という早い段階でアメリカ海軍の作戦部長によって作成された文書「中日関係:日本の対中国政策」からは、日本人技術者の留用が日本政府主導でなされているのではないかとの警戒感がにじみ出ていた。日中の技術協力関係は、アメリカが疑念を抱くほど良好に動き出していたのだ》というのは知りませんでした(k.721)。
清末の中国では日本から流入してきた新名詞(東語、和製漢語)が使われていたのですが、中国の民族主義者?厳復は、「拓都」などの新語を編み出したのですが、ほとんど使われることがなかった、というのは面白いな、と。
「田中上奏文」の偽造も面白かったというか、なんでも偽造するんだな、と思うと同時に《偽書かどうかは措くとしても、日本の現実の行動が上奏文に書かれている通りだとの中国側の対日批判のトーンは、この後も維持された》というのは、今も続いているな、と(k.1291)。
[ロシア]
《文化面での日ソ関係の結びつきを忘れてならないことは、歌舞伎の最初の海外公演が、1928年、モスクワとレニングラード(現・サンクトペテルブルク)で行われたことを想起するだけでも十分だろう》というのは知らなかったです(k.1721)。スターリンの日本に関する個人蔵書に「エロ・グロ・ナンセンス」に関するものがあるほか、日本の僧侶の腐敗ぶりが女色が生々しく描写されている頁にスターリンの注記がある、というのには唸りました(k.1834)。
また、1930年代の定義についての《国際経済からみれば、イギリスが金本位制を離脱した1931年から、アメリカが民主主義国家の兵器廠と自ら位置づけた1940年までとまとめられる時代》《あるいは、ヴェルサイユ・ワシントン体制を桎梏だと認めた日本やドイツが、軍事力を背景に実力で国際秩序の改変を図ろうとした10年とも総括できる》という見方はなるほどな、と(k.1747)。こうしたことからソ連を敵として日中英米がまとまろうとする構想と、ドイツを核として反ヴェルサイユ体制国としての日独中ソが連合する構想の二つがあり、各国は二股をかけていた、と。
ミッドウェー海戦大敗後はドイツの求める日本の対ソ参戦要求に応ずる余力がなくなったが、日本はドイツに対して独ソ和平斡旋をしていたというのは、凄い同床異夢だったな、と(k.1877)。
《パノフ氏が挙げる、日ロ両国の国民性の類似点には、つい目がいった。いわく、両国民には、力への敬意、他国民への猜疑心及び不信感、集団組織と集団思考への欲求等々、共通項があるという。力への敬意という点は面白い。ロシアと日本を歴史的な視座で眺めれば、ロシアはビザンツ文明、一方、日本は中華文明の影響を周辺部として受けてきたという点で共通項を持つという》というのもなるほどな、と(k.2139)。
ロシアはビザンツ文明、日本は中華文明の影響を周辺部として受けてきたという点で共通項を持ち、議会制、ナショナリズム、私的所有権といった「近代ヨーロッパ文明」に対抗しようとしてもがいた、と。また、総力戦を主導した日本陸軍と新官僚の中には元共産主義者が多かったのも共通点です。
スターリンは専門家に個人教授してもらってもヘーゲルを理解できなかったのですが、それは『法の哲学』などで語られる自由とは所有のことであり、自由は外部から束縛を受けないだけではなく、自分の身体、人格、財産などが自己自身のもとに在ることで初めて具体的に自由となるというあたりがわからなかったのかな、とか考えてしまいました。
また、晩年のレーニンがスターリンの暗殺者から身を隠したのが古儀式派の人々の村だったというのはゾクゾクしました(k.2266)。
[イギリス]
イギリスとドイツについては印象に残ったところを引用して終わります。
《アンソニー・イーデン外相は、1945年7月段階で米国に天皇制温存の必要を働きかけはしなかった。その理由を二人の教授はイーデンの記録に語らせていわく、「私は米国側に、天皇は存続させるべきであると、勧告するつもりはない。米国側は必ずや、このような勧告の受入れを望んでおり、不本意ながらもわれわれに同意したと言うだろう」(158頁、傍点筆者)。イーデンは、自国民を説得するのに難しい天皇制温存の問題をイギリス人の口から言わせようとするアメリカの底意を見抜いていた》(k.2450)。
《日中戦争中、日本側が英米の艦船を長江から追い出したいと考えていた理由の一半は、防諜という側面から説明できる》(k.2615)。
《第二次世界大戦で日本が連合国に敗北し、占領期間を経て1951年9月に締結された対日平和条約が、サンフランシスコ平和条約であった。話は込み入ってくるが、当時、中華人民共和国を招請すべきとするイギリスと、中華民国を主張するアメリカの意見が対立した結果、「中国」代表は招請されていない。またイギリスは、韓国について、日本と戦争状態になかったとして招請に反対し、これにアメリカも同調した結果、韓国は署名国となれなかった》(k.2690)。
[ドイツ]
《日本とドイツは、その位置ゆえに、ユーラシア大陸にのびるロシアを東西に牽制しうる二国だった》(k.2864)。
《日露戦争が勃発した少し後の1904年4月、英仏協商が成立するが、この帰結がドイツ外交にとっていかに重い意味を持ったか(162頁)、本論考はよく伝える。中東と北アフリカでの英仏対立が解消し、アジアでの戦争で日本がロシアに辛勝した暁に来るのは、欧州におけるイギリスとドイツの対立しかない。日露戦争を第ゼロ次世界大戦とみる解釈は近年有力だが、この論考からも支持できる見方だと思われる》(k.2900)。
《第二次世界大戦の決定的要因を、海洋での支配をめぐる争いとナガシマ氏は看破する。中国に対する日本陸軍の戦い、ソ連に対するドイツ陸軍の戦いは、共に中ソ両国が、退却しうる広大な大陸後背地を持っていたために、勝敗の決定要素は、英米からの中ソへの物資を運ぶ海上輸送路をいかに効果的に遮断するかにかかっていたからである》(k.2,993)。
近代日本が歩んだ『近代ヨーロッパ文明への対抗』という道筋が、ロシアやドイツと共通していたという指摘は、日本の戦前の行動を世界史的な潮流の中で理解する視点も与えてくれるかもしれません。
[目次]
第1章 日中の戦争観――歴史認識を問い直す【日本と中国1】
●海の向こうは……世界の中の日本と中国
●重慶で私も考えた 中国重慶の国際会議で触れた中国研究の最前線
●自国の利己追求に歴史が「使われる」時代
●敗者の帰還と満洲体験 帰還者は帝国崩壊をどう捉えたか
●中国と中国人にとっての1945年
第2章 競存から緊張へ変化した日中関係――私たちは今、何をすべきか【日本と中国2】
●苦難の中の日中関係 対立と共存
●日中関係、どこからやり直すか
●歴史の中に存在する多彩な中国像
●日本・中国・台湾 三国関係を追う
●世界政治を揺るがした「田中上奏文」の謎に迫る
●「田中上奏文」はどのようにして作られたか
第3章 西洋と東洋を結ぶ架け橋へ――何が日ロ関係を転換させたか【日本とロシア】
●ロシアが残した日本史への刻印
●花も実もある日露関係 拮抗する二国関係において「真実ならざるもの」を見抜く
●日本とソ連、それぞれの1930年代
●ソ連と日本 タフな交渉と戦争の時代
●ロシアの対日参戦の正当性を探る
●日ロの類似点が導く対ロ交渉の到達点
●帝政ロシアからソ連を経てロシアへ
第4章 明治日本はイギリスに何を求めたのか――日本人の英国観の変遷【日本と英国】
●一つに収斂(ルビ:しゅうれん)しない日英関係の姿
●ギャップに満ちた日英関係
●現代の米中対立と戦前の日英攻防
●戦後ロンドン金融市場の変容
●イギリスの平和思想と国際連盟への期待
第5章 東アジアの国際情勢にみる日独関係――「同盟」の真のかたちとは【日本とドイツ】
●東アジア情勢の中で語られる日独関係
●日独関係における相互イメージ
●日本とドイツ、人と技術の交流
●長期政権を築き、新時代を拓いた桂太郎
●桂太郎の複眼的思考を書翰から読み取る
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