書籍・雑誌

August 24, 2019

『文選 詩篇 六』川合康三など訳注、岩波文庫

 六巻は雑詩の後、最後の分類である雑擬詩に達します。『文選』収録作品としては比較的後期となる南朝時代の作者が多いのが特徴。親しみやすい表現が多くなるとともに、陶淵明のように日常生活を謳う詩も収録されるようになっていきます。

 詩経などは〈よみびと知らず〉の詩がほんどでしたが、曹丕『典論』を経て作者の個性が認識され、表現も洗練の度を加えて「作者の誕生」につながっていく、という流れが「はじめに」で示されています。

 陶淵明の詩は『文選』に八首収録されていますが、そのうち五首がこの冊に入り、あまりにも有名な「飲酒」其五も収録されています。

結廬在人境(いおりをむすんでじんきょうにあり)
而無車馬喧(しかもしゃばのかしましきなし)
問君何能爾(きみにとうなんぞよくしかるやと)
心遠地自偏(こころとおければちおのずからへんなり)
采菊東籬下(きくをとるとうりのもと)
悠然望南山(ゆうぜんとしてなんざんをのぞむ)
山気日夕佳(さんきにっせきによく)
飛鳥相与還(ひちょうあいともにかえる)
此中有真意(このうちにしんいあり)
欲弁已忘言(べんぜんとほっしてすでにげんをわする)

 普通は「悠然見南山(ゆうぜんとしてなんざんをみる)」ですが、こちらでは「悠然として南山を望む」を採っています。蘇軾による「見る」の解釈を長く引いて紹介した後、《蘇軾以前には「望」の字が通行していたと思われる》と締める呼吸が渋い。

 最後の項目である雑擬は、陸機が最初の「上」を十二首の作品で飾っています。

 ここでは、陸機と陶淵明の擬古詩の解説も素晴らしい。陶淵明の擬古詩は、陸機のようなキッチリした模擬ではなく《テーマを襲ったもの》とのこと。陸機と比べるとフリーダム。さすがというか分かりやすい(p.187-)。

 この解説のすぐ次は、謝霊運が曹操のもとに集った文人の詩を、曹丕が編んだものを元に再現した八首。これも印象に残りました。曹操討伐のための「袁紹の為に予州に檄す」を書いた陳琳のものも。陳琳は曹操が才能を惜しみ配下に加えたが、彼らが曹操政権に帰するまでを描いていきます。三国志好きはこれを読まないとモグリ?

 掉尾を飾るのは江淹の「雑體詩」三十首。長いですが、古詩から南朝宋末期の恵林までの作品を擬し、全体の批評にもなっているという高度な構成。

 この胸つき八丁を乗り越えないと、文庫本で2553頁という文選詩篇という巨峰を制覇できないのか、と必死に読み進みました。

 そして、最後に昭明太子による「序」を持ってくる趣向。その解説は《たとえ内容がすぐれていても、文学たるためには言葉をいかに美しい言葉に練り上げるか、表現を洗練することこそ心しなければならぬというのが、昭明太子の立場であった》とのこと。これを編者たちは言いたかったのかもしれません。

 本文、コラムなどを読了した後、付録の年表が素晴らしいことにも気づきます。秦から南北朝時代時代にかけての主な出来事と、士大夫らがどう動き、詩を書き、それが文選のどこに収められているかが分かる労作であり、漢詩の作り手は大状況に対応していたんだなぁ、と改めて実感します。

 旅先で読むものがなくなったので、kindleで新古今和歌集を読み継いだのですが、「ほととぎす」だけでズラーッと並べ、自然しか歌っていない日本の詩歌と、なんと違うことかと愕然としました。

 さらに六巻には作者別の索引もついています。

 川合康三先生以下の訳注がなければ読み通せませんでした。特に一巻の難解さは印象に残っています。中国史を前提としなければ理解が不可能でした。感謝。

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August 23, 2019

『熱学思想の史的展開 2 熱とエントロピー』山本義隆、ちくま学芸文庫

 近代科学史三部作(『磁力と重力の発見』『一六世紀文化革命』『世界の見方の転換』)の前に書かれていて、山本義隆さんが科学史家として実質的にデビューしたのが『熱学思想の史的展開』だと思います。デビュー作ということで容赦ないというか、数式も多数出てきますし、あまり広い読者を想定していなかった頃の作品です。2010年末に加筆訂正された文庫版の1巻を読んだのですが、その後、東日本大震災などもあって仕事が忙しくなり、読んだものの、まとめるまでにはいたらなかったのですが、この夏の旅行中に再読してみました。

 人類にとってもっとも身近で有益な自然現象である燃焼の原理や熱とは何かについては19世紀になっても分からない状況が続いていた、というのは改めて驚きます。

 1巻では、化学に革命をもらしたラヴォアジェでさえ、焼素(フロギストン、Phlogoston)が空気中に出ていくという燃素説を追放したにもかかわらず、燃焼とは物質と空気のひとつの要素である純粋空気が結合したという熱素(calorique)を提唱するあたりで終わりましたが、2巻は、その熱素説の精緻化と、天才カルノーが完成させたかにみえた熱素説が、イギリス人のエンジニアたちによる蒸気機関の改良と、ジュールによる実験が大陸の理論と結びついて、熱素説を克服する端緒を掴むまでが描かれています。

 1巻ではヨーロッパがアリストテレスの「質の自然学」を克服する中で、「自然を計算し、秤量し、測定する(to number, weigh and measure)」して定量化していくために、ガリレオ(1564-1642)の温度計が発端となったと語られていますが、2巻でもイギリス人のドルトンが膨張なども考慮した《使用する温度計物質によらない普遍的温度目盛りとは何か》を目指します(p.58)。そしてこれが《その後の熱学の発展を貫くものとなる》、と(p.78)。

 熱素説はまるで天動説のように精緻を極めていきますが、真空が多量の熱を含むという方向にいってしまうのが面白い(p.85)。天動説で、どうしても衛星の軌道を説明できなくなって奇妙な運動を導入したのと似ている。

 その後も、様々な実験は積み重ねられていくんですが、クーンが書いたように《科学者が自然を以前とは違った見方で見られるようになるまでは、新しい事実はまだ科学的事実ではまったくない》という状況が続きます(p.152)。

 人類は火砲を除いて、火を熱エネルギーとして直接利用してきましたが、蒸気機関は初めて動力として熱を利用することになりました。こうした中でカルノーは「仕事概念」を導入します。フランス革命は自然の支配と収奪による生産力増大に向かいますが(サン・シモン主義)、それには熱の動力利用が鍵になっていく、と(p.187)。

 《フランス革命では、自由・平等・博愛のイデオロギーとともに、あるいはそれを上まわって、自然の支配と収奪による生産力増大の夢こそが知識人青年を捉えたのではないだろうか。革命後におけるサン・シモンの産業主義というテクノクラートの夢の登場は必然であった》

 こうした観念的な思考が大陸で支配的な時に、英国本土では鉱山の排水・揚水に水蒸気エンジンの開発が進みます。決定的な改良を行ったのはワットで、その鍵は冷却器をシリンダーから分離すること。これによって燃料を75%節約できるようになりますが、冷却水が重要な役割を果たします。

 《仕事を生むためには高温だけでなく低温も必要》で、熱が作業物質を媒介に高温から低温へ流れ落ち、それによる作業物質の体積変化が仕事を生む、と(p.209)。これがカルノーに重要な示唆を与えますが、フランスはイギリスと違って石炭資源に乏しく、蒸気機関の改良が進んでいなかったという事情も関係しているようです(p.216)。

 熱が仕事を生むには温度差が必要というカルノーの基本的な理解は、水の高度差を利用した「水柱機」によるインスピレーションもあったようです(p.228)。そして、カルノーの定理は熱とそれが生み出す仕事の間の定量関係について得られたはじめての表現となっていきます(p.275)。

 カルノーによって絶頂を迎えた熱素説は、その後、急速に衰退しますが、それがすぐに熱運動論にとってかわられたわけではありません。なぜならニュートンによるエーテル説などが根強く立ちはだかっていたから(p.276)。しかし、光と輻射熱の反射・屈折・干渉・偏り・消偏などのふるまいがあまりにも似ていることがわかっていき、徐々にニュートンの権威から離れた熱波動説が受けいれられるようになっていきます(p.295)。

 熱帯地方では体温と外気の温度差が小さいために酸素消費量が少ないから血が鮮やかな赤色をしているというトンデモ的な所見から間違ってエネルギー原理を予言した医師のロベール・マイヤーは「19世紀のガリレオ」と一時は喧伝されたのですが、それは《エネルギー原理の発見が19世紀後半に与えたインパクトの大きさを象徴して》います(p.314)。
 
 マイヤーは運動や熱の原因を「力」と考え、それは消滅することはないとして、エネルギー保存の前提から、熱と運動の変換関係の普遍性というアイデアを導き出します。普遍定数Jの発見は熱と力学的仕事の新しい定量的関係の発見でしたが、このエネルギー保存原理はプランクをして「エネルギーの概念は保存原理を通してはじめて物理学において意味を持つ」とします(p.320)。トンデモ所見から得られたアイデアかもしれませんが、新しいパラダイムはβ-崩壊からニュートリノの発見にもつながります(p.322)。

 中性子が電子(ベータ粒子)と反電子ニュートリノを放出して陽子になる現象がβ-崩壊ですが、当時はエネルギー保存則を逸脱している実験結果しか出ませんでした。しかし、電子と一緒に観測できない未知の粒子が放出されているのではとするパウリの考えによってニュートリノが発見されるわけです。まったく、クーンの言う通りかな、と。

 マイヤーが観念的にエネルギーの原理を発見したのに対し、アマチュア科学者であったジュールはいかにもイギリス人らしい経験主義的な実験を通してエネルギーの原理を追求していきます。ファラデーの伝統もあったのですが、電気・磁気・熱・化学親和力・運動が密接に関係しあっていることが徐々に解明されていく過程は凄いな、と。ちなみにジュールの住むマンチェスターでは1842年に大争議が起こりますが、その年にエンゲルスも父の命令でこの町に来ています(p.347)。そして、この年にエンゲルスは彼の第一バイオンリンとなるマルクスと会い、『イギリスにおける労働者階級の状態』の調査も行います。

 一連の研究によって仕事→熱の変換、熱→仕事への変換があることはわかってきたのですが、トムソンは《仕事の熱への変換は常に可能であるにひきかえ、熱は限られた状況でしか仕事を生まない。具体的に言うと、熱の仕事への変換には温度差を必要とする》ことにこだわります(p.388)。やがて、トムソンは、熱が移動しても場合によっては仕事が得られないのはエネルギーが消失したのではなく散逸の結果であると悟ります(p.403)。ジュールはミクロな分子の回転エネルギーがマクロな仕事を生むと考えていましたが、それには膨大な数の分子が同方向に回転しなければならなかったからだ、ということで2巻は終了。

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August 16, 2019

『武器としての世論調査』三春充希、ちくま新書


 最初に知ったのは東洋経済書評欄。温暖で稲作に適していた西日本は地縁や血縁など共同体が強く、地域密着型の投票が行われるため与党有利だが、明治以降に形成された都市は野党有利。若年層は自民党支持が多いのではなく、野党支持が劇的に減っただけ。新聞社ごとの選挙速報ランクや、「ややリード」などの用語の真の意味の解説もあるということで、読んでみました。

 やはり面白かったのは東西で与党列島と野党列島に分けられるという指摘。これは佐藤進一先生以来の日本中世史の東国国家論を現在も反映しているとも言えそう。元々、三春充希さんは理系の研究者だったらしいけど、データ分析を進めると、東大史学の日本中世史の東国国家論が浮かび上がるというのは凄いな、と。東国国家論は中世に西から独立した東の武家勢力がやがて全国の公家・寺社の荘園を侵食していくという過程ですが、網野善彦先生の東国論にも触れつつ、そうした東西分裂が今でもクッキリと投票行動に現れているという指摘は驚愕しました。

 今は権門体制論の方が強いんで、東国国家論の東大史学が喜んだりして、などと俗なことも考えてしまいました。

 何が良い方向なのか分からないけど、まず社会の姿をキチンと捉えられないと、歪みを押し付け合うようなことが続く、みたいな言い方も好感が持てます。小熊英二の『社会を変えるには』が鬱状態からの復帰の途中でデモに触発されたとか「中学生か!」みたいなことを発端としているのと違って頼もしい。

 三章では、選挙ブーストの話しが面白かった。選挙前になって各党の支持率が上がるのは、無党派という政党がなく、必ず既存の党に投票しなければならないから。この選挙ブーストは報道、資金面でも有利な与党と野党第一党に効くというのは納得的。維新など新党は選挙を重ねるごとにブーストが弱く飽きられている傾向にあるというのも、これまでの選挙ウォッチからは正しそう。

 ただ、維新は関西圏に地盤を固めたような気もするし、与党列島と野党列島という言い方も維新や新党大地、小沢一郎の強い山形を果たして野党に入れるかどうかという問題も含んでいると思います。与党=保守、野党=革新という昔ながらの図式で考えると「ほとんど保守列島じゃない」とも読めるわけで。

 日本の世論調査や報道の分析だけでなく、米国にも言及。トランプへの抗議デモは都市で発生するから比較的取材しやすいので、報道量も多くなるが、アメリカには投票所に行くには何時間もドライブしなければならない土地も少なくない。トランプはそうした地域で集会を開いて、クリントンを圧倒したとして、トランプ支持は大陸だったが、クリントンは諸島だったというのは納得的。

 都市部は駅前などで多くの人に訴えやすくポピュリズム的手法で煽られる無党派層を取り込みやすい、というのは青島、ノック、石原、橋下、小池の勝利を説明したどんな分析よりも納得的。今回の「れいわ」も同じように駅前でのパフォーマンスが多かったのは、そういう分析があったんだろうな、と。熱が冷めるのも速いとは思うが、本当は減少過程に入っているべき維新が今回の参院選で盛り返してるので心配です。

 《少子高齢化を決定的なものにしたのは1990年代の政策です。これは取り返しがつかないほと重い問題》という指摘も大切(p.141)。よく「れいわ」などのポピュリストが小泉・竹中改革を見当違いに批判するけど、こっちの方がより問題です。だいたい総理総裁が経済失策で辞任したのも橋本首相だけだったし、それほどミスマッチの政策だったんだな、と。

 《選挙では個別の政策への意志を満足に示せないからこそ、それを行うデモを民主主義は確保するわけです。ですから「選挙で代表を選ぶ」「デモで政策への意見を表明する」というように、選挙とデモは異なる機能を担う》というのは民主主義における投票行動と直接行動についての簡潔で見事なまとめだと思います(p.177-)。

 55体制以降に中選挙区での総選挙は13回、小選挙区でも8回になもなっているんだな、とp.199の表をみて思いました。どんな制度がいいのか思いつきませんが、もうそろそろ、新しい方式を変えた方がいいかもしれないな、と。

 新聞の情勢分析では、書かれている候補者の順番がそのまま事前調査を反映しているというのはハッとしました(p.219)。

 

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August 13, 2019

『独ソ戦』大木毅、岩波新書

 日の下に新しきものなしというコヘレトの言葉を知っていれば、TVで流れる悲惨なニュースは意味がないことはわかるし、たとえそれがいくら規模が大きくなったとしても、今のところ人類史上最悪の地獄となった『独ソ戦』とは比べものにはならないことが分かります。独ソ戦は70年数前にあった本当の狂気と地獄。それが東部戦線。人類はそれまでも、それからもこんな悲惨な事態は経験してないな、と改めて思います。

 旧帝国陸軍のノモンハン、インパールなどはほんと、「アホな上官、敵より怖い」という感じで、ホラー映画を観るより背筋が凍ります。あまり、こういうことを露骨に言うと尊敬されませんが、「こんな目にあわなくてよかった…」と自分の現状を多少、幸せに感じられるというメリットも正直ありますので、この時期の読書計画に入れることをお勧めします。

 ということでビーヴァーの『ベルリン陥落1945』と『スターリング 運命の攻防戦 1942-1943』、ナゴルスキー『モスクワ攻防戦』などのほか、スナイダーの『ブラッドランド』を含めて大部な独ソ戦の本は時々、読みたくなるので、たまにはコンパクトな岩波新書で『独ソ戦』でも読んでみるか、とあまり期待せずに手に取った本書ですが、これまでの独ソ戦の見方が180度変わりました。

 従来は軍曹あがりで軍事的に素人のヒトラーが無理難題を押しつけたため、優秀なドイツ軍が目的を達することが出来ず、人海戦術のソ連に押されてしまったという認識だったんですが、スターリングラードの独第6軍を逆包囲して殲滅してからは、ソ連軍が見事な連続打撃による有機的な大作戦をみせるですね。

 無傷の日本軍もソ連軍には鎧袖一触で粉砕されるんですが、それはソ連軍の見事なまでの有機的で連続的な作戦にあったんだな、と分かりました。

 本書はいきなり出だしから良いんです。スターリングラードを東京として考えると、戦いの発端となったハリコフは金沢から300kmの日本海の海中、黒海に注ぐドン河の河口という交通の要衝のロストフ・ナ・ドヌーは奈良県という広大さ。ヒトラーが、いくらスターリンがトハシェフスキー以下の軍幹部を粛清していたのを知っていたにしても、よくこんな大作戦を勝利に導けると思ったな、と。まさに「アホな上官、敵より怖い」わけです。

 もちろん、これはイギリス上陸作戦が再建途上のドイツ海軍では不可能なので、空軍力に頼った力押しをしていたのが不可能になったことが遠因。この時点で、リッベントロップはモロトフに日独伊ソ四国同盟でイギリス解体をソ連に提案したんですが、にべない反応だったので、独ソ戦を決断するという乱暴な判断なんですね。

 しかも本来、ヒトラーは独ソ戦を主眼目にしていたんですが、チャーチルが徹底抗戦の方針を固めたため、英本土上陸作戦を指令したが、再建途上の海軍が困難であると難色を示したため空軍力に頼ったという経緯があった上での話し(p.11)。

 こうした動きはゾルゲ電だけでなく、ドイツが攻め込むという情報は百数十件に及んでいたというのに、スターリンは無視(p.3)。自分だけが正しいという今の日共などにも通じる唯我独尊がソ連の国民に2700万人もの死者を出すわけです。

 ヒトラーやスターリンだけでなく、ドイツ軍も全く相手の思惑を読めずに最悪の事態に備えて準備をエスカレートしていったということを含めて、疑心暗鬼によるエスカレートと、思い込みによる現実無視は人類に共通する問題かも。現在でも文在寅大統領が安倍首相の意図を読み間違えたというか読めなかったのは、スターリンがまさかドイツ軍が攻め込むとは思わなかったのと似てるな、とか。

 それにしても、ドイツ軍は41年7月のスモレンスク包囲戦で辛うじて勝利したものの、補給路が伸びきり、部隊の消耗も激しく、この時点で打撃力が足りなくなり事実上ソ連打倒は不可能になっていた、というんですね。まったく、当時の日本の駐欧州武官は何やってたんだ?と思います。12月の日米開戦まで半年もあるのに、まだ「バスに乗り遅れるな」と思い込んでいたなんて。しっかり情報収集していれば、乗ろうとしたドイツのバスはすでにポンコツとなりかけていて、谷底に向かってることがわかったハズなのに(p.62-)。

 当時の情報収集というか、旧帝国陸海軍や外務省は当たり前の公開情報の把握なんかをやっていたのか?と改めて思います。

 ヒトラーはモスクワ侵攻が不可能となるや、今度は戦争継続のために石油を取ると言って、大コーカサス山脈の北麓にあるマイコープを占領したものの、ソ連が退却する前に破壊したため目的は達せられませんでした(p.140)。マイコープ油田は再稼働は戦後の1947年だそうで、これはイラクも湾岸戦争でクウェートの油田でやってるけど、最悪なんすよね。

 こうしたソ連軍の作戦が進展するにつれ、モスフィルムの『ヨーロッパの解放』を再び観たくなりました。当時は単なる大がかりな戦争映画、しかもソ連のプロパガンダじゃないと思いながら見ていたんですが、多少、舞文曲筆はあるにせよ映画『ヨーロッパの解放』は作戦行動通りに描いているんですね。クルスク大戦車戦で、ソ連軍の対戦車砲がやたらドイツの戦車に当たった場面が続いて、子供ながら「そんなわけないでしょ」と思っていたけど、ソ連軍は突出部となっていたクルスクを泥濘期が終わったら必ずドイツ軍が標的にすると踏んで、入念に測定などの準備していたとは知りませんでした。

 p.204の地図はフィンランドからルーマニアに至る長大な戦線を見事にコントロールして、10の軍団から構成される《五つの連続打撃を行う》《攻勢が相互に連関》する見事な戦術を説明しています。これまで東部戦線を描いた本、映像作品は「ヒトラーが口出ししなけりゃ」というドイツ惜しかった史観だったことが痛感されるのが、この独ソ戦の終わりの始まりとなる「バグラチオン」作戦です。

 それにしても、スターリングラードを包囲した独第六軍を逆包囲してからの見事な展開には驚かされます。そして《こうして磨き上げられた作戦術は、翌年の「満州国」侵攻でも猛威をふるうことになる》わけです(p.206)。大事なことなので二度言いますが、ほぼ無傷の旧関東軍が鎧袖一触で粉砕されたのは、相互に連携され、相乗効果を産むソ連の連続打撃だったのかと蒙を啓かれました。

 文献解題で、参考文献としてあげられていた書籍に白水社から刊行されたものが多いのにも驚きました。あまり戦争モノには縁がない版元と思っていたが、読書量不足も実感できました。

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August 08, 2019

『日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学』小熊英二、講談社現代新書


 新書とはいえ、序章で簡単に先行の研究史と方法論にふれているのもいい感じ。各章の扉にまとめが簡潔に記されているのは分かりやすい。時間のない方は、各章のまとめと3-6章だけでもご覧になったらいかがでしょうか。

 第一章「日本社会の「三つの生き方」で大企業型、地元型はわかるけど残余型という言い方がわかりにくいな、と思ったけど職域と地域という《基本的な単位となる帰属集団》に根ざしていない、という言い方がやっとわかりました(p.35)。大企業型は大卒で大企業や官庁の終身雇用、地元型は高卒で農業や自営業、地方公務員など。大企業型は給与は高いかもしれないが、住宅ローンを考えると使えるカネは少なく、政治力もない。地元型は給与も低いが、家があるのでそこそこやっていけるし、政治力もある。残余型はどっちもない、みたいな。

 第二章では《その社会で「あたりまえ」であるような慣行ほど、本や論文を調べてもよくわからない》《研究書その他で得た情報をもとに書いているので、最新事情とは言いがたい部分もある》というあたり、お、これまではとは違う感じと感じる(p.97-)。

 【三章】

 米英仏独の雇用習慣がどのような歴史を経てかたちづくられたかを説明してくれて、ここから六章までが本書の白眉。日本的雇用システムの特徴を欧米と比較して説明する試みはこれまでも読んだことはあったけど、どれも現象面だけのような記憶だったので、新書ながらもコンパクトにまとめてあって納得的(もちろんぼくが圧倒的に読書量は少ないのが原因かもしれませんが)。

 結論として日本型雇用は「企業のメンバーシップ型」、欧米は「職種のメンバーシップ型」と形容すべきという指摘にはハッとさせられる。この違いは長期雇用や安定した賃金を「社員の平等」で実現するか「職務の平等」を通じるかの違い。ただし、それは経済成長期の人手不足を背景に広がった、と。

 《どこの社会の労働者も、雇用や賃金の安定を求めるし、経済状況が許せばそれが可能になる》(p.205-)わけだが、日本の非正規の問題は、グローバル化にフィットした「職務のメンバーシップ」が不況期に拡大して、日本国内でも改善される見込みがないことなんだろか、とも考えさせられました。

 同時に欧米的な「職務のメンバーシップ」がすべての解決策ではないし、歴史的な必然の束で形成された制度を、欧米で権利意識が強いからと、現象面だけに着目して指摘する自称欧米通は全く役立たずというか《質的に違うものを、量的に比較しても意味はない》(p.147)という指摘は納得的。フランスのストなどを「権利意識が強いから」というひと言では片づけられないわけで。

 米国の場合、現場を丸投げされた職長が恣意的に労働条件を決めたり、解雇出来たことへの反発から職務の平等は勝ち取られたものだし、それを通じての同一労働同一賃金は、日本型でも社員の平等が実現されてないのと同様に実現されてはいない、というあたりはなるほどな、と。

 大学教授でも使う「テュニア」は職務の「保有権」であり、解雇されない立場のこと。米国で大学院が発展したのも四年制大学卒が多くなり、差別禁止もあって採用基準として便利だったから。独仏の大学制度も歴史的な必然で整備されてきたもので、そうなると日本の大学ヒエラルヒーも必然?

【四章】

 いきなりちょっとあやしげな記述に遭遇。それは明治維新後、士族が早々に退潮したことを学歴が身分的指標に転化した理由だとp.224,267で強調しているあたり。224頁では欧州貴族は土地を持っているが、武士は土地と切り離されていたからと、『ドイツ官僚制成立論』と日本近世史意外の資料を典拠に語っているけど、出典も問題だし、指摘も疑問。

 ぼくも専門ではありませんが、Lehen(封土)からPfrunde(俸禄)の移行は欧州でもあったろうし、後半で例にあげられているイギリス貴族は大規模な大名クラスじゃないの?と思いました。明治政府の身分の三層構造が民間企業に持ち込まれたって論旨だけど、幕藩体制の武士の身分だって似たような感じだったのでは?

 単に能力主義選抜による三層構造に変わったといえば分かりやすくていいのにな、と。払い下げで民間企業となっても官営企業時代の影響が残り、そこから広かった子会社にまで波及したですみそう。あと、259頁になってやうやく「職員」という言葉が出てきたが、この言葉の持つ複雑なニュアンスの説明は不足していると感じる。

【五章】

 日本が制度を真似たプロイセンでは大学卒業者が供給過剰で、高級官僚になるには40歳になるまで生計を確保する必要があったため資産家か貴族、あるいは資産家の娘を嫁にもらわなければならず中間層以下は10%に過ぎなかった、というあたりはなるほどな、と。

 ホーエンツォレルン家には「官吏は多ければ多いほど盗っ人が多い」を家訓とするなど、官吏と王政は緊張関係にあり、職務と権限の明確化・文書化がうながされた。出自によらず帝大を出て高級官僚になれた日本は平等だったが、明治維新直後は帝大卒が少なすぎた、と。

 日本の中央官庁では本省の「課」が事実上、日本国政府そのものであり、課長は一国一城の主だが、それはプロイセンの君主やアメリカの世論などの対抗勢力がなかったため。日本の場合、軍隊の影響も大きく「現役」と同じく「定年」も軍隊用語。徴兵制なので日本の男性社会には良く馴染んだ、と。

 1920年の大学令で早慶など10校が大学と認められ、一気に供給過剰となり、成績上位者が必ずしもビジネスで役に立たないことも分かってきたので、企業の採用も人物本位となり、学校の紹介が重要視されるようになった、というあたりは納得の流れ。こうした動向は中学、実業学校にも及んだ。これは学校の制度が州ごとに違う米国ではありえないこと、というあたりも面白かった。

【六章】

 日本で企業別労組が発達したのは大平洋戦争後、食糧難の中で、疎開にも行けずに荒廃した都会に残された、帰るべき田舎を持たない工場の従業員が互助的に工場内の土地や物資を使って自活するなどの経験が大きかった。工場は配給ルートとしても重要だった、というあたりはハッとさせられた。

 愛国的な工員たちは敗色が濃くなると幹部たちが物資を横流しして必需品を得ていたのを知って、それが武器の不良品を生み負けたことを戦後、糾弾した。共通の生活苦を共に味わったこともあり、上級社員と工員を平等に扱えという要求は《日本の労働者が理解した戦後民主義であった》(p.363)というあたりは妙な感動も。

 労働者は家族が食っていける生活給という考えを重視(家族手当など)。経営側の裁量を減らすという目的もあり、効率化を目指す経営陣とは同一賃金同一労働でも対立。やがて経済が成長すると高給を貰える方を選んだ労働者は第2組合をつくっていき、混合組合の弱点があらわになった、と。

 経営側も厳しい対立を続けるより、長期雇用や年功賃金と引き換えに組合と妥協する方を選んだ。軍隊という共通経験は大きく、荒畑寒村は組合委員長として隊伍を組んだ組合員から敬礼をうけた。また、国民皆保険は国民皆兵からもじったというのは知りませんでした。

 地元に住んで親の家を継ぎ、地域社会に溶け込んで…というのが一番ラクそうに描かれていたけど、そうした地域社会がなくなったら、大変なんだろうな、というのは実感できる。ただし、その類型ともいうべき「半農半鉄」にひと言も言及していないのは瑕疵かな、とか。

【第七章】

 ここでも、通奏低音のように大学院進学率は伸びず(p.457)と書いています。一方で米国ではより良い職種に付くために大学院進学率が伸びた、と。今後、この方向で分析を「日本社会のしくみ」の解析を進めていくとしている筆者にとって鬼門にならないかな。

 吉本隆明さんは「不況で就職口がなかったから大学院に進んだし、指導教官もそう心得ていた」と自身の戦争直後の体験の中で書いていたんですが、60-70年代にそうした現象が日米で対照的に起きたとしたら、日本が高度成長期、米国に陰りが見えたからかもしれないかな、とは思いますが。米国の当時の大学院進学状況には、吉本さんが語っていたようなものがあるのかないのか。マクロレベルしたら小さな問題かもしれないけど。

 八章では中井久夫の《論文を読後感によって二つに分け「なるほど」型と「それがどうした」型》に分けられると『私の「本の世界」』筑摩文庫で述べているあたりを思い出しました(p.155)。1-6章は「なるほど」型だったけど、7-8章は「それがどうした」型かな。労務管理のハウツー本に書かれているような内容に、強引に大学院進学率が低いという指摘を付け加えただけのようなというのは言い過ぎにしても。

 会社勤めなど経済の実態の経験の少なさから頭でっかちな浅い分析になっていそうな気もしたので、あまり期待はしなかったんですが、3-6章は面白かったです。文体も変わったというか、重苦しくなくなって、対象により真摯に向き合う姿勢も感じられます。これまでみたいに、最初に結論ありきで書いてる感じはない。『1968』は良かったけど(テキストだけじゃなくて、少しは自分の記憶もあるだろうから)、それより以前の近現代の過去は「書いてないこと」には言及できず、かといって現代は思い込みが過剰な感じがしたんですが、今回は記述もフラットでバランスがとれている感じ。小熊さんはテキストは大量に読むが、確か谷川健一さんにテキストにないからそう言えるとは限らないと柳田国男に関して言われたことを思い出します(『対話の回路 小熊英二対談集』p.239-)。

 ただ、竜頭蛇尾というか、最初から言及している大学進学率は上がったが、大学院進学率は伸びず、日本は国際的には低学歴化しているという見立ては面白いものの、その原因を企業が『地頭の良さ」を求めるからというステロタイプの分析以上のものがない感じ。企業は絶えず変化していく環境に対応しなければならないし、大学院への進学率向上よりも、大学教育の充実など、他の処方箋もあるだうに、という印象。

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July 09, 2019

『人生で大切なことは泥酔に学んだ』

『人生で大切なことは泥酔に学んだ』栗下直也、左右社

 扱っているのは大きく分けて歴史的人物、スポーツ選手、文壇の人々だが、ダントツに面白いのは文学者、評論家、出版人など。やはり屈折が入っているからだろう。歴史上の人物やスポーツ選手の場合、酒の上の失敗エピソードは豪快だが、ほとんど記憶喪失としてしか処理されていないというか、忘れさるしかないので屈折として残らないが、文壇の人々は引きずる感じ。そこが面白い。
 《酒をやめたら、もしかしたら健康になるかもしれない。長生きするかもしれない。しかし、それは、もうひとつの健康を損ってしまうのだと思わないわけにはいかない》というのは山口瞳の『酒飲みの自己弁護』というタイトルそのままの言い訳ですが、文学者は《かんがへて飲みはじめたる一合の. 二合の酒の夏のゆふぐれ》(牧水)のはずがいつの間にか度を過ごしてしまい、ウジウジと自己弁護をしながら、毎晩飲みまくります。
 しかも、その自己弁護っぷりが面白い。例えば河上徹太郎。日本芸術院会員、文化功労者で小林秀雄などと近代の超克などを語りながら《足し算も引き算も要らない典型的な「ザ・酔っ払い」》となりトラ箱のお世話になります。《もう、河上などと書かずに「てっちゃん」と親しみを込めて呼びたい》ほど可愛い酔っ払いぶりの河上は、自分を保護してくれた上に家族を呼んでくれた警察に《「あそこのおまわりさんはホテルのボーイさんみたいに親切だね」とよくわからない分析を示》し、さらには御礼にウィスキーで乾杯したいとまで言い出す。これには《斬新すぎて盟友の小林秀雄も言葉を失うであろう》と近代を意外な方向で超越してしまったという筆者の評価には深く頷かざるをえません。《知識人にはときに独特の世間ずれが見え隠れするが、てっちゃんはもはや読み手がリアクションに困る域まで昇華させている》から。
 そのすぐ次に紹介されているのが小林秀雄。水道橋のホームから酔っ払って10メートルほど転落、奇跡的にかすり傷ひとつ負わずに助かった事件の顛末が笑えます。小林秀雄は《母親が助けてくれた、と考えたのでもなければ、そんな気がしたのでもない。ただその事がはっきりしたのである》とベルグソンを論じた「感想」に書くのですが、《どうだろう。前提を踏まえて、ありのままを語ってもらっても全くわからないではないか》という文章の呼吸には笑わせてもらいました。小林は落下したあと、助けてくれた駅員など《相手の善意を全て撥ね付けて爆睡》したあげく《いろいろ反省してみたが、反省は、決して経験の核心には近附かぬ事を確かめただけであった》と記します。これには筆者ならずとも《「ごめんなさいもいえないのか」と叱ってやりたい》と思うばかり。
 河上、小林に共通するのは面倒臭さでしょうか。しかし、二人を紹介したあとで《人間振り幅が大事なのである。意外な一面を見せれば「こいつ、実はしょーもない」と思われるかもしれないが、親近感は増す。職場での好感度が上がることは間違いない》と結ぶ筆者。新たな文壇のスター誕生を予感させます。童貞を捨てたいと路上で寝そべって駄々をこねた梶井基次郞、同居女性の首をしめ「俺は天狗になったぞ!」と二階から飛び降りた辻潤なども素晴らしいのですが、個人的には連載時から筑摩書房・古田晁社長のエピソードが好きです。
 名文なので引用してみると。
《ある日、馴染みの居酒屋でできあがっていた古田は店の前を屋台のラーメンが通ったので外に出た。酔っ払っていたとはいえ、腹が減っていたのだろう。食べながら、しばらくすると、一緒に出ていた板前に紙を要求する。口の周りでもふくのかと我々のような凡人は思うし板前も想像したのだが、古田は紙を腰より下に持っていく。どうしたのだろうか。のぞいてみると何と脱糞していたのだ。ラーメン食いながらクソである》
 酔い潰れてズボンを濡らしてしまった、なんていうエピソードまではよく聞くが、その上空はるか成層圏を超音速で翔け抜けるような見事さです。
 酔うと誰彼かまわず寝込みを襲い、出版社社長や文人をたたき起こして拉致、ついでに隣人の家に配達されていた牛乳を飲み干す古田。そんな古田が経営していた筑摩書房の社員旅行は、女子従業員の部屋に突入し、全裸でエレベーターに乗る乱れっぷりだったといいます。一度でいいから、古田時代の筑摩書房で働きたいと思ったけど、やっぱり実際に対応するのは面倒臭いかもしれない。でも、素晴らしい。最高です。

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July 03, 2019

『文選 詩篇 五』川合康三(訳)他、岩波文庫

 「第五冊」は楽府の後半、挽歌、雑歌、雑誌の前半が収められています。その雑歌は古詩十九首から始まりますが、「はじめに」で《叙情や人生のはかなさから生じる悲しみと満たされない恋の悲しみ-中略-それは日本や中国に限らず、どの国の叙情詩においても見られるものでしょう。ただ中国の士大夫の文学はそうした感傷に浸ることなく、悲しみを乗り越え、人間の力を肯定し、生きる意欲をうたおうとする、そこに中国古典詩の特質があるように思われます。そうして登場したのが建安の文学であり、建安文学こそ中国の詩の始まりといってよいものです》とあります。

 昨年末、東洋大学で川合康三先生の講演を拝聴したのですが、そこでも「隠逸への憧れや、厭世観などなどではなく、曹操の『歩出夏門行』の、老驥(ろうき)は櫪(うまや)に伏すも、志千里にあり、烈士暮年、壮心不已(やまず)などの悲観主義を乗り越える詩が上等とされた」と、説明しておられたのを思い出します。

 先日の北海道旅行のお供に読ませていただいたのですが美しいな、と思ったのは謝朓の鼓吹曲(p.148)。

飛甍夾馳道 垂楊蔭御溝
飛甍(ひぼう)馳道(ちどう)を夾み 垂楊(すいよう)、御溝(ぎょこう)を蔭(おお)う
あたりは素晴らしいな、と

最初の陸機のもカッコ良いな、と思いました。

陸機『楽府十七首』の崇雲臨岸駭、鳴條随風吟 崇雲岸に臨みて駭(お)き、鳴條(めいじょう=)風に随いて吟ず

飛鋒無絶影鳴鏑自相和 飛鋒(ひほう)影を絶つこと無く、鳴鏑(めいてき)は自ら相い和す

守一不足矜、歧路良可遵 一を守るは矜るに足らず,歧路(きろ)には良に遵うべし

我酒既旨、我肴既臧 我が酒既に旨し、我が肴既に臧し(料理よしの「臧し」はこの漢字を使うんだ…)

鮑照も勉強させてもらいました(p.121)。

撃鍾陳鼎食、方駕自相求 鍾を撃ちて鼎を陳(つら)ねて食らい、駕を方べて自ら相い求む(鼎食という言葉は史記にもあるのか)

雑歌は名歌のアンソロジー。

風蕭蕭兮易水寒、壮士一去兮不復還 風蕭蕭として易水寒く、壮士一たび去って復た還らず

子瑕矯後駕、安陵泣前魚 子瑕は後駕を矯(いつわ)り、安陵は前魚に泣く(男色をもって魏の安釐王に寵愛された龍陽君が、容色が衰えると捨てられると嘆いた歌)

雑詩も名歌のアンソロジー。

所遇無故物 焉得不速老 遇う所故物無し、焉んぞ速やかに老いざるを得ん(いつの時代も変わらぬ感慨)

雑歌十四の一、五、六句は『徒然草』に引かれ、日本の無常観にも影響を与えた、と

漢詩は大好きですが、素人なので、『文選 詩篇』の解説の最後に《『詩品』上品》とか書かれているのを素人なんで、最初は何だろうと思ってたけど、梁の鍾嶸が編纂した文学評論なんすね。で、『詩品』では曹植が上品、曹丕が中品、曹操が下品。これはわざとなのかな?

四海皆兄弟、誰爲行路人 四海皆な兄弟、誰か行路の人と爲らん(蘇武のこの詩は、開戦を決定した1941年9月6日の御前会議で昭和天皇が詠んだ明治天皇の御製「四海兄弟 よもの海 みなはらからと 思ふ世に など波風の たちさわぐらむ」に影響を与えているのかな?p.259)

蘇武はこのフレーズもカッコ良いな、と(p.258)

燭燭晨明月、馥馥我蘭芳 燭燭(しょくしょく)たり晨明の月、馥馥(ふくふく)たり我が蘭の芳り

『詩品』上品の曹植はこんな詩も(p.313)

烈士多悲心、小人偷自閒 烈士 悲心多く、小人自ら閒なるを偷しむ(これは曹操の烈士暮年、壮心不已へのオマージュですかね?)

張華のこの詩も素晴らしい(p.331)
清風動帷簾、晨月照幽房 清風 帷簾(いれん)を動かし、晨月(しんげつ)幽房を照らす

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June 17, 2019

『中世史講義 院政期から戦国時代まで』高橋典幸、五味文彦(編)

 白眉は[室町幕府と明・朝鮮]。ここは本当に面白くて、日本史は東アジア史とリンクさせないと実相はみえてこないな、と改めて感じました。それにしても宋も明も漢民族の王朝は弱すぎるな、と。漢民族が統一しても、だいたいすぐに騎馬民族にやられてしまう。結局、各地で実質的に面倒をみる官僚層が民衆から尊敬を受ける基盤がつくられていくんじゃないのかな…どうなんでしょ。旧仏教=顕密仏教が、《依然として鎌倉時代の仏教の主流だったという理解は、研究者の間で広く認められ》(p.86)ているという指摘や、《ここまで東班衆と美術との関わりについて見てきたが、歴史に詳しい方はこれに若干の意外さを感じるかもしれない》というあたりは、抹香臭い仏教などにはあまり興味がなかったので蒙を啓かれました。

[中世史総論]

商人や職人たちの「座」、農村でも惣村など庶民にも団結する動きが広がる
「古代の氏(ウジ)から中世の家(イエ)への転換」
武士のアイデンティティーは氏文よみ(武勲を重ねてきたイエの継承者であることを戦場での名乗りで伝えること)
武家政権は「将軍のイエ」と「武士のイエ」が主従関係で結ばれることによって成立
後白河天皇は全ての土地は天皇のものと宣言するが、これは整理しなければならない荘園という空間があることを認めたこと
私徳政や「公方」の展開は、様々な公権力が中世社会にあったことを示す
中国の毛利氏の起源は安芸国の国人一揆
係争地の問題で施行状が出されても、それだけでは権利は守れず、僧兵を持つ延暦寺などは出訴委託の「寄沙汰」の常連に
インフラ整備や病人など弱者救済を訴えて勧進する聖は、個々の組織・集団の手に負えない事業の「すきま」を担った

[院政期の政治と社会]

院政期こそが新たな中世の始まり
中世に国家があったのかが問われるほど、中世社会は多元的・分権的で、地方と地域が成長した
武士は地方で土地を開発した在地領主が武装したものというより、武芸を専業とする中下級貴族が起源
中世武士は京都と地方に拠点を持ち、兄は在京、弟は地方にとどまる兄弟分業も一般的だった
奥州藤原氏、越後の城氏も国衙から相対的に自立した「一国棟梁」に
鎌倉幕府は平氏だけでなく、奥州藤原氏など各地の地域権力を圧殺した
院政期に成長した地方権力は、東国武士によって征服された
藤原氏を外戚にもたない後三条天皇が親政を開始、荘園整理などの政治改革が行われ、白河天皇に譲位
白河天皇は後三条の兄弟ではなく自分の実子に皇位を継承させるために譲位
道長の嫡流が継承するようになった摂関家も実は院政期に成立
荘園は開発領主が寄進して成立したのではなく、寺の造営費捻出のための「立荘」が多かった

[日宋・日元貿易の展開]

モンゴルの進出に伴い、南宋では貿易関係のあった日本の重要性が認識され、優遇措置によってさらに活発に
元は南宋制圧以前からクビライ没まで日本に12次にわたって遣使して服属を求めた
クビライから代替わりした孫のテムルは、日本に形式的な服属関係を求めたが、使者も返されなかった
テムルは服属を問わず、日本の貿易船を受けいれ、日宋貿易の活況が戻った

[武家政権の展開]

武士の発生は地方・中央の両方から考えられるようになってきた
地方の武士は官職・位階を求めて中央と結びつき、中央の武士は受領として地方に下り、婚姻で地方と中央がネットワーク化
奥州藤原氏は京下りの文筆官僚を抱え、行政文書も把握していた
頼朝は反乱軍として出発したため、所領支配を自らの実力で行った
鎌倉幕府は源平騒乱で平氏の荘園を、承久の乱でも3000箇所以上の没収地を獲得。朝廷の軍事力も崩壊したので治安維持でも重要に

[鎌倉仏教と蒙古襲来]
モンゴル襲来では寺社の神仏が総動員されたが、祈祷は「旧仏教」が圧倒した
黒田俊雄の顕密体制論は、仏教の教えを顕教と密教に分け、古い顕密仏教は鎌倉時代に生まれた新仏教より影響は大きかったとする
モンゴルに反感を持つ南宋出身の無学祖元は来日後も情報収集を続けモンゴル襲来を時宗に予言
禅宗の集団は元の支配となった後も関係は絶たず、体制仏教の座を勝ちえた

[荘園村落と武士]
地頭が耳や鼻を削ぐ行為は、女性の処刑が忌避されていた結果
ある土地(下地)の富は本家-領家-預所がそれぞれ得るが、公領の知行国主-受領-郡郷司という重層性にならっている
畿内周辺での近隣住民間の連帯の誕生が村落につながっていった
武士が館を構える場所は、以前からの交通の要衝
鎌倉の御家人たちは関東だけでなく、西方の平家と上皇の所領の支配も迫られたが、遠隔地の往来などでは荘園公領制のシステムを利用
京下りの官人など「できる」被官たちが既存の交通・流通体系を活用して全国に散在する所領の管理にあたった
代官として下向して送り込まれた一族は独立の傾向を強めた
鎌倉幕府の滅亡で新補地頭はその地位を失うことが多かった
御家人は検断権(警察権)を通じて交通・流通を支配するほか、検断権の不法行使などによって支配を拡大
日本の中世社会は自力救済社会
百姓はサボタージュなどによって御家人に従わず、御家人が幕府に訴えることも
逃散は年貢をきっちり納めた上で行われる正当な抵抗運動で、領主はなんとしても避けたかった
武士は検断権の行使など横暴だったが、荘園公領制の破壊には働いていない

[朝廷の政治と文化]
公家社会では徳政(善政)は人事と裁判と認識されていた
職務の遂行にあたっては同じ職務の経験者である父祖の記録が最も有効な参考書となり蓄積された
中世の役所は細分化が進み、家ごとに担う「官司知行制」ともいえべきものになった
12世紀には特定のイエと特定の学問分野の結びつきが深まる
勅撰和歌集は治天の君による編纂による示威と位置づけられた

[南北朝動乱期の社会]
鎌倉後期から貴族社会で分家が見られなくなり、嫡子による単独相続へ以降(註・確か武士のイエもそうだった)
武家の惣領と庶子の対立を一気に加速したのは南北朝の動乱で、恩賞獲得を目指して戦った
武士は戦場でも「恩賞を与えてくれそうな側」について戦った
負けても所領の半分または1/3を安堵して降参すればよかった
各地では武士たちによる国人一揆が結ばれるようになった
野伏の活躍は、モンゴル襲来以降の騎馬武者中心の編成からの変化をうかがわせる
惣村の実力は武士も注目して協力を求めた
14世紀から現在につながる集落が形成

[室町文化と宗教]
・東班衆と美術との関わりは意外だった
・道元の『典座教訓』のエピソードを引いて《日常生活(作務)のすべてがそのまま修行になるのだ、という中国禅の考え方》を示す
・学問をもっぱらとするスタッフ部門である西班衆にライン部門である東班衆は次第に押されていくが、角倉了以などの土木事業や《江戸の「科学」にも結実する》

[中世経済を俯瞰する]
・古代は国衙に調庸などが集められて都に送られ、国家機構の維持費用などに分配したが、このシステムが機能しなくなり、現地から年貢を直接徴収するようになったのが中世荘園
・国衙で使用していた調度品などをつくっていた職人たちは、自立を強いられ、普及品生産にシフトし、新興の武士層に販売
・年貢輸送はアウトソーシングされ、そのおかげで航路網が構築された
・12世紀に唐坊というチャインタウンが形成されると、そこでやり取りされた宋銭が日本国内でも普及
・国家保証もない銅銭だが、タイミングがよかったためかなぜか普及
・銅銭は持ち運びも容易でないので、替銭=為替のシステムが利用されるようになる
・これによって京都に全国の物資が集まる求心的経済構造が活気づく
・しかし、混乱の中で不知行が増えて中央へ向かう物資が細くなり、その結果、地域経済の分立化が進展
・日用品の量産化、地域経済の発展は近世の豊かな消費生活を支える経済構造となった

[室町幕府と明・朝鮮]
・1350年頃から活動を活発化させた前期倭寇は、16世紀の後期倭寇とは区別して考えなければならない
・蒙古襲来の後、高麗は前期倭寇の禁圧を室町幕府に求めたが、九州を回復した後、対処すると僧侶を介して返信
・南朝側に奪われていた九州探題を攻略した今川了俊は、高麗の使者と接触して独自の交渉を行い、李氏朝鮮が成立しても交渉を継続。さらに、大内氏とも協力して前期倭寇を鎮圧。了俊解任後は大内義弘も李氏朝鮮と通交。
・中国本土では洪武帝が明を建国。九州に朝貢を促す使者を送ったが、当時、九州を制圧していたのは南朝の後醍醐天皇の皇子懐良。懐良は日本国王に柵封された。
・こうした事実を知った義満は、南朝側に明が味方されると困るので、自らの使節を派遣したが、洪武帝は日本国王は懐良で、義満は臣下だと判断。さらに、洪武帝はねつ造クーデターで臣下を粛清し、日本が加担したとして断交
・明では靖難の変でいったん建文帝が即位。建文帝は自らの正当性をアピールするために、義満の使節を受容して、義満を日本国王に柵封。その後、即位した永楽帝にも「日本国王臣源義満」で上表文を送って柵封された。
・「日本国王」号は国内で用いられたことはなく、あくまで南朝対策の対外交渉上の称号
・義満は李氏朝鮮とも「日本国王」を名乗って通交したが、朝鮮との通交は大内氏、対馬宗氏、少弐氏など多元的だった
・しかし、こうした外交姿勢には批判も多く、義時は日明関係を断交したが、義教時代には復活。勘合貿易がスタート。しかし、将軍権力の弱体化で、詐称した使節が横行
・1547年で室町殿名義の朝貢使節は途絶え、後期倭寇が盛んに
・石見銀山の銀目当てに荒唐船も朝鮮近海で横行
・1590年に秀吉が150年ぶりに朝鮮に使節を送った時、李氏朝鮮はそれまで通交を続けてきた大内氏、少弐氏など諸大名の滅亡を知る

[室町幕府と天皇・上皇]
・観応の擾乱以降、義詮は、足利将軍家家長のみが院参・参内できるようにして、皇位継承プロセスにも参与できるしくみをつくった
・後花園天皇が義教邸に行幸した際の天盃拝受の儀礼にはカワラケが用いられ、足利将軍家と天皇家との間に主従関係、ミウチ化も認められる
・義満は鎌倉幕府がなしえなかった門跡寺院への子息の入室も果たす。山門側も義満を「聖君」「君」と称す

[戦国の動乱と一揆]
・江戸時代の一揆は3710件発生したが、竹槍で役人を殺したのは1件だけで、竹槍一揆は明治以降のもの
・中世の一揆は「結ぶ一揆」
・浄土真宗は一向宗という呼び名を嫌い、一向一揆という言葉も江戸時代に出現して明治以降に学術用語として利用
・事実、本願寺は証如(蓮如のひ孫)以降、既存の権力・秩序との共存へと舵を切り、一向一揆を担った地侍や百姓とは方向性を変える
・一向宗は本願寺教団の教えから逸脱して呪術的・土俗的な信仰だった
・蓮如は往生を約束してくれた阿弥陀如来への感謝として念仏をとなえるように教えを変更したが、本願寺はやがてこの「報謝行」を軍事費として求めるように
・惣国一揆は土豪=小領主と農民の「統一戦線」

[戦国大名の徳政]
・新たな領主の代替わりの際には「世改め」が行われるべきという中世民衆の観念があった
・逃散もいったん年貢を納めてから行うものだけど、徳政を受ける際には、今後は年貢をキチンと納めるという誓約が必要

[中世から近世へ]
・鎌倉時代後期、社会が安定すると名主や百姓が力をつけ、開発した土地への権利意識を強め、近畿など先進地帯では荘園領主や地頭と争った
・平家は厳島神社、奥州藤原氏は中尊寺や毛越寺などイエのための寺社を造営したが、鎌倉幕府はさらに南都仏教も取り入れた八幡や寺院を造営

[目次]
中世史総論
院政期の政治と社会
日宋・日元貿易の展開
武家政権の展開
鎌倉仏教と蒙古襲来
荘園村落と武士
朝廷の政治と文化
南北朝動乱期の社会
室町文化と宗教
中世経済を俯瞰する
室町幕府と明・朝鮮
室町幕府と天皇・上皇
戦国の動乱と一揆
戦国大名の徳政
中世から近世へ

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June 01, 2019

『囲碁 こういう人は上達しにくい 《限られた時間で強くなる考え方》 』内田知見

 

Go-tsuyoi

 ザル碁ですが、囲碁は学生時代から打っていまして、棋譜を並べたりするのも好きでしたが、初段ぐらいからは上達しませんでした。

 「まあ、こんなもんが実力だろう」と思っていたんですが、この本を読んでハッとしたのが《囲碁で遊んだ時間は、囲碁の勉強時間には含みません》という箇所。囲碁はとてつもなく面白いので、いったんハマると勉強してすぐ初段ぐらいになってしまいます。けれども、そこから都道府県代表大会に出るようなクラスに、どう勉強してなったらいいのかは、独学ではわからず、勉強することを放棄していたんですね(まあ、他に面白いこともいっぱいありましたし…)。

 この本は、囲碁が上達する=囲碁が強くなると定義して、そのためには中盤で相手の弱点を発見し、そこを攻めることで有利を拡大して勝利する、という戦略で効率的な勉強方法を提案しています。

 細かな勉強方法は省きますが、以下の強調点は様々な分野にも応用できるのではないかと考えました(kindleで読んだので頁数は省き、また、多少アレンジしています)。

・大切なのは「勉強時間」で、勉強時間とは「勝つための訓練」
・強さは相対的なもので、勝つことによって強さを示すことができる
・序盤の布石は重要ではないので時間を使わず、布石を固定化した方が実戦では有利(黒番なら中国流、白番なら向かい小目などで10-20手を暗記してしまう。あるいはスミは33に打ってしまう)
・重要なのは中盤の手筋のトレーニング。勝つチャンスというは、勝つための手筋がある局面。そこでは非常に大きな得が生まれる。死活よりも手筋のトレーニングの方が優先度は高い
・終盤はハイリスク・ハイリターンな手は残っていない。中盤の戦闘時にハイリスク・ハイリターンな手がたくさん存在するから、中盤の形勢判断が重要
・中盤で「手になりそうなところ」に突っ込んでいって手にする「破壊力」こそアマチュアレベルの強さ

 ハッとしたのは、囲碁の上達は勝つことにあり、強さは相対的なもの、というクリアカットな考え方です。

 どんな世界でも上達とは勝つことで、そこに絶対的な意味はないけれど、相対な評価でしかランク付けはできないというのは「ナンバーワンにならなくてもオンリーワンでいい」みたいな言い方よりも遥かに使える局面は多いだろうなと思います。

 個人的なことを言えば、囲碁は1)友人や親戚の人たちの性格が分かる2)棋譜を並べて芸術的な一手に感動できる3)アルファ碁のようにテクノロジーの進化を実感できた-という素晴らしいエンターテイメントをぼくに与えてくれました。

 ゲームによって性格を判断するという場合、例えば麻雀など運不運に左右されるようなゲームでは、その人のダークな側面が浮かび上がるような気がします。また、将棋など盤面が狭く目的が相手玉を詰ませるというハッキリしすぎるゲームでは、強さだけが際立って性格まではわからない感じ。囲碁はその点、相手の良い面(辛抱強い、意外と積極的、粘り腰がある、大局が読めるなど)が見えてくる感じがしました。

 ぼくは教えてもらった師匠から「プロになるわけではないのだから、上品に打つことを心がけなさい」と言われ、布石では高川格先生の「星打ち」だけを勉強するようにと言われ、その通りやってきました。ゲームでは勝負にこだわるタイプではないので、それで十分というか、そういう性格を見抜いた上でのアドバイスだったのかな、と今となっては思いますが、以後、数十年、星打ちで序盤は固く打って模様を張り、相手が攻めてきたら、そこで戦って勝負という碁を打ってきました。ヨセが苦手というか覚えるのが面倒だったということもあり、中押しで決まることが多く「なかなかスジがいいね」と言ってもらえれば十分、という感じでした。

 この本を読んで「戦わない人も伸び悩む」「勝てる局面でも戦闘を起こさないからチャンスを逃すのでは強くなれない」というあたりは、まるで自分の棋譜を見られたような気さえしまた。

 この本では中盤の局面で、大きいリターンが期待できる手を打って戦闘に勝利することで勝つことを眼目にしていますが、もちろん勝てるかどうかわからない局面では戦わないことを勧めています。

 《勝つために戦う。勝つために戦わない。それを選択できること》が重要だ、と。

 ここ数年、朝は詰碁を4問解いて頭を起こすことにしているんですが、この程度の「勉強」で

 これはどんな世界にも応用できるかな、と思います。も、なんにもしなかった時よりも、遥かに棋力はついてきたかな、と。 

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May 16, 2019

『砂糖の世界史』川北稔、岩波ジュニア文庫

 シリーズアメリカ合衆国史1『植民地から建国へ』で大西洋貿易のことが書かれていたのですが、8レアル銀貨など通貨に関して以外は岩波ジュニア新書の『砂糖の世界史』川北稔で書かれていたこととあまり変わっていないのかな、と思い再読してみることに。ちょうど、この本を読んだ頃は、大学院に行く準備やNiftyや草の根BBSの退潮などもあってメモなどもネットに残していなかったので、ちょうどいいかな、と。

 この本は「世界商品」である砂糖の生産から消費までを大航海時代、植民地、プランテーション、奴隷制度、三角貿易、産業革命と関連させて描いたもので、キーワードはトリニダード・トバゴの初代首相であったエリック・ウィリアムズの「砂糖のあるところに奴隷あり」でしょうか。

 反対に世界商品(Staple)でないのは例えば中世ヨーロッパの毛織物。イギリス人はアジアやアフリカまで毛織物を持っていっても売れませんでしたが、こうした地域に鉱山、農産物に「世界商品」があったので産業革命に偶然つながった、と(p.6-)。

 当時、最も進んでいた《イスラムの医学では、砂糖はもっともよく使われる薬のひとつで《結核など10種類以上の効能が期待され》(p.9)《「砂糖はコーランとともに」西へ西へと旅をした》(p.14)そうです。しかし、砂糖きびの栽培は土地が荒れ、原液となるジュースを素早く絞り出さなければならない精糖の加工過程も奴隷労働が必要なほど規則正しい集団労働が必要だった、と。

 また、スペインには南北アメリカに広大な植民地を持っていたものの、奴隷はアフリカに植民地を持つポルトガル、イギリス、フランスから買うしかないという構造から大西洋を結ぶ三角貿易が生まれました。イギリスの場合、黒人のベニン王国が求める鉄砲などと引き換えに、狩った黒人を奴隷として購入し、南北アメリカやカリブ海の島々で売り、そこで取れた砂糖をリバプールに持って帰る二か月以上の航海が盛んになります(p.54)。それは《無事にアジアから帰還すると、船ごと売り飛ばして売上金を山分けしてしのうような、一時的な性格のつよいもの》だったそうです(p.83)。

 また、砂糖がヨーロッパで広まるにはトマス・アクィナスが断食の際にも食べることができるとしたことも影響したといいます(p.65)。さら
に、後にチョコレートも同じ論法で是認されますが(p.134)、当時は超高価だった砂糖で城のミニチュアをつくり、それをパーティで披露した後、壊して食べるということが流行ったといいます(p.68)。まるでポトラッチ。人間の根源的な欲望の姿を感じます。

 紅茶に砂糖を入れて飲むことはイギリスで始まり、ジェイムズ一世が身分によって消費生活を規制する法律を全廃することで上流階級から労働者まで広まっていきます(p.77)。こうした結果《イギリスでは茶は葉っぱ一枚も採れないのに、私たち自身、紅茶といえばイギリスやイギリス人を思い浮かべるようになったのです》(p.81)。このことは「世界が近代世界システムでひとつになった」ことを意味し(p.171)、商業革命、産業革命は、こうした世界システムの上に成立した、と(p.172)。

 紅茶は家庭でも簡単に入れられるたことがイギリスでひろまった原因というのも笑えますが(p.129)、いまでもイギリス人はカロリーの15-20%を砂糖からとっているそうです(p.157)。砂糖入りの紅茶はカフェインを含む即効性のカロリー源として労働者にも広まっていった、わけです(p.167)。

 とにかく、世界商品は莫大な利益を生み、18世紀を通じてイギリスとフランスは第2次百年戦争とも呼ばれるような戦いを繰り返します(p.143)。

 クロムウェルがカトリックのスペイン王室に一泡吹かせるために1655年に占領したジャマイカは砂糖きび栽培で莫大な利益を生みましたが、精製過程の残りかすを使ってラム酒もつくられます(p.148)。

 アメリカ独立と砂糖、奴隷禁止をめぐるみにくい争いなどの「第8章 奴隷と砂糖をめぐる政治」も必読でしょう。

 人物を中心とした歴史はいくらでも書かれていますが、本書のようにモノや世界のつながりで歴史をみることは大切だな、と(p.206)。百田某のハチャメチャな日本国〇などが読まれて、岩波ジュニア新書の遅塚忠躬『フランス革命―歴史における劇薬』や本書などがなかなかチョイスされないのは寂しい限りですが、高校に入学するような知り合いのお子さんがいたら、ぜひプレゼントしてあげてほしいな、と。

 また、川北稔先生はalicで「世界の砂糖史」を13回にわたって連載しています。こちらもぜひ。

https://sugar.alic.go.jp/tisiki/ti_0504.htm

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