書籍・雑誌

November 26, 2024

『加耶/任那 古代朝鮮に倭の拠点はあったか』

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『加耶/任那 古代朝鮮に倭の拠点はあったか』仁藤敦史、中公新書

 あまり、深くは考えないようにしていたヤマト王権の任那問題ですが、新書でまとまった本が出たという読書界の話しだったので購入、読了しました。これまで、あいまいなままにしていた広開土王碑やいわゆる「任那日本府」の問題について、納得感のある説明の背景を得られたと感じましたし、実は日本国内の磐井の乱が、朝鮮半島情勢を深い関わりを持っていたという視点も得られました。

[広開土王碑と磐井の乱]

 まず広開土王碑に関してですが、旧帝国陸軍による改竄があるのではないかという問題に関しては《石灰塗布以前の「原石拓本」がいくつか中国で発見され、編年研究も深化し、改竄の可能性は低くなった(徐建新二〇〇六、武田幸男一九八八・二〇〇九)》(k.653、kはkindle番号)とのこと。なんで改竄の話しが出てきたかというと、広開土王碑には倭軍が強大な軍だったことが書かれていて、そんなことわざわざ書くか…ということからだと思いますが、広開土王の立場に立てば、そんな強大な軍を打ち破ったんだ、というマウントが取れるわけです。

 《史料批判を行えば「広開土王碑」は客観的な記述ではない。高句麗中心の世界観や守墓役体制(王墓を守る労役を負担させる制度)の維持を主張するための碑である。そこでは倭の活動が誇張されている》(k.624)が、《百済に主導された九州勢力を中心とする出兵の可能性》(k.698)はある、と。

 著者によると1)百済の近肖古王の時代に倭と百済が交渉を開始したという「百済記」の記述2)百済と倭の良好な関係がうかがえる七支刀が存在すること3)「広開土王碑」に記された三九九年、百済が倭と和通しとあり、百済からの働きかけによる出兵が想定されるが、その内実は少数の九州の軍士が中心だったと考えられる、とのこと。

[朝鮮半島の前方後円墳]

 百済への援軍は、筑紫国造を中心とする筑紫の兵で(日本書記の欽明紀一五年一二月条)、馬韓では筑紫の人びとが土着していたであろう、と。統制を強めるヤマト王権は五二八年の国造磐井の乱後、筑紫の軍事拠点としてヤマト王権は那津官家を設置。那津官家は朝鮮半島に対する兵站基地の役割を持っており、これ以降、九州の軍勢のヤマト王権への従属は強くなる、という流れだったろう、と。

 そして百済が加耶諸国この地域を併合しようとしたときに、独立を維持するため倭系の移住民らが反対勢力として百済と敵対した、という事実もあるようです。

 馬韓と称された朝鮮半島南部西端に位置し、百済の領域支配を受けていなかった栄山江流域には五〇〇年前後の一時期だけ造られた倭系の前方後円墳が存在し、その埋葬者たちは筑紫出身の倭系であり、その一部がその後、倭系百済官僚になったと考えられる(k.1983)。しかし、それはヤマト王権による領域支配とは直接の関係がない、と。

[百済三書]

日本書記の朝鮮半島との外交記事には「百済三書」と総称される「百済記」「百済新撰」「百済本記」という百済系史料が多く用いられ、特に本文に付された注(分注)に引用されることが多く《これらは、日本国内にいた百済系の人々によって編纂されたと考えられている》(k.252)とのこと。

 《百済三書の時代順は、まず亡命百済王氏の祖王の時代を記述した「百済本記」。つぎに百済と倭の交通および「任那」支配の歴史的正当性を描いた「百済記」。最後に傍系王族の後裔を称する多くの百済貴族たちの共通認識をまとめた「百済新撰」となる。ただし、百済三書は順次編纂されたが、共通の目的により統合され、まとめられたと考えられる》(k.713)。

 また、「百済記」には干支を記載した項目があり、このことから《『日本書紀』神功紀は「百済記」記載の干支について、干支の周期六〇年の倍数である一二〇年、場合によっては一八〇年遡らせて、卑弥呼が登場する三世紀の中国史書に合わせようとしている》とのこと(k.1268)。

[任那日本府とは]

 著者によると、任那日本府は百済の加耶侵攻に対して、独立を維持し抵抗する倭系の人々の総称と考えるべきで、その背景には雄略天皇時代に、倭の有力豪族が王権の統率を離れて独自に朝鮮半島南部で活動するようになったことがある、と。たとえば、四六三年に吉備上道臣田狭が「任那国司」に任じられたものの、雄略天皇の意向に背いたとの記載がある、とのこと(k.1879)。

 こうしたことから、当時の半島にはヤマト王権から相対的に独立した旧倭臣勢力と、百済に敵対する在地勢力の連合が存在した。加耶で土着化した旧倭臣は五世紀後半における雄略天皇の時代から連続する勢力であり、先祖が管理した兵馬船を継承し軍事力を持っていた、と。

 《「任那」滅亡後も百済・新羅は「任那」の使者を倭に派遣していた。それは百済・新羅が仕立てた虚構の「任那」の使者である。彼らは倭へ共同入貢していた。倭は定期的に貢納してくれれば満足だった》(k.2685)というあたりも、なるほどな、と。

 そして著者は《両属的、あるいはボーダーレスな立場の人々がいたことを、史料から実証・解釈し強調》しています(k.2910)。

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November 14, 2024

『遺伝子 親密なる人類史 下』シッダールタ・ムカジー

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『遺伝子 親密なる人類史 下』シッダールタ・ムカジー、田中文 (訳)、早川書房

 ギリシア哲学の時代から始まった遺伝子に関する編年体による説明は2000年代初頭の人間の全遺伝情報=ヒトゲノム解読、山中伸弥教授らによるiPS細胞の作製に成功、ジェニファー・ダウドナらが開発した新技術「CRISPR-Cas9(クリスパー・キャスナイン)」によるゲノム編集と進みますが、下巻の後半からは近未来におけるヒトの遺伝子編集の是非について多くの頁を割いていす。

 時代はゲノム解析からゲノム編集へ、解読から書き換えへと進むわけです。メンデルの発見から150年といいますか、その再発見からわずか100年の間に,人類はかつて想像もできなかったような「技術」を手に入れたことになります。

 ヒトゲノム計画は、遺伝性疾患によって起こる病気の原因を突き止めるための、遺伝子の解明にありました。その解読が完結すると、まず単一遺伝子の異常が引き起こす遺伝病の原因遺伝子探しが始まります。

 しかし、上下巻を通奏低音のように流れる血友病のように単一遺伝子の異常によるものは意外と少なく、環境を含む複数の要因がからむ事例が多いとのこと。

 1999年にペンシルバニア大学の遺伝子研究に被験者として参加していたジョン・ゲルシンガー(18歳)が重篤な感染症を併発し、死亡した事件など、まだまだ課題は多く、遺伝子を改変するより、環境を変えた方が治療効果は高い場合もあるというのはホッとしました。

 また、出生前診断も拡大していきます。これは、障害者にかかる経費を減らそうとする社会的な欲求が背景にあるのですが、例えばアイスランドでは出生前診断によってダウン症の新生児がゼロになっているとのこと。

 ヒトが自分の仕様書とも言うべき遺伝子を読み解き、書き換えるようになった未来では、病気、悲しみ、変異、弱さ、偶然は少なくなるが、個性、やさしさ、多様性、傷つきやすさ、選択の自由は失われるかもしれないという著者の言い方には、なるほどな、と思うと同時に「自分をよりよくするために」操作したいという欲望は変わらないだろうな、とも感じます。

 個人的にはエピジェネティクスがルイセンコの環境因子が形質の変化を引き起こしと獲得形質が遺伝するという学説に似ているというあたりが印象的でした。日本でも1960年代までは、ルイセンコ学説が幅を効かしていて、ウィルス学がプラウダに載った記事に大きな影響を受けていたという中井久夫さんが書いていたようなことは、本当にあったんだ、と改めて驚かされます。

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November 04, 2024

『THE UNIVERSE IN A BOX 箱の中の宇宙 あたらしい宇宙138億年の歴史』

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『THE UNIVERSE IN A BOX 箱の中の宇宙 あたらしい宇宙138億年の歴史』アンドリュー・ポンチェン、竹内 薫、ダイヤモンド社

 この本はダークマター、ダークエネルギーなど未知の物質がなければ宇宙は現在あるような形にはなっていないし、実は質量の95%を占めているというのがコンピュータによるシミュレーションによって明らかにされてきたという内容です。というかシミュレーションによってしか納得的な説明はできないし、ヒッグス粒子の観測もシミュレーションを重ねた後の実験で明らかになったほど、宇宙論とシミュレーションは切っても切れない関係ということが理解できました。そもそも《科学とは、その核心において、正しい説明ではなく、検証可能な説明を与えることである》(k.1888)というあたりはうなりました。

 こうしたシミュレーションはまず気象予報から始まります。クリミア戦争時に襲った嵐によって各軍は大きな損害を受けますが、そうした災害を防ぐには予想しかない、と。そして、天気予報は流体力学を基にしており、それは素粒子や星やガスの雲など、あらゆるものの「集団的なふるまい」を理解することにもつながる、と。それは《コンピュータ内に収めるために、無数の個々の構成要素一つひとつに触れることなく、膨大な数の分子を「ひとまとめ」にして、それらがどのように「集団」で動くか、互いに影響しあい、エネルギーをやりとりし、光や放射線に反応するかを説明することで、天候や銀河、あるいは宇宙全体を描き出さなければならないのだ》(k.222)と。

 最初は予測はグリッドが大きすぎて予想は使い物になりなかったのですが、コンピュータの発達とともに徐々にグリッドを小さくして予想精度が高まり、さらにはコンピュータが考慮すべき詳細を特徴づける適切なサブグリッドのルールを与えることで、さらに精度が高まっていきます。ちなみに訳者あとがきの解説によりますと《世界を四角形で分割したのがグリッドだ。三次元であれば立方体で分割する。これは要するに、微分方程式をデジタル化(=離散化)するという意味である》とのこと(k.4215)。

 そして《地球、惑星、星、銀河系、宇宙全体。それが何であれ、シミュレーションのテンプレートはよく似ている。シミュレーションは、初期状態(今日の天気、太陽系を形成するために合体する物質の雲、ビッグバンの余波など)》からの変化を予想することなのだ、と(k.900)。

 《今日、宇宙を押し広げているものはすべて「ダークエネルギー」と呼ばれ、銀河を引き寄せている「ダークマター」と対をなしている》(k.1372)、《もっと重要なのは、ダークマターの引力とダークエネルギーの斥力が共謀して、私たちの宇宙の包括的な構造、つまり宇宙の網の目を作り出す方法だ(訳注:物理学的な力には二種類ある。引力と斥力=反発力である)》(k.1419)というあたりはワクワクします。

 日経の書評で《戦後、ENIACの巨大なコストをかけてでもシミュレーション技術を発展させる原動力になったのは、核実験禁止条約という政治的課題に向けた超新星爆発の解明だった》というのは、どういうことなんだろうと思いながら読んでいたのですが、例の歯磨き粉の一族の研究者が《コルゲートは条約顧問の立場から、水爆実験を禁止するためには監視と強制力が必要だと考えていた。しかし、太陽系のはるか彼方で死にかけた星々が爆発すれば、大気圏上層部に、爆弾とよく似た放射線の閃光が発生するかもしれない。このような宇宙の閃光は、本来は爆弾よりもはるかに明るいが、遠大な距離のために暗くなり、宇宙空間で兵器と誤認され、誤った警報が発せられるかもしれない》(k.2160)ということから始まったんだな、と。

 この後《量子力学、重力、ダークマター、宇宙マイクロ波背景放射、宇宙の網の目、そして、私たち自身の存在。これらすべてが、インフレーションというビジョンの中で見事に結びついている》という流れは本当にスリリングでした(k.2986)。

 AIの未来に関し《科学者の直感は、ベイズ型の世界と機械学習の世界の「中間」にあるからだ。それは、一方で、既存の知識に関わるため、ベイズ型のアプローチが必要なように見える。他方で、「未知の未知」の問題、つまり事前に予想されていなかった実験の問題点にも関係するため、かなりの柔軟な思考が要求される》というのは明るい見通しだな、と(k.3644)。

 万物の理論が完成していないのは《重力が他のすべての力と大きく異なるふるまいをするから》というのは知らなかったな(k.4055)。

 とにかくセンス・オブ・ワンダーの塊みたいな本でした。

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October 10, 2024

『冷戦後の日本外交』高村正彦

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『冷戦後の日本外交』高村正彦、兼原信克、川島真、竹中治堅、細谷雄一、新潮選書

 石破茂新首相はそれほど防衛、外交に詳しくないというか、なんとなく危うく感じているんですが、そのわけがわかったような気がしました。
福田内閣の高村外務大臣に「アフガニスタンに輸送用ヘリを送ってくれ」という要請が届いたことがあったそうです。そのきっかけは石破氏が防衛大臣の時のゲーツ国防長官から「ヘリ部隊を出せないか」と聞かれ、「自衛隊の能力としてやってやれないことはない」と答えたこと。その結果、米側は「日本は自衛隊を出す用意がある」と期待が高まり、ブッシュ大統領から直接要請する寸前だった、と。

 《石破(茂)防衛大臣とゲーツ国防長官が会談した際、ゲーツ長官が「ヘリ部隊を出せないか」と聞いたら、石破さんが「自衛隊の能力としてやってやれないことはない」と答えたことです。石破さんは、自衛隊としてやろうと思えば能力的には可能、と返答したに過ぎなかったと思いますが、アメリカ側は「日本は自衛隊を出す用意がある」と受け止めてしまった》というのが本文(k.2010、kはkindle番号)。

 安倍内閣の幹事長時代、石破首相は芦田修正を採って集団的自衛権論議を進めようとしていたのですが、それは無理筋で、高村副総裁は1959年の砂川事件最高裁判決を根拠にしようと進言したそうです。立憲主義は憲法の条文と最高裁判決に基づくべきだ、と。

 芦田修正とは1946年に衆議院憲法改正小委員会の委員長だった芦田による憲法9条2項への文言挿入を指し、これにより第9条について「自衛のためなら何でもできる」と解釈できる余地が生じたものですが、最高裁や政府も一度も採用したことのない解釈。

 これに対し、砂川事件の最高裁判決は集団的自衛権の一部容認の論理を15人一致で出しています。その後、ベトナム戦争の激化によって、自衛隊が巻き込まれる恐れが出たことによって、慎重な解釈を示すことになっていったというのが流れだった、と。しかし、60年代には指揮権が国連にある限り自衛隊も国連軍に参加できるというのが内閣法制局の立場だったといいます。その後、内閣法制局に防衛庁、防衛省からの官僚が長らくいなかったことなどから、集団的自衛権については全否定になっていった、と。

 砂川事件の最高裁判決と佐藤政権による集団的自衛権の抑制についての本文は以下の通り。

 《1959年の砂川事件に関する最高裁判決を踏まえてこう言いました。最高裁は国の存立を全うするための自衛の措置は認められるという一般法理を明らかにしている。従来の政府見解はこの判決の一般法理を引き継いでいる。ただし、当時の安全保障環境に当てはめて「個別的自衛権は必要だが集団的自衛権は必要ない」ということで通してきた。安全保障環境が変わって、国の存立を全うするために必要な自衛の措置に、国際法上、集団的自衛権と言わざるを得ないものがあれば、その限りで集団的自衛権は認められる、と》(k.2345)

 《砂川判決を書いた田中耕太郎長官は、条約優位論、国際法優位論で全裁判官を説得しようとしたけれど、おそらく説得しきれなかった。私の推測では、ですよ。だから、将来私が利用することになる集団的自衛権の一部容認の論理を15人一致で出したんですよ。最高裁の民主的な仕組みでそういう結論になっているなら、これに従うよりしょうがないじゃないですか。学者は何でも言えるんですよ》(k.2401)

 《ベトナム戦争、さらに第二次朝鮮戦争が起こったら、自衛隊が派遣させられるんじゃないかという懸念が、60年代半ばの佐藤栄作政権の時に出てきた。それまでは内閣法制局の中でも、現行憲法下で自衛隊の国連軍への派遣もできると言っているんですね。実は60年代前半に内閣法制局の中での検討では、指揮権が国連にある限り自衛隊も国連軍に参加できる、としています。それが佐藤栄作政権になって、私が見た限りは、予算を通すために野党と妥協した》(k.2566)

 それにしても自衛隊のヘリ部隊をアフガンに出すことは「やれないことはない」と無責任な発言したり、集団的自衛権の問題でも、無理筋な芦田修正を根拠にしようとしたり、自分では専門知識があるように振る舞っていますが、ちょっと危ういな、と感じます。

 大物政治家のオーラルヒストリーは単行本として出されるのが普通ですが、この本が選書という形になったのは、高村氏だけでなく元外務官僚の兼原信克氏も進行役の枠を超えて重要な発言を繰り返しているからだと思います。ちなみに《兼原さんは平和安全法制の論議が続いていた間ずっと、私と安倍総理の間をつないでいてくれた》とのこと。

 高村氏《私は英語でこんにちはも言えない人なんですが、本当に大事にしていた通訳が死んじゃったんですよ、リンガバンク社長の横田(謙)さん。彼が死んじゃったって聞いて、もう俺は外務大臣できないなと思った》とのことで、政務次官1回を含む三度の外務大臣時代は、通訳と官僚に支えられていたんだな、と(k.1466)。しかし、当時は英語が喋れない外務大臣も通用していた時代だったんですね。

 あと、中東情勢が緊迫する中、ゴルダ・メイア首相の「イスラエルは世界の人に同情されながら死んでいくより、嫌われながら生きていく道を選ぶ」という言葉の引用も改めて考えさせてくれました(k.825)。

 福島第1原子力発電所1号機への海水の注入が東日本大震災翌日の3月12日に一時中断した際、再臨界が起こるのではないかと問われた班目春樹・原子力安全委員長が「可能性はゼロではない」と緊急時に無責任に答えたことが大事故につながったとも言われていますが、防衛庁長官時代にゲーツ国防長官からアフガンに自衛隊のヘリ部隊を出してほしいと要請された時に「自衛隊の能力としてやってやれないことはない」と答えたゲル、内閣も最高裁も採って考え方なのに芦田修正で集団的自衛権はいけると考えていた幹事長時代のゲルは、本当の専門家じゃないのに専門家ぶってる危うさを感じました…地方創生とか毒にも薬にもならないことを言ってる分にはいいんでしょうが、具体的な政治の世界で「アジア版NATO」とか深く考えもしないで語るのは勘弁してほしいと思いますw

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October 05, 2024

『遺伝子 親密なる人類史 上』シッダールタ・ムカジー

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『遺伝子 親密なる人類史 上』シッダールタ・ムカジー、早川書房

 ジムで運動しながらAudibleで聴いた本。

 メンデルがヨーロッパの片隅で発見し、一時期は忘れ去られていた遺伝の法則と、ダーウィンの進化論が出会って遺伝学は歩み始めたのですが、そのダーウィンの従兄弟が心酔した優生学をナチス・ドイツが悪用、いきなり民族浄化に使われるという負の遺産を背負いながらの研究史となります。しかし、第二次世界大戦後のワトソンとクリックによるDNA二重らせん構造の発見をへて、遺伝学はクローニングなどの技法も加わり、生命科学というより人間社会をも変貌えていく壮大なストーリーが前半。

 血友病のロシア皇帝家系の悲劇が通奏低音になっているのも、よく考えられた構成だと思いました。

 メンデル~ダーウィン~DNA発見までは割と書評で書かれているので、第三部「遺伝学者の夢」の後半を中心に書いてみたいと思います。

 ここでは、1970年から2001年にかけての遺伝子解読と遺伝子の「乗り換え」や「組み合わせ」、クローニングの進展が描かれています。

 その中で大きな影響を与えたのがアシロマ会議。「浜辺のアインシュタインたち」では、1975年に開催されたアシロマ会議で、遺伝子操作の安全性と倫理について議論され、遺伝子操作技術の適切なガイドラインが策定されました。1970年代初頭、遺伝子組み換え技術が急速に発展し、科学者たちはその潜在的なリスクについて懸念を抱き始めました。抗生物質が効かない毒物を精製しようとしたり、遺伝子操作が健康に与える影響が問題視されました。特に人間の遺伝子操作に関する倫理的なガイドラインが求められ、それ以降、これに基づいて研究が進めることになりました(そうでなければ研究費が支給されないので)。

 こうした時代に、創業4年で史上最大級のIPOを実現したジェノテック(Genentech=genetic engineering technology、遺伝子工学技術)が研究者とベンチャーキャピタルの2人によって誕生します。創業者の1人である研究者ボイヤーはインスリンの製造に的を絞ります。当時、先進国では糖尿病が増える中、インスリンはブタやウシの膵臓から直接、つくるしかなく、慢性的に不足だったのです。アシロマ会議では人間の遺伝子操作はほぼ禁止されましたが、遺伝子操作によって生産されるインスリンはグレーゾーンながらかろうじて対象外だったので、DNA操作によってまず人工的なインスリンづくりが始まります。

 ジェノテック社は51個のアミノ酸で出来たインスリンづくりに成功したのですが、動物由来のインスリンよりも安全性の面で優れていることも後で判明します。当時、AIDSの蔓延によって血友病患者向けの液凝固因子製剤が問題になっていたのですが、遺伝子操作によって生産するため輸血を必要としない治療薬が開発でき、安全に多くの命を救ったのです。

 当時、ジェネティック社の中には「クローニングか、死か」というTシャツを着ていた研究者がいました。最初は遺伝子をクローニングできなければ会社は死ぬという意味だったのが、AIDSの流行で、人間由来の血液製剤が使えなくなる中で、文字通り人工的にクローニングできなければ患者が死ぬという問題に変わっていく過程がスリリング。

 遺伝子組換えをまだ問題視するヒトがいますが、こうした歴史は知らないんでしょうね。

 下巻も楽しみです。

[目次]

この時期の研究は、遺伝学の未来を大きく変えるものであり、現代の遺伝子研究の基盤を築いた重要な時代です。

プロローグ 家族

第一部 「遺伝といういまだ存在しない 科学」
遺伝子の発見と再発見(一八六五〜一九三五)

壁に囲まれた庭
「謎の中の謎」
「とても広い空白」
「彼が愛した花」
「メンデルとかいう人」
優生学
「痴愚は三代でたくさんだ」


第二部 「部分の総和の中には部分しかない」
遺伝のメカニズムを解読する(一九三〇〜一九七〇)
「目に見えないもの」
真実と統合
形質転換
生きるに値しない命
「愚かな分子」
「重要な生物学的物体は対になっている」
「あのいまいましい、とらえどころのない紅はこべ」
調節、複製、組み換え
遺伝子から発生へ


第三部 「遺伝学者の夢」
遺伝子の解読とクローニング(一九七○〜二○○一)
「乗り換え」
新しい音楽
浜辺のアインシュタインたち
「クローニングか、死か」

用語解説(五十音順)
〈監修にあたって〉
原注
索引にかえて

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September 28, 2024

『100兆円の不良債権をビジネスにした男』川島敦

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『100兆円の不良債権をビジネスにした男』川島敦、プレジデント社

 

 ぼくは不動産は自宅しか買ったことがないし、ビジネスにしようとは思っていませんが、以下の東洋経済書評欄を読んですぐ発注しました。清原本に続いて、個人でいろいろやっている方なら読むべき本なんじゃないでしょうか

 

 《当時、日本の不動産市場に利回りなんて概念はなかった。買い手は主に転売目的の不動産会社や自社ビルが欲しい事業会社で、テナントはむしろ邪魔。バブル期の取引には土地の値上がり期待こそあれど、賃料収入を見る人はほぼいない。米国流の投資手法に衝撃を受け、自分も経験したいと思った》というのは、バブル期、PERなんてことも考えずに株をやっていた、自分を含む日本人の姿を思い浮かべます。

 自ら特定目的会社をつくってボロ儲けして、資金が足りなくなったから上場したけど《上場によって資金を調達「しすぎた」ことは確か。潤沢な資金を元手に、自己勘定での投資を拡大するようにな》り、そこにリーマン危機が襲ってきて、一転窮地にというあたりは、ライブ感に溢れる。

 楽観しすぎていたわけではないけど、BSを広げすぎると、あるタイミングで急な暴落に巻き込まれるというのは自戒しなければ

 

 特定目的会社(SPC)をつくった後は借り手の返済義務の範囲を限定した融資ノンリコースローン(非遡及型融資)を引いてもらう、と。《出資金(エクイティ)SPC(当時は有限会社=YK)に匿名組合出資(TK)や劣後ローン(高い金利収入を得られる代わりに返済順位が低いローン)を出す。以上、何を言っているのかよくわからなかったが、とにかく言う通りにする。これが、後々ファンド業界のスタンダードになるYK-TKスキームだった。この他にも税効率(Tax Efficiency)などを考慮していくつかのスキームが生まれた。

 こうやっていわゆる倒産隔離をする。スポンサー企業(本件の場合、ケネディクスのこと)が倒産しても、このSPCには他の債権者は近寄れないようにする。米国の考え方はすごい。その後、合同会社(GK)法の改正があり、有限会社は廃止になったので、現在はGK-TKスキームが主流になっている。米国は個人の住宅ローンもノンリコースローンになっていて、仮に借り手が失業して、住宅ローンが返済できなくなったら、自宅の鍵を銀行に届ければそれで一切終了》というアメリカの考え方はすごいな、と。《日本であれば、トラブルになった時には「信義誠実の原則に則り誠意をもって協議しましょう」という慣習だが、米国は想定しうるトラブルを契約書に落とし込むという文化の違い》を実感しました。

 

 あと、90年代末になってもデューデリジェンスという発想がなかったという証言も貴重。バカな世代論者が「今の60代の人間は高度経済成長でも頑張らなかったし、バブルに乗っただけ。7080代の人間には年金手厚くしてもいいけど、それより若いのはタダノリ」とかアホなこと言っているが、デューデリジェンスもやらずに不動産取引をし、バリュエーションも分からずに株式投資して大失敗したのは、戦後復興やったり、高度成長時代にアメリカの真似していただけの奴らなんだよな、というのがよくわかります。

 

 さらに、個人的に経験してきた日本経済の歴史について、苦手というかあまり関係してこなかった不動産という視点からも振り返らせてもらってます。例えば初期の大手テナントだった東京テレメッセージが潰れたあたり。東京テレメッセージは日本テレコム(JR系)と東電などでつくった会社なんですが、リストラを進めていた新日鐵からJR系に出向した人が、東京テレメッセージに再出向、そこで倒産して、今度はどっかの新日鐵の子会社に飛ばされたというのを思い出しました。バブル崩壊では、こんな無駄を無駄な時間をかけて処理していくプロセスが続くんですよね…。《最大のテナントであった東京テレメッセージというポケベルを運営する通信会社が倒産したのだ。社会インフラだったはずの通信会社が倒産するなんて……。全くのノーマークだった。しかし考えてみれば当然だった。通信、ITは変化が激しい。コンピューターの大きさが3年で3分の1にダウンサイズされる時代に、ポケベルだけが例外であるはずはない。かつては高校生中心に流行っていたが、もはや高校生はピッチを持ち歩き、ポケベル人口は減少の一途。時代の流れだった》と(k.434)

 

 個人的な話しを続ければ、銀行からの天下りはいろいろみてきましたが、長銀からのが一番酷かった。天下り先でも不況下でコスト削減が叫ばれていたのに「海外出張ではファーストクラスしか乗ったことがない」と言い張って部下を困らせていたりして…「こいつら最低だな」と思ったら潰れたけど、そいつはしぶとく生き残っていろんなところを渡り歩いて驚きました。コネなんですかね。でも、能力はなさそうだったから、そんなのが集まっていた長銀はバブル紳士に潰されます。《雑貨商といってもいい程度の会社だったが1983年、高橋治則は38歳の時にEIEの社長となると、これを受け皿に日本長期信用銀行(以下長銀)から融資を引き出して事業を急拡大させる。日本やアジアの不動産を次々に買収し、膨れ上がった総資産の額は1兆円超》《戦後日本の産業育成を担い高度成長をけん引してきた長期信用銀行の一画にあった名門、長銀が一介のバブル紳士によってあっけなく破綻》するわけです(k.533)

 

 こうしたバブル紳士たちとは違いケネディクスは《土地から上がる収益をもとに土地の値段は決まる。土地の上に立っているオフィスの賃料は坪(3・3平方メートル)あたりいくら、延べ床面積はどのくらい、共用部分を除いた賃貸面積がどのくらいで、年間いくらのお金が入るから、このビルの価値はいくら、あるいはこの土地の価値はいくら、と算定される。それが普通だ。不動産から上がった収益は不動産に投資した投資家とアセットマネジャーに約定通り分配される。ケネディクスのような不動産のアセットマネジャーがバブルが崩壊した後に、米国から学び、取り入れた》と(k.584)

 

 それにしても、大蔵省を初めとする霞が関のバブルへの対処もオソマツですした。《1991年も1992年も1000社以上の中小不動産会社が倒産した。もちろんその後も倒産は続々。しかも倒産1件あたりの負債総額が巨大化していった。政府も慌てて公定歩合の引き下げを始めた。1990年には6%だった公定歩合を段階的に1995年にかけて0・5%まで下げた》けど焼き石に水(k.786)。《結果的に2000年代まで引きずって最終的に金融機関が処理した不良債権の処理額は、100兆円を超えたといわれている》(k.795)

 

 グローバルで見ると「持つ経営」「持たざる経営」どちらが優位かは、不動産の商慣習による、というのも面白い視点だと思いました。土地神話が生きていた時代までの日本ではダイエーのような「持つ経営」が強かったのですが、バブル崩壊後はヨーカ堂の「持たざる経営」が勝ちます(現状は別な要因で苦戦していますが)。一方《香港では不動産のオーナーの権限がとても強く、景気動向次第で家賃を30%、40%も値上げ要求できる。一等地に出店していた日本のデパートは利幅が薄いので賃料負担に耐えられず次々に撤退していった。持たざる経営の弱さである》ということもある、と。

 

 日本国内でも商習慣がこれほど違ったのかと驚いたのが大阪。《東京には違法物件はそれほど多くないが、大阪にはものすごい量がある。地元の不動産会社何社かに「違法物件でも売買されるのですか? 流動性はどれくらいありますか?」などとヒアリングして回った。その結果、違法の程度によっては融資する金融機関がいくつかあることがわかった。例えば、容積率が法定の20%オーバーまでの違法物件なら融資可能、など。東京ではあり得ない商習慣なので非常に興味がわく》(k.1062)

 

 《日本の不動産を買い占めようと米国マネーが日本市場に乗り込んできたのは、1997年頃から。最初の頃は水面下だったが実に活発だった。米国は不動産ファンドをテコに参入してきた》(k.881)あたりからのライブ感も凄かった。《買い進めたのが海外の不動産ファンドだった。当時隆盛を極めたファンドはゴールドマン・サックス、リーマン・ブラザーズ、モルガン・スタンレー、メリルリンチ、サーベラス、ローンスターなど。米系の錚々たるメンバーで》《日本全体で見るとAUM*1は2000年頃から急拡大が始まった。2007年には20兆円超に成長、2023年現在は50兆円以上にもなっている》(k.948-)

 

 タワー投資顧問を率いる清原さんが2回もケネディクスの経営に大きく関わっていたことも驚きでした。大証上場の頃は60%以上を保有していた米国親会社が全株をタワー投資顧問に売却した、と。《ケネディクスの60%の株主になった清原氏が運営する日本株式ファンドの投資家は、日本中の中小年金基金だった。清原氏はその投資家たちをケネディクスにも紹介してくれた。年金基金も従来の株や債券だけでなく、不動産ファンドのようなオルタナティブ投資もすべきだと言ってくれたのだ》(k.1242)。清原氏は新株発行での資金調達にも参加し《株式投資家なので社債は保有していなかったが、「ケネディクスが新株を発行して、生存者利益を貪るのなら大口で買ってもいいよ」と大量発注してくれた》そうです(k.2511)

 

 金融庁と銀行の生々しいやり取りも印象的。《ケネディクスのリートに融資をしてくれていた、ある銀行が同様に「今回はいったん返済してください」と言ってきた。しかしこれは銀行としての〝ポジショントーク〟だったのだ。同日、その銀行の担当者が再びやって来て「申し訳ありません」と言いながら、こう教えてくれた。「川島さん、よろしければ金融庁に電話してみてください。もしかしたら道が開けるかもしれません」 そこで、すぐに金融庁に電話して事情を話し、その銀行を止めてくれるようお願いしたところ、2日後に本当に止まったのだ。ほっとして胸をなでおろした。日本の金融秩序を維持するため、金融庁はあらゆる手を尽くしてくれていたことがわかった》(k.2373)というのには驚きました。

 

 リーマンショック後は資金調達の話しが中心になってくるのですが《大阪でSPC(特別目的会社)を使って小林製薬の本社が入居予定のビルを開発し、竹中工務店により完成しつつあったが、残工事代金を払えないという事態が発生していた。そこで、残工事代金相当額を竹中工務店からSPCに出資する形にし、将来売却した時に返済するという技を開発担当の社員が考えてくれた。これはすごいと思った》(k.2471)

 

最後のあたりの《昨今、中国の大手不動産会社のデフォルトが取り沙汰されている。これが日本の金融市場とか不動産市場にネガティブなインパクトがあるのか、ないのか、頭の体操が必要》というのは気にかかりました(k.2770)

 

*1受託資産残高

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September 26, 2024

『風土記』橋本雅之編、角川ソフィア文庫

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『風土記』橋本雅之編、角川ソフィア文庫

 今年は、平安朝の日記を角川ソフィア文庫のビギナーズ・クラシックスのシリーズで読むことが多かったのですが、まさか『風土記』にまで手を出すことになるとは、自分でも驚きでした。しかし、なんというか新鮮。読んで良かったです。

 まとも読んでいないので素人感想も過ぎますが、常陸国が抜群に面白かったです。記紀の東国は伊勢だったりするけど、ヤマト王権が関東まで進出していくのをライブで読ませてもらった感じ。

 また《渡来系の神や氏族に関する伝説の背景には、土地の占有をめぐって在地の人々と対立していた歴史があったのではないかと想像される。しかし、やがて渡来系の神や氏族と在地の神や人々が和解し、その土地で共存融和した歴史があったことも風土記に残された伝説から読み取る》(k.3036、kはkindle番号)こともできました。

 さらには大泊(雄略天皇)から白髪(清寧天皇)にかけての混乱が、記紀以外の土地伝説としても残されているとは驚きでした(無知を恥じますw)。《記紀では清寧天皇崩御後に皇位を継ぐべき皇子がいなくなってしまったという深刻な問題に端を発して、播磨で発見された二人の皇子が皇位を継承して皇統断絶の危機が回避されたいきさつを重視しているのに対して、風土記ではあくまで志深の里の伝承として》風土記では語られています(k.3362)。
《『古事記』では分からない、『日本書紀』には残されていない、『万葉集』が見逃した郷土の伝説が風土記には豊富に残されている》(k.6056)のです。

 編者のまとめによりますと《現存の風土記は、五風土記とも呼ばれる『常陸国風土記』『播磨国風土記』『出雲国風土記』『肥前国風土記』『豊後国風土記』と、他の文献に部分的に引用されて伝来した「逸文風土記」》だそうで(k.6076)、本書は五風土記と「逸文風土記」のなかのいくつか伝承を取り上げています。

 《国造が統治していた「国」を「郡」という下部単位とし、その「郡」をいくつか集めて新たな「国」が形成されていったと考えられている》(k.247)のですが、《風土記とは、地方の人々の生活空間である「里」の目線で見た「里の神話(伝承)」「里の歴史」をまとめた地誌》とのこと(k.6098)。

 自分のなかの知識の空白部分を少し埋めることができ、本当にありがたい読書体験となりました。

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September 18, 2024

『国家はなぜ存在するのか ヘーゲル「法哲学」入門』

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『国家はなぜ存在するのか ヘーゲル「法哲学」入門』大河内泰樹、NHK

 ヘーゲルは1831年にコレラに罹ってあっけなく死ぬのですが、同時期にプロイセンはポーランド、ロシアとの戦争でクラウゼヴィッツ、グナイゼナウの2将軍もコレラで失っている、というあたりからの書きだしは「掴みはOK」という感じ。こんなところから医療ポリツァイについて説明し、ヘーゲルの法哲学と国家論に向かいます。

 長谷川宏訳『法哲学講義』でも[C.社会政策と職能集団] Polizei(社会政策、警察)という言葉はギリシア語のPolis(都市国家)とPoliteia(政治)に由来する言葉でという解説あたりから社会政策を説明しはじめますが、著者はコロナ禍でのワクチン接種問題から、どれほど公権力は住民に強制力を使えるかという問題を投げかけます。

 《医療ポリツァイと訳したのはドイツ語で「メディツィーニッシェ・ポリツァイ medizinische Polizei」という言葉で、英語に直訳すると「メディカル・ポリスmedical police」ということになります。英語やフランス語の「ポリスpolice」もそうですが、この「ポリツァイ Polizei」という言葉は現在のドイツ語では「警察」を意味する言葉です。そうすると「医療警察」と訳すこともできそう》(k.257、kはkindle番号)ということですが、遅れていた領邦国家にすぎなかったプロイセンを近代化に向かわせた重要なファクターが「医療化」であった、と。著者は《医療ポリツァイは、フーコーの言葉を使うならば、国家が「医療化」を進めるために導入した行政機構・装置です》とも補足します(k.289)。

 医療ポリツァイの重要な要素に住民を人口として統計的に管理することがあげられますが、これはフーコーが「生権力」と呼んだ人間を生かす、肯定的に働く権力のようだ、と。《従来の権力は、たとえば敵や罪人に死をもたらすものだと見なされてきたのですが(フーコーはそうした権力を「主権権力」と呼びます)、生権力はそうではなく、死亡率に影響を与えようとします。疫病が発生したときに、いかにしてそれによる死亡率を減らすかという、コロナ禍において世界中で表面化した権力が、この時代にすでに存在していたことが浮かび上がってきます》(k.331)。《フーコーが述べるように、こうして医療・医学というものを用いて、人口として把握される住民を統治しようという権力形態が当時生じていたのであり、その典型的な道具が統計》だった、と(k.352)。

 実は、コロナ禍での様々な施策について、20年頃に自分自身もヘーゲルを引き合いにして
《自称専門家がコロナ対策班の「責任」を追求するのは本当に日本的
事故なんかでも、免責の上で喋らせないと本当の事は出てこないので社会的リスクは高くなる
未知のウィルスに対する対策を結果論で追及するのは誰でも出来ること
ヘーゲルなら批判は子供でもできるというだろうな
しかも結果は上々なのに》
 なんてことをポストしていたんですが《ヘーゲルが生きていたのも感染症の時代であり、彼はその時代にパンデミックを引き起こしたコレラで死んだと考えられています。まさしく、感染症やその予防接種に対して社会がどう向き合うか、その際の国家の役割とは何かが議論されていた時代に、ヘーゲルは自分の社会哲学・国家哲学を練り上げようとしていました》(k.100)とまでは思い至りませんでした。

 《コロナ禍が私たちに可視化したのは、私たちの生活の隅々にまで、「私たちのため」といって介入してくる国家の姿でした》(k.115)ということで、フーコーの「生権力」という概念を借りながら、19世紀のヨーロッパで実現されつつあったこの権力形態を分析しようというのがこの本。

《二一世紀のコロナ禍においても、ワクチン接種を強制すべきか、そもそも国家にそのような権限があるのかについて、世界中で議論されましたが、種痘をめぐってすでにこの時代に、同じような議論がなされていました。ここではとくに学校に通う子どもたちに種痘が強制できるのかが議論になっています。 ヘーゲルは、子どもたちは「家族」のためではなく、「市民社会」のために育てられる権利を持っているのだといいます。これは別に、社会の役に立つ人にならなければならないということではなく、むしろ自立して職業を持って自分で生きていけるように育てられる権利があるということです》(k.480)

 『法哲学』は序論、第一部「抽象的な正義(法)」、第二部「道徳」、第三部「共同体の倫理」の三部構成ですが、『国家はなぜ存在するのか』は第三部「共同体の倫理」について主に扱います。

 こうした問題を考える際《ヘーゲルにとって最も重要な価値は自由です。そこで「法」は、「自由の実現」である、といわれます。つまり、精神的なものであれ制度的なものであれ、自由が人々によって共有されるために何らかの形で存在しているもの、そうした存在が「法」と呼ばれます》(k.535)というのは重要な視点。

 「わたしは、意志することではじめて自由になり、自由な意志となるのですが、この自由を可能にするのは理論の力です。自然のままの内容を一般的な内容へと高めたり、一般的な内容をつくりだしたりするのは、思考の働きなのです」(長谷川宏訳『法哲学講義』、p.36)、「法(正義)の内容は自由を否定したり制約したりするものではなく、法(正義)は自由を肯定し、自由は法(正義)のうちに十全のすがたをあらわします」(ibid, p.37)などの自由礼賛は印象的ですらあります。

[自由と貧困]

 ヘーゲルは「家族」、「市民社会」、「国家」が近代社会を構成する諸制度であり、近代国家は人間を生かす、肯定的に働く権力だとしています。

 ヘーゲルは「誰も、他人に、パンを与えることなしには、ひとかけらのパンも口に入れることはできない」(一八二二・二三年講義Ⅱ 三六九頁=GW 16-2, 962)と語っていますが、これこそが《利己的な経済活動を通じて人々が結びつき、誰も全体のことを考えているわけではないのに、全体として一定の秩序が成り立っているという、考えてみれば不思議な社会の姿》(k.597)であり、 アダム・スミスが「見えざる手」の働きとして描いた社会秩序を、ヘーゲルは「欲求の体系」と呼びます。

 しかし《ヘーゲルはこの欲求の体系にも欠陥があるといいます。そしてその欠陥を補完するものとして、三つのもの、三つの制度を「市民社会」章で描いています。その一つがポリツァイなのです》(k.959)。ヘーゲルは「普遍と個別の一致の必然性を保証するには十分ではない」と語りますが、《自由な経済活動による人々の結びつきだけでは人々の幸福は保証されない》のです(k.964)。

 その中でも問題視しているのがペーベルの問題。《貧困それ自身は、誰もペーベルにはしない。ペーベルは、貧困に結びついている 心持ち によって初めて〔ペーベルとして〕 規定される》(k.1088)としていますが、これはマルクスならルンペン・プロレタリアートのカテゴリーなんじゃないかと思います。社会が富めば富むほどペーベルは増えるというのは今にも通じる凄い洞察力だな、と改めて感じました。

 大河内さんはアーレントのモッブの議論を引きながら、今で言うこうした「無敵の人」は、自分を締め出した社会と、自分を代表していない議会を憎む、と。そして、落ちこぼれのモッブの指導者はしばしば犯罪者で、社会通念上、普通なら信頼はできないハズだが、モッブにとっては「自ら退路を断って進んでいる」と見えるから、かえって称賛する、と。アーレントはモッブはこうした称賛か投石しかできないとしているのですが、ヘーゲルもペーベルは感情に従って何かを破壊する集団生活とみています。そして、ヘーゲルは政府が生活保護を与えたり、富者の慈善活動も彼らの誇りを傷つけるとまで書いていたのには改めて驚きました。今の状況を予言しているような…。

 《結局、「欲求の体系」としての市民社会は、私たちに生計を、つまりは生命の保障を与えてはくれません。司法の存在もそのためには十分ではありません。それだけで人々の「福利」「幸福」を実現することはできないのです。しかもそのことを、ヘーゲルはここで「生計の確実さは普遍的目的でなければならない」とか「生命の権利」という印象的な強い言葉を用いて、表現しています。 そして、まさにそのためにポリツァイが必要だとヘーゲルはいい》(k.1131)《司法によって人格と権利が保障されたとしても、これらを 毀損 する人が罰せられなければそもそも欲求の体系は成立しないからです。 司法だけでは、法を犯した人が罰せられることはありません。つまり、そもそもポリツァイ、この場合はまさに警察が、「犯罪者を法廷に連れてこなければならない」》(k.1172)と硬軟両方の側面がある、と。

 《ヘーゲルの「法哲学」は、ポリツァイにおいて現れるような国家権力を、全否定するのでも全肯定するのでもなく、批判的に組み込んでいます。それは、市民の安全と自由という二つの一見相反する原理の間の 隘路 を行こうとする試みだということができます》(k.1378)とした上で、《市民社会を補完するためにヘーゲルが持ち出す、第三の概念が登場することになります。それが「コルポラツィオン」という概念です。この語も再び、ドイツ語の音でカタカナ表記せざるを得ないのですが、このコルポラツィオンに、ヘーゲルは普遍と個別の媒介、そしていわゆる「理性国家」を実現する重要な機能を見て取ることになります》(k.1390)。《コルポラツィオンは、英語で表記するならcorporation、つまりコーポレーションとなります。これは、今日では「会社」を意味する言葉になっていますが、もともとは「団体」一般を意味する言葉でした。語源をたどるとラテン語で「身体」を意味するcorpusにさかのぼることができます。つまり、複数の人間が文字通り 一体 となっているのが「団体」だということです》(k.1509)。

 ヘーゲルは『法哲学講義』の[第三部 共同体の倫理][第二章 市民社会][C.社会政策と職能集団]の中で、コルポラツィオン=職能集団は《成員にとって、共通の、実質的な、内在的な、固有の目的》を実現するために《共同のまとまりをなし、そのための活動をおこなう》ものである、と。人間はやりたいことをやるのが一番いいことではなく、生計を立てて生きていくことが大切なのであり、仕事を一緒にやる人たちが集まって集団をつくり、共同の利益を追求することは、特殊な利益を追求するにせよ、自分の所属する≪共同体のために働きたいという精神の欲求に、活動の場を与え≫ることになり、国家の土台となるという議論にもなっていきます。

 《ヘーゲルは諸団体に細分化されていることこそ、「それがもともとそうであるところのものとしての」(第三〇八節) の市民社会のあり方》だとしています(k.2163)。そして《ヘーゲルが執行権として考えているのは、ポリツァイとコルポラツィオンを結合させたものです。コルポラツィオンは市民社会において、上から下に働くポリツァイに対して、下から上への働きとしてこれを補完するもの》としてとらえていました(k.2300)。

ヘーゲルはフランス革命を、社会の中で自尊心を失ったペーベルのような人々が熱狂に駆り立てられて引き起こした批判していますが、《フランス語では「福祉国家」のことを「摂理国家État-providence」といいます。étatは国家のことですが、後半のprovidenceの「pro-」は前という意味で、「vidence」は元々ラテン語で「見るvider」という動詞から来た言葉ですので、これも「前もって見る」ことを意味します。providenceも単独では「摂理」と訳されるので、フランス語では今でも福祉国家のことをまさに摂理国家というふうに呼んでいることになります》(k.1206)なんてあたりも印象的。

 このほか、シュミットは主権論で、例外状態における大統領の無制限な権限を主張したのは、ワイマール期のドイツでは、第一次大戦後の混乱の中、この条項が乱用され、ナチスの登場を準備したからだ、という議論も面白かった(k.2428)。

 そして本書はシュトラウスによるヘーゲル最後の法哲学講義について残されている唯一の講義ノートで締めくくります

..........Quote.............
自由は〔人間の〕 最も奥底にあるものであり、この自由から、精神的世界の構築物全体がそびえ立つことになるのです。(一八三一・三二年講義=GW 26-3, 1495)
.......End of Quote.........

 それにしても《ほとんどを幸いにも日本語で読むことができます。 このことは、世界的に見ても珍しいことであり、ヘーゲルを読もうとする日本語使用者にとっては大きな利点》というのは知らなかったな(k.136)。ぼくも訳もわからず読んだクチですが、ヘーゲルに難解さに普遍のヨーロッパを感じとり、難解ながらも翻訳に取り組んだ先人たちの存在はありがたい限り…。

 《ヘーゲルの「法哲学」には次の三つのものがあるということになります。 1.ヘーゲルが『法の哲学要綱あるいは自然法と国家学概説』として一八二〇年に出版したもの、またはそれを(多くの場合は補遺を付け加えて) 再版したもの。 2.『エンチュクロペディ』第三部「精神哲学」第二編「客観的精神」(第一版:一八一七年、第二版:一八二七年、第三版:一八三〇年)。 3.「自然法と国家学」などのタイトルで行われた「法哲学」に関する講義の聴講者による講義録》があるのですが、これ、ほとんど日本語で読める
んですから…(k.450)

前も書きましたがNHK出版は西研『ヘーゲル 大人のなり方』も出すなど、初心者向けヘーゲルの良書を出す感じです。

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『国家はなぜ存在するのか』の感想を書く前に『ヘーゲル 法哲学講義』を復習してみた

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 『国家はなぜ存在するのか』大河内泰樹、NHKブックスは面白かったのですが、その感想を書く前に長谷川宏訳の『ヘーゲル 法哲学講義』作品社を復習してみました。

 長谷川訳『法哲学講義』は609頁以降に収められている『法哲学要綱』の当該§を読み、だいたいの流れを掴んでから、『講義』部分を読むという感じで読み進めました。構成は序論、第一部「抽象的な正義(法)」、第二部「道徳」、第三部「共同体の倫理」の三部。第二部の最後に《最初に自由が対象となりました。つぎに、自由が形をとったものとして主観と定義されるものが登場した。自由の土台は主観的意志ないし意識にほかならず、それが第二の要素でした。第三の要素が両者-自由の概念と主観的意志-の一体化したものです。ここに共同体がわたしたちの対象になります》とありますが、前半は自由礼賛が印象的です。

 「はじめに」では自殺できるのは人間だけだというあたりの講義ならではの脇道の論議も面白い(p.40)。

 《わたしが権利をもつというのは、わたしの自由が外的な物のうちに対象化されることです》(p.96)というあたりは、最初から自由が一番大切と言ってるヘーゲルならではだな、とか。

 [財産]のあたりで封建制度の封土の所有者は、使用権しか持っていないために、完全な所有者ではない、ということから、封建制では交換が制限され、物の否定(自分のものでなくなる)から発生する譲渡や交換といったダイナミックな過程は生まれにくい、というあたりも痺れました。貨幣を価値が完全無欠に対象化されたもの、とするあたりや、私たちは所有物を手放すことはできるが、所有能力だけは手放せない。《わたしの人格性、万人共通の意志の自由、共同体の倫理、宗教など》は譲渡できないのだ、みたいな議論もカッコ良いな、と(p.152)。

 ヘーゲルは「市民」に当たるフランス語にはbourgeios(有産者)とcitoyen(公民)があるが、ここで分析の対象とするのはブルジョワであるとして、社会はいまや様々な欲求が存在し、個人は極端な欲求も実現できる自由を得る段階に至り、そうした主観の自由を原理とする社会は私有財産の存在が不可欠となったことで「欲求の体系」がネットワーク化されたのが市民社会なのだと定義しているように読みました。そして、こうした市民社会は《欲求の対立とからみあいのなかで、過剰および貧困の舞台と化し、両者に共通の、肉体的・精神的な頽廃の光景を示すことになる》、と。

 [A.欲求の体系][(a)欲求と満足のありかた]では≪法の対象は人格であり、道徳の対象は主観であり、家族の対象が家族員だとすると、市民社会の対象は市民(ブルジョワ)である。この欲求の段階にきて、人間の名でイメージされる具体的な存在が登場する。ここにきてはじめて、しかも本格的に、人間らしい人間が問題となるのである≫というしびれるフレーズが出てきます。所有や欲求には≪他人と同等でありたいという要求がただちに生じてくる。この同等性の欲求と同等をめざす模倣が一方にあり、他方には、他にぬきんでて認められたい、という、同等性の欲求のうちなる特殊性の欲求があって、この二つの面からして、現実に、欲求の多様性と拡大化が推進される≫からだ、というあたりも素晴らしい。

 こうした欲求の体系が進化する≪贅沢が贅沢を呼ぶことに≫なり≪従属と貧窮の無限の増大を招来する≫と。≪人間は自然ではないし、自然のままの人間(動物)ではない。人間は反省力のある精神であって、多様化は人間につきものであり、多様化を観念的に楽しむのが人間の本性≫だからだ、と。

 [第三部 共同体の倫理][第二章 市民社会][B.司法活動][(c)裁判]について《世論は現実に存在し、現実を動かす力を持つべきであって、そのためには、公衆は、判決がどうくだされるかを知る権利があり、判決について意見や判断をもつ権利があります》(p.444)というあたりは意外でしたが、『国家はなぜ存在するのか』を読んで、なるほどな、と納得したところです。

 [C.社会政策と職能集団] Polizei(社会政策、警察)という言葉はギリシア語のPolis(都市国家)とPoliteia(政治)に由来する言葉でという解説あたりから社会政策を説明しはじめます。

 《だれもかれもが社会政策の怠惰を非難するかと思うと、他方では管理過剰が非難される。管理には偶然の要素が入りこみ、それが非難を生む原因ですが、これは避けがたいのです》あたりも『国家はなぜ存在するのか』で最初に議論されていたあたり。

  [第三部 共同体の倫理][第二章 市民社会][C.社会政策と職能集団]は『国家はなぜ存在するのか』で重視しているコルポラツィオンに関してでしょうか。コルポラツィオン=職能集団は《成員にとって、共通の、実質的な、内在的な、固有の目的》を実現するために《共同のまとまりをなし、そのための活動をおこなう》ものである、と。人間はやりたいことをやるのが一番いいことではなく、生計を立てて生きていくことが大切なのであり、仕事を一緒にやる人たちが集まって集団をつくり、共同の利益を追求することは、特殊な利益を追求するにせよ、自分の所属する≪共同体のために働きたいという精神の欲求に、活動の場を与え≫ることになり、国家の土台となるという議論になっていきます。

 働かない賤民のダメさについて延々と語る《かれは、生計の道を見つける権利が自分にあると知っているから、貧困は不法であり、権利への侮辱であると考えて、当然のごとく、不満をつのらせ、その不満が正義の形をとります》というあたりは『国家はなぜ存在するのか』のペーペルのことでしょうか。

 そして市民社会にこうした人びとが出現するのはそれを《防ぐのに十分な共同財産を所有していない》からだ、と結論付けます。

 ≪結婚の神聖さと職能集団のもつ誇りは、市民社会の解体をつなぎとめる二つの軸である≫≪市民社会は、すべての貧困な家長や、破産した家長、および、数多くの賤民を扶養する義務があって、さもないと社会が危険にさらされます≫と書いたあと、最終章「国家」の議論が始まります。

 [第三章 国家][A.国内法] [I.国内体制] [(a)君主制] ヘーゲルは《「意志するわたし」》という役割が必要だから、君主は必要だと説きます。最終的に「意志するわたし」があらゆるリスクを背負って決断することは、国家が自由な人格として行動していることの証だから、というあたりも『国家はなぜ存在するのか』で議論されていました。
 ということで第三部「共同体の倫理」中心の『国家はなぜ存在するのか』の感想を書く前に、法哲学の講義を復習してみました。

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August 15, 2024

『吾妻鏡 鎌倉幕府「正史」の虚実』薮本勝治

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『吾妻鏡 鎌倉幕府「正史」の虚実』薮本勝治、中公新書

著者が高校教師、しかも国語を教えているということに驚きました。


しかし、だからこそ、日本中世史研究から自由な立場を維持でき、原始『平家物語』などの資料の想定から、『吾妻鏡』は編年体という正史的な装いの中で軍記物的叙述を加えることによって、頼朝〜泰時〜時頼という正当性を印象付けた物語なのだという主張は本当に目からウロコ。

『吾妻鏡』と『平家物語』は類書にない共通の虚構や構造を持ち(以仁王の令旨など)、独特の表現も共有しており、成立年代から考えて、『吾妻鏡』は原始『平家物語』を底本にして書かれている可能性がある、と。

これって新約聖書のうちマタイとルカがQ資料とマルコを元に書いたという説に並行しているというか、こういう編集史的な視点は今後の資料批判で、どんどん進めてもらいたいと思うんですが、どうなんでしょうかね。

北条時政を平直方の子孫とする『吾妻鏡』は、頼義が平直方の婿となって嫡子義家をもうけたことと、その子孫である頼朝が、直方の子孫である時政の娘婿となったことを言挙げするための虚構だ、という指摘もうなりました。

それは流浪の貴種を助ける、縁のある豪族の助力という物語の構造を借りたものであり、例えば『源氏物語』だと、桐壺更衣の従兄弟である明石入道に光源氏が須磨で助けられたようなもの、というあたりはさすが国文学の研究者の指摘だな、と。

 和田合戦の記事は《『明月記』の語句をこま切れに分断して、時系列順に並べ替え、叙述の枠としているのである。なお、『明月記』では『文選』(詩文集)や『史記』の文言を引用して戦況を叙述しているが、『吾妻鏡』は対句を分割したり、字義を誤って意味の異なる文脈にあてはめたりと、『明月記』の記述をよく理解できないまま使用していることまでわかっている(高橋典幸「『吾妻鏡』の『明月記』利用)。》(p.150-)というのは面白かった。定家が『文選』のどこらあたりを引用しているのか分からないのですが、歴史を元にした詩歌なんかは岩波文庫の五巻本を読んだだけですが本当に難しかったもんな…定家より教養が劣るであろう『吾妻鏡』の編者たちが間違うのも無理はないかも。

 さらに和田合戦は《儀式や祭事を中心に司る将軍と、御家人たちの統率者である執権という、分掌体制を確立させた契機として叙述されている》というあたりも、なるほどな、と(p.161)。

 また、霜月騒動の本質は蒙古襲来で失った求心力を《将軍の下に非御家人をも御家人化して全国を統率しようとする路線(将軍権力派)と、得宗と御家人が中心となって従来の御家人層を統率しようとする路線(得宗権力派)の対立である(本郷恵子『京・鎌倉 ふたつの王権』)》というのも蒙を啓かれました(p.181)。

 承久の乱については、貴族の日記などが、処罰されることを恐れて廃棄されているため、『吾妻鏡』ぐらいしか残っていないことが、より正史的な扱いになっているんでしょうが、その叙述は《夢告、神助、落雷など、奥州合戦のそれと重なる要素が多い》というのもなるほどな、と(p.213)。

 このほか、伊賀氏事件は後家である伊賀の方こそが後継者を指名する立場にあり政子の介入の方が問題だ、という指摘や(p.222)、後鳥羽院の挙兵目的は幕府上層を北条氏から三浦氏にすげかえることにあった(p.232)、四条天皇の死を聞いた泰時は安達義景に、もし京都について順徳院の息子が即位していたら「おろしまいらすべし」と命じていた(p.253)あたりも面白かった。

 角川ソフィア文庫のビギナーズクラシック版の『吾妻鏡』も読んでみようかな…。

 以下は終章の最後のまとめの部分です。

《『吾妻鏡』はその編年体の配列の上に、幕政史上重要ないくつかの合戦を軍記物語的手法を 用いて叙述することによって、幕府統治者の正当性を保証するための歴史像を構築すること に成功した稀有の歴史書である。その編纂作業は、幕府を構成する御家人たちの功績をちり ばめることで、各家のアイデンティティを言語によって創出してゆくという、ダイナミックな営為が展開される現場でもあった。
だが、それぞれの立場の利害調整という現実的なしがらみによってその契機を喪失したとき、出来事を意味づけるべく横溢していた言葉の力は失われ、『吾妻鏡』は単線的に支配者 の絶対性を語る規範の書へと姿を変えていった。事象の解釈や価値判断が積極的になされな くなれば、歴史叙述は出来事の羅列となり、焦点の定まらない過去は像を結ばず、歴史は立 体感ある眺望を持ち得なくなる。かくして、虚構に彩られた鎌倉幕府の正史は精彩を失い、やがて散逸し、約三百年後に再び関東で幕府を開く徳川家康により収集されて新たな解釈を付与されるまで、時を待つこととなったのである。》
p.270

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