映画・テレビ

February 28, 2023

『ショットとは何か』と"Madame de..."

 

『ショットとは何か』蓮実重彦、講談社

 ジムでエアロバイクを漕ぎながらAudibleで聴きました。観た映画については、眼前でそのシーンが上映されているような錯覚を覚える時もあり、思わず帰ってからYoutubeで見直したりしました。

 もちろん、まったく見逃していて、どこがそれほど重要なのかわからない場面もありましたし、思わず観たくなるような未見の作品に触れているところでは、やはりYoutubeで、申し訳ないのですが、その場面だけをみせてもらいました。

 そんな見返した場面のひとつがマックス・オフュルス監督の『たそがれの女心』(Madame de...、1953)のダンスシーン。ダニエル・ダリューはシャルル・ボワイエと共演した『うたかたの恋』(1935年)でマリーを演じて踊りを披露していましたが、この作品のダンスのお相手はデ・シーカ。素晴らしい大人のダンスでした。

https://youtu.be/oyyPlW4BY4A

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July 10, 2019

『考古学講義』

『考古学講義』ちくま新書、北條芳隆(編集)

 全体の責任者である北條芳隆さんによる最後の14講義「前方後円墳はなぜ巨大化したのか」が抜群に面白いので、その章だけでも読む価値があります。

 高句麗など朝鮮半島における同時代と同じように列島では、首長制社会にあり、姉と弟が政務を分かち合ったり、部族間で主張連合の長を決めていた可能性がかなり高いんだな、と感じました。

 そして、いち早く統一的な国家を形成した中国本土では(それまでは部族というか、国々が鼎立していた)その勢いをかって朝鮮半島の北部から中央部にかけて楽浪郡と帯方郡を設置して、中央集権の官僚を派遣して統治していましたが、これが半島と列島の国家形成過程に大きな役割を果たしたんだな、と。

 中国本土との連絡を絶たれた楽浪郡、帯方郡の後漢などの王朝の官僚たちは、半島や列島の王権に雇われ、三国時代以降も中国本土との接近を図るルートとして活躍し、中央集権とまではいかないにしても、統治のシステムづくりをになっていったんだろうな、と。

 例えば、238年に公孫氏政権が滅ぼされ楽浪郡・帯方郡が魏に接収された翌年、卑弥呼が素早く魏に遣使したことが奏功し、列島各地の上位層も卑弥呼を擁する政体と同盟関係を結んだ方が対外交渉もやりやすくなり、近畿中央も鏡の配布や前方後円墳などによって広域な関係がつくられた、みたいな。

 また、なんで、神社では鹿が大切にされているのか、ようやくわかりました。それは《シカの角が春に生えて秋に落ち、来春に再び生え変わることに稲の成長と同一の神聖性を見出した》からなのか(p.129)、と。縄文時代には多産で生命力にあふれる猪の土製品が盛んにつくられたのに、この変わりようというのは、やはり農耕社会への転換がインパクトを与えているんだろうな、と。

 ちくま新書では『古代史講義』佐藤信(編)も面白いので、ぜひ。

 最後の14講義「前方後円墳はなぜ巨大化したのか」をまとめてみると以下のようになります(アレンジあり)。

1)前方後円墳を国家形成過程での「王陵」とみると、徐々に大きくなっていくのはおかしい。なぜなら、先代墓より大きなものをつくるのは祖先の神格化を阻害するから
2)秦の始皇帝と同規模の墓をつくるのは当時の経済力からして不釣り合いにすぎる浪費
3)厚葬は富の消費で、国家ならば治水や利水などの公共事業に傾注すべき
4)前方後円墳で基本構造が似ているものがつくられたのは部族集団が優劣を争ったからではないか
5)巨大墓の造営は蓄財の完全放棄による身分の平準化志向がうかがえる

という5つの疑問を呈し、そこに

1)東アジア一帯を襲う寒冷化と乾燥化
2)後漢王朝の滅亡から魏晋南北朝期に至るまでの中国大陸における南北分断国家群の興亡
3)高句麗の南下による朝鮮半島の流動化および朝鮮三国間の緊張関係

という条件を考えると、それは巨大な前方後円墳の造営は「ポトラッチ」ではなかったか、というんですね。

高句麗は対外的には国家として立ち現れる強国だったものの、内実は五部族からなる連合政権で、人類学的には首長制社会(ピエール・クラストルがいう「国家に抗する社会」*1)だった。しかし、戦時首長としての性格を帯びていた可能性が高い、と(これは旧約聖書でいえば「士師」の時代なのかな、みたいな)。

高句麗は楽浪郡と帯方郡を滅ぼすことによって、部族連合では生まれるはずのない官僚と宗教知識人(仏教)を取り入れたことによって、部族国家となっていった、と。

また、広開土王碑文でも、倭を最大のライバルとして敵意を持って書いており、倭も共進化(とは書いてなかったですが)して国家形成に至った可能性がある、と。

当時、倭も首長制社会だったと考えられますが、首長は民衆に惜しみない富の配分、ポトラッチを強いられます。さらに、列島では大王を輩出した部族が次世代に資産を引き継ぐことのないように注視されていただろう、と。それは近畿の倭王権だけでなく、地域首長でも同様であり、だから300年間にわたり5200基の前方後円墳がつくられたんだろう、と。

卑弥呼墓と推定される箸墓古墳や、最大の大仙陵古墳は当時の貨幣である稲わら換算で平城京と後期浪速宮の維持費と建設費の5年10ヵ月分に匹敵していたであろう、と推定されます。

浪費ではあったのですが、当時、半島からは避難民、国内でも寒冷化による再流動化が起こっており、そうした問題に対する公共事業としての役割は果たしたんじゃないか、という見方もあるそうです。さらに、倭の大王は世襲された可能性は皆無に等しいとみられており、新たに擁立された大王の権威は、血のつながらない先代との比較優位を目指すために、ポトラッチのような競争が生まれたんじゃないか、という推測は納得的でした。

また、寒冷化によって、交易の際の貨幣になった稲束の価値が半島で高まり、鉄も入手しやすくなったのも、武力を伴う国家形成には役立ったのかな、と。

前方後円墳がつくられた時代というのは、たぶん、そうした時代だった、というのは本当に新鮮でした。

*1 国家は必ずしも必然的に立ち現れるのではなく、そうした形態をとることを阻止しようとする権力に対する自律性を守ろうとする自然の仕組みを維持することに失敗した社会において、魔力によって合法化される、みたいな。旧約聖書では士師記の時代でしょうか。

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February 03, 2018

『スターウォーズ 最後のジェダイ』

Last_jedi

 外に出る用事があったので、ついでに『スターウォーズ 最後のジェダイ』を見る。

 一応、最初から劇場で観ているので惰性。

 『帝国の逆襲』だけが圧倒的で、その次の3作目から低迷が続いているが、物語の推進力を失っている感じ。途中、2~3回寝落ちしそうになった。

 『帝国の逆襲』以降では、ダース・ベイダーの子ども時代が可愛かったEpisode1がやや覚えているぐらいで、2,3,7などは渾然としていてストーリーも良く記憶に残っていない。

 人形浄瑠璃が近松以降、登場人物を増やし、物語を複雑にして、やがて飽きられていった、というのをなぜか思い出す。

 まあ、ここまできたんで最後まで付き合いますがw

 ポリコレに沿って、正しくキャティングしました感が前面に出すぎ。

 レイアとルークにも懐かしさを感じず、3POとR2にしか親近感が湧かなかったけど、R.I.P.

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November 03, 2017

『サッドヒルを掘り返せ』

 東京国際映画祭の出品作品『サッドヒルを掘り返せ』は最高でした。

 『サッドヒルを掘り返せ』はセルジオ・レオーネの映画史に残る傑作『続・夕陽のガンマン』(The Good, the Bad and the Ugly「善玉、悪玉、卑劣漢」)の、あまりにも有名なラストの決闘シーンが撮られた墓場(サッドヒル)のセットが、スペインの荒野に荒廃するがままになっているのを、映画ファンたちが復元しようという試みを描いたドキュメント。

 サッドヒルは映画のセットなので、土に埋もれた墓場を掘り返しても何も出できません。しかし、何も出てこないところを掘り返して、埋もれてしまった円形の闘技場のような石畳を見たいという無から有を生むプロジェクトが映画的だな、と。

 『サッドヒルを掘り返せ』の監督、プロデューサーのトークセッションでも、最初はYoutubeにでもアップできればということでスタートしたプロジェクトが、どんどん大きくなって、『続・夕陽のガンマン』マニアのメタリカのジェイムズ(コンサートのオープニングはいつも『続・夕陽のガンマン』のサッドヒルの場面)や、イーストウッド本人まで登場する作品になったと語っていました。

 それも、これもサッドヒルを復元したいというコケの一念がSNSなどを通じてどんどん広がり、人手や資金が集まっていきます。
 
 しかもこのセットはフランコ政権最後の時代に、軍隊まで動員して作られたという裏話も広がっていきます。

 改めて驚いたのは『続・夕陽のガンマン』はフランコ政権時代に政府の協力を得て撮られた作品だということ。もう、その部分でも歴史になってる。レオーネ作品は反戦、反ナショナリズムに仕上がっているというのも壮大な皮肉。それも含めて歴史的な作品だな、と。

 質問もしちゃったんですが、監督のぼくの質問への答えは「フランコ政権のラスト・ディケイドに『続・夕陽のガンマン』は作られた。政権としては外国から映画を撮りにわざわざスペインに来るのは政治が上手くいってる証拠とPRしていたし、内容が反戦、反ナショナリズムでも外国の話ならOKだった」みたいな感じでした。

 それにしても、フランコ政権時にフレッド・ジンネマンが『日曜日には鼠を殺せ』を撮ったのは凄いと改めて感じるし、続・夕陽のガンマン50周年に集まった人々が白人ばかりというのには、ひょっとしてサッドヒルの背景にフランコ時代への郷愁とかあるのかな、なんてことも思ったけど、さすがに聞けなかったw

 映画がヨーロッパでは本当に偉大な文化として扱われているし、プロジェクトも聖地巡礼でサッドヒルの墓場のセットの跡地に訪れるファンが多かったというのも驚く。これからは聖地巡礼だけでなく、聖地再構築がコアな映画ファンのトレンドになるかも。プロジェクトメンバーたちの語る「芸術は聖なる体験」という言葉には深く頷く。

 無から有を生むのは宗教の始まりというか。

 東京国際映画祭では、何年か前に見た『少年トロツキー』が良かったけど、『サッドヒルを掘り返せ』はそれを上回る収穫でしたね。トロツキーもサッドヒルも、こうした機会がなければ見られなかったのでありがたいな、と。残念ながら、コンペ外の作品なので不可能なのですが、もしこうした作品に大賞とか献上すれば、映画祭の価値も上がると思う。そうれば、こうした作品がもっと多くの人の目に触れるようになると思います。

 それにしてもブレードランナーをリメイクした監督に、サッドヒルの半分でもオリジナルの映画へのリスペクトがあれば…と。

 なお、11/3(金)横浜ブルク13上映『サッドヒルを掘り返せ』(東京国際映画祭共催)ギジェルモ・デ・オリベイラ監督の登壇が決定したそうです。ぜひ!

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October 02, 2016

『ハドソン川の奇跡』

 土日に映画の日(毎月1日は1100円)というのは働く者にとってありがたい限りですが、それを活用させてもらい『ハドソン川の奇跡』を観てきました。

 にしても、クリント・イーストウッドはいつから大傑作しか作らなくなっているんでしょうか。

 まだご覧になってない方は、この機会にぜひ。大傑作です。

 悪夢でうなされて目が覚めるいい歳の男は『父たちの星条旗』でも描かれていたし、エンディングでの現実への引き戻しは『アメリカン・スナイパー』を思い出させてくれました。緊張感あふれる印象的な夜の街中でのランも多くの作品で描かれていますが、そうしたイーストウッドのモチーフで手堅く描かれるのは表面上はタフである主人公の内面の弱さ。それをイーストウッドは真正面から見据えます。

 では、イーストウッドの主人公たちは、そうした決して変えることのできない過去に溺れそうになるマインド・ワンダリング(mind wondering)からどうやって抜け出るのでしょうか。

 それは自分がこれまでやってきた仕事の積み重ねしかないんでしょうね。

 イーストウッドの主人公はいつも、過去にさいなまれます。しかし、過去は絶対に変えられないし、人は今を生きるしかない。

 『ハートブレイク・リッジ』のトム・ハイウェイ軍曹は朝鮮戦争とベトナム戦争の苦い思い出をグレナダ侵攻で晴らすことができ、元嫁のアギー(マーシャ・メイソン!)がジョン・フォードの西部劇のように真っ白な服で出迎えてくれます。

 しかし、『許されざる者』では親友を失い、『父親たちの星条旗』では司令官を失い、『アメリカン・スナイパー』では自身を失います。

 今回の作品では

「この仕事を42年間やってきて、何百万人もの人を何百万万マイルも運んできたんだ」'I've been doing this for 42 years. I've delivered millions of people over millions of miles of the world over'
「ずっとパイロットとしてやってきたし、それが人生そのものだった」'I've been a Pilot, It's a whole of my life'

 というセリフが何回も語られます。

 しかし、そうしたキャリアが208秒の出来事で失われるかもしれないという危機が訪れます。そして、そうした理不尽なチャレンジをどう乗り切るのか、というのがテーマ。

 小泉さんは「人生には上り坂、下り坂のほかに『まさか』がある」と語っていましたが、乗客全員を救った英雄的な行動が、保険会社などの思惑から疑問が呈せられ、それに立ち向かわなければならなくなります。

 再び、このセリフが出来ます。

「40年間も空を飛んできたが、それが208秒の出来事で裁かれようとしている」'I've got 40 years in the air, but in the end I'm going to be judged on 208 seconds,'

 家族も支えてくれますが、悪夢にうなされながらの尋問の日々を戦うのは彼と副操縦士、それに組合や会社や同僚。

 しかし、ずっとひとつの仕事に打ち込んできた人間は、その積んできたキャリアによって理不尽な試練を乗り越えることができるわけです。

 『ダークナイト』のハービー・デント役が印象的だった副操縦士のアーロン・エッカートがよかったかな。某カルト教団の元信者であった彼が、事故直後の取り調べでI never drunkというセリフを言うのはイーストウッドが狙ったのだろうか。

 今回は、飛行機の大きさや事故に関わったすべての人々をリアルに再現することが必要だったということで、救助にあたった人々などを実際に映画へ出していますが、本当にリアルだな、と感じたのは、こうした救助隊の人たちが、それまで「最高のピッチャーはエカーズリーだ」「ユニフォームがいいだけだろ」みたいな会話をしていたのが断ち切られ、現場へ急行する場面のカッコ良さでした。

 イーストウッドは絶対にファンタジーなど描かないし、透明感ある演出と音で実はもの凄い現実を描いていきます。

 そして観客には、観たいものを、たとえそれが不十分でも見せます。

 イーストウッドの飛行モノは『ファイヤーフォックス』から始まりますが、なんともお粗末な「特撮」だけど、北極海を超低空飛行で飛んだ場合にどんなことが起こるかを再現していました。『アメリカン・スナイパー』でも銃弾の軌跡を見せてくれます。

 今回の作品でも、着水シーンなどはさらにリアルになったかもしれませんが、予算が許す限りで再現してくれています。

 観客が観たいものを見せる。だから、物語は力強く進むし、後につまらない解釈など残さない。

 イーストウッドの透明感はそうした種類のものなのかな、と改めて感じました。

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September 17, 2016

『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』

Trumbo

 『ローマの休日(Roman Holiday)』は剣闘士を戦わせる見世物を楽しんだことを表す言葉でもありますが、奴隷の叛乱を描く『スパルタカス』の脚本もダルトン・トランボが書きました。トランボは第二次大戦後の希望さえも、奴隷たちの犠牲の上で築かれたということを忘れなかった脚本家です。

 ぼくが初めて彼の名前を知ったのは『ジョニーは戦場へ行った』(Johnny Got His Gun)を「みゆき座」で見た1973年。『ジョニーは戦場へ行った』はこの年のキネマ旬報読者選出洋画ベストワン(ちなみに邦画は『仁義なき戦い』)でした。

 『ジョニーは戦場へ行った』は生真面目すぎて面白くなかったかな…。日本でいえば新日文的といいますか。ルイス・ブニュエルが監督候補だったという話しも聞いたことがあって(当時のキネ旬かな)、それなら少しは面白かったかもしれない、と思っていました。

 でも、パンフレットのトランボの言葉は忘れません。

 当時はまだベトナム戦争が戦われていました。うろ覚えですがトランボは「朝、あなたはテレビのニュースが『昨日のベトナムでのアメリカ軍人の戦死者は〇〇人、民間人の死者は〇〇人、ベトコンの戦死者は〇〇人』と伝えるのを聞く。しかし、あなたは『大変だ!大量殺人が行われている』と血相を変えて外に飛び出すでもなく、朝食を平らげて会社に行くだろう」という書きだしで戦争の悲惨さから目をそらすな、と訴えていました。

 というわけで、当時からダルトン・トランボがどういう人間で、赤狩りにあって大変な思いをしたというのは知っていましたが、下獄までしているとは知りませんでした。

 第2次大戦が終わると1947年にはもう赤狩りが始まり、ハリウッド・テンは議会で侮辱侮辱罪で有罪判決を受け、リベラル派の多かった最高裁に上訴したもの、リベラル派の判事が相次いで死去するという不運で1950年にはトランボも下獄という流れだったんですね。
 
 当時の渋谷は本当に名画座の宝庫で、子どもの頃から観まくっていまたんですが、1943年制作のハンフリ・ボガート主演の傑作『サハラ戦車隊』なんかもまだかかっていたのを覚えています。しかし、脚本のジョン・ハワード・ローソンは、赤狩り以降、まったく映画界からオフリミットにされてしまっています。

 『サハラ戦車隊』はカタルシスとはこれだ!と思った見事なラストを最初に教えてくれたプログラム・ピクチャーでした。

 このように、赤狩りは才能狩りでもあったわけですが、トランボはそれに抵抗します。

 トランボの「共産主義者のファイトと、資本家の狡猾さで戦うんだ」という言葉、素晴らしいと思います(どう戦い、相手をぐうの音も出ないようにするかは見てのお楽しみ)。

 ロバート・リッチ名義で執筆したダルトン・トランボはアカデミー脚本賞を受賞するんですが、笑ったのが『狂熱の孤独』でジャン=ポール・サルトルもノミネートされていたこと。赤狩りしているバカどもは、サルトルの本など読んだことなかったのでしょうw

 以下ネタバレあり。

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September 03, 2016

『君の名は。』と清浄度Iの場所

 TwitterのTL上で見たという人がどんどん増えている感じが『シン・ゴジラ』と似ていたので、まあ、面白いんだろうな、ということで見てきました。

 物語はさておき、日常生活を小津、加藤など日本映画お得意のロー・ポジションで見せ、後半はロー・ポジションから仰角にふるロー・アングルで空を見せていたのが印象的(ロー・ポジションとロー・アングルは違う、なんて議論が大昔、加藤泰監督作品の映画論でやたら語られていたような記憶があるのですが、それを意識的にやっていた印象)。

 日本映画お得意のロー・ポジションは狭い部屋の中をいっぺんに効果的に見せてくれるし、そこで生活する人間の日常までも表現してくれるな、と。

 あと、ロー・ポジションで閉まる障子が田舎の生活を、閉まる電車のドアが都会の生活を表していたのかな。

 印象的だったのは、東京の風景。

 四谷、千駄ヶ谷、新宿などの見慣れた風景が、すでに懐かしい。

 アニメで描かれた実景が、妙に懐かしいのは、日本の風景が再開発によってつくるそばから壊されていき、移ろいやすいからかもしれません。

 あと、10年したら四谷の風景なんかも違ってくるかもしれないし。

 アニメにはそれほど詳しくはありませんが、奇しくもオウムサリン事件と阪神大震災があった1995年に公開された大友克洋の『MEMORIES』第2話「最臭兵器」で描かれた甲府市の忠実な描写や、同じく1995年公開の近藤喜文監督の『耳をすませば』の聖蹟桜ヶ丘の風景は、描かれた瞬間に懐かしいというか、もう帰ってこないものとしてあったような気がします。

 あと、口噛み酒はセクシー(その理由はContinue reading以下に書きますが、つまらないものは読みたくない、という方はご覧になりませんように…)。

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August 14, 2016

ゴジラという使徒

Yashima1

 『シン・ゴジラ』見に行ったら観客たくさんで驚きました。

 第一感、これって新世紀エヴァンゲリオンの第六話「決戦、第3新東京市」におけるヤシマ作戦の実写版、みたいな。これは第3新東京市直上を襲った第5使徒ラミエルを撃破するために、葛城ミサト作戦部長が立てた作戦を描いた回です。

  『シン・ゴジラ』では長谷川博己が政府のゴジラ対策チームのチーフを演じてましたが、男女を入れ替えて新味を出すのは脚本の基本ですからね。シン・ゴジラ、使徒にN2地雷を使ってちょっと侵攻を遅らせるとかクリソツ
シンジに対して葛城が「葛城さんじゃなくてもミサトでいいわよ」っていうのも石原さとみと同じかな(長谷川博己も竹野内豊も政治家とは見えなかったな。若手の官僚っぽい演技だった。そこは残念)。

 『シン・ゴジラ』のタンク車並びは、ヤシマ作戦の電源車っぽいし、電車の使い方なんかも似ていました。ラミエルが近接する敵を自動排除するという設定もシン・ゴジラと同じ。

 音楽もエヴァと共通でしたよね。DECISIVE BATTLEはヤシマ作戦のBGMでも使われていましたし。

 あと、ゴジラが何回も上陸するのも使徒と同じ。

 そこがどこかわからないというのは、初代ゴジラが太平洋戦争の直後の米軍爆撃の圧倒的な非対称性から作られた時からの伝統でしょうが。

 アニメと違うから、碇ゲンドウみたいに薄笑いしながらの命令とかはないけど。

 家やボートが流されたりするシーンや、生コンポンプ車での注入作業などは東日本大震災の影響でしょうが。

 米国、米軍との関係に今更ビックリしたというような愚かな反応はどうでもいいけど、サンプルを米国が回収して破棄したという話し(ラミエルが近接する敵を自動排除するという設定もエヴァにありました)もシン・ゴジラと同じ。ここはミグ25の亡命事件の時に、自衛隊からは官邸より米軍に最初の情報が行ってしまっていて、当時の後藤田官房長官が激怒したという話しを思い出しました。

 「この国のいいところは次のリーダーが早く決まるところ」というセリフは、中井久夫先生の『災害がほんとうに襲った時 阪神淡路大震災50日間の記録』から引かれたんじゃないかと思いました。同じ災害をテーマにしていますし。

 中井先生によると、ドイツの精神医学全書の「捕虜の精神医学」の項にはシベリアにおけるドイツ軍捕虜に比して日本軍捕虜を恥ずかしくなるほど称えた文献の引用があるんだそうです。いわく、ソ連軍が日本軍捕虜の指揮官を拘引するとただちに次のリーダーが現れた、と。彼を拘引すると次が。将校全員を拘引すると下士官、兵がリーダーとなった、と。こうして日本軍においてはついに組織が崩壊することがなかったがドイツ軍は指揮官を失うと組織は崩壊した、というあたり。

 もちろん肯定的に使われていると感じました。

 全体的にはとても面白かったです!

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April 17, 2016

NHKスペシャル『地震列島 見えてきた新たなリスク』

 熊本地震には驚かされました。

 14日夜に震度7という一報に接した時には、関東地方にほとんど揺れを感じなかったので、直下型だろうな、とは思ったんですが、その後も大きな揺れが続き、15日が本震という発表。阪神淡路の時も、中越地震の時も実は大きな横滑りが2~3回同時に起こっていたというのを聞いた記憶があるので、今回はやや時間差があったのかな、みたいな。

 あと、思い出したのは4月3日に放映されたNHKスペシャル『巨大災害 MEGA DISASTER Ⅱ 日本に迫る脅威  地震列島 見えてきた新たなリスク』です。

 この番組で教えられたのは、日本列島に地震が多いのは①北米プレート②ユーラシアプレート③太平洋プレート④フィリピン海プレートという4つのプレートに乗っているからだという従来の見方だけでは説明できず、マントルの粘弾性の観測によって、中がもっと「割れて」いることがわかり、その断層でも起こるから、ということでした。

 勝手にサマリーするとマントルの粘弾性は地殻にも影響を与え、GPSの観測によると、もの凄く複雑な動きが見え、そこに小さな地震の震源地を重ね合わせると、危険な断層が見えてくる、という内容だったと思います。

 素人考えですが、今回の地震は、見事に観測データに合っているな、と感じました。さらに番組では「本州の内陸部の地震と海底部の地震が心配される」みたいなこともナレーションで語られていました。

 地学はとても新しい学問で、ぼくが地学を習った高校生ぐらいの時(1970年代半ば)までは、プレートテクトニクス理論は定説になっていませんでした。

 庄司薫さんが『ぼくが猫語を話せるわけ』で、1960年ぐらいの時に当時の東大で聞いた授業のことを書いています。それによると、大学で教えられたウェゲナーの大陸移動説は「世の中にはこんな面白いことを考えていた人もいたんですね」と笑わせる授業のネタ扱いだったとのこと。

 ここに『地学のツボ』の感想を書いたら、著者の鎌田浩毅京大教授は気さくにメールをくれたんですが、その本の「あとがき」で鎌田教授は高校の数学は17世紀までの内容、化学は19世紀までに発見された内容、物理は20世紀初頭ぐらいまでの内容、生物は20世紀後半までに研究された内容が中心なのに対して、地学は《最先端の内容が教えられている》と力説していました。

 基礎となる理論が確定されて、様々な観測がなれている段階といいますか、地学ってのは発展途上の学問なんだろうな、と。素人の出る幕はなし、ということで、無意味な憶測をして、さらには、そこから不安にかられた予測みたいなことをSNSに書いて恥をかかないないように、これからも、じっくりとベンキョーさせてもらうかな、と思います。

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March 20, 2016

『フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元国防長官の告白』

『フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元国防長官の告白』

 WOWOWで撮れていた『フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元国防長官の告白』を見ました。

 ぼくがマクナマラの名前を聞いたのは子どもの頃に戦われていたベトナム戦争のニュースでした。ウェストモーランド将軍とマクナマラ国防長官の名前はニュースコープの古谷綱正さんのイントネーションごと覚えているほどでしたが、どういう人物だったのかを詳しく知ったのは、やはりハルバースタムの『ベスト・アンド・ブライテスト』を読んでからです。

 ハルバースタムはマクナマラをダース・ベイダーのようなモンスターとして描いていて、フォードの社長時代などを描いている『覇者の奢り』も含めて彼のマクナマラ観にしばらく支配されていました。それが変わり始めたのは1997年6月20日にベトナムを訪問して、ボー・グエン・ザップ将軍やグエン・コ・タク外相と会談をしたことです。マクナマラは95年に回顧録(In Retrospect: The Tragedy and Lessons of Vietnam)を発表し、ベトナム戦争は間違いだったとして、ベトナムとの対話を希望したんです。

 良くも悪くも、なんというアメリカンな態度だと思いました。ベトナム側も提案を受け入れ、NHKも独自にスペシャル番組をつくったと思います。そこで印象的だったのは、戦争初期、米国側の調査団が入ったとたんにベトコンが猛攻撃を行ったおかげで米国世論が硬化したのだが、なんであのタイミングで攻撃したのか?という質問でした。ベトナム側の答えは「米国が調査団を送ったということは知らない。攻撃命令はずっと前に出されて、仮に中止したくても作戦終了まで連絡手段はなかった」というものだったように思います。

 ベトナム戦争の模様は毎日、日本でもテレビで放送されていたんですが、戦っていた北ベトナムやベトコンたちはほとんど見るすべもなかったんだな、というとてつもない非対称性に気づかされたんですね。ソ連などと違って、相手の考えていることがまるっきり分からない状態で、タイトルになもっている『フォッグ・オブ・ウォー』の度合いもより濃かった、と。

 この『フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元国防長官の告白』ではグエン・コ・タク外相との対話が語られています。

 マクナマラは双方があれほど血を流さずとも目的を達することが出来たのではないか、とグエン・コ・タク外相に問うんです。「あなた方は340万人の死者を出した。これは米国の人口規模に直すと2700万人に達する。それで確かに独立したが、統一を含めて我々が初期段階で与えようとしたもの以上を得ることが出来たのか?あまりにも人的被害が大きいとは考えないのか?それを悲劇とは思わないのか?」と。

 正直、あれだけ絨毯爆撃をやって、枯れ葉剤まで蒔いたヤツがよく言うわと思ったんですが、グエン・コ・タク外相の答えは、ざまえみろと思うと同時に、悲しくもなりました。

 元外相は「あなたは歴史を知らない」「アメリカは隷属させようとした」「我々はソ連や中国の駒(ポーン)ではない。我々は1000年もの間、中国と戦ってきたのだ。我々は独立のためならどんな圧力にも屈せず、最後の1人まで戦い続けたろう」と言いました。

 悲劇ですね。

 マクナマラは「キューバ危機の時、ケネディ政権はフルシチョフの立場に立って物事を見ることによって、ソ連がキューバの独立を助けたと言えるという花道をつけてやることで、全面核戦争を回避することが出来た。しかし、ベトナムではそれが出来なかった」とも語るんですが、中東をはじめアジアのことを知らなさすぎだな、と。

 1960年代前半の米国は呪われたかのようにベトナムにのめり込んでいきます。撤退を開始しようとした矢先にケネディは暗殺されるし、北爆を開始したのもトンキン湾の誤解からだし、最初は地上部隊は送らない方針だったのに、海兵隊をベトナムに送り込まざるをえなくなったのは空軍基地を守るためだったというんですから。

 一度間違うとどんどん泥沼に入るというのは福島第一原発事故と似ているな…と思って見ていました。

 それにしてもマクナマラの経歴は凄いんです。

 第2次大戦中、日本とドイツを絨毯爆撃したルメイの部下で、ケネディ政権では国防長官としてルメイの上司となったというんですから。キューバ危機の時、ルメイは「キューバを破壊すればいい」と主張して対立した、と語っていましたが、とんでもないヤツに日本は勲章をやったんもんです。

 マクナマラは日本のほとんどの都市を焼け野原にしたことも問題だが、その後で原爆を投下したのは問題だとも語っているんですが、ルメイは「もし勝たなかった、我々が戦争犯罪人になるぞ。それでもいいのか」と主張したそうです。

 マクナマラは戦争の問題点について「互いにルールがなく法律に縛られないこと」と主張。枯れ葉剤の使用についても「もし法律で使用が禁止されていたら、使わなかった。もっとも私が使用許可を与えたかは覚えていない」と。戦争に関する法律はジュネーブ条約しかなかったわけですが、果たして、これだ戦争が非対照的になってしまった現在、それに意味があるのでしょうかね。

 しかし「残念なことに、人間には後知恵でしかわからないことがあるのだ」と語るマクナマラは少なくとも正直です。

 『フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元国防長官の告白』は11章仕立てですが、最後のタイトルは"You can't change human nature"「教訓11:人間の本質は変えられない」。

 マクナマラはT・S・エリオットの詩で締めくくります。「好奇心にかられて探求の旅に出る。色んな場所に訪れ、色んな知識を得ていく。でも、最終的には、はじめにいた場所に戻って、その場所こそ、探求の目的地であったことを認識する」ある意味で今の私だ、と。これはたぶん、『四つの四重奏』のリトル・ギディング。

 "We shall not cease from exploration, and the end of all our exploring will be to arrive where we started and know the place for the first time"

 とりあえず5章を見つけました。ご興味を持たれた方は、DVDなり探してみてください。

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