『象徴天皇の実像 「昭和天皇拝謁記」を読む』原武史
『象徴天皇の実像 「昭和天皇拝謁記」を読む』原武史、岩波新書
『昭和天皇拝謁記』は、占領下を吉田茂内閣とともに歩んだ田島道治宮内庁長官と昭和天皇とのやり取りのメモと日記や書簡などをまとめ、岩波書店から刊行された資料集。2021~2023年にかけて刊行されましたが、全7巻という大部で、一般の読者にはとても読み通せない分量です。それを徹底的に読み込み、ダイジェストして紹介してくれたのが本書です。
口数が少なく、会話もぎこちないといった昭和天皇のイメージは完全に覆され、饒舌で論理的なしゃべり口には驚かされます。秩父宮、高松宮など兄弟皇族との確執、不満も隠さなかったことや、皇太子(現上皇)を「東宮ちゃん」と呼ぶあたりも新鮮でした。
[吉田茂首相との密接な関係と、政党政治不信]
とりわけ印象的だったのは、著者の「吉田政権は昭和天皇抜きでは考えられない」という見解でしょうか。常に天皇への上奏(報告)を怠らず、「臣茂(しんしげる)」という認識のあった吉田首相と昭和天皇の間にどのような話しがあったのかは、直接の記録はありません。しかし、憲法問題や独立、再軍備について宮内庁長官へ意欲的に語る天皇の姿からは、吉田首相へも強い影響を与えていたことが容易に推察できます。驚くべきは、昭和天皇が戦前・戦後を通じて「政党政治」に強い不信感を抱いていた点です。戦後の保守合同(自由民主党の結党)の際、なんと社会党右派までもが参加する「大連立」のような形を期待していたという事実は、天皇の独特な政治観を物語っています。
[秩父宮との確執と2.26事件の謎を追う鉄道ダイヤ]
2.26事件の時の秩父宮の振る舞いに関しても興味深い。昭和史家の保坂正康さんが現上皇に「私は秩父宮が青年将校に担がれていたというのは間違いだと思います」と伝えたところ「そうですかぁ」と疑問を呈するような言い方をされたという話しを盛り込んでいますが(p.68-)、原武史さんは『歴史のダイヤグラム』という著書でも、この問題を扱っているようです。
2.26事件が起きた1936年2月26日、秩父宮は青森県・弘前の歩兵連隊の大隊長でした。これは青年将校から引き離したいという昭和天皇の意向だったようですが、事件後、すぐに秩父宮は青森に出て、午後10時発の常磐線回り上野行きの急行に乗ります。翌日午前10時25分に東京に着くのが最も早く上京できるルートでしたが、最初は奥羽・羽越・信越本線回り大阪行きの急行に乗ろうとしたそうです。途中、水上からは皇国史観を進講したこともある平泉澄東京帝国大学教授が乗り込み、高崎までの約1時間半にわたり密談したそうです。平泉は決起部隊に肩入れしていたという説もあり、原さんは「そもそも、秩父宮が事件直後に上京しようとした真の理由すらわかっていない」とした上で、秩父宮が迂回ルートを通ったのは、平泉に会う必要があったのではないかと推測しているようです。
[「米国へのグチ」と、今なお残る沖縄への視線]
太平洋戦争に関しては、もう軍部を押さえられないので、米国が満州事変の時にもっと強く出て欲しかったと恨み言を語っているのも興味深かった。この時、米国はスティムソンノートを発するに留めましたが、経済制裁をしてもらいたかったと「勝手なグチ」を述べます(p.65)。鴨緑江でやめておけば良かったというのもホンネでしょう。
昭和天皇は戦後の米国の対日政策を高く評価していますが、「奄美、沖縄がなくなると徳川以下になる」という感想も持っていたのには改めて驚かされます。
[「象徴」となっても、自己認識は「国家元首」]
戦後、新たな日本国憲法が制定され、天皇は「日本国および日本国民統合の象徴」とされましたが、昭和天皇は自身の天皇観を根本的に変えておらず、基本的には国家元首であると認識しています。旧憲法改正の必要はなく、旧憲法でも新憲法と同じ精神でやったとしており、その中で第9条には不満で改正と再軍備の必要性を宮内庁長官に説いています。さらには戦前にできなかった「全国巡幸」を通して「全ての国民に慕われる儒教的天子・君主」としての自己認識を深めていきました。
昭和天皇は神武天皇などの伝説について、史実に反するし歴代天皇の式年祭も史実に基づいたものではないと考えており、国民全体がキリスト教に改宗するなら天皇もキリスト教に改宗してよいと思っていたほど。それほどキリスト教には惹かれつつも十字架や復活が事実ではないのと同じだとみていた、というあたりも興味深かった(p.196-)。
[複雑で、矛盾に満ちた「人間・昭和天皇」]
ヒステリックで二重人格的なところもある母である皇太后への恐怖感。弟である秩父宮、高松宮との戦中の早期講和や天皇退位を巡る対立と確執と、戦後の三笠宮の不満なども赤裸々。秩父宮の発言が対GHQで問題になった時に御殿場の秩父宮邸と東京を田島が往復するくだりで、当時、国府津~御殿場間の列車がどう運行されたかなどを調べ、国鉄に特別列車を要請したのではないかのあたりは『歴史のダイヤグラム』の著者である鉄道マニアらしさがあらわれています。三笠宮は明治天皇の公孫ではなかった、という昭和天皇のこだわりには驚きました。
また、生理も含めた一族のリアルな日常の紹介は、日経の記者として宮内記者会に所属し、昭和天皇の病状報道に従事したあたりのジャーナリスト感覚を感じさせてくれます。皇室行事は「血のケガレ」を嫌い、日程に制限が生まれれば、プライベートな情報が公になってしまう面もあるとのこと。
「朝鮮人学校はつぶした方がいい」という考え方は、1910年の韓国併合は正しかったのであり、満州に進出してからおかしくなったとの認識にもつながるのでしょう。アジア太平洋戦争での反省はあまりなく、全ては「時勢」のせいだと考えていたが南京事件について当時から薄々聞いていたが、後になって詳細を知り、本当にひどいことが行われたので反省して繰り返さないようにしなければ、とも述べています。
戦後憲法の下で「象徴」とされた昭和天皇が、実際にはどのような自己認識を持ち、どのように政治や歴史を見ていたのか。本書は、その複雑で矛盾に満ちた実像を、膨大な史料を通して鮮やかに描き出しています。
[目 次]
序 章 『昭和天皇拝謁記』とは何か
あらわになった昭和天皇の肉声
「拝謁記」が書かれた時期
『拝謁記』の読みどころ
本書の構成
第1章 天皇観
退位もあり得ると考えていた
退位しないと再び立場を変える
「おことば」での決意表明
過剰な警備に対する批判
巡幸と一般参賀
天皇の象徴観
教育勅語はあったほうがよい
第2章 政治・軍事観
天皇の民主主義観
政党政治に対する不信感
保守政党の大同団結を提言
社会党右派への期待
議席ゼロになっても安心できない共産党
後期水戸学のキリスト教認識との類似点
朝鮮人学校はつぶした方がいい
再軍備は絶対に必要
第3章 戦前・戦中観
時勢には逆らえない
張作霖爆殺事件と満州事変
二・二六事件の忌まわしい記憶
日中戦争と太平洋戦争
米軍は空襲の標的を定めていた
条約の信義を重んじたから戦争終結が遅れた
ソ連参戦が戦争を終わらせた
第4章 国土観
どこまでが日本の範囲か
北海道に対する認識
九州に対する認識
沖縄に対する認識
内灘や浅間山を米軍に提供すべき
第5章 外国観
米国の評価すべき点
米国の批判すべき点
天皇の英国観
天皇のソ連観
天皇の中国観
天皇の朝鮮半島観
第6章 人物観1――皇太后節子
意見が違う
「虫の居所」によって違ったことを言う
時流におもね、話し上手を好む
皇太后が見た天皇
怖くて宮中服の廃止を言えない
蚕糸業視察はやめてほしい
大正天皇との仲が悪かった
皇太后の遺書の謎1――「家宝」とは何か
皇太后の遺書の謎2――秩父宮への言及と一〇月二二日という日付
ケガレに厳格
第7章 人物観2――他の皇族や天皇
皇后をどう見ていたか
皇太子明仁に対する不安
秩父宮に対しては同情的
戦後も終わらない高松宮との対立
三笠宮は我がままに育った
正仁親王がキリスト教の信仰をもってもよい
少ない明治天皇と大正天皇への言及
第8章 人物観3――政治家・学者など
マッカーサーとの会見
吉田茂に対する相反する感情
鳩山一郎と岸信介に対する批判
近衛文麿よりも東条英機を評価
南原繁・清水幾太郎・平泉澄への否定的な評価
第9章 神道・宗教観
皇大神宮のアマテラスによる「神罰」
「祖宗と万姓に愧ぢる」
宮中祭祀は宗教でないが宗教性はある
明治神宮と靖国神社
キリスト教への改宗の可能性
「御寺では礼拝はせぬ」
第10章 空間認識
皇居は移転せず、御文庫をそのまま使う
皇居前広場を活用すべき
赤坂御用地と新宿御苑
那須御用邸・沼津御用邸・葉山御用邸
軽井沢と箱根
東京大学・京都大学・結核療養所
お召列車という空間
終 章 『拝謁記』から浮かび上がる天皇と宮中
天皇は何を信じていたのか
イデオロギーとしての「反共」
関連資料から浮かび上がる一九六〇年代の宮中
昭和天皇が残した「負の遺産」
あとがき
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- 『喧嘩の日本史』本郷和人(2026.06.06)
- 『風まかせ十二カ月 柳家三三の落語つれづれ』(2026.06.05)
- 『真説 豊臣兄弟とその一族』呉座勇一(2026.05.30)
- 『マンガ 清原達郎 わが投資術 3 市場は誰に微笑むか』(2026.05.28)
- 『歴史のなかの貨幣 銅銭がつないだ東アジア』黒田明伸(2026.05.27)











![日本放送協会,NHK出版: NHK 100分 de 名著 ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』『哲学探究』 2026年 4月 [雑誌] (NHKテキスト)](https://m.media-amazon.com/images/I/51LCw-1zUFL._SL75_.jpg)

































































![谷垣 禎一, [聞き手]水内 茂幸(産経新聞), [聞き手]豊田 真由美(産経新聞): 一片冰心 谷垣禎一回顧録 (扶桑社BOOKS)](https://m.media-amazon.com/images/I/510i31ZhD4L._SL75_.jpg)











![川手 圭一: 明解 歴史総合 [歴総 706]](https://m.media-amazon.com/images/I/51wJ+QAxpxL._SL75_.jpg)



































































![日本放送協会,NHK出版: NHK 100分 de 名著 アリストテレス『ニコマコス倫理学』 2022年 5月 [雑誌] (NHKテキスト)](https://m.media-amazon.com/images/I/51LBo-PwFzL._SL75_.jpg)





















































![日本放送協会,NHK出版: NHK 100分 de 名著 ブルデュー『ディスタンクシオン』 2020年 12月 [雑誌] (NHKテキスト)](https://m.media-amazon.com/images/I/51uDD+IfjML._SL75_.jpg)






































Comments