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February 26, 2026

『日本史のツボ』本郷和人

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『日本史のツボ』本郷和人、文春新書

 個人的に中世の権力については権門体制論よりも東国国家論の方がスッキリしていると感じていますので、本郷先生のご著書は大好きです。本書ではダイナミックなシステムの変化によって日本史を解き明かす7つのツボを紹介してくれています。

 天皇、土地、宗教、軍事、地域、女性、経済という七つの「ツボ」を押さえれば、日本の通史がつかめる、という内容で、権力の分割を縦糸に世襲が横糸になって織り上げられている感じがします。

 古代の大王は軍事、祭祀、裁判、行政など様々な権力を一手に集中していたので代替わりには血で血を洗う争いが繰り広げられていましたが、それが時代と共に貴族、武士などに権力が分けられていって、江戸期には最終的に文化的なものしか残らなかったという説明はクリアカットでわかりやすい。こうした過程でシステムを厳格に運用するのではなく、衝突を避ける日本的知恵による「ゆるさ」が遺憾なく発揮されていきます。

 大化の改新で押し進められた律令制は、実際、それによる統治が行われたというよりも、大陸からの外圧に対して国の結束を固めるためのヴィジョン、もしくは努力目標だった、という説明も納得的。

 本気で制度改革に取り組むのではなく、ヴィジョンや努力目標だったから、唐の脅威が薄れると、律令制度はなし崩しになっていきます。土地は天皇ひとりのものでなくなり、有力者はどんどん荘園を開拓するようになっていくわけですが、建前的には班田収授法が生きているため、せっかく開発した荘園が天皇に没収される危険も残るわけです。

 そうなったとき、在地領主(下司=げし)は中央の貴族や寺社などに領家として荘園を寄進し、年貢の何割かを与える契約で保護を求めるようになります。さらに上の皇族などにも本家として寄進されていき、下司職→領家職→本家職という「職の体系」が完成します。現代的な視点をもちだせば下司~領家~本家の三層構造は単なる「役割分担」ではなく「リスクヘッジのための契約」でした。

 摂関政治で、実質的な権力は藤原氏に移りましたが、「職の体系」の頂点に位置する天皇家には莫大な収入が集まっていたため、王家としての天皇家は政治権力こそ失っても経済力は保持していました。

 しかし、下司職、領家職、本家職が土地の権利を一部だけ持っているという状態は不安定で、それに輪をかけるように院政で上皇たちは貴族たちの土地を収奪し始めます。これは建前として残っていた土地は天皇のものという班田収授法が否定されたことになり、地方の在地領主たちは自力救済を目指すしかなくなり、武装して土地を守る武士の誕生につながります。つまり、院政によって「職の体系」の前提となる班田収授という律令制の前提が否定されたため、リスクヘッジが効かなくなり、農民たちは武装化による自力救済に走るしかなかった、と。

 こうして鎌倉幕府が東日本に成立するのですが、承久の乱による武士の勝利で「職の体系」はさらに弱体化し、土地本位システムの鎌倉幕府の優位が固まります。しかし、鎌倉幕府も中国から流入した銅銭の貨幣経済の浸透で基盤が緩み、蒙古襲来をきっかけに終焉を迎えます。

 また、日本では宗教人がそれほど尊敬を集めませんが、それは本来、厳しい修行が必要にもかかわらず、世襲化されていったことに関係している、というあたりも面白かったです。

 古代では神官よりも僧侶の方が、与えられる位が格段に高かく、江戸時代まで天皇や皇后の葬儀はずっと仏式で行われていました。それは、寺院が荘園の寄進先として有力となり、僧兵など武力も持つようになり、あり得ないことに地位も世襲化されていきました。

 本来は厳しい修行を求められたであろう武家の宗派である禅宗も変質していき、あちこちで修行するスタイルから、師匠から弟子へ教えを受け継がせる直系相続のスタイルに変化していきます。

 例えば紅葉やつつじで有名な京都の青蓮院門跡は、最澄が比叡山に開いた僧坊「青蓮坊」が起源です。しかし、鳥羽天皇の第七皇子が入寺して以降、荘園の寄進先となり代々皇族や五摂家出身の門主が住職を務める門跡寺院となりました。武家の世の中になって以降では、室町幕府第6代将軍・足利義教(1394-1441)が有名。義満の四男として生まれた義教は幼少期に入室、義円と名乗り天台座主に補せられましたが、1429年にくじ引きで5代義量の後継者として還俗・将軍に就任したのは有名です。

 本来は実力主義(修行)であるはずの宗教すら、日本では世襲という強力な横糸に絡め取られ、修行などは関係なくなっていったわけです。還俗して将軍になれるほど、当時の宗教界は世襲システムに組み込まれていたわけで、悟りよりも血筋が優先されるという、宗教の本質を覆すような徹底した世襲社会の姿がここにあるわけです。

 本書のユニークな点は、歴史学に人類学的な視点を持ち込んでいることで、本郷先生はエマニュエル・トッドの『家族システムの起源』を重視し、西日本が経済的に優位を保っていた理由のひとつにしています。トッドは従来の人類学的な常識を覆し、「人類の根源的な家族形態は核家族である」という仮説を提示しています。徳川幕府の治世がうまくいったのは列島を同質なものとしては認識せず、東日本で世襲の直系家族による土地所有を認める一方、「職の体系」が残っていた西日本では日本古来の双処的核家族が残っていたことも認めたからだ、と。それは西南雄藩などで商業資本の発達を促して明治維新にもつながった、と。

 東の直系家族と西の核家族という二重構造を認めた徳川の統治が、結果として明治維新のエネルギーを育んだという指摘は、単なる過去の話ではなく、今の列島の地域格差や多様性を考えるヒントになるかもしれません。

[目次]

「天下分け目の関ヶ原」は三度あった
律令制は「絵に描いた餅」
応仁の乱、本当の勝者は?
銭が滅ぼした鎌倉幕府
皇位継承 ヨコとタテの違い
川中島の戦い、真の勝者は武田信玄
貴族と武士の年収は一桁違う?

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