『明治キワモノ歌舞伎 五代目尾上菊五郎の時代』矢内賢二
『明治キワモノ歌舞伎 五代目尾上菊五郎の時代』矢内賢二、講談社学術文庫
年末に買っていて楽しみながら読み進めていた本。
五代目菊五郎は九代目市川團十郎、初代市川左團次とともに「團菊左時代」の時代を築いた、みたいなイメージしかなかったのですが、明治維新という大転換の中で、積極的に実社会のスキャンダルを芝居にするキワモノを上演し、「時代の最先端(スキャンダル、事件、テクノロジー)を貪欲に喰らい尽くそうとした、ハイパー・リアリズムの探求者」としての姿が描かれています。
さんざんいろんな事に挑戦したものの、九代目市川團十郎の活歴も堅苦しすぎて大衆からは敬遠されて大きな動きにはならず、五代目菊五郎も病を得てから古典に戻るというか、キワモノ系は川上音二郎の系譜に負け、歌舞伎界全体が所作事の伝承に戻らざるを得なくなった、みたいな大きな流れも描いてくれています。
白眉は「第二章 明治の闇には悪女がいる」でしょうか。ここで取り上げられている芝居の「高橋お伝」や「お粂」のエピソードは、当時の歌舞伎が現在の「ワイドショー」や「実録犯罪ドキュメンタリー」の役割を担っていたことを物語っています。
どちらもいまとなっては再演されていませんが『綴合於伝仮名書(とじあわせおでんのかなぶみ)』は多くの男関係を持ち、金銭目的で男性を殺害した高橋お伝が主人公。人気芸者のお粂が身請け先で居場所がなくなり、ついには発作的な殺人を犯してしまうのが『月梅薫朧夜(つきとうめかおるおぼろよ)』という作品。
由緒正しき首切り浅右衛門による最後の斬首となり、局部が切り取られて東大医学部に今でも保存されている『綴合於伝仮名書』は明治の「闇」があまりに濃密すぎて目がくらむほど。でも、内容的には他で紹介されているキワモノと比べればまだ再演可能かな、とも感じます。
本書でも描かれている通り、五代目菊五郎は研究心旺盛で、二章に取り上げられている悪女物では裁判も見物に行っていますし、三章で取り上げられる風船乗スペンサーを演じた『風船乗評判高閣』(ふうせんのりうわさのたかどの)ではもちろん実際に見物に行っただけでなく、劇中で喋る台詞のために慶応に英語を習いに行くなど本当に熱心。ここでは五代目の「新しもの好き」が極まった感があります。
『風船乗評判高閣』では浅草凌雲閣でなぜか圓朝とスペンサーによる風船乗と落下傘降下を見る場面を入れたりするのですが、実際、圓朝には劇中の幽霊の仕草を褒められたりしていまして、名人二人の関係性はどうなっていたんだろう、ともっと知りたくなりました(p.60)。
大衆の欲望に応える形で幽霊物、悪女の起こした殺人事件とその裁判、外国人による見世物と時代と寝てきた五代目菊五郎ですが、最大の見世物は戦争。
若い頃に経験した旧幕臣と官軍との上野戦争も二十三回忌追善興行と銘打って興行にかけてしまうのですが、さらに「外国との戦争は実際、どういうものなのか」「戦地はどうなっているのか」という時節柄の極北となる日清戦争の舞台化にかけては自由党烈士から寄席芸人になったという川上音二郎に負けてしまいます。
どんなに新しい事件を扱っても、歌舞伎の「様式(ドンパチや小芝居)」というフィルターを通すと、どうしても「古臭い見世物」になってしまいます。
こうした歌舞伎的手法で派手な場面を描いて小芝居で繋ぐというスタイルが、実際に現地を訪問してそれを語り、オッペケペー節で歌う川上音二郎にかなうはずもありません。
やがて年齢も重ね病を得た五代目は所作の記録に活路を見出し、六代目菊五郎を含む実子たちは九代目團十郎に育てられていくことになります。しかし、川上音二郎に情報の鮮度で敗れたことは、歌舞伎が「ニュース(実録)」という役割を捨て、「永遠の様式(古典)」へと純化する契機となったのかもしれません。
彼らが命を削って挑戦した「新しさ」の多くは時代の波に消え、皮肉にも彼らが遠回りして帰結した「型」や「所作」だけが、今の私たちに「伝統」として届いている、と。でも、やりきった末の敗北があったからこそ、五代目は「古典の伝承」へと回帰し、それが後の六代目菊五郎による「近代歌舞伎の完成」へと繋がっていったのでしょうし、この皮肉な歴史の連鎖は、一種の歌舞伎なのかもしれません。
五代目が求めた「生々しさ」は、六代目では「型の中に潜む真実」へと昇華し、現代歌舞伎の写実の基本となりました。六代目が『鏡獅子』などで見せたという汗の飛び散るような激しい躍動の中には、父が裁判所や風船乗りの現場で目撃した「むき出しの人間」への執着が、美しく結晶化して息づいているともいえます。六代目は『お祭り』などでも見せる激しい踊りの中に、父が求めたキワモノを踊りの躍動に込めました。六代目は、五代目菊五郎の『大衆性・泥臭さ』と、九代目團十郎の『品格・理論』を見事に融合させました。キワモノの時代を潜り抜けたからこそ、格調高い古典に血の通った命を吹き込むことができた、みたいな。
目次
はじめに―― 人悦ばせの菊五郎
第一章 散切り頭と神経病
どれが女か男やら『富士額男女繁山(ふじびたいつくばのしげやま)』
幽霊より人が怖い『木間星箱根鹿笛(このまのほしはこねのしかぶえ)』
第二章 明治の闇には悪女がいる
高橋お伝は妖怪か『綴合於伝仮名書(とじあわせおでんのかなぶみ)』
居場所のない女『月梅薫朧夜(つきとうめかおるおぼろよ)』
第三章 見世物は世界をひらく
サーカスがやってきた! 『鳴響茶利音曲馬(なりひびくちゃりねのきょくば)』
見上げる人たち『風船乗評判高閣(ふうせんのりうわさのたかどの)』
第四章 軍服を着た菊五郎
風呂屋の亭主と上野の宮様『皐月晴上野朝風(さつきばれうえののあさかぜ)』
日清戦争で負けたのは誰だったか『海陸連勝日章旗(かいりくれんしょうあさひのみはた)』
結び――たんすのひきだし
参考文献
あとがき
学術文庫版あとがき
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