暇と退屈の倫理学』國分功一郎
『暇と退屈の倫理学』國分功一郎、新潮文庫
ジムでエアロバイクを漕ぎながら聴いた本で、スピノザ、ルソー、ニーチェ、ハイデッガー、ユクスキュル、コジェーブらの考察を検討し「暇」と「退屈」の根源的意味を掘り下げています。
人類は約1万年前に、中緯度帯で遊動生活から定住生活に移ったのですが、定住革命は新たな権力をもたらすとともに、日々刻々と新しい環境に注意する必要がなくなったことで、慣れによる退屈を生み出したとします。人類は「定住革命」によって社会的には経済格差や大きな権力を発生させるとともに、個々には暇と退屈を生んだ、と。
近代では退屈な時間を何かに熱中・没頭することで、幸福に満たされようとするわけですが、実はこれには苦痛が伴う場合が多いとも指摘。これは慢性疼痛の患者に痛みを与えると、脳内では快感としてとらえられる、と増補版で補強されています。
第三章と第四章では消費と労働、そして疎外について考察し、第五章では、ハイデガーの『形而上学の根本諸概念』という講義録を元にした退屈論を丁寧に考察します。続くユクスキュルの「環世界」概念とハイデッガーの存在論的分析の批判はこの本の白眉でしょう。
ハイデガーは退屈を3つの形式に分けます。
退屈の第1形式は「何かに退屈させられること」。たとえば、列車を待っているけれどなかなか来ないから退屈することなどが1番目の退屈。
退屈の第2形式はパーティに出るなど気晴らしをも「退屈すること」。気晴らし逃げ込んでもなぜか退屈な気分に支配されることが2番目の退屈。
退屈の第3形式は「なんとなく退屈」という気分が湧き上がること。これといった理由もなくなんとなく退屈だというのが第3形式の退屈で、第1形式→第2形式→第3形式と進むにつれて、退屈が深まっていくとハイデガーは考えました。なぜなら、第3形式では一時的な気晴らしの可能性すらないから。
こうした退屈に対するハイデガーの対象方法は現存在として何かを決断し、何か内心に燃えるものを見つけることですが、國分功一郎さんはこれに対して、第2形式からの逃避として第1、第3を考えるのではなく、むしろ動物的に逃避したほうがいい、とします。
ここで重要になってくるのがユクスキュルの環世界概念。
ユクスキュルは普遍的な時間や空間などはなく、動物それぞれに独自の時間・空間として知覚される、と主張しました。地球上の生物は時間と空間を共有していると考えられるかもしれませんが、時間の流れ、空間さえも異なるものとしてとらえられている、と。人間は「限界」という丸い球体の中心から世界を眺めている限界球体的存在ですが、自らの世界認識を客観的・普遍的と誤解しているにすぎない、と。こうして第六章でユクスキュルの環世界の議論をしたあと、7章ではコジューブの言う「歴史の終わり」や「動物」としての人間論(『ヘーゲル読解入門』第2版の「日本化についての註」)を勘違いとして批判します。
コジェーヴはイエナの戦いで歴史は終わり、その後の戦争はフランスで実現された普遍的な革命的勢力の空間における拡張に過ぎないことと考え、哲学者であることを辞め外交官になります。彼はロシア革命、第一次世界大戦、第二次世界大戦も経験しますが、それはもう意味がないと考えたのです。さらにフォードをマルクス主義者とみなし、米国はマルクス主義の「共産主義」の最終段階に既に達しているとみて、ソ連や中共への旅行を通して、アメリカの生活様式は世界を覆うと確信しますが、それは動物性への回帰にすぎないとも考えていました。しかし、外交官として訪問した日本で、彼は「歴史の終わり」の後でも動物としてではなく、人間としての生活様式を発見します。日本では戦国時代を終わらせた徳川幕府は250年の平和を実現し、歴史を終わらせたとコジェーブは考えました。
《究極的にはどの日本人も原理的には、純粋なスノビスムにより、まったく「無償の」自殺を行うことができる(古典的な武士の刀は飛行機や魚雷に取り替えることができる)。この自殺は、社会的政治的な内容をもった「歴史的」価値に基づいて遂行される闘争の中で冒される生命の危険とは何の関係もない。最近日本と西洋世界との間に始まった相互交流は、結局、日本人を再び野蛮にするのではなく、(ロシア人をも含めた)西洋人を「日本化する」ことに帰着するであろう》(『ヘーゲル読解入門』アレクサンドル・コジェーヴ、上妻精・今野雅方訳、国文社、1987年 246-247頁)。
自由、平等など価値ある社会を実現するための現存在をかけて立ち上がることは、もう近代の欧米社会ではできなくなっていますが、同じような状態に陥った日本人は動物になることなく、スノビズムによって人間らしく生きようとした、と。
本書ではアレントによるマルクスの労働に関する悪質な読み替えを批判していますが、こうしたコジェーブの考え方についても観察が浅く、そもそも動物的で何が悪いのか、とまで論考を進めます。
本書ではノヴァーリスの「哲学とはほんらい郷愁であり、どこにいても家に居るように居たいと願うひとつの衝動である」を印象的に引用しますが、人間にとっての退屈を分析して深めたハイデガーは、人間にとっての「退屈」は分析したが、「愉しみ」や「郷愁」を理解していなかったのではないかと批判します。
賢い犬種でさえ盲導犬育成は困難だそうで、動物はそれぞれの環世界から移動することは非常に難しいのですが、人間は高い環世界移動能力を持っています。人間は動物のように、何か特定の対象に「とりさらわれ」続けることができないのです。逆に言えば人間は動物とは異なり1つの環世界にひたることができないために、退屈に悩まされてしまうのだ、と。ならば、動物のように「とりさらわれる」ことを楽しめば、退屈から解放されるのではないかに、というあたりが結論でしょうか。
[目次]
まえがき
序章 「好きなこと」とは何か?
第一章 暇と退屈の原理論 ウサギ狩りに行く人は本当は何が欲しいのか?
第二章 暇と退屈の系譜学 人間はいつから退屈しているのか?
第三章 暇と退屈の経済史 なぜ"ひまじん"が尊敬されてきたのか?
第四章 暇と退屈の疎外論 贅沢とは何か?
第五章 暇と退屈の哲学 そもそも退屈とは何か?
第六章 暇と退屈の人間学 トカゲの世界をのぞくことは可能か?
第七章 暇と退屈の倫理学 決断することは人間の証しか?
結論
あとがき
注
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- 『日本史の法則』本郷和人(2025.12.07)
- 『となりの史学 戦前の日本と世界』加藤陽子(2025.12.07)
- 『新しい階級社会』橋本健二(2025.12.01)
- 『渤海国の謎』上田雄(2025.12.01)
- 暇と退屈の倫理学』國分功一郎(2025.11.01)


















































![谷垣 禎一, [聞き手]水内 茂幸(産経新聞), [聞き手]豊田 真由美(産経新聞): 一片冰心 谷垣禎一回顧録 (扶桑社BOOKS)](https://m.media-amazon.com/images/I/510i31ZhD4L._SL75_.jpg)











![川手 圭一: 明解 歴史総合 [歴総 706]](https://m.media-amazon.com/images/I/51wJ+QAxpxL._SL75_.jpg)



































































![日本放送協会,NHK出版: NHK 100分 de 名著 アリストテレス『ニコマコス倫理学』 2022年 5月 [雑誌] (NHKテキスト)](https://m.media-amazon.com/images/I/51LBo-PwFzL._SL75_.jpg)





















































![日本放送協会,NHK出版: NHK 100分 de 名著 ブルデュー『ディスタンクシオン』 2020年 12月 [雑誌] (NHKテキスト)](https://m.media-amazon.com/images/I/51uDD+IfjML._SL75_.jpg)


































































Comments