『天才作戦家マンシュタイン「ドイツ国防軍最高の頭脳」 その限界』大木毅
『天才作戦家マンシュタイン「ドイツ国防軍最高の頭脳」 その限界』大木毅、角川新書
陸軍の強いドイツで、マンシュタインはロンメルと並んで旧軍の良心、救いのような扱いを受けます。それは島国日本の帝国海軍における山本五十六や山口多聞のような存在なのかな、と。しかも、第二次大戦後の旧ソ連の軍事力と対峙しなければならなかった旧西ドイツにとって、作戦の妙を以てすればソ連軍も撃退可能だというマンシュタインは希望の存在にさえなっていったという生涯を大木「独ソ戦」毅先生がまとめてくれたのがこの本。
マンシュタインはドイツ陸軍一家のサラブレッドのような生まれでしたが、初戦となった第一次大戦でも今日なお重要な戦術とみなされている「弾性防御」を編み出したロスベルクと邂逅するなど人脈的にもエリート街道を歩んでいき、別格扱いで「半神」とまで称された参謀将校への階段を昇っていきます。
ちなみに、この《ロスベルクは、前線指揮官が自主的に行動できるようにするため、極力広い権限を認めるべきだと訴えていた。その主張は、「遊動防御」の根本思想と通底していたし、ドイツ軍の伝統である権限の下方移譲により、指揮官に臨機応変の対応を許す方法、「委任戦術」(Auftragstaktik)の線に沿った議論といえる。なお、この「遊動防御」は、第一次世界大戦以降、各国陸軍の防御戦術のスタンダードとなり、現在では英語由来の「弾性防御」(elasticdefense)として知られている》(k.604)。
前線死守ではなく、必要とあれば一時退却、機動戦力で反撃して失地を取り戻すという戦いは、第二次世界大戦でマンシュタインが自在に使いこなす戦法となりますが、カイザーの命令さえも「将、外にあっては、君命も奉ぜざるあり」という孫子の一節を思わせる戦いぶりで一時はパリに迫る勢いを示したものの、やがて戦線は膠着し、本国で革命が生じ、帝政が倒れてドイツは敗北します。
《マンシュタインは、講和条約の調印を拒否して、交戦に踏み切るほうが、「長い眼でみれば、守れるはずもないヴェルサイユ講和条約の条件を突きつけられたがゆえに、ヒトラーと第二次世界大戦にみちびかれていった道よりもましだったのでは?」との、死児の齢を数えるがごとき反実仮想を『自伝』に記している》(k.757)そうです。
やがて混乱の中でヒトラーが政権を奪取し、総統となって軍人にも個人的な忠誠を求めるようになりますが、《かつての参謀総長は「帷幄上奏権」、国家元首に直接意見具申する権利を有しており、政治の責任者に対する軍事の筆頭アドバイザーであった。しかし、ドイツ帝国の崩壊とそれに続く共和国時代の組織・制度の変遷を経て、陸軍参謀総長は、元首たる総統アドルフ・ヒトラーに直属するのではなく、国防大臣(国防軍の最高司令官でもある)ならびに陸軍総司令官がそのあいだに介在するようになっていたのである》(k.1422)。こうしたことがヒトラーによるマイクロ・マネジントを招き、スターリングラード以降の敗戦を呼び込むわけです。
事態はポーランド侵攻=第二次大戦の勃発に向かっていきます。この過程で、ドイツ国防軍はもしイギリスが軍事的に介入してきた場合には、ヒトラーを逮捕し、権力の座から排するとしたクーデター計画を練るのですが、ヒトラーはソ連との不可侵条約締結という奇策でしのぎます。元々、ソ連との不可侵条約は《日本の外務省と海軍が締結に傾こうとしなかったからだ。業を煮やしたヒトラーは、宿敵であったはずのソ連と手を握り、日本の代わりに英仏牽制の役割を担わせようとした》(k.1968)という背景があったようです。
ドイツは連合軍の主力を包囲し、イギリス遠征軍もダンケルクに追いつめられたというのに、ヒトラーはドイツ装甲部隊に謎の停止を命じて大魚を逃すのですが、こうしたマイクロマネジメントがやがてヒトラー自身を追い詰めていきます。
ソ連に宣戦布告したヒトラーはモスクワ前面まで進みながら力尽き《厳冬(一九四一年から四二年にかけての冬は、観測史上稀な極寒であった)のなかに消耗していくのをみたスターリンは、全戦線にわたる大反攻を命じ》、ドイツ軍は敗北を重ねていきます。
いったんソ連軍の反撃をセヴァストポリの勝利によって覆したマンシュタインは、包囲下にあるレニングラードの攻略に向かいますが、包囲を破ることはできず、ドイツの第六軍は降伏。この敗北によって、ドイツ軍は戦略的な意義を持つ攻勢を実行する能力を失い、マンシュタインは「引き分け」のかたちで戦争終結に持ち込むことを構想していきます。しかし、ヒトラーによるスターリングラード死守命令のような硬直的な指揮はドイツ軍を加速度的な敗北に追い込んでいきます。
ソ連軍の反抗は《攻勢の主役となっていたのは、ニコライ・F・ヴァトゥーチン大将率いる南西正面軍であったが、彼は、前面のドイツ軍がきわめて弱体化していることを察し、ドン軍集団の後背部、マリウポリめざして突進すべきだと考えた。かかる機動は、ドンバス地域にある敵の退路を遮断し、南部ロシアにおける抵抗を不可能とするであろう》(k.3403)とか《一月二〇日、赤軍大本営は「疾走」作戦を承認した。二九日に攻勢は発動され、南西正面軍の快速部隊は、作戦発動から七日でマリウポリに到達、また、ザポロジェ(ザポリージャ)とドニエプロペトロフスク(ドニプロ)付近のドニエプル川渡河点を押さえた》(k.3411)など、現在のプーチンによるウクライナ侵攻の激戦地をめぐるものでした。
ここでもいったんマンシュタインは奇跡的な指揮で一九四二年の「青」作戦開始時に保持していた地域をほぼ回復したのですが、戦術次元のことにまで介入したがるヒトラーのマイクロ・マネジメントの弊害はさらにひどくなり、やがてドイツ軍は物量に押されていきます。ソ連軍将兵の損害は50万人に及びましたが、そこからも回復可能であったのに対し、ドイツ軍は攻勢に対応するポテンシャルを失っていました。
そしてドニエプル川を防御線として戦うことを目指したマンシュタインの作戦はヒトラーからの「ドニエプル湾曲部やニコポリの放棄は戦争遂行上許されない」という命令によって台無しになってしまいます。
戦後は一時、逮捕、拘留されますが、イギリス人の中からも支持者が現れ、やがて冷戦の緊迫化とともにマンシュタインは再評価されていきますが、これから以降はどうぞ本書をお読みください。
【目次】
序章 裁かれた元帥
第一章 マンシュタイン像の変遷 テーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼ
第二章 サラブレッド
第三章 第一次世界大戦から国防軍編入まで
第四章 ライヒスヴェーア時代
第五章 ヒトラー独裁下の参謀将校
第六章 作戦課長から参謀次長へ
第七章 立ちこめる戦雲
第八章 「白号」作戦の光と影
第九章 作戦次元で戦略的不利を相殺する
第一〇章 作戦次元の手腕 軍団長時代
第一一章 大要塞に挑む
第一二章 敗中勝機を識る
第一三章 「城塞」成らず
第一四章 南方軍集団の落日
第一五章 残光
終章 天才作戦家の限界
あとがき
主要参考文献
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