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September 14, 2025

『新説家康と三方原合戦生涯唯一の大敗を読み解く』平山優

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『新説家康と三方原合戦生涯唯一の大敗を読み解く』平山優、NHK出版新書

 三方原合戦は神君・家康にとって生涯唯一の大敗で、しかも相手が信玄ということで、これまでも歴史書だけでなく、小説やドラマでも多く取り上げられてきました。三方原合戦における織田・徳川方の敗戦は、将軍足利義昭が信長と手を切り、武田・本願寺・朝倉らの反信長連合と結ぶ動きを誘発するなど当時の政局に大きな影響を及ぼし、結果、この選択によって足利幕府は消滅し、織豊政権から徳川幕藩体制に向かう大きなターニングポイントともなりました。

 これまでは、なぜ家康が浜松城を素通りしていく信玄軍に多勢に無勢で決戦を挑んだのか、そして信玄がなぜ完全勝利に近い勝ち戦に持ち込めたのかというふたつの問題意識で描かれていたと思いますが、平山優先生は本で、信玄がなぜ浜松城を素通りしていったのか、そして家康がなぜ決戦を挑まなければならなかったのかという理由を新説として提示しています。

 合戦の前提となる家康の自立、甲三同盟と今川氏滅亡からの家康と信玄の訣別までの流れは読んでいただくとして、本書が強調しているのはロジスティクスの重要性。

 家康は今川氏真から奪った遠州経営のため、三河から東進し、浜松より東側に居城を建築しようとしました。その見付城(城之崎城)はほぼ完成に近いところまでいったにもかかわらず、結局、西側の浜松に退いて拠点を構えます。それは《背後に天竜川(大天竜、小天竜)を控えた地形が問題となったと考えられる。もし、天竜川の増水時に、武田氏に攻められたら、織田氏の救援もままならず、徳川は攻め滅ぼされる可能性が高かったから》(k.1047)なのですが、実は浜松城もこうした弱点を抱えていました。

《浜松もまた、脆弱な陸路(東海道は今切で寸断されているし、本坂道や鳳来寺道は山道なのでどこかを封じられれば使用不能となりやすい)と、不安定な浜名湖水運(天候に左右されやすく、どこかを封鎖されれば使用不能となりやすい)に命運を預ける格好となっていたのである。この二つを念頭に置きながら、武田信玄の侵略を読み解くことで、三方原合戦の実態がみえてくると思われる》(k.1154)、というのが平山先生の新説の前提。

 ちなみに、東海道はかつて現在の今切口でつながっていたのですが、室町時代の明応7年8月25日(1498年9月11日)の明応地震(南海トラフ巨大地震)による津波で崩落してしまっていました。

 こうした弱点を見抜いていた信玄は浜松城を素通りして浜名湖に突き出る半島にある堀江城を攻める構えを見せます。《堀江城と城主大澤基胤の支配領域(庄内半島)は、浜名湖水運を掌握する要所であった。もし堀江城が攻略され、庄内半島が武田方の手に落ちれば、浜名湖水運の主導権は、武田方に奪われてしまうことになる》(k.1409)ことに気づいた家康は決戦を挑むしかなかった、と。

 従来の説では上洛戦の前に浜松城を落城させるには時間と労力が惜しいと考え、三方原で追ってくる徳川勢を迎え撃つ想定だった、という認識でしたが、本書では、信玄は浜名湖水運を手中に収める事で浜松城の補給路を絶ち、戦国大名となった家康を消滅させるために堀江城に狙いをつけ、それを阻止するべく出撃してきた家康勢を平地で迎え撃った、と読み解きます。

 《堀江城と庄内半島を掌握してしまえば、対岸の宇津山城を確保できなくとも、浜名湖水運の主導権は奪取できる。これは同時に、東海道(今切の渡)をも封鎖することが可能となるのだ。浜名湖水運が武田方のものになれば、今切の渡を利用して物資を浜松に送ることは不可能となる》(k.1420)わけですから。

 さらに、駿河湾を抑える高天神城を落としたことで、武田海賊衆(武田水軍)が渥美半島に進出し、放火するなど織田、徳川の連携は危うくなっていきます。《高天神城の城下には、遠州灘から入り込んだ「菊川入江」が存在し、ここには今川時代以来の浜野浦があった。つまり、高天神城は、「海の城」という性格も併せ持っていたわけだ(土屋比都司・二〇〇九年、平山・二〇一七年)》(k.1441)ということで、いつかこうした目で高天神城を眺めてみたいと思います。

 結果、家康軍は大敗を喫しますが、合戦が夕刻から始まり、夜に敗戦が決定的となったことで、土地勘があった徳川軍は重臣の多くが浜松城に戻れたことは幸運でした。

 最後の《史料渉猟のさなか、堀江城主大澤基胤が「味方原を封鎖してしまえば、懸川に在陣する敵軍(徳川軍)は難儀することだろう」と自身の言葉でずばり明言している書状を読んだときの衝撃と感動は、忘れられない》(k.2216)というところは印象的でした。

[目次]
第1章 家康の自立と武田信玄
第2章 甲三同盟と今川氏滅亡
第3章 家康、信玄の訣別
第4章 開戦
第5章 浜松城と徳川家康
第6章 武田軍の動向と徳川家康の決断
第7章 三方原合戦
第8章 不可解な信玄の動き

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