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August 15, 2024

『吾妻鏡 鎌倉幕府「正史」の虚実』薮本勝治

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『吾妻鏡 鎌倉幕府「正史」の虚実』薮本勝治、中公新書

著者が高校教師、しかも国語を教えているということに驚きました。


しかし、だからこそ、日本中世史研究から自由な立場を維持でき、原始『平家物語』などの資料の想定から、『吾妻鏡』は編年体という正史的な装いの中で軍記物的叙述を加えることによって、頼朝〜泰時〜時頼という正当性を印象付けた物語なのだという主張は本当に目からウロコ。

『吾妻鏡』と『平家物語』は類書にない共通の虚構や構造を持ち(以仁王の令旨など)、独特の表現も共有しており、成立年代から考えて、『吾妻鏡』は原始『平家物語』を底本にして書かれている可能性がある、と。

これって新約聖書のうちマタイとルカがQ資料とマルコを元に書いたという説に並行しているというか、こういう編集史的な視点は今後の資料批判で、どんどん進めてもらいたいと思うんですが、どうなんでしょうかね。

北条時政を平直方の子孫とする『吾妻鏡』は、頼義が平直方の婿となって嫡子義家をもうけたことと、その子孫である頼朝が、直方の子孫である時政の娘婿となったことを言挙げするための虚構だ、という指摘もうなりました。

それは流浪の貴種を助ける、縁のある豪族の助力という物語の構造を借りたものであり、例えば『源氏物語』だと、桐壺更衣の従兄弟である明石入道に光源氏が須磨で助けられたようなもの、というあたりはさすが国文学の研究者の指摘だな、と。

 和田合戦の記事は《『明月記』の語句をこま切れに分断して、時系列順に並べ替え、叙述の枠としているのである。なお、『明月記』では『文選』(詩文集)や『史記』の文言を引用して戦況を叙述しているが、『吾妻鏡』は対句を分割したり、字義を誤って意味の異なる文脈にあてはめたりと、『明月記』の記述をよく理解できないまま使用していることまでわかっている(高橋典幸「『吾妻鏡』の『明月記』利用)。》(p.150-)というのは面白かった。定家が『文選』のどこらあたりを引用しているのか分からないのですが、歴史を元にした詩歌なんかは岩波文庫の五巻本を読んだだけですが本当に難しかったもんな…定家より教養が劣るであろう『吾妻鏡』の編者たちが間違うのも無理はないかも。

 さらに和田合戦は《儀式や祭事を中心に司る将軍と、御家人たちの統率者である執権という、分掌体制を確立させた契機として叙述されている》というあたりも、なるほどな、と(p.161)。

 また、霜月騒動の本質は蒙古襲来で失った求心力を《将軍の下に非御家人をも御家人化して全国を統率しようとする路線(将軍権力派)と、得宗と御家人が中心となって従来の御家人層を統率しようとする路線(得宗権力派)の対立である(本郷恵子『京・鎌倉 ふたつの王権』)》というのも蒙を啓かれました(p.181)。

 承久の乱については、貴族の日記などが、処罰されることを恐れて廃棄されているため、『吾妻鏡』ぐらいしか残っていないことが、より正史的な扱いになっているんでしょうが、その叙述は《夢告、神助、落雷など、奥州合戦のそれと重なる要素が多い》というのもなるほどな、と(p.213)。

 このほか、伊賀氏事件は後家である伊賀の方こそが後継者を指名する立場にあり政子の介入の方が問題だ、という指摘や(p.222)、後鳥羽院の挙兵目的は幕府上層を北条氏から三浦氏にすげかえることにあった(p.232)、四条天皇の死を聞いた泰時は安達義景に、もし京都について順徳院の息子が即位していたら「おろしまいらすべし」と命じていた(p.253)あたりも面白かった。

 角川ソフィア文庫のビギナーズクラシック版の『吾妻鏡』も読んでみようかな…。

 以下は終章の最後のまとめの部分です。

《『吾妻鏡』はその編年体の配列の上に、幕政史上重要ないくつかの合戦を軍記物語的手法を 用いて叙述することによって、幕府統治者の正当性を保証するための歴史像を構築すること に成功した稀有の歴史書である。その編纂作業は、幕府を構成する御家人たちの功績をちり ばめることで、各家のアイデンティティを言語によって創出してゆくという、ダイナミックな営為が展開される現場でもあった。
だが、それぞれの立場の利害調整という現実的なしがらみによってその契機を喪失したとき、出来事を意味づけるべく横溢していた言葉の力は失われ、『吾妻鏡』は単線的に支配者 の絶対性を語る規範の書へと姿を変えていった。事象の解釈や価値判断が積極的になされな くなれば、歴史叙述は出来事の羅列となり、焦点の定まらない過去は像を結ばず、歴史は立 体感ある眺望を持ち得なくなる。かくして、虚構に彩られた鎌倉幕府の正史は精彩を失い、やがて散逸し、約三百年後に再び関東で幕府を開く徳川家康により収集されて新たな解釈を付与されるまで、時を待つこととなったのである。》
p.270

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