『源氏物語論』吉本隆明
『源氏物語論』吉本隆明、ちくま学芸文庫
大学生の頃に出た『源氏物語論』は、当時、吉本さんには別なものを求めていたので、文字通りざっとしか読んでいませんでした。吉本源氏に対してアカデミックな立場から行われた批評に対してこっぴどく反論した評論の方が印象に残っていますが、それでも、自分の源氏物語に対する基本的な見方は吉本源氏なんだろうな、と思って改めて文庫版を読み返してみました(文庫版はちくま学芸文庫が創刊された時に、吉本さんの源氏がラインナップされたので、記念に求めました)。
ぼくが吉本源氏が凄いと感じたのは「第IV部環界論」の物の怪についての部分です(p.187)。
《葵の上が産褥の床で物の怪に憑かれて、容貌から口調まで六条御息所に変貌して、あらぬことを愁訴している丁度そのとき、六条御息所じしんは思いつめて心神が喪失した状態で魂が身体から離れてゆくのを体験している。そして葵の上が、修法によって物の怪から離れて静かになったとき、六条の御息所は、じぶんは六条の住いにいただけなのに、衣裳には、修法のさいに護摩のため焚かれる火にくべられた芥子の香りが滲みこんでいてなかなかにとれないと感ずる。
『源氏物語』の作者は、ここでも物の怪を送りやる側の離魂状態の心神喪失と、物の怪にのり憑られる側の変貌した状態が〈同時性〉の関係にあることをはっきりととらえた。そしてこの物の怪の名をになっている側の心神喪失の状態と、そこに憑かれた側の変貌とが〈同時〉におこる描写は、怨念を送るものの魂が身体から離れて、怨念を受けとる側に入り込むのが、物の怪の背後でおこったことだという洞察をあたえた。これはわたしのせまい知見では『源氏物語』の作者がはじめてあたえたものだった。》
これは、源氏物語の「昼」の部分を統御しているのが藤壺であるとすれば、「夜」は六条御息所の物の怪である、という「夜」の部分を展開したものですが(p.185)、「昼」の部分についても《『源氏物語』の作品世界を霞のようにおおった幼児的な心性の雰囲気と、そのためにかもされる主人公たちの近親相姦的な願望を、世界が敏感で高度なのにかかわらず、密封されているところからきている》(p.171)というあたりは凄いな、と。
薫中将はあらかじめ欲動もてない存在として描かれたのは、胎児のときに柏木との密通で生まれたということで、厭わし子として母の女三宮からうとまれたからだというのはなるほど、と。家柄、姿は格別なものの、徹底的に愛から遠く生まれた存在だから、紫式部は薫に仏教的な芳香を放つ身体を与え『法華経』の「薬王品」の護持者であることを象徴させたというあたりもなるほどな、と(p.100)。
八の宮の一周忌の黒染の喪着をつけたと心に黒染の衣をつけた薫が月を眺める場面は宇治十帖の世界で最も優れていると書いてある「総角」は読んでみようかな、と。でも、そうした欲動がないことが大姫を衰弱させ、浮舟を自殺に追い込むというあたりの読み込みも素晴らしいな、と。浮舟は死んだ大姫の代わりの人形であり、それは雛を川に流すことで罪が浄化されるという伝承に根ざしている、と。
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