『言語ゲームの練習問題』
『言語ゲームの練習問題』橋爪大三郎、講談社現代新書
世界は要素的な出来事からなる内部構造を持ち、言語は要素命題からなる内部構造を持っていて、その構造が写像関係になっており、それが論理だ、と論証しようとした『論理哲学論考』の
6.53
6.54
のような叙述スタイルを用いて、ヴィトゲンシュタインが言語は論理的に基礎づけることはできないと放棄し、『論考』の代わりに考えついた言語ゲームを説明してくれるのが本書。
ヴィトゲンシュタインの師であるラッセルは論理学によって数学を基礎づけることに関心があったんですが、ヴィトゲンシュタインは論理学を考える道具とみなし、言語を基礎づけようとしました。『はじめての言語ゲーム』橋爪大三郎によれば、「このバラは赤い」は要素命題であり、バラに対応するモノがあり、「このバラは赤い」に対応する出来事があるから、言葉は意味を持つというのが『論考』の考え方だと説明していました。言語も世界も分析可能であり、分解していけば要素に行き着く、と。世界と言語とは互いに写像関係にあり、一対一で対応しているので、こうしたやり方以外での言語の使用を禁じるという意味が『論考』の「7 語りえぬことについては、沈黙しなければならない」の意味ではないか、と。
しかし、こうした一対一の対応は科学の世界では成り立つが、社会では成り立たないということがわかって、言葉が意味を持つのは、ヒトがなんとなる分かったふりをする言語ゲームだというのが後期のヴィトゲンシュタイン。
この『言語ゲームの練習問題』では、例えば、死の問題で言語ゲームを説明します。
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定理 2・5 あなた(だけ) が死ぬのだと、あなたが知っているのであれば、あなたが死んだあとにも、世界は存在することをあなたは知っている。
この確信は、経験によるのではない。
この確信は、社会の前提である。ならば社会は、すみずみまで経験的に明らかにし、語り尽くすことができない。
言い換えれば、社会は、自然科学の枠に収まらないのである。(k.293)
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《社会は、自然科学の枠に収まらないのである》というパンチラインが効いてます。
そして、以下のような晴れやかな結論が導かれます。
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人びとは、人類の一員として生きている。
それは、言葉を用いて、意味をやりとりし、価値を紡ぎだすことである。
このことは、経験的な検証の原理を、はみ出している。
世界はこのような、言語を交わす人びとの交流の場である。(k.309)
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そして《人びとが社会を営むそのやり方が、言語ゲームである》(k.391)、と。
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