『第三次世界大戦はもう始まっている』エマニュエル・トッド
『第三次世界大戦はもう始まっている』エマニュエル・トッド、文春新書
今年の最大の出来事は日本では安倍元首相の銃撃でしょうし、世界ではロシアのウクライナ侵攻でしょう。こうした大きな出来事は多面的な見方が必要で、戦争問題については、『湾岸戦争は起こらなかった (la guerre du Golfe n'a pas eu lieu)』(1991年)みたいに、フランス人哲学者はいつも「別な視点」を提供してくれます。
大きな戦争が起きるとフランス人の人文系の学者さんが極端なことを言って物議をかもす、というのは三題噺みたいな感じになっていて、それはそれでなかなか重要な社会的役割だと思っています。
当時、ボードリヤールは「湾岸戦争は起こらないだろう」という予言で敗北をして大ハジをかいてしまいました。しかし、そこからがボードリアールの腕のみせどころで、ボードリヤールはテレビで湾岸戦争をみている人々にこうささやきかけはじめたのです「これは本当に戦争かい?」。永遠の予告編のような、テレビ画面。それはリアリティに近づくことは情報よりはイマジネーションが必要になるかもしれない世界をあらわしている、みたいな。それは現実の反映は現実の隠蔽を生み、それが現実の不在にもつながるみたいな消費世界とパラレルになっていて、「実験動物のように何の反応も示させない敵を、電気処刑し、麻痺させ、ロボトミーを施すウルトラモダンなプロセス」は「そんなものは戦争じゃない」(p.93)とまで書いています。そして米軍までもがボードリヤール的な発想を借りたかどうかはわかりませんが、湾岸戦争を "Hyperwar" と呼ぶことになってしまったことは、情報というのは消費される対象を選べないんだな、と思いましたが「残っているのはスペクタクルへの意思だけである」とかいう言葉は印象的でした。
湾岸戦争はあっという間に集結してしまったので、確かに「はたしてこの戦争は起きているのか」と不思議な気持ちになってきたことも思い出しますが、とにかく、ロシアは悪という一面的な見方だけが正しいのか、という視点をもつことは重要だったな、と。
とはいっても、この『第三次世界大戦はもう始まっている』は、戦争を仕掛けたのはプーチンでなく米国とNATOであり、クリミアとドンバス地方を守ることは旧ソ連からの民族自決主義の原則からも論理的には正しいし、米英の方が予測不能なことを世界ではやっているみたいなトッドの言い分はいろんなところで読めるので、それほど目新しいものではありません。
それよりも、人口学者としての専門家からみた「共同体家族のロシアと核家族のウクライナは相容れない」みたいなところの方が面白かった。ロシアの家族システムは共産主義と親和性の高い結婚したら父親と息子家族が同居する共同体家族でウクライナの家族システムは結婚したら子供は親と同居しない自由主義的な西欧と同じ核家族だ、みたいなあたり。そしてウクライナはかつてはポーランド領で最もヨーロッパ的だけど地位の低いリビウ、中心であるキエフ、ロシア人の多いドンバス地方と3つに分けられるみたいなあたりも。
米国は思っているほど強い国でもない、みたいなところでは訴訟費用のGDPに占める割合が高すぎて、それは生産性とは関係ない、みたいなところも面白かった。*1
また、バルト三国は1917年の選挙でボルシェビキに対する得票が非常に高く、その後のソ連の秘密警察づくりにも大きく関与するなどしたため、ロシアに対してはアンビバレンツな国民感情を持っているとか、ポーランドはやたらとロシアに対して自殺行為のような戦争を仕掛けるので、戦争の展開によってはウクライナのリビウを占領したり、ロシアに攻撃したりするような不安があるかも、というあたりも新鮮でした。
そしてロシア経済は高度な教育をベースにしてソフト、ハードとも意外と強く強靱だ、みたいな指摘もなるほどな、と。
目次が充実というか詳細なので、それだけみても、内容はかなりわかりそうです。
1 第三次世界大戦はもう始まっている
"冷酷な歴史家"として
「戦争の責任は米国とNATOにある」
ウクライナはNATOの 〝事実上〟の加盟国だった
ミュンヘン会談よりキューバ危機
「NATOは東方に拡大しない」という約束
ウクライナを「武装化」した米国と英国
ウクライナ軍が抵抗するほど戦争は激化
「手遅れになる前にウクライナ軍を破壊する」が目的だった
米国にとっても「死活問題」に
我々はすでに第三次世界大戦に突入した
「二〇世紀最大の地政学的大惨事」
冷戦後の米露関係
戦争前の各国の思惑
超大国は一つだけより二つ以上ある方がいい
起きてしまった事態に皆が驚いた
米国の誤算
ロシアにとっても予想外
共同体家族のロシアと核家族のウクライナ
「国家」として存在していなかったウクライナ
「親EU派」とは「ネオナチ」
ネオナチと手を組んだヨーロッパ
家族構造とイデオロギーの一致
共産主義を生んだロシアの家族構造
家族構造の違いから生じたホロドモールの惨劇
ボリシェヴィズムが初期から定着したラトビアの家族構造
「ヨーロッパ最後の独裁者」を擁するベラルーシの家族構造
「近代化の波」は常にロシアからやって来た
国家建設に成功したロシアと失敗したウクライナ
プーチンの誤算
ロシアはすでに実質的に勝利している
西欧の誤算
欺瞞に満ちた西欧の〝道徳的態度〟
オリガルヒへの制裁は無意味
「ロシア恐怖症」
「消耗戦」が始まる
暴力の連鎖
中国はロシアを支援する
米国と西側の経済は耐えられるのか
経済の真の実力はGDPでは測れない
ウクライナ相手に貿易赤字だった米国
経済における「バーチャル」と「リアル」の戦い
対露制裁で欧州は犠牲者に
米国の戦略目標に二重に合致したウクライナ
NATOと日米安保の目的は日独の封じ込め
現実から乖離したゼレンスキー演説
エストニアとラトビアという例外
予測可能な国と予測不能な国
ポーランドの動きに注意せよ
最も予測不能な米国
「ネオコン一家」ケーガン一族
世界を“戦場”に変える米国
米国の危うさ”は日本にとって最大のリスク
核を持つとは国家として自律すること
「核共有」も「核の傘」も幻想にすぎない
米国に対する怒り
西洋は「世界」の一部でしかない
長期的に見て国益はどこにあるか
4「ウクライナ戦争」の人類学
第二次世界大戦より第一次世界大戦に似ている
軍事面での予想外の事態
経済面での予想外の事態
正しかったミアシャイマーの指摘
ミアシャイマーへの反論
米国は戦争にさらにコミットする
時代遅れの「戦車」と「空母」
米国の戦略家の"夢"を実現
ポーランドの存在感
真のNATO"に独仏は入っていない
ウクライナの分割
この戦争の〝非道徳的な側面"
ウクライナ西部のポーランド編入
ウクライナ侵攻に対する各国の反応
家族構造における父権性の強度
人類学から見た世界の安定性"
「民主主義陣営vs専制主義陣営」という分類は無意味
露中の「権威的民主主義」
ロシアと中国の違い
ロシアの女性とキリスト教
現在の英米は「自由民主主義」とは呼べない
「リベラル寡頭制陣営vs権威的民主主義陣営」
日本・北欧・ドイツ
リベラル寡頭制陣営の「民族主義的な傾向」
権威的民主主義陣営の「生産力」に依存
「高度な軍事技術」よりも「兵器の生産力」
米露の生産力
ヨーロッパ経済はインフレに耐えられるか
真の経済力は「エンジニア」で測られる
本来、この戦争は簡単に避けられた
西洋社会が虚無から抜け出すための戦争
第一次世界大戦は中産階級の集団的狂気
英国は病んでいる
「地政=精神分析学」が必要だ
なぜ中国よりもロシアが憎悪の対象になったのか
「反露感情」で経済的に自殺するドイツ?
現時点では一歩引いた方がいい
マリウポリから脱出したフランス人の証言
「ウクライナに兵器を送るべきだ」の冷酷さ
米国が”参戦国” として前面に
"軍事支援" でウクライナを破壊している米国
..................
*1
米国商工会議所(ILR)によると2016年現在で、米国の訴訟費用は国内の総生産の2.3%を占めます。
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