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September 18, 2022

『歴史学のトリセツ』小田中直樹、ちくまプリマー新書

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『歴史学のトリセツ』小田中直樹、ちくまプリマー新書

今年の後半の読書は高校で必修科目となった「歴史総合」について意識的に読んでいこうと思っていまして、山川の教科書も3冊揃え、岩波新書の「シリーズ歴史総合を学ぶ」も読み進めているんですが、山川歴史総合の『現代の歴史総合』も書かれている小田中直樹先生の『歴史学のトリセツ』も読んでみました。

素人考えでは、近現代史を日本史、世界史というこれまでの区切りではなく、総合的にみていこうという流れは、世界システム論が定説化されて、近現代以降はナショナルヒストリーではなく「世界まるごと」で考えるものになってきたんだろうな、と漠然と考えていたのですが、『歴史学のトリセツ』ではランケ以来の近代歴史学史をわかりやすく解説してくれることで、今現在の歴史学の立ち位置をより深く理解することができました。

『世界』2022年9月号でも「歴史学(者)の役割とはなにか」という小論でも小田中先生は歴史学を学問たらしめている実証主義(同時に記憶の排除)、公文書至上主義(それはナショナル・ヒストリーに)、資料批判(欠如モデルにつながる)と史学の特徴と限界をまとめておられますが、こうした大きな見取り図を示してくれることが歴史に興味のある非専門家にとってどれだけありがたいことか。

学説史をまとめてもらうと、その分野の学問領域がおおまかに捉えられやすくなると思うのですが、『歴史学のトリセツ』は小田中先生自身がつぶやいておらるように「ランケ以来の史学史を追うなかで現在の歴史学の特徴と限界を考える一冊」となっていると思います。

二章ではその《ランケのスタンスを一言で表現する言葉があります。「それは実際いかなるものだったか」(wie es eigentlich gewesen)》。そして実証主義は今日に至るまで、歴史学の主流をなしています、と説明(p.45)。そして、出発点となる資料は口述より文書、私文書より公文書が重視されるようになり、公文書を作成するのはたいてい国家であるために、公文書至上主義はナショナル・ヒストリーにつながっていく、というあたりは、歴史学では常識なのかもしれませんが、うなりました (p.49)。

これによって《資料という研究対象をもらい、資料収集、資料批判、事実記述という研究手続きを踏むという学問領域》が成立し、歴史学は科学となった、と(p.54)。さらには《弟子など複数の歴史学者が特定のテーマや資料について議論しあうゼミナール(演習)という教育方式を導入》したというんですからランケは大したもんです (p.57)。こんなに偉い方とはまったく知りませんでしたwそして東京帝国大学の史学科の初代教員として招かれたのがランケの弟子、ルードヴィヒ・リースといので、ランケ~東大~史学会という流れが確定、と(p.60)。

さらに付け加えれば、戦前の東大の研究者は国定教科書の編纂に携わっていて、戦後も東大史学会が編集していた「史学雑誌」を支援してもらった経緯もあって「山川の教科書は東大の先生方が執筆」(野沢伸平山川出版社社長、日経2019年3月6日「歴史書ひと筋70年(3)」から)するとようになった、というさらなる流れも出来たんだな、と(ちなみに高校の教科書は学校ごとの採択なので、大手出版社が得意の小中学校向けの教員向け広域接待が非効率なため、山川の独壇場になっているらしいですw)。

三章は、単なる歴史愛好家の本好きにとっては、かえって馴染みのあるアナール派、労働史学、世界システム論などの流れの解説。イギリスなどでの《福祉国家の成立は、歴史学の領域では、民衆に対する関心が高まるという現象をもたらしました》として、労働者など民衆の生活や意識などが歴史学の重要な研究対象になっていった背景をスッキリ説明してくれています (p.71)。

四章は「ソシュール、登場」以降の言語的転向と歴史学についてのおさらい。個人的にはそれが社会的、言語的につくられているジェンダーという概念で性差を研究することにもつながっているのか、と蒙を啓かれました (p.103)。また、遅塚忠躬先生の本は大好きですが(とは言っても3冊しか読んでませんけど)、真実(トゥルース)と事実(ファクト)は違っており、歴史学者は真実にたどり着けないかもしれないけど、「まあだいたいこんなものだろう」という多くの学者が認めるコンセンサスは事実として確定されるだろうという見方を示していたというのは知りませんでした。コンセンサスが変化すれば事実は変わるが、それは歴史学の進化であるという遅塚忠躬先生は偉いもんですね(p.107-)。

あと、昔、友人に勧められて読んだ『ラディカル・オーラル・ヒストリー』の保苅実さんのことも思い出しました(p.130)*1。

ということでいつもの小田中先生の本のように読みやすく、もっと深く知りたいという方への案内もある、実に素晴らしい本なので、ぜひ。

【目次】
第1章 高等学校教科書を読んでみる
原因は高等学校歴史教科書か?/ナショナル・ヒストリーではみえないもの/欠如モデルの問題点/記憶が排除される背景/つまらないのにも理由がある

第2章 「歴史を学ぶ」とはどういうことか
歴史学の父といえば?/実証主義と「記憶の排除」/公文書至上主義とナショナル・ヒストリー/資料批判と欠如モデル/科学としての歴史学の功罪/ランケ以後の歴史学

第3章 歴史のかたちはひとつだけじゃない
科学としての歴史学は良いとして/アナール学派の成立 フランス/労働史学の誕生 イギリス/世界システム論 アメリカ合衆国/「マルクスとヴェーバー」から 日本・その1/「下からの歴史」としての社会史学へ 日本・その2/モダニズムがもたらしたもの/歴史学に対するポスト・モダニズムの影響とは?

第4章 歴史の危機とその可能性
言葉とモノ/ソシュール、登場/言語論的転回と歴史学/歴史学者たちの対応・その1 受容/歴史学者たちの対応・その2 批判的考察/歴史学者たちの対応・その3 無視/ポスト・コロニアリズムも忘れてはいけない/ポスト・コロニアリズムは、守備範囲を広げてゆく

第5章 世界がかわれば歴史もかわる
時代の節目、一九八九年/理論から実践へ/記憶研究(メモリー・スタディーズ)と個人的記憶/記憶研究と集合的記憶/ナショナル・ヒストリーとナショナリズム/グローバル化とグローバル・ヒストリー/一般のひとの位置と役割とは/コミュニカティヴな実践としてのパブリック・ヒストリー

*1
http://pata.air-nifty.com/pata/2004/12/post_8.html

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