『上を向いてアルコール』小田嶋隆
『上を向いてアルコール 「元アル中」コラムニストの告白』小田嶋隆、ミシマ社
《アル中は遠くにありて思うもの》
小田嶋さんの本を買ったのは『安全太郎の夜』以来、ほぼ40年ぶり。泣けました。
TVは見る気がおきないので、読んでる順番は違うのですが、小田嶋さんの『上を向いてアルコール』のことを少し書こうと思います。
《私の医者が言っていた話で必ずしも定説ではないんですけど、どうやら遺伝的なアルコール分解酵素の有無とか組み合わせとかが何らかの形で関わっている》(k.114)というのは納得的。
今では研究がもっと進んでいると思いますが、『酒乱になる人、ならない人』真先敏弘、新潮新書でアルコール脱水素酵素(アルデヒド脱水素酵素ALDH)には
ALDH1型:血中アセトアルデヒド濃度が高くなってから作用が始まり、ゆっくり分解する酵素(やや弱い補助的な酵素)
ALDH2型:血中アセトアルデヒド濃度が低い時点から作用する強力な酵素
という2種類があって、さらに遺伝子多型は
2型を2つ持つ:酒を飲む速度が速く、気分も盛り上がり、ブラックアウトの経験あり→酒乱タイプ
1型を2つ持つ:大人しい飲み方だが、酒量はかなりいける→酒豪タイプ
1と2型を持つ:中間の飲み方
という3つの型があるとしています(p.134-)
医学的な所見を述べる立場にはまったくないのですが、もうお亡くなりになっているので…小田嶋さんは酒量がそれほど多くなかったと書いているので、1と2型を持つタイプで、さらに《あとは性格とか。性格で言うと、要するに極端なこと好きとか》みたいなことでアルコール依存症になったのかな、とか。また、小田嶋さんと対談したことにある吾妻ひでおさんは多分、1型を2つ持つ酒豪タイプだったのかな、とか。
小田嶋さんが「四〇で酒乱、五〇で人格崩壊、六〇で死にますよ」と39歳の時に医者から宣告を受けたのは計算すると1995年なんですが、この時期はテクニカルライター業界がよりプロっぽくなって、ぼくみたいなプログラミングやハードの深い知識を持ち合わせないライターがふるいおとされていった時代と重なっているのかな、と。小田嶋さんも93-4年頃から原稿を落とすことがあったと書いていますが、テクニカルライターとして生きていくのが不安になり、酒に走った部分があったんでは…と当時から読んでいた身としては個人的に感じています。
小田嶋さんが最初の単行本『我が心はICにあらず』を出したBNN出版はMac Lifeなんかの雑誌を出しつつ、ライフスタイルを提案しようとした版元だと感じていました。小田嶋さんがどっかのインタビューで、マイコン関連の書籍を一冊書くと、細部をちょこっといじるだけで別の一冊が書けて、二重に印税が入ってくるみたいな時代があった,と。そういう供給側が極端に少ないおいしい時代にテクニカルライターを自称して稼いでいた、と言ってましたが、そんな時代。
当時はPC98シリーズで日本のパソコン市場が立ち上がって、とにかく書き手が足りなかった時代でした。ぼくも知り合いから「英語ができて、パソコン使って書けて、コンピュータのことが少しわかってりゃいけるから」と誘われて、会社までつくってしまったほど。小田嶋さんも、そうしたテクニカルライターのひとりだったのかな、と思って読んでいました。
自称テクニカルライターはプログラマー上がりか、フリーライター上がりに大きく分けられて、小田嶋さんはぼくと同じ後者だなと睨んでいました。で、確か月刊BUG Newsだかなんだかで、小田嶋さんがプログラミング講座の連載を始めるという発表があった時には本当に驚くと共に「侮っていてすまんかった」と翌月号を心待ちして、読みました。
そしたら、相変わらずの小田嶋調。どういった経緯でテクニカルライターになったのか、みたいなのがメインで、次号から本格的に…と予告してB5版雑誌の見開きの初回連載は終わってました。「ま、こういうこともあるだろ」と思って、その翌々月号を楽しみしていたら、「著者から『書けない』という申し出があったので、本人の承諾を得て、過去に書いたエッセイを再掲します」みたいな展開になって、それ以降、小田嶋さんをPC関連の雑誌で見ることはなくなり、代わりに『噂の真相』あたりに拠点を移していきました。
確か98→Macとブームは大きくなり、さらには頓挫したOS2から化けたDOSVという大波がバブルと共に来て、ぼくなんかは大した勉強もせずに残存者利益を享受できたのですが、ぼくより二歳年上の小田嶋さんは一足先に降りたのかな、とも感じました。
ぼくがテクニカルライターから足を洗ったのは、編集の側からの細かな注文が多くなり、編集部に出入りするライターにも背広とネクタイみたいなのが増えた93~4年あたりからだったと記憶しています。
とにかく、ぼくが最初に小田嶋さんのことを知ったのは1988年。当時は最先端だったBBSで知り合った友人から勧められた『我が心はICにあらず』でした。ICを「石」と読ませます。
《高橋和巳はひどい痔に苦しんだ男であると同時に、優れた小説家でもあったが、だからといって、重篤な痔疾を獲得すれば傑作が書けるというものではない。当たり前の話》(k.485)と『上をむいてアルコール』でも書いていましたが、最初の単行本もタイトルは高橋和巳の『我が心は石にあらず』に拠っています。そして『我が心は石にあらず』は『詩経国風:邶風篇』の漢詩からとられています。
我心匪石 我が心 石に匪ず(わたしの心は石ではないので)
不可轉也 轉がす可からざる也(転ばして変える事はできない)
我心匪席 我心 席(むしろ)に匪ず(わたしの心はムシロではないので)
不可卷也 卷く可からざる也(巻いて丸めることはできない)
小田嶋さんは文学青年だったんだな、と。
『上を向いてアルコール』でも
・現実逃避よりも、酒が役に立つ場面があるんだとすると、何かの弁解ですよね。だから現実からは絶対逃避できないんだけど、そうじゃなくて、女性を口説くときに、酔ったうえだからという前提を利用したり(k.248)
・酒場の知り合いでお互いの私生活には踏み込まない。あの、うすーい感じの付き合い(k.283)
・「私は酔っ払いです」というポジションの楽さというのは、周囲から「あのヒトは酒入っちゃうとアレなヒトだから」という扱いになっていることの心地よさです。治外法権ですよ。外交官特権みたい(k.1183)
・「毒舌」というのも、酒のうえのキャラみたいなものです。酒とワンセットで初めて機能する人格標本(k.1200)
・人間は「人生を単純化したい」というかなり強烈な欲望を抱いています。たとえば念仏とかも、単純化の極みじゃないですか。「南無阿弥陀仏」と言っておけばいいんだ、往生するんだ。素敵じゃないですか(k.1375)
このあたりは素晴らしいアフォリズムだな、と。
『我が心はICにあらず』や次の『路傍のIC』、『安全太郎の夜』で小田嶋さんに好感を持ったのは、歌舞伎町のはずれにあったビリヤード屋とか、遊んでるところが似ていたし、余所者を拒絶する都会っ子の悪い部分を自覚しつつも直さないみたいな雰囲気が好きだったから。
先日、新宿で開かれたイベントの打ち上げに出席したのですが、ちょっと時間があったので、小田嶋さんが『我が心はICにあらず』で書いていたビリーヤード屋を探してみました。割とすぐ発見できて、まだやっていたのには驚きました。
それは「ACB会館」。
アシベで、いつか小田嶋さんを偲んで弾を突いてみますかね。
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