『東京23区×格差と階級』
『東京23区×格差と階級』橋本健二、中公新書クラレ
この本の存在を最初に知ったのは東洋経済書評欄で割りと大きく取り上げられていたから。これによると、東京は都心部、山手、下町に大別され大卒者は中心部と山手に多く分断は深刻化している、と。著者は処方箋として都営住宅の建設をあげているのですが、都営住宅は20年以上建設されていない、みたいな。都営住宅の建設はちょっと現実離れしている感じはするものの、渋谷区に生まれて育ったので「そういえば恵比寿、広尾には都営住宅があるから白金みたいな極端な街づくりが回避され、町内会活動なんかも残ってるのかな?」と興味を持って読んでみました。
著者の手法はブルデューの社会空間。経済資本と文化資本を縦軸横軸とした平面でみてみると、23区はもっとも経済資本と文化資本の多い人々から少ない人々までが狭い範囲に居住している格差の宇宙だ、と。経済格差は約4倍で兵庫の芦屋と淡路島の2.87倍より大きいというのには驚きました。
また、敗戦時に20代だった人の兵役率は、小学校卒で37%、旧制中学・実業高校卒では21%、旧制高校以上では11%。空襲による死亡率は東京全体では1.91%だが江東区は14.3%、墨田区は8.9%、台東区は4.2%で(外周部の足立、葛飾は少ない)、階級というのが固定化、強化されているな、と(p.61-)。
さらに良い学校に通う子どもたちは、町人文化は排除され、祭礼でお神輿を担ぐことは下品とされていたというあたりは、わかるな、と(p.71)。ぼくの通っていた小学校はいわゆる高台にあったのですが、お神輿とかかついだことないし、かつげと言われたりしたこともありませんでした。ところが、近くの商店街の多い低地にあった小学校出身の地域では御神輿を担ぐ人たちが多く町内会活動も盛んです。
都営住宅の建設を処方箋にあげるあたりもちょっとな、とは思ったのですが、著者が石川県出身か…と感じたのは《かつては商店街だった地域の一部が「単身男性繁華街地区」「ホワイト女性特区」に転換して》(p.105)とサラッと書いているあたり。なんで商店街が「単身男性繁華街地区」「ホワイト女性特区」に変わったのかというと、道路拡張や区画整理で道に面していた商店が買い上げられて、そこの人たちが郊外に移転していったからという視点が抜けているかも。
戦争や巨大災害がないにも関わらず、これだけコミュニティが破壊されたのは世界の中でも特筆すべきものではないかと感じているのですが、そこらへんをもう少し感じていただければな、と。実際、ぼくの出た小中学校では同窓会が開かれていません(皆んなが大学に入ったぐらいの時に1回だけ小学校の同窓会が2クラスだけだったので、合同で開かれたぐらい)。
また、同じ地域でも商店街の子とホワイトカラーの子の域内格差もあったけど、そこまで社会空間のマス目を細かくすると分析できないから仕方ないのかな(後述)。
渋谷に関しては、所得水準が75~80年にかけては世田谷、杉並とほぼ同水準だったが、その後の伸びが著しく港区と千代田区とともにベスト3になっているというあたりに違和感(p.229)。ぼくは子どもの頃、三軒茶屋から先の畑の残る世田谷は田舎だと思ってだけどな、と。いわんや杉並区をや、と。
また、新宿の所得が意外に低いな、と感じたんですがど、応援している区議や都議の先生方と渋谷区を歩いていると、オペラシティに近い渋谷区の本町、幡ヶ谷、笹塚あたりが下町っぽいのに驚いたことを思い出しました。かつての中央線沿線のように木造モルタル二階建てが集まったような風景が広がっていて、港区に近い広尾や東とは雰囲気が違うな、と。
なんでかな、と思っていたんですが、年収200万円以下の世帯が多いのは、神田上水と玉川上水に挟まれた低湿地で、住宅も工場が混在。開発から取り残されたからだというんですね。また、ここでも渋谷には都営住宅があるから庶民的な商店街が高級住宅地と混在する「平和な風景」を生み出しているとしています(p.243)。
渋谷ではまだ庶民的な商店街が残っているのですが、高級住宅地に取り囲まれた地域には、低価格の商店街がなくなるというフードデザート問題が出てきたのはなるほどな、と。
さて、後述部分。
著者は高校が学力レベルで序列化されているだけでなく、小中学校でも同じような問題があり、それが階級の固定化を招いているとしています(p.309-)。小中学校の大半を占める公立学校でも地域の親の大卒率が違えば、「隠れたカリキュラム」を生む、と。ブルーカラーの多い地域ではブルーカラーにとどまる価値観が強く、ホワイトカラーの多い地域では競争的個人主義のイデオロギーに染まり、進学意欲が高まると。
極私的な経験ですが周りの小学校には常盤松(高台)、加計塚(高台)、広尾(高台)、臨川(低地)、長谷戸(低地)があり、そこから中学は広尾(高台)、鉢山(低地)に進みます。
そして、広尾中学の成績上位者は常盤松と加計塚が多く、高台には位置するものの商店街出身者も多かった広尾小学校や、その名からして低地に位置する商店街出身者の多い臨川小学校出身者は振るいませんでした。そして常盤松からは成績の良くない生徒が、商店街出身の多い長谷戸出身者とともに鉢山中学に進んだ、というような、著者が何回も語る等高線による差の傾向があったと思います。
あと、焼け野原の渋谷の風景を捉えた終戦直後に撮られた『東京五人男』斉藤寅次郎監督という映画があるみたいなので観てみたいと思いました。
ま、生まれは貧乏な家でしたが、映画館やジャンジャン、天井桟敷などの小屋もあった渋谷という文化的な環境の街に生まれ育ったことは、本当にありがたいことだったとは思います。
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