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December 12, 2021

『俳優のノート』山崎努、文春文庫

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『俳優のノート』山崎努、文春文庫

 一世一代で同じ役は二度と演じないという山崎努が、シェイクスピアの『リア王』を新国立劇場の柿落としで演じるについての書き綴ったノートをまとめたもの。日記文学の傑作でもある。


 俳優が舞台を作り上げるため、役を掘り下げ寄り添い向き合い続けた記録であり、演技が苦手な生徒さんに送るために再読しました。リフォームの時に整理してしまったので文庫本で。
 
 稽古は実数34日間しかなく準備が大切ということで「準備」「稽古」「公演」の3部仕立。

 《まず、戯曲全体を隅々まで理解すること。一行たりとも分からない個所があってはならない。全体が分からなければ、自分の役がどのような役割りを課せられているかも分からないはずなのだ》《戯曲が素晴らしい、演出が斬新だ、演技が見事だと観客に感じさせたらそれは失敗なのである。舞台上に劇の世界を生き生きと存在させること。ただそれだけ》《演出の批評性などともてはやされるのは芝居の衰弱である。批評性も独創性も全て生身の登場人物の中に溶け込んでいなければならない》という文庫本の99頁は、山崎努による俳優のマニフェストみたい。

 ということで準備の中心は脚本の点検。全てのセリフを吹き込んで、それをひたすら聞くという手法は浪花千栄子さんもやっていたと聞くけど、やはりその方法が一番なのか。そうした過程でリア王の言動を支配しているのは女性嫌悪と見抜く。

 母親代わりの末娘コーディリアを捨てることで、王国そのものからも捨てられるリア王は「捨てていく男」となり、ストーリーの流れは「捨てていく旅」であることと看破、ターニングポイントを探していく。

 コーディリアを勘当したリア王と、父のグロスターに勘当されたエドガーが凶人となって嵐の中で出会う場面がクライマックスとなるが、これに道化という狂人も加わる。

 道化について、昔の王は「いけにえ」を常に抱え、災害があったら人身御供として捧げたのではないか、と考察。こうした犠牲になったのはハンディキャッパーやフリークス。ペラスケスの絵にスペイン王家の人々と一緒に描かれるハンディキャッパーは、犠牲になるまで大切に育てられた人々の名残りでそして、宮廷道化はその名残りかも、と(p.57-)。

 苦手な作家だったが、井上ひさしの演劇ジャンル分けが明快で面白かった(p.151-)。
・クライマックスが対話でなされるのが新劇
・涙、殺陣、「これまでのナントカは仮の姿です、じつはナントカ」と見顕(みあらわし)が山番になるのが大衆演劇
・前衛劇は山場をなくし、小劇場は照明、音楽、スモークを使って劇的にに時空間を変質させて山場をつくる、と

 このジャンル分けでいけば、いまの宝塚の主力作家では小池修一郎は大衆演劇、上田久美子は新劇、生田大和も新劇だが駄作は前衛、小柳奈穂子は大衆演劇、谷貴矢は小劇場みたいな感じがする。


 黒澤明の《映画つくりはね、自動販売機にコインを入れてジュースを買うようなわけにはいかないんだよ、目の前にある仕事を一つ一つ根気良くやって行くと、いつの間にか出来上がっているんだ》という言葉に感動(p.340-)。

 日本で2回公演を始めたのは美空ひばりだったのか(p.341-)

 7-8行の台詞をノーブレスで発声するためには《先ず横隔膜を横に拡げて息をストックし、その状態をキープしておいて更に背中と腹に空気を入れる。横に拡げた部分がタンクであり、前後がポンプの役割をする》というクラシック歌手の呼吸法を演劇用にアレンジするという具体的な説明にも感動(p.43-)。

香川照之の解説も素晴らしい。

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