« 『俳優のノート』山崎努、文春文庫 | Main | 『南北朝時代 五胡十六国から隋の統一まで』 »

December 14, 2021

『武田三代』平山優、PHP新書

Takeda-3dai

『武田三代』平山優、PHP新書

 国衆、大名とも代替わりは危機であり、必ず攻め込まれているな、と改めて感じる一冊でした。また、信玄は信虎の残した遺産をバックに、三国同盟で北方に領域を拡大したものの、今川氏が没落したため、今川氏の正室をもった嫡男が謀反。死後に家督を継いだ勝頼が傍流だったため家中がまとまらず滅亡、という流れが良く理解できました。

 信長が家中をスムーズにまとめられたのも、子飼いを育てたということもあったんでしょうけど、正室の父親だった斎藤道三が息子に殺されたため、斉藤氏の意向をあまり気にする必要がなかったのかな、とか?いらぬことまで想像してしまいました。

 この本は最初、信玄の西上から読み始め、一気に勝頼の滅亡=織豊時代の到来まで読んだ後、最初の信虎に戻って読んだんですが、読むペースは遅くなったものの、信虎は名門武田氏を戦国大名として生まれ変わらせたんだな、と理解できました。

 《信虎が、川田館を廃し、新たな居館と首都建設を決断した理由とは何であったのか。その理由は諸説ある。それらを列挙すると、以下のようになる。(1)川田館周辺は、洪水の常襲地帯であったことから、政治・軍事・経済の中心としての、安定した都市整備が困難だったこと、(2)甲府盆地の開発が進み、伝統的な東郡(ひがしごおり)だけでなく、中郡(なかごおり)や西郡(にしごおり)などの農業や商工業も発展してきており、それらを統合するためにも、甲府盆地中心部への進出を必要としたこと、(3)室町後期から戦国期にかけての、甲斐の市・町・宿の状況をみると、東郡だけでなく甲府盆地にほぼ万遍なく展開する状況になっており、(2)の状況が裏づけられた。このことなどから、政治都市甲府の建設を領国経済の統制の軸とすることで、戦国大名としての権力確固たるものにしようとしたこと、(4)川田では、城下拡大には手狭であり、しかも防衛などに課題があること、などである。
 この他にも、父祖以来、武田氏は守護代跡部氏(小田野城主)や、武田一門で有力国衆の栗原武田氏(栗原氏館、金吾屋敷など)の軍事力に支えられ、庇護される形で維持されてきた。信虎は、この状況を克服し、彼らに頼ることなく、自立した政治権力として国衆の上に君臨し、統治を果たすべく、新首都建設に踏み切った可能性が指摘されている》《武田信虎の甲府建設は、中世都市鎌倉や京都、奈良を意識した都市構想であることが指摘されるが、家臣の城下集住策といい、その先駆性は高く評価されるべきだろう》と筆者の平山優先生が「歴史街道」で首都としての甲府建設の重要性をまとめておられますが、国衆を甲府近隣に住まわせようとするが三国衆が同時叛乱されるとは…

 こうした国衆の動きを封じつつ、北条氏を打破して勢力を拡大しようとしたんですが、飢饉続きで無理をしたツケが回って途端に嫡男、信玄によって追放されるというんですから皮肉です。

 信玄(晴信)は父親の遺した遺産を活かして甲斐から信濃に領土を拡大したんですが、同盟を結んでいた今川氏の娘を正室としていた嫡男義信が、信長に今川義元が討たれて弱体化していたにも関わらず反織田の姿勢を変えず、謀反を企てて捕らえらてしまいます。本来は滅ぼした諏訪氏を継ぐ予定だった勝頼が浮上するも家中の信頼は得られず、没落すんですが、義信の廃嫡とニ年後の死という義信事件が《武田氏滅亡はな扉を開いた、と私は考えている》(p.203-)と。

 信玄篇の後半からはどんな歴史小説を読むよりも面白かった!信玄に攻め込まれて、義昭が焦って信長と家康を見限ったから足利幕府はなくなって、勝頼を滅ぼした2ヶ月後に信長と織田家も本能寺で事実上あっけなく滅び、統一国家へとトントン拍子で向かったのかな。

 足利義昭が信長包囲網を考えたのは、三方ヶ原の合戦で織田徳川軍が敗北したのをみて「武田、朝倉、本願寺で支配体制を再構築しよう」という結果論が今の定説となっていることも改めて確認できました。にしても、武田勝頼は子ども頃から諏訪に住んだことも祭りに参加したこともなかったとは…

 NHK「カルチャーラジオ 歴史再発見」の「武田信玄の生涯」も面白いですので、ぜひ!

|

« 『俳優のノート』山崎努、文春文庫 | Main | 『南北朝時代 五胡十六国から隋の統一まで』 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




« 『俳優のノート』山崎努、文春文庫 | Main | 『南北朝時代 五胡十六国から隋の統一まで』 »