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December 27, 2021

『頼朝と義時 武家政権の誕生』

Yoritomo-yoshiaki

『頼朝と義時 武家政権の誕生』呉座勇一、講談社現代新書

呉座勇一先生は本当だったら大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の時代考証を担当していたんでしょうけど、ツイフェミの陰湿な攻撃と日文研の不当な処分となんかに負けるなという意味でも読ませていただきました。

・富士川合戦は甲斐源氏vs平家追討軍の戦いであり、頼朝軍は後方待機
・頼朝は関東の武士たちに上洛を諌められたはずもなく、そもそも帰服してない佐竹などを残しての上洛は机上の空論でしかなく、最初から関東の地盤固めを目指していた
・義経との黄瀬川での対面に頼朝が喜んだのは奥州藤原氏の援軍という実質をともなったらであって、身ひとつで対面した義経同母の兄全成は厚遇を受けてない
・頼朝は多くの敵を許したので、恩賞に当てる没収地が少なくなったため、佐竹氏への攻撃は所領に目をつけたという面も。中途半端な結果だったが、奥州藤原氏と佐竹氏が連携する事態は回避できたというのは大きかった
・清盛は関東で国衙を各個撃破された反省から嫡男・宗盛を九ヶ国の惣官に任じて近畿での軍事動員を可能にするなどの対処をしたが、そうした処置をした直後に死去
・頼朝は東を源氏、西を平家が治める和平提案を行うが、平家の棟梁となったばかりの宗盛が拒否
・木曾義仲は早期上洛を図るため、事実上の人質として嫡男義高を頼朝娘の婿に差し出す

なんていう前半だけで、源平合戦(治承・寿永の乱)のイメージが変わりました。

さらに、175頁以下の頼朝編のまとめが秀逸。

要は頼朝は父義朝の後継者として自分の家を源氏嫡男として復興することを最大の課題としていた、と。だから平氏より同じ源氏の有力者に敵愾心を燃やした、と(初期のヤマト朝廷や、戦国大名の家督争いとおなじような、兄弟で血で血を洗うものとなった感じ)。

流人の頼朝を北条氏が庇護したのは一発逆転の大穴を北条時政が狙ったから。平家は関東の国司も変えようとして反発をくらい、緒戦で頼朝の息を止められなかったために、各個撃破で交替してしまった、というイメージなんでしょうか。

そして源平合戦とは「武家の棟梁勝ち抜きトーナメント」であり、頼朝は平家打倒よりも、当初は源氏の棟梁を目指していた、と。そのため、平家との和睦もヤル気満々だったけど、清盛の死で宗盛が強硬姿勢となってしまったので流れた、と。

それでも、安徳天皇を京都に帰還させて三種の神器を返還してもらうことを第一の戦略目標としていたが、義経が勝ちすぎてしまった、と。

平氏と源氏のライバルも打倒された過程で、頼朝を頂点とする関東の武士集団が日本で唯一の武装勢力となり、結果として朝廷は頼朝に国家の武装警察機能を委任せざるを得なくなってしまった、と。

頼朝は朝廷の奉仕者というより唯一の保護者となったけれども、その権力行使は抑制的。それは後継者である頼家が若く、自身のように全国の武士との戦闘を通じた人格的な主従関係を持たないために、武家の棟梁として君臨するためには朝廷の権威が必要だったから。

そして、そうした朝廷との力関係を変えるのは義時、と。

鎌倉幕府の中での血で血を洗うような複雑な御家人同士の戦いも、外祖父あるいは乳父として権勢をふるうポジションをめぐる争いであることがキチンとわかるように説明されているのもありがたいですし、義時にとって政子との時政追放より、義時にとっても実朝暗殺は窮地だったということがよくわかりました。

また、承久の乱によって、朝廷は最終的に京都の治安維持のための暴力装置を失うことになってしまった、と。

義時にとって三浦義村は、実朝暗殺の時や承久の乱の時も無二の信頼すべき存在だったんだな、ということもよくわかりました。父・義澄は石橋山の戦いでは悪天候のため参戦できず、平家方の畠山重忠との間で衣笠城合戦となって祖父・義明を討ち死にさせてしまったり、妻の父である伊東祐親を預かったりと属人的にも濃厚な役割を演じて、十三人の合議制の一人になっています。その子・義村は個人的にも畠山重忠の乱で先祖の敵を討てただけでなく、陰謀を企んだ時政と牧の方は失脚して伊豆国へ追放され、将軍になる可能性もあった平賀朝雅は殺されるなど、結果オーライが続いたな、と。三浦一族は、祖父・義明が頼朝旗揚げ、父・義澄は源平合戦や奥州合戦での武功と重要な役割を果たし、義村が北条執権の土台を築いたんだな、と。

研究全体のロジックとしては、北条氏を称揚する『吾妻鏡』の中のエピソードで、出来すぎていて信じられない話し、あるいは前後の脈絡が繋がらない話しは、北条氏が権力を握ったのは自然の流れである、ということを言いたいがため、みたいな感じで批判していく、という感じでしょうか。それはそれで推論でしかないけど、大量にあるので押し切る、みたいな。

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