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November 10, 2021

『荘園 墾田永年私財法から応仁の乱まで』

Shouen

『荘園 墾田永年私財法から応仁の乱まで』伊藤俊一、中公新書

 戦後マルクス主義史学を遠くから供養してくれたというか、下部組織から列島社会の変遷を古代から近世直前まで描いてくれた感じ。特に、年輪酸素同位体比によって明らかになった降水量の変動が荘園の歴史と対応するあたりは素晴らしかった。

 旱魃と豪雨が交互に訪れるような不安定な天候によって頻発する災害から荘園を復興するために、新しい用水を引こうとしたりすると、他の荘園の利害に抵触するようになるため、地域社会を領域型荘園という独立した小世界で区切った荘園の限界がみえてくる(p.244)という流れも素晴らしい。最初の方にも書いていた《小さな地域の自治権を最大に、国家や地方政府の役割を最小にした場合、何が起きるかという400年にわたる社会実験》というのが、よくわかります(p.262)。

 荘園という小世界の生産性をあげるためには、国人や戦国大名による強制力が必要になってきた、ということでしょうか。
 
 コジェーブは「人間の歴史を学びたいのであれば、日本の歴史を学べ」としているけど、日本史は気候、異民族支配などの影響がなく展開されたので、人間社会の発展史の教科書だな、とも改めて感じます。

 そでの内容紹介が素晴らしく簡潔で、ぜひ、読んでみてください。

 とにかく、今年、読んだ本のNo.1です。

 以下、箇条書きで。

はじめに
 《荘園の荘は建物、園は土地を指し、私有の農園のことだ》ではじまります。
 本書が主に扱う領域型荘園については《平安時代末には地方政府の役人を務めつつ大規模な農地開発を請け負った在地領主が成長し、上皇が専制権力を握った院政と結びついて、領域内の支配権が一括して与えられる領域型荘園が設置され》《領域型荘園には地方政府に納める税の免除と使節の立ち入りも拒否する特権が与えられた。荘園は外部の干渉を受けない独立した小世界となり、在地領主が務めた荘官のもとで、その土地に最適化した生産活動が行われた。荘園には、天皇家・摂関家の本家を頂点として、貴族や寺社などの都市領主が務め家、在地領主が務める荘官という重層的な支配関係が成立し、荘園から領家・本家に納める年貢・公事物が大量に京都に送られることになった》としています。
 《日本では荘園領主の大半が京都に住み、地方から年貢が送られてくる時代が長く続いたが、そのような荘園は西欧ではまれだ》というはなるほどな、と。荘園については下部構造を重視するマルクス主義の影響で50~70年代まで盛んに研究されたが、そうした全盛期から数十年を経て、研究成果へのアクセスが難しくなり、《多くの論者によってさまざまな議論が行われたため、全体像がつかみにくい》状態になっていた、と。それに古気候学の最新の研究成果によって、荘園の歴史を自然環境と人間社会の相互作用として描けるようになった、と。

二章 摂関政治と免田型荘園
 降水量・気温を図時した気候のグラフが初めて出てきます。これは年輪酸素同位体比を測定することで、列島の降水量が年単位で推定できるようになった中塚武氏の研究を元にしたもので、これによって、荘園の盛衰、制度変更の背景がより立体的にわかるようになります。p.27、p.60、p.116、p.175、p.234のグラフを追ってみるのも面白いと思います。
 郡司層の没落、浪人の増加によって、摂関期には人頭税から逃げることない土地への課税に切り替わっていったということですが、明治維新は、国民皆兵のために再び徴兵が人頭税として復活したんだろうか…などとも考えてしまいました(p.34)。

三章 中世の胎動
 こんなところも考古学の恩恵を受けているのか…と思ったのは、10世紀の極度に乾燥した気候の後の洪水などで開発意欲のそがれた農業経営も、11世紀半ばからは気候も安的し、新しい集落が出現したことが判明した、というあたり。とにかく、人々は水田を広く展開できる平野部の開発に乗り出した、と(p.60)。

第四章 院政と領域型荘園
 小さな荘園を寄進して、それを核として広大な土地を囲うという手法があったことに驚きました(p.84)。こうしたカラクリを使うことによって日本最大の荘園として有名な八条院領などが生まれます(p.94)。

五章 武家政権と荘園制
 源平騒乱って、清盛が院政を敷こうとしたことが原因というのが新鮮。平家と上皇・摂関家との関係は滋子と盛子の縁を介した危ういもので、二人の死後、荘園の管領が停止されると、焦って後白河法皇を清盛が幽閉。娘徳子の産んだ安徳天皇を即位させて院政で全権を掌握したことに怒った以仁王が挙兵したことが原因なのか。

七章 鎌倉後期の転換
 サブタイトルを意味する転換とは宋銭の流入による貨幣経済の発展。《13世紀後半には、日本の経済史を二分するとも云える出来事が起った。それは銅銭の大量輸入による本格的貨幣経済への移行だ》(p.181)。
 日本で宋銭が大量流通した要因のひとつが、モンゴルが紙幣を使わせるために江南地方で銅銭の使用を禁じたからだったというのは、日本史は東アジア史の中で考えないとダメだな、と改めて思いました。
 最初はバラストとして積んでいたとのことですが、モンゴルによって中国で不要にされた銅銭は毎年20万貫文(2億枚)前後の銭を輸入していたというんですから驚き(p.184-)。
 中国の紙幣(交鈔)は、モンゴル前の華北の覇者である金が、銅の不足に対応したものらしいけど、世界初の管理通貨制度の創始者?耶律楚材のこととか、色々考えました。

八章 南北朝・室町時代の荘園制
 鎌倉幕府が倒れた流れをあっけらかんと説明しているところが分かりやすい。曰く、畿内で悪党が暴れ回っていたから後醍醐天皇は倒幕へ向かった、と。
 建武新政で御家人制度が廃止、地頭は単なる職となり寺社や貴族が地頭になるなど上下関係がなくなった、と。
 そして守護の権力が強くなり、命じた軍務に就くものが国人となった、と。
 荘園代官には1)寺院、貴族、武士それぞれの組織内の人員2)僧侶や商人3)武士が登用されたが、組織内の人員は荘園経営の専門性に乏しく、裕福な僧侶や商人は最初こそ年貢を先払いするが忠誠心に欠けて2年目からは未進しがちで、武士は最初から未進で居直られるというのに笑いました(p.222)。

終章 日本の荘園とは何だったのか

 1963年からの圃場整備事業による区画変更や水路整備によって、中世から引き継がれた土地の形や地名、用水系などの手がかりが失われていることが嘆かれてします。
 『室町幕府と地方の社会』〈シリーズ日本中世史 3〉、榎原雅治、岩波新書の「おわりに」でも40年ぐらい前までは《七百年間、同じような用水が使われ、変わらぬ形をした田んぼが耕され、変わらぬ名前で呼ばれていた》ことがよくわったそうですが《今、私たちは十四、五世紀くらいに産声をあげた長い、一つの時代の終焉に立ち合っているといえるかもしれない》と書かれていましたことを思い出します(p.224)。

あとがき
荘園史は学会での流行のテーマではなく、大家による荘園史研究が膨大にあるため、刊行には5年かかったとしていますが《網野善彦氏によって切り開かれた非農業民の問題もほとんど取り入れる余裕はなかった。非農業民よりも前に、農業民のほうがわからなくなっているのが現状と思う》というのも印象的。
 在地領主の寄進によって成立したと考えられてきた中世荘園の形成に院政の権力が深く関わった「立荘論」の首唱者である川端新氏についても触れられています。

第一章 律令制と初期荘園
第二章 摂関政治と免田型荘園
第三章 中世の胎動
第四章 院政と領域型荘園
第五章 武家政権と荘園制
第六章 中世荘園の世界
第七章 鎌倉後期の転換
第八章 南北朝・室町時代の荘園制
第九章 荘園制の動揺と解体
終章  日本の荘園とは何だったのか

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