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May 14, 2021

『戦国佐竹氏研究の最前線』

Satake

『戦国佐竹氏研究の最前線』日本史史料研究会(監)、佐々木倫朗(編)、千葉 篤志(編)、山川出版社

 ファミリーロマンスでは相馬氏と関係あるとかないとか言われてきたなので、佐竹氏には多少関心があったのですが、地味ながら非常に面白く読ませていただきました。

 家康に秋田への国替えを命ぜられて以降、明治維新までその地を治めていたわけですが、印象としては地味な存在。しかし、平安時代後期から始まり、約470年居住した常陸国では北条氏と対抗し、上杉謙信と連携して北関東の武士団をまとめ、織田信長や豊臣秀吉ともいち早く連携をとり、小牧長手の戦いの秀吉と連動して北条氏と対抗していたとは驚愕しました。佐竹氏は一時、全国400近い諸大名のなかで第8位の54万5765石を領するまでに発展したのですが(与力大名含む)、関東の支配を巡って北条氏に果敢に対抗しただけでなく、南奥を巡って伊達氏と争うなど活発に活動。バイプレイヤーとして要所要所で正しい判断を下していく姿は大したものだと思いした。

 指摘しておきたいのはアンソロジーとは思えないほどの統一感。最初に最も重要な転換期となる義重・義宣親子から入り、中世の歴史を辿って、北条氏に押されていたけど、棚ぼた的に秀吉期に北関東の雄となったものの関ヶ原を期に秋田に移封されたという流れが、北条氏、上杉謙信、武田信玄という戦国のメインプレイヤーたちとの関係も含めて飽きずに読ませ、織豊期による日本統一にうまく乗った地方の大名というのはこういう姿だったのかと理解させてくれます。しかし、ほとんどいい目しか出なかった判断も、豊臣と名護屋での在陣で世話になった石田三成との関係もあって、東軍として出陣できず、出羽国久保田へ国替えとなり54万石から、久保田藩(秋田藩)へと20万石に減転封となったのも物語を感じさせてくれます。最後に描かれているのが真言宗の大寺院の最高権力者となるも、家康の不興を買って追われる佐竹出身の高僧の運命というも中世から近代の流れとマッチしている感じ。

 とにかく、この本、東国らしい大名として佐竹氏を発展させた佐竹義重と、近世への転換を迫られて新たな佐竹氏を生みだそうとした、その子義宣という出だしから、いきなり面白い。太閤検地によって理論上は同じ石高なら改易が可能となったが、それは大名に服属する国衆でも同じことで、佐竹氏に完全服従しなかった国衆はこの過程で滅ぼされる、というあたりは「こうしたことが全国各地で起こったんだろうな」と感じさせてくれます。

 佐竹氏は政治的な一族だな、と思うのですが、それは富士川の戦いのあと、源氏の統領の座を巡り、義光流の佐竹を義家流の頼朝に討たれ、一時は奥州に逃れるものの、奥州藤原氏を討つために出陣した頼朝の傘下に加わって御家人として鎌倉時代を生き抜くあたり(p.47-)。この後も、北朝方の尊氏に呼応したりして勢力を拡大していきます。
 
 複雑な一族内の争いや、北条氏に対抗するための謙信との連携など中盤も面白かったのですが、織豊時代はさらに全国統一の流れともあいまって、ダイナミックな展開が待っています。佐竹氏は現存する信長の天下布武朱印状三通のうち1通を持ち、恭順の姿勢を賞されて常陸介に叙任されたというのは知りませんでした。秀吉の北条攻めにも参陣し、常陸・下野国を安堵してもらい、同盟関係の洞(うつろ)でも完全に従わなかった大掾氏と江戸氏を滅ぼして豊臣政権に参加とか、運が味方した部分もあったにせよ、北関東の田舎大名とは思えない正確な判断力が素晴らしい。

 そして、朝鮮出兵のために名護屋でも在陣するのですが。狭い空間で佐竹一族、家臣、国衆らが同陣することで、近世的な家臣団形成の始まりとなったというあたりもうなりました。これは、誰かが書いていたことですが、明治以降の「日本人意識」も軍隊生活から生み出されたというのとパラレルなのかな、と。

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