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January 12, 2021

"Black Earth" Timothy Snyder(邦訳『ブラックアース ホロコーストの歴史と警告』)

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"Black Earth" Timothy Snyder(邦訳『ブラックアース ホロコーストの歴史と警告』)

 Audibleでエアロバイクこぎながら聞いた4冊目の本です。なんか邦訳は読まないでいたんですが、せっかくなんで原書を聞いてみました。

 なぜナチスドイツのように常軌を逸した残虐なユダヤ人虐殺が行えたかについては、官僚主義がそれを可能にしたという議論がありますが、スナイダーは「ヒトラーがユダヤ人との闘いはエコロジカルな問題だったと考えたから」と別な理解を試みます。そして、それが実際に行えたのは、ソヴィエトとドイツに二重に占領されて国家が機能を失った地域があったから、ということが歴史的経過とともに描かれています。

 ヒトラーの問題意識は、第一次世界大戦での連合国の封鎖中に50万人の死者を出したドイツの食糧供給不足を克服することでした。そのためには収穫量を改善するという、ある意味、自然に反する「緑の革命」よりも、広大な耕作地を持つアフリカと東ヨーロッパを征服する方がいい、というもの。そして、そこにはどちらも排除されるべき劣った人間以下が住んでいたと考え、東欧ではまずポーランド人、ウクライナ人、ベラルーシ人などスラブ人を従わせるような人種差別的な社会を作ろうとした、と。

 あるインタビュー記事でスナイダーは、ユダヤ人研究者による科学的な土地管理がドイツを肥沃にするという主張は、ヒトラーにとって「ユダヤ人が科学と政治を誤って分離したもので、進歩と人類のために紛らわしい約束をしていると考えた」としています*1。ヒトラーのエコロジカルな思想によれば、ドイツの自然環境が自分たちを養うことはできないから東部の肥沃な土地を必要としているだけなので、結果的にヒトラーは自然状態を血の海の中で作り出した、と。申し訳ないけど、こうした狂気は現代の環境ヲタクにもどこか通じるかも。

 そうした中でヒトラーにとってユダヤ人は普遍的でグローバルな敵であり、スラブ人のような単に劣った人種ではなく「非人種」であるという別のカテゴリーに分類されていたことも重要だった、と。バルバロッサ作戦の後、SS警備隊のタスクフォースとアインザッツグルッペン(Einsatzgruppen、ドイツの保安警察 (SiPo) と保安部 (SD) がドイツ国防軍の前線の後方でユダヤ人など敵性分子を銃殺するために組織した部隊)は占領地域に住むユダヤ人を銃殺し始め、それは移動式ガス車の導入とベルゼック、ソビボル、トレブリンカに固定式ガス車センター開設へとエスカレート。毒ガスを伴うアウシュビッツは、このプロセスの集大成でした。

 そして、こうしたことが効率的に実行できたのは東ヨーロッパに地元の協力者がいたからで、一部はナチスが来る前にソビエトの秘密警察とも働いていて、ウクライナでの大量虐殺などは「共同創造物」とさえ見なすことができる、と。ウクライナ、ベラルーシ、バルト三国では、ソ連が地元の政治機関を弱体化させることによって、ユダヤ人虐殺を準備した、ということが時間経過とともに描かれていきます(こうした主張に対してキリスト教の反ユダヤ主義の伝統がホロコーストを生んだことを過小評価しているという非難も出てきているようですが)。

 スナイダーは国家の問題を強調し「無国籍地帯」が現出したことで殺害が盛んになったとしています。ほとんどのユダヤ人は、君主制が率いる国の機関が残っていたベルギーとデンマークでは殺害されることを免れ、反ユダヤ的なヴィシー政権でも戦争を生き延びました。とてつもない出来事であるホロコーストを理解しようとするあまり、それを引き起こしたのは官僚的な国家だという一見、冷静な主張に対して、スナイダーはホロコーストは国家の欠如がもたらした、と主張していきます。反ユダヤ主義のレベルが著しく低かった国よりも、戦前に反ユダヤ主義のレベルが最も高かった国で死亡したユダヤ人の数が少ないことを研究が示しているパラドックスは、反ユダヤ主義それ自体がホロコーストの原因ではなかったから、みたいな。実際、ソ連とナチスによる占領によって国家体制が破壊されたエストニアと形式的にも維持されたデンマークを比べると、どちらも根強い反ユダヤ主義はあったものの、エストニアでは居住していたユダヤ人の99%が殺害され、デンマークでは市民権のあったユダヤ人の99%が生き延びた、としています。

 倫理的に反ユダヤ主義を批判するよりも、形式的な国家のあり方を問題にした方がいい、みたいな。これは確かに秀逸な議論で、あるインタビューで、スナイダーは「パスポートは防弾チョッキみたいなものだ」とも語っていました(ただし、1944年の上陸作戦が失敗したり、バルジの反攻が成功して戦争が長引いた場合、どこでも殺害が起こった可能性はあるかな、とも思いますが)。

 ただし最後の章で、スナイダーがホロコーストを「エコロジカルなパニック」として説明し、地球温暖化などについて言及しているのは疑問。中国やロシアはヒトラーがそうであったように、アフリカやウクライナを侵略しているのかもしれませんが、それは本当にホロコーストから学ぶべき教訓でしょうか。歴史的な議論を「我らの環境」的な議論に結び付けることはスナイダーの価値を落としたかもしれない、と感じました。『赤い大公』には興奮したし、『ブラッドランド』は凄いと思い、トニー・ジャットの聞き手となった『20世紀を考える』には唸りましたが、『ブラックアース』はどうも海外の評判がイマイチだな、と感じた原因はここらあたりかも。高い上下巻の邦訳を読まなかったのは正解だったかもと感じましたが、ヒトラー的恐怖症、不安症候群は、中共などが主導する限られた資源をめぐる闘争として現代の世界にも残っているのも事実かな、と。

 前作『ブラッドランド』でもソ連が1930-40年代にウクライナで意図的な飢饉をつくり、ナチスによるヨーロッパのユダヤ人の虐殺を可能にした、としています。今思えば、大量殺戮を食糧不足と資源の減少に結び付ける最後の章は、こうした傾向が『ブラッドランド』の隠されたモチーフだったのかもしれない、と思わせます。スターリンの赤軍粛清も含めてソ連がつくった裏口からナチスは入ったんだ、と。

 そしてポーランドと反ユダヤ主義の歴史に関する章は詳細です(ここらあたりも伝統的なホロコスト研究者は不満なようです)。

 ポーランドはユダヤ人が人口のほぼ3分の1を占めていたため、問題をさまざまな方法で解決したいと考えていた多くのポーランドの政治家やシオニスト運動、第三国定住、ユダヤ人国家の創設を促進しようとした人々について語られます。

 1930年代後半のドイツとポーランドの関係、ポーランドとポーランドとユダヤの政治の複雑な問題、特にポーランドのシオニストの浮気(ウラジミール・ジャボチンスキーの修正主義運動)などはもっと知りたいと思いました。

 とにかく、こうした章でスナイダーは私たちをポーランド政府の指導者たちと共に、パレスチナに関するドイツとポーランドの政策に関する時代、ポーランドの右翼シオニズム、イスラエル国家の概念に対するポーランドの関心、そしてドイツの計画への対処をみせせてくれます。ポーランド警察はナチのユダヤ政策の先兵となり、最初に粛清されたのはポーランド人エリート。ユダヤ人は排除されただけでした。

 もちろん、ポーランドではすでにゲットーにユダヤ人が集められていたという条件が、ヘウムノでガス車の使用が始められ、ガス使用の技術的改良とベルゼック、ソビボル、トレブリンカでの死の工場設立につながりましたが、ヒトラーは1938年にマダガスタルを含む地域にユダヤ人を移住させる計画立案を裁可しています(オリジナルのアイデアはもっと古くからあります)。仏領マダガスタル移住には英国の協力が必要だったし、イギリス軍と自由フランス軍が1942年にヴィシー・フランス軍からマダガスカルを奪取したことでこの計画は終焉を迎えましたが、その時、すでにポーランドでは、ユダヤ人はゲットーに集められていました。彼らをマダガスタルやシベリアに国外追放することが不可能になったことで、国外追放はの代わりに死の工場を作ることになった、という流れだ、と。

 イスラエルの戦争部隊、イルグン=エツェルは1931年に創設されましたが、最初はポーランドから支援受けていました。指導者は最初ジャボチンスキーでしたが、彼の死後は後にイスラエル首相となるメナヘム・ベギンが後継者に。イルグンはパレスチナ内戦、第一次中東戦争では主流派ハガナーによるアラブ人住民追放計画の一端を担い、デイル・ヤシーン事件などアラブ人住民の虐殺も起こしたりします。

 また「ウクライナ人の中には、さまざまな方法でユダヤ人の根絶に参加した人もいました。ユダヤ人を集めてそれらの場所に連れて行った人もいれば、そこで銃撃した人や、ポグロムに参加した人もいました。そして、ウクライナ人の一部は、後にホロコーストの結果から生じるユダヤ人の財産または他のさまざまな方法を利用しました」というウクライナでの議論も印象的でした*2。

 結論での、ヒトラーはスラブはアメリカインディアンみたいなものだと思っていた、というのは驚きます。ヒトラーはヴォルガ川をミシシッピー川になぞらえ、ネイティヴアメリカンをスラブ人という図式を立てた、と。


*1
https://www.prospectmagazine.co.uk/arts-and-books/the-auschwitz-paradox-an-interview-with-timothy-snyder
さらにヒトラーの政策は「グローバリゼーションへの対応でした。ヒトラーは、限りある資源の世界で実際に起こっているのは、人種が土地を求めて、したがって食糧を求めて競争するべきだと言っていました。そしてこれが私たちの自然条件であり、これは自然の法則です」と語っています。そして「ますます無政府状態のゾーンがつくられていく中で、最終解決策が実際にできる方法を実験することになった」。ホロコーストは、人間が短い距離で人間を撃つ、ソ連での出来事から始まった、と。

また、ボルシェビキはユダヤ人であるというユダヤ・ボリシェビキの考えは、ヒトラーの妄想とソ連侵攻を結びつけた、と。


*2
https://ukrainianjewishencounter.org/en/timothy-snyder-double-occupation-eastern-europe-second-world-war-made-holocaust-possible/

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