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January 27, 2021

『戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗』加藤陽子、朝日出版

Sensou-made

 『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』の続編という感じで、満州事変のリットン報告書、日独伊三国同盟、開戦前夜の日米交渉を取り上げ、一次史料を応募してきた中高生(一部、教諭)たちに事前に学習してもらい、研究者としての知見も披露した上で、質疑を交えながら加藤陽子先生が解説していくという講座をまとめたもの。

 2016年の8月に購入して読了、ざっくり面白かった3章を中心にレヴューをあげていたのですが、全体をまとめてるのは忘れていました。

 改めてドッグイヤーの箇所を拾い読みすると、最後の日米交渉が改めて出色の出来でした。ドイツが侵攻したことで、ソ連が瓦解しては困るユダヤ出自のモーゲンソー財務長官らの対日強硬派が「どうせ日本は仕掛けてはこない」として、日本と融和的なハルとローズベルトが夏期休暇中に管轄する外国資産管理委員会の権限で独断的に資産凍結と石油の対日輸出を全面禁止にしてしまったというあたりはスリリング。そして日本の国策を事実上、決めていた左官クラスが最悪の事態を考えていたようで、実は両論併記的に逃げているだけだったので、不意を突かれて対米英戦争に突き進んだ、みたいな構図が理解できましたた。つまり、真珠湾は日米双方の誤解が重なった結果だった、みたいな。

 そして、ペンタゴンのヨーダと呼ばれたアンドリュー・マーシャルは1)ドイツ軍はなぜ開戦当初。兵力で上まわる英仏連合軍に電撃戦で圧勝できたのか2)なぜ日米双方とも暗号を読み合っている中、真珠湾攻撃をふせげなかったのか、という二つの問題を考え続け、現実のソ連や中国の評価にフィードバックしていたそうです(p.279-)。このThe Last Warrior(邦題は『帝国の参謀』)は次に「聴いて」みようと思いました。

 現在にひきつけて読むと、日独伊三国同盟締結を承認する御前会議で天皇=原枢密院議長は米国が石油を禁輸したらどうする、と質問すると、松岡外相は国際連盟を脱退した時も日本に武器を売り込みにくる輩がたくさんいたと反論した、あたりが面白いかった(p.242)。確かに、最初の頃はそうだったかもしれないけど、本気を出されるとどうなるかまでは予想できていなかった、と。今の世界だと日本の石油=中国の半導体になるのかな、とか。

 この本の出た2016年は戦後70年でしたが、70年というのは、人間が健康で生きていることのできる平均値だみたいなことも書かれていて、妙なところで胸に迫るものもあったかな。

 以下、箇条書きで。

[国家が歴史を書くとき、歴史が生まれるとき]

・日中関係が悪化していた時代、中華民国の憲法の大家となった張知本は、軍事権力を憲法でなんとか抑えようとして美濃部憲法学を批判的に受容していた(p.46)

・世界恐慌→列強のブロック化→日本も真似してブロック化するが失敗→武力を背景とした経済侵略という物語は、日本と植民地の関係を描いておらず、輸出など日本経済は強かった(p.54-)

・和辻哲郎は「国家は戦争において形成され、育成する」と書いているが、日本も白村江の戦いに負けて「日本書記」などを書いて国家として出発し、太平洋戦争に負けて新憲法を発布した(p.69)。そしてヘロドトスもトゥーキュデデースも戦争を描いて歴史の始まりとした(p.71)

・尊皇攘夷派は明治維新後「万国公法に従って交際を求めてくる相手を拒絶するのは古来の仁義に反する」と立場の変更を民衆に説明したが、こうした説明を国民にしなければならなくなったのが近代の証し(p.79)

[「選択」するとき、そこでなにが起きているのか リットン報告書を読む]

・人間が殺し合いをしてきた理由は恐怖と名誉心(p.108)

・リットン調査団が目指したのは日中が話し合いをする素地づくりで、それを国際連盟として提案すること(p.117)。ちなみにリットンは二人の息子を第二次世界大戦で戦死させている(p.131)。

・リットンは満洲への関東軍の無期限駐留はコスト的に高く付くとして、現在のPKOのような組織をつくってソ連や中国から守ることさえも提案している(p.173)。日本はこの提案をのんで、満州の権益を固持しながらも国際的により開放的な満州経営をしていく可能性はあった。

・昭和天皇は満州国のトップに張学良をおいてはどうかと荒木貞夫や真崎甚三郎に提案している(p.183)

・結果的に国際連盟を脱退する演説をしてしまった松岡洋右だが、当初は内田外相に「日本人の通弊は潔癖にあり」として八分目でこらえることが肝要だと電文(p.187)、日本の主張が受け入れられない場合は国際連盟がこの問題から面子を保って引き下がるように誘導することを目指した

・しかし、内田は国際連盟との妥協よりも、中国との直接交渉に活路を見出そうしてして失敗(p.194)

[軍事同盟とはなにか 二〇日間で結ばれた三国軍事同盟]

・1931年の満州事変とリットン報告書、1941年の日米交渉と太平洋戦争、その間になされた最も重要な決定が1940年の日独伊三国同盟で、その目的はヨーロッパと日中戦争にアメリカを介入させないこと

・同盟の必須要素は仮想敵国、参戦義務、勢力圏

・ソ連のポーランド、フィンランド侵攻とバルト三国の併合が行われる中で三国同盟は結ばれるが、ヒトラーの目的はイギリスへの圧迫強化。そのため9月からイギリスへの猛爆が始まり、日本にスターマーを使節として送り、20日間で条約完成

・日独伊三国同盟締結を承認する御前会議で天皇=原枢密院議長は米国が石油を禁輸したらどうする、と質問すると、松岡外相は国際連盟を脱退した時も日本に武器を売り込みにくる輩がたくさんいたと反論した、と(p.242)。今の世界だと日本の石油=中国の半導体になるのかな…

・日独伊三国同盟締結の前月(40年8月)、米国はようやく建国以来の志願兵から12ヵ月の徴兵を可決したばかりだった。しかも1年後に1票差で継続が決まるなど、戦争体制づくりは進んでおらず、共和党大統領候補は欧州派兵に反対していた。

・《日本やドイツなど、伝統的に徴兵制を採用していた軍隊を持つ国にとって、アメリカ陸軍は烏合の衆に見えてもおかしくはなかった》(p.249)。米国の準備不足が目立っていた上に、欧州戦争に巻き込まれるのを国民が嫌がっている最高の瞬間を狙ってたった20日で締結したのが日独伊三国同盟だった、と。

・日本は「バスに乗り遅れるな」ということでドイツとの同盟締結に走ったのではなく、その瞬間ならフランス、オランダ、イギリスが持っていた資源を手に入れられる=ドイツによる東南アジアの植民地再編を封じることが可能だったから(p.277)

・中共の勢力拡大を恐れた蒋介石は「桐工作」に乗って講和を進めようとするが、汪兆銘政権を承認しないという約束を交わしたのに、日本が承認してしまったためご破算に。

・ロンドン軍縮会議で5:3の海軍力をのんだ時点で、日本はアメリカと対抗する道を諦めなければならなかったし、その後の敗北を陸軍は明確に予想していた

・太平洋戦争末期、日本兵を南洋諸島で一方的に虐殺しまくった無敵の米軍というイメージが強すぎるために、烏合の衆というような見方はジョークとしても思いつきませんでした。また、当時の西部戦線でドイツと戦っているのはイギリスだけで、ドイツ空軍が英本土を爆撃しまくるバトル・オブ・ブリテンの真っ最中。誰の目にもイギリスの劣勢は明らかでした。

・そうした孤立無援の中で、チャーチルはローズベルトに英艦隊が独軍の手に落ちたら、それを使って米を脅すだろうと突きつけ、駆逐艦50隻の供与を勝ちとりました。凄腕です。もしそんなことになったら、太平洋には日本の帝国艦隊がいるわけですから、米国は挟み撃ちに遭うわけで、駆逐艦ぐらいは供与しますよね。また、三国同盟に関する関係官庁の課長級の会議(日本では課長級会議が実際上の政策決定を行います)で陸海軍、外務省の担当者が気にしていたのはほとんど、ドイツが進出して仏蘭インドシナを奪われないかなどの「戦後」対策。「バスに乗り遅れるな」という雰囲気はなかった、と。

・つまりこの同盟(1940年9月調印)はアメリカの参戦抑止を目的に締結されたものだが、アメリカを刺激し日本への石油、鉄の輸出禁止などの経済制裁が大いに懸念されており、陸海軍省の上層部や枢密院議長だけでなく、作戦を担当する統帥部の上層部も強い不安を抱いていた、と。その一方で陸海軍の左官級の実務を握る中堅層では彼らの考えでは、大戦終了後にイギリス、フランス、オランダの東南アジアにある植民地がすべてドイツのものになり大東亜共栄圏実現の支障になるので、今のうちに同盟を結び東南アジアは日本の勢力圏であることを明らかにしてドイツを牽制しておくべきとの考えが強く、日本からドイツに対して同盟の交渉を呼びかけてしまった、と。

[日本人が戦争に賭けたのはなぜか 日米交渉の厚み]

・日米交渉は1941年4月から最後通牒のハル・ノートの11月26日まで行われた。三国同盟締結の半年後に交渉が行われたのは、日中戦争の局面打開に米国の仲介を目論む日本と、ドイツの攻撃に苦しむイギリス支援のための作戦展開に向けた時間稼ぎという米国の思惑があったから(イギリス向け支援物資の援護に海軍を使わなければならず、太平洋方面は安定を望んでいた)。

・交渉はアメリカの交渉担当者であるハル国務長官による日米諒解案を元にスタート。日本は7月に松岡外相を更迭し元海軍大将で外相経験ありそしてローズベルト大統領と古い知己の間柄の駐米大使野村吉三郎を抜擢、場所は国家主義団体を警戒して終始ワシントンで行われた。ちなみに日米双方とも暗号はほとんど解読していた。

・日本は自ら戦争を仕掛けたとは思われたくないという行為を反復してきた。被動者の立場で、両論併記の文書を用意して状況が好転するのを待つというスタイルは日清戦争から(p.373)。

・7月には、米国は全面禁輸に踏み切らないだろうという目論見で南部仏領インドシナ進駐が行われた。これはドイツによるソ連攻撃の1ヵ月後で、ソ連が瓦解しては困るユダヤ出自のモーゲンソー財務長官らを刺激し、ハルやルーズベルトが不在の間に、自ら管轄する外国資産管理委員会の権限で独断で資産凍結と石油の対日輸出を全面禁止にしてしまった。

・事態打開のため近衛首相はローズベルト大統領にハワイでの首脳会談を打診し内諾を得たが、野村大使が米国メディアに会談のことを漏らしたために、日本の右翼国家主義団体が猛烈に反発。近衛暗殺や米国大使館襲撃事件計画などが発覚して、近衛とルーズベルトの会談は流れた。これは幕末に開国派の井伊大老が日米修交通商条約を無勅許で結んだ時に一気に爆発した尊王攘夷運動を似ている、と

・ハル・ノートの直前に日本が南部仏印から北部仏印まで退けば対日禁輸の一部を解除するという腹案をハルは持っていたが、チャーチルと蒋介石が反対したため諦めた

・最後通告の電報は全部で14通あり13通までは12月6日の早い時間にワシントンについたが、最後の大事な14通目は陸海軍の統帥部がぎりぎりの30分までは送るなと外務省に要求し外務省はその要求をのんだ。また、天皇宛のローズベルト大統領の12月6日午後9時の親電も陸軍は15時間も東京中央郵局に留め置くように指示し、アメリカ大使館に届く時間を引き延ばした。

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