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December 30, 2020

2020年の一冊は『ブルシット・ジョブ』

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 岩波新書の「シリーズアメリカ合衆国史」が4巻で、「シリーズ中国史」が5巻で完結しましたが、今年の一冊はこれしかないなと思ったのは"Bullshit Jobs: A Theory" David Graeber(邦訳は『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』岩波書店)。先進国のホワイトカラーの仕事はほとんど意味はなくなり、他人を助け利益をもたらし社会的価値が高い仕事ほど支払いは低くなった、というあたりは鮮烈。コロナで自分の生き方などを見つめ直した方も多いでしょうが、本当にいまやっている仕事に意味はあるのか、という問いかけは現役世代にはどう映るでしょうか。
 正確には読んだというより、Audibleでフィットネスジムの有酸素運動の間に聴いた本。シットジョブがブルーカラーの汚れ仕事であるのに対し、ブルシットジョブはホワイトカラーのどうでもいい仕事。どうでもいい仕事が多く、社会的な意味があるかどうか、働いている人が判断できないものがほとんど。現在の高度な資本主義社会の企業では公的部門も含めてそうした仕事が多くを占めているというのがアナキストでもあった著者の主張(2020年に逝去)。
 ソ連ではプロレタリアートを失業させないためにダミーな仕事を用意したのですが、現代資本主義社会でも、同じようにダミーな仕事が増加。社会主義政権や西欧の社会民主主義は90年代で終わったのに、現代資本主義でどうでもいい仕事が増えたのはサービス業の雇用が伸び、製造業の労働が開発途上国に輸出されたから。
 どうでもいい仕事を管理するタスクマスターの仕事も無駄な戦略づくりなどが多く無意味で、働いている人が本当に何のために働いているのかわからなくなるブルシットジョブが生み出され続ける、と。部下数と同じぐらい増えたマネージャーの数の問題などは誰が誰を詐欺しているのかという疑問となる。複雑なグローバルサプライチェーンを管理していると信じている人が実際には何もやっていない。
 従来も男は自分が物語をつくることができるような仕事を取って、残りを女性に割り当てていた。そしてプロテスタント的な倫理が無意味な仕事と思っていても、それに服従することは、より良い人にする道徳的な規律であるという考えを補強している。それは自分たちが信じるゲームをプレイしているようなサディズム。さらに右翼は産休などの新しい制度によって自分たちの権利が犯されていると感じ、左派は貧しく抑圧された人々は、自分たちが持っていないものはほとんど何でも受ける権利があると主張することが事態を悪化させている。左右両派とも無職は悪で、公の救済に値しない軽蔑的な寄生虫とみるというコンセンサスがあり、さらには「雇用創出」がすべてであるような政治文化がそのような結果を生み出している。オバマケアも不必要な管理職と管理職が無限に発生させている。
 政府の雇用の尊重は馬鹿げたショーであり、国連やブレトンウッズ体制で生み出された高額で快適な雇用は何の役立つのか。公務員は自分のしている仕事がいかに役に立たないばかりか、福祉の現場では破壊的であるかを理解している。
 芸術の世界でもキュレーターが台頭してきて、芸術家そのものと肩を並べ、ハリウッドでもメールを書いたりパワーランチをとったりすることが仕事の人間が多くなった。
 看護師、ごみ収集員、整備士く、バスの運転手、食料品店の労働者、消防士、シェフ、小学校の先生がいなくなったら大変だが、ファンドマネジャーがいなくなっても世界は困らないが、彼らは最も高い給与を得ている、と。

これも含めて、年末年始の読書にお勧めなのは以下です。

"Bullshit Jobs: A Theory" David Graeber(邦訳は『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』岩波書店)
『ダーウィンの『種の起源』を漫画で読む』マイケル・ケラー (編・文)、ニコル・レージャー・フラー(絵)、夏目大(訳)、佐倉統 (監修), いそっぷ社
岩波新書の「シリーズアメリカ合衆国史」
同「シリーズ中国史」

『ダーウィンの『種の起源』を漫画で読む』マイケル・ケラー (編・文)、ニコル・レージャー・フラー(絵)、夏目大(訳)、佐倉統 (監修), いそっぷ社
須藤靖氏(東京大学教授・宇宙物理学)や垣添忠生日本対がん協会会長が激賞していたので読んでみて、感心。東大の先生たちが「難解で読み通せず、何度か挑戦したがダメだった」というのが理解できたというか、古典によくある書名だけが名高く実際は読まれない本だったんだな、と。1836年に帰国してから『種の起源』を発表する1859年まで23年もかかっていることにも驚いたが、自然淘汰という考え方は、マルサスの人口論に影響されていて、個体差の大きさが強調されていることがよくわかるとともに、当時から大型の絶滅哺乳類の標本資料とかよく整理されているのも驚き。営々として築かれてきた知識という巨人の肩の上に乗って学問というのは進むんだな、と。

『藤原定家 『明月記』の世界』 村井康彦、岩波新書
 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」が「戦争などおれの知ったことか」というニヒリズムというより、平家滅亡、東国での権力出現から西国が圧倒されていくという日本史を画する大事件などは我関せずという姿勢だったというのは呆れるばかり。藤原氏などは治天の君への入内が依然として最大の関心事であり、それが兼実失脚という承久の変を生み、さらには東国の武士をみくびって承久の乱を引き起こしたというか。そうした中でも、政治的な危機感も抱かず、自分の官位を上げて家格を上げることだけを考えていた定家というのは、当時の王朝のイメージも含めてアップデートできました。当時は宮中ではなく里内裏だったことが前提というのは、なるほどな、と(p.11)。定家が子孫に故実を伝える部類化を行わなかったことが日記として残った理由(p.13)など最初から面白かった。

『グローバル時代のアメリカ』古矢旬、岩波新書
 1973年で南北戦争から続いた長い繁栄の時代が終わったという時代認識というか、65-73年のどこかが歴史の分水嶺になってるというのを最初に読んだのはドラッカーの『新しい現実』だったな、と思い出しました。また、70年代は「ポスト」の時代ではなかった、ともしています。ポスト市民運動、偉大な社会、ニューディール・リベラリズム、ベトナム、ウォーターゲートの時代だった、と(p.2)。その後、レーガンの政策を引継ぎ、ニューディールリベラリズムに終止符を打ったクリントンと、政党間対立を決定的にしたオバマケアが、ティーパーティーやトランプ産んだ、みたいな流れかな、と(p.263)。クリントン時代は経済格差の拡大と多文化主義的な自立集団の分立という二重の分断の危機をもたらした、みたいな(p.175)。

『古代史講義【宮都篇】』佐藤信、ちくま新書
 加藤陽子先生曰く「講義」本を早くから揃えてきたちくま新書ですが、古代史講義は【邪馬台国から平安時代まで】と【戦乱篇】に続く三冊目。白村江の戦いを指揮した唐の武将、劉仁願が664年に郭務宗を派遣してきたものの、入京を拒んだが、翌年、再び来航すると宴会を開いて遇し、遣唐使も送るなど動きが急になり、第3次高句麗討伐の命が下ると高句麗から使者が来るなど大津宮は白村江の戦いと切っても切れない関係にあった、というのは知らなかった(大津宮)。十世紀以降、国司となって赴任する者を受領と呼んだが、蓄財に余念のない受領層に目をつけ、造営させて、その成功報酬として官位を与える方式を定着させたのが院政期(p.237)などが印象に残る。

『中世史講義【戦乱篇】』高橋典幸編、ちくま新書
 武士による乱世は保元・平治の乱から始まるのですが、そうした暴力的な中世社会に挑戦し、克服した秀吉の偉大さを改めて実感するとともに、文禄・慶長の役の評価では、日本の軍事力をみたスペインが植民地化を諦めたという功績を見直す論議も出てきていることに驚きました。毛利が一時の覇者となった西国の争乱と、北条氏が籠城と外交で生き残る東国の「国郡境目相論」の地味さの対比が面白かった(第10講と11講)毛利は秀吉の中国大返しの追撃せず、関門海峡を挟んだ大友と戦いに備えたことで乱世を生き延び、さらには関ヶ原で負けても幕末には雄藩として明治維新を達成することに繋がったんですから、たいしたものです。


『「中国」の形成』岡本隆司、岩波新書
「シリーズ中国史」は、中国史を中原中心ではなく、草原と砂漠と海洋から見るという三次元的な歴史把握によって、新しい視点を得ることを目差しましたが、その完結編となる『「中国」の形成』は掉尾を飾るに相応しい印象的な一冊。中共は現在進行形でチベット、ウィグル、モンゴル、香港、台湾で問題が発生していますが、それは清代にたまたま確立された最大版図を維持する困難さを表していて、偶然がもたらした産物にほかならない、というのが著者陣の共通理解。そもそも新疆という言葉自体、1758年に服従しないオアシスのムスリムを征服し、天山南北路と合わせた「新しい彊地(境地、テリトリー)」。最終巻では、清朝が中原に覇をとなえられたのは偶然が重なったためだと何回も指摘し、明代までに山積した中央集権の制度疲労を改革できる能力もパワーもなかったと書いています。社会経済事態が外部需要で経済景況が上下する構造は明、清朝から克服されておらず、現代中国の経済発展も同じ構造、としています(p.187)。いま現在、アメリカが中共から資本を引き揚げさせようとしている狙いはここなのか、と思いました。

『陸海の交錯 明朝の興亡』壇上寛、岩波新書
 宋以降の1)中華と夷狄の抗争2)華北と江南の南北の対立3)草原を含む大陸と東南沿海の海洋中国の相克が元末で交錯して中国社会を激しく揺さぶり、その対応を迫られた明代を描きます。残念ながら、3つの対抗基軸を一元化するモチーフは儒教の論理だけで、極度に統制が強められたのみだったわけですが。モンゴルの制覇によってユーラシア大陸規模でヒト、モノ、カネ、情報が還流することになり、帝国崩壊後もオスマン朝、ティムール帝国、ムガール帝国、明・清のほとんどがチンギスハンの血統かモンゴルの権威を後ろ盾にした、と。しかし、その中で明だけはモンゴル色を排した、と。地球規模の寒冷化による災害・飢餓や社会動乱・戦争が続けざまに起こった14世紀と17世紀の狭間にあるのが明という時代だった、という書きだしからうなりました。秀吉の世界制覇プランは気宇壮大(p.180)。昭和陸軍と秀吉ぐらいじゃないのかな、こんなのは。

『草原の制覇 シリーズ中国の歴史3』古松崇志、岩波新書
 狩猟・放牧と農耕が可能なユーラシアのベルト地帯から多くの遊牧国家が勃興し、大きな勢力となったら南下して中原を支配する、という見方の方が、漢民族が中原を3000年間支配したという見方よりも現実的なんだろうな、と改めて思いました。モンゴル帝国によってユーラシアのベルトはヨーロッパまでつながり、それによって知識や技術が融合、「鉄の道」が再びつながり、それまで別々に進展していた知見も融合された、と。中共が進めようとしている一帯一路も、元はといえば遊牧国家が実現していたもの。当時、漢民族は家臣として遊牧民が建てた王朝に仕えていただけという図式を隠蔽したというか、西洋と遊牧民に対するコンプレックスの裏返しなのかも。考えてみれば中国の歴史で漢民族が支配する王朝は漢と宋、明だけで後はほとんど北方の騎馬民族の支配だったな、と。

『江南の発展 南宋まで』
 中国の古典国制が分裂国家から郡県制へ一本化されていく中で、一君万民思想が浸透していき、底辺においては「規制もないが保護もない」社会が生み出され、人々は「個人間の信頼関係」=「幇(ぱん)の関係」で身の保全を図っていく、という流れがよく理解できた一冊。特に5章は1980年代以降に解明されてきた副旋律である民衆や士大夫について深掘りしている。当時の南宋江南の地域社会にはボスである豪民、官庁の末端実務を担う下級役人「胥使(しょり)」が有力で、清明集ではそうした豪民、胥吏たちを地方官が裁判にかけて処罰する過程が詳しく書かれています。しかし、実際にはもちつもたれつの関係。歴代王朝は「小さな政府」で、地方官は地域の有力者の協力なしには実務を遂行することさえできなかった、と(p.164)。科挙に受かればオールマイティという「昇官発財」の広い門戸が開かれている一方、中間団体に属する人々は垂直・水平方向に激しく動くわけです(p.167)。西欧において議会制民主主義の基礎となった議会は、身分制に基づく団体が集まったものであり、身分制と議会制は相性が良かったが、中国では世襲的身分制の解体が戦国時代から始まり、これが日本や西欧と近代化の分岐の違いを生み、21世紀の中国でもエリートによる支配は変わらない、と(p.186)。

『関ヶ原大乱、本当の勝者』日本史史料研究会、白峰旬、朝日新書
 講談、小説、映画、テレビドラマなどで描かれてきた家康の問鉄砲は史実とは言いがたく、小早川秀秋は開戦当初から裏切ったたため西軍の右翼が崩壊し、山中に密集していた石田、宇喜多の主力は総崩れになり、島津義弘の敵中突破も午前中の早い段階だったという話し。さらには直江状も《実在したとは考えられない》というのに驚きました。もちろん「問い鉄砲」も後世の創作、と。

『戦国期足利将軍研究の最前線』山田康弘、日本史史料研究会、山川出版
 家系図をみると戦国期足利将軍はみな義教からの系譜なんだな、と改めて思います。義教が鎌倉公方を滅ぼすなど足利幕府の権力戦線を拡大した末に暗殺されて以降、足利将軍家は縮小再生産の道を歩むのかな、とか。義政と義視兄弟の子は短期間しか将軍の地位に就けなかったものの、その後は鎌倉まで辿り着けなかった末弟の政知の子が十一代将軍義澄となって義晴、義輝、義昭と続き、途中の義栄も阿波公方から生まれます。考えてみれば、「相伴衆」も義教期に成立した家柄・身分だそうで、いったんは幕府をリセットしようとした義教の研究を読みたいと思いました(p.125)。

『フットボール風土記』宇都宮徹壱、カンゼン
 Jリーグを目指すのではなく、地域密着で地元社会の健全な発展を最優先に考え時代のクラブづくりで大切なのは、生き残り。例えば三菱自動車はダイヤモンドサッカーのスポンサーだったのに、いまの三菱水島FCは不祥事を抱えた親会社の判断からJFLにも行かせてもらえないし、グラウンドは土で野球などと共有のまま。あきらかに撤退戦だけど、簡単には討死はしない、みたいな。FC今治も岡ちゃんがつくったのではなく、早稲田の先輩などが40年以上も守ってきたチームが母体になっているというのは初めて知りました。日本企業は発展を諦めているのでは?という外資からの厳しい視線が注がれることもあるのですが、ゴーイングコンサーン(継続)を選択する傾向が列島住民には強いし、その選択の可否はまだ決着していないのかもしれません。

『フランチェスコ・トッティ自伝「キャプテン魂」』トッティ、コンドー著、沖山ナオミ訳、東邦出版
 ASローマが優勝した00/01シーズン当時、セリエAは間違いなく世界最高リーグ。たった1回の優勝だけど、最高峰の選手が集まった中でのスクデットは大きな価値を持つだけでなく、ユベントスとの最後の頂上決戦で0-2と負けていた状況から中田英寿がみせた1ゴール1アシストの活躍は「よっしゃぁ!」と叫ぶ映像とともに日本人ファンに忘れられません。そしてホームでの優勝。終了前からファンがピッチに乱入し、ユニフォームを奪われパンツ一丁となるも《幸せは足し算するものではない。その重さに価値がある》と許すトッティ(p.144)。ティフォージの過剰な愛にたびたび困惑するものの、それでも「俺は彼らの愛に報いることをやったのか」と自問する姿勢こそ愛された理由。優勝直後のロッカールームで中田がみせたトッティ曰く火星人的な行動もさもありなん。少年サッカーの送り迎えで運転しながら勉強を教えてくれた母にはセレブ的に振る舞えないトッティ。彼が愛されたのはまっとうな中流家庭の躾を受けたからで、苛烈な育ちをしたカッサーノとの比較も印象的。

『まくらばな』柳亭小痴楽、ぴあ
 柳亭小痴楽は19年9月に落語芸術協会としては15年ぶりの単独真打昇進を果たした期待の若手。小痴楽の魅力はなんといっても様子の良さ。故歌丸師匠が次の芸協のスターはちー坊だと決めていたフシがあるぐらいの華がある。文楽師匠(もちろん先代)も様子が良くてモテていたらしいが、いま一番様子の良い落語家は小痴楽だと思う。

以下は旧刊。

『天皇と軍隊の近代史』加藤陽子、勁草書房
「総論 天皇と軍隊から考える近代史」では、上海事変の意義を満州事変から国際社会の目をそらすためという通説を見直し(p.46)、青年将校が積極的に極左派に指導されていた当時の日本共産党と連携を図り(p.28)、政党政治の存立基盤を危うくするとともに、列強経済に出血を強いることで、日本への干渉から手を引かせることにあったとしています。著者自ら《陰謀史観と見まがうような筆致》(p.44)と書きつつも、元老西園寺が陸軍を極左が動かしている、という観察を的確だと仮定。西園寺はこうした観察の上で、昭和天皇が求めた戦争の芽を鎮静化させるための御前会議開催を「会議の決定に従わない軍人が出たら、天皇の権威が決定的に失われる」として反対します。第二章「軍国主義の勃興」では、日本のヤマト王権成立には国内支配のための権威付けを行うためには朝鮮半島の王朝(新羅など)を日本が従属させているとの虚構、また、中国の歴代王朝と対等の関係を築いているとの虚構が必要だったとして、それは木戸孝允が王政復古がなされたならば、朝鮮は日本に服属すべきと言う認識を示すほどの長い影響力を持っていたとします。

『信長研究の最前線ここまでわかった「革新者」の実像』日本史史料研究会(編)、朝日文庫
 《楽市楽座令は地域住民の要望を受けて出されるもので、戦国大名のめざす立場は、都市や市場の強固な支配や搾取ではなく、これを復興・保護することにあったという見方が主流となっている》《不特定多数の人が集う市場では、商品の売買を強いる押売・押買や、質取などが横行したが、楽市楽座令の多くにはこれを禁ずる条文がみえることから、市場の治安維持を目的とした平和令》であり《戦国時代研究の第一人者である池上裕子氏は、信長の流通・都市政策について「信長のなしたことは、戦争を除けば、それらにつきる」と評価している。本章で取り上げた一部を概観するだけでも、その評価は的確といえよう。 だがこれまで述べたように、信長の政策はそのすべてが特別なものだったわけではない。市場や都市、商人を通じて物流を掌握しようと考えるのはごく自然で、それは他の戦国大名も同様である。信長の政策だけが「先進的」だったという実証はまだなされていない》というあたりはうなった。

『初期室町幕府研究の最前線 ここまでわかった南北朝期の幕府体制』日本史史料研究会監修・亀田俊和編、歴史新書y
 新田義貞・北畠顕家らに敗れた足利尊氏が九州への下向を決めたと伝わる室津会議では、敗軍の将から将兵が去っていく中で最後まで従ったり、しんがりで戦ってくれるのは一門だろうというというリアルな考えを元に、一門大将を外様の守護に派遣した、と佐藤進一以来の通説を批判するあたりからスリリング(p.35)。日野業子、富子など娘が足利将軍家の正室になりまくっている日野家は義教に弾圧されたりしたけど、徳川家の家臣になったりして生き延びたり、一族から親鸞を出したり面白い一家だな、と。もっといえば、足利将軍家は日野家から正妻を娶り、赤松家から愛童を抱えるというか。室津会議では赤松則村の勧めに従って九州への下向を決めたと言われるけど、赤松家は美男の家系だったんでしょうか。

『南朝研究の最前線ここまでわかった「建武政権」から後南朝まで』日本史史料研究会、呉座勇一、朝日文庫
 研究者の方々には常識かもしれませんが《鎌倉幕府の後ろ盾により皇位を確保するなど、幕府への依存傾向がみられる持明院統に対して、大覚寺統は幕府から距離を置いていた》というのはハッとしました。同じように《天皇は、退位して上皇となることで初めて、積極的に仏教と関われるようになった》(k.3281)というあたりも単なる歴史ファンにはありがたい指摘。

『陰謀の日本中世史』呉座勇一、角川新書
 『応仁の乱』は畠山氏の家督争いを発端にした細川勝元と山名宗全の権力闘争で、義政の弟である足利義視が東から西に移ったことなどは二次的な問題であり、東軍勝利ということで居場所を失い、美濃に落ちのびただけ、というのを理解すれば、その後の展開もスッととける感じ。

『一揆の原理』呉座勇一、ちくま学芸文庫
 戦後史学などで《一揆がもてはやされたのも、民衆運動顕彰の一環である。このギャップが、人々のデモへの過剰な期待と、その後の幻滅を準備している》と書き始め、《デモがイマイチ盛り上がらない理由は色々と考えられるが、その一つとして、脱原発デモも戦後日本の諸々のデモと同様に、結局は「百姓一揆」の域を出ていない》として、百姓一揆は「武士は百姓の生活がきちんと成り立つようによい政治を行う義務がある」という「御百姓意識」に基づく待遇改善要求であるから、既存の社会秩序を否定するものではなく「政治はすべて武士にお任せ、ただし増税だけは一切拒否」という與那覇潤の言葉で説明。

『候景の乱始末記』吉川忠夫、志学社
 まさに名著復活という本。南北朝時代という混乱の時代区分は日中両国の歴史認識に深く根を下ろし、アメリカのCivil Warも「南北戦争」と思いっきり意訳しつつ、その本質をズバリと言い当てています。必ず勝つのは軍事力に秀でた北朝であり、南朝は日米中とも大義名分を唱えるだけで敗れさります。しかも文化、経済の画期となる分水嶺であり、事実上の今につながる領域での国家統一も南北朝と南北戦争はなしとげています。やがて中国は鮮卑属の北魏の将軍から身を起こした楊忠の子、楊堅が隋を建て、黄巾の乱以来と405年ぶりに統一を果たすのですが、そうした主要な政治勢力となる北朝から簒奪を受ける南朝、特に梁を中心とした話し。

 夏は光文社古典新訳文庫のプラトンを読んで過ごしました。Audibleは英語の、光文社古典新訳文庫のプラトンはギリシャ語のサビ落としに少しはなったかな、と。

『パイドン 魂について』プラトン、納富信留訳・解説、光文社古典新訳文庫
 エピクロスが《死は、悪いもののなかでもっとも震え上がらせるものだが、私たちにとっては無である。なぜかと言えば、私たちが存在する時、死は現に存在せず、死が現に存在する時、その時私たちは存在しないからである》と『メノイケウス宛書簡』一二五で書いたことは、その後の西洋哲学の死生観の基礎になっているのではないでしょうか。これはウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』の《6.4311 死は生の出来事ではない。人は死を体験しない。もし永遠ということで無限な時の継続ではなく無時間性が理解されているのなら、現在の中で生きる人は永遠に生きるのである。我々の視野が限界を欠くのと全く同様に、我々の生も終わりを欠いている》は有名なアフォリズムですが、そのオリジナルはエピクロスではないでしょうか。解説でも《死んでいくソクラテスこそ、「知を愛し求める者(フィロソフォス)」、つまり哲学者の究極モデル》というあたりは、福音書を思い出しましたし、ソクラテスの死が哲学の形成に大きな影響を与えたのは、哲学というのは、やはり死の解釈だからなのかな、と。

『メノン 徳(アレテー)について』プラトン、渡辺邦夫訳、光文社古典新訳文庫
 本文には「優れた」と訳されたアガトスαγαθοsという形容詞がよく出てきますが、それは《「アガトスな(優れた)」人はアレテー(徳・卓越性)をもつという関係が理解される。優れた建築家は、建築家のアレテーをもつ。優れた牛は、牛のアレテーをもつ。優れた人間も、人間のアレテーをもつ》からだ、と註が付けてられいます。さらに「美しい」ないし「立派な」の原語καλλοs「カロス」もよくでてきて、「よい」のagatosと共に良さ、悪さが議論の中心に。さらには「美しくて立派な(カロス)」と「優れた、よい(アガトス)」を「καi(英語でいえばandにあたる接続詞)」で結んだ形容句「カロスカーガトス」という単語も出てきます。καλοκαγαθοsはκαλοs καi αγαθοsという3つの言葉をまとめたもので《「善美の人」のようにも訳される。非の打ち所のない立派な人を褒めるときに使う、ギリシャ語表現》と註がつけられてます(3つにまとめられた単語は新約には出てきませんが、καλοs καi αγαθοsはルカ8:15の「立派な良い(心)」で出てきます。古典ギリシャ語ではお馴染みの表現を使うのはルカ的ですよね。

『ソクラテスの弁明』プラトン、納富信留訳、光文社古典新訳文庫
 《死を恐れるということは、皆さん、知恵がないのにあると思いこむことに他ならないからです。それは、知らないことについて知っていると思うことなのですから。死というものを誰一人知らないわけですし、死が人間にとってあらゆる善いことのうちで最大のものかもしれないのに、そうかどうかも知らないのですから》というあたりは西洋哲学の歴史全てに影響を与えてるんだろうな。さらには《ナザレのイエスが十字架に掛けられたことにより「キリスト教」が成立し、彼の教えが全世界に広まったように、ソクラテスの裁判とが「哲学」の意味を開示し、その営みを継承する人々によって西洋の哲学が成立して、今や日本をふくむ全世界で人々は哲学に従事しようとしているのである。彼の予言は、遺されたすべての人間へのメッセージとなった》という解説にもつながっていくのかも。《犬に誓って申しますが》というあたりの言いまわし、マルコ7:28の「食卓の下にいる小犬も、子供たちのパンくずは、いただきます」を思い出す。

『プロタゴラス あるソフィストとの対話』プラトン、中澤務訳、光文社古典新訳文庫
 《われわれアテネ人が民会に集まるとき、わたしは次のようなことを目にします。たとえば、国が建築にかかわる何らかの事業をしなければならないとき、彼らは建築物に関する助言者として建築家を 招聘 するのです》の民会は新約では教会の意味のエクレシア(Ekklesia)。《正義と節度と敬虔、つまり、まとめてひとことで言うなら、人間の徳のことだとしよう》というので徳についての議論になりますが、同じギリシャでも新約の正義、節度、敬虔(ホシオン)、勇気の用法とは大分違うな、と。不安(Deos)も新約ではヘブ12:28だけで、意味は恐怖、畏敬。70人訳では第二マカバイに集中して出てきますが、やはり恐怖の意味で使われます。中澤務先生は註112で《不安(デオス)は比較的長期間にわたる認知的な気分であるのに対して、恐怖(フォボス)は瞬間的に感じる非認知的な感情》としています。

『饗宴』プラトン、中澤務訳、光文社古典新訳文庫
 少年愛(パイデラスティア)を中心としたエロスについての本。《愛する人が少年に対して愛情を示すときよりも、逆に、愛する人に対して少年が愛情を示すとき、神々はよりいっそう驚嘆し、賞賛し、よくしてくださるのです。じっさい、愛する人は神がかりの状態にあるがゆえに、そもそも少年よりも神に近い存在なのです》などの議論が続き、訳者による解説も《両者の関係は、少年が成人すれば解消される一時的なものでした。また、必ずしも相手が一人に限定されることはなく、複数と関係を持つことも可能でした。結婚することを期待され、大多数の成人男性は三〇歳を過ぎれば結婚して家庭を持ちました。しかし、結婚しても、少年との性的関係は並行して続いたのです。つまり、少年愛とは、女性との愛を排除するようなものではなく、並行して成立する別々の愛の形だったのです》と素晴らしい。。

 もう一冊読んだ『パイドン』もあとでまとめておきます。

『楽天の日々』古井由吉、キノブックス
 《記憶とは自分を相手にした八百長みたいなものだ》(空白の一日)。今年は古井由吉さんがお亡くなりになりました。眼は恐怖を対象化するが、耳は受け身であり、恐怖に押し入られるままになる、というのもわかるな(耳の記憶と恐怖)。

Robert Putnam "Our Kids"(邦訳『われらの子ども:米国における機会格差の拡大』ロバート・D・パットナム)
 これもAudibleで聴いた本。
・人種差別や性差別はそれほど悪化はしていないけれども、階級格差は悪化している
・貧困家庭では異父兄弟がたくさんいる貧困の中で育つ子が多い
・上流階級の女性は嫡出で出産するが、下層階級の女性は独りで子供を産み離婚するする。これは下位3分の1の「家族の崩壊」。
・上流階級の家族の両親は教育に集中し、SATスコア(大学進学適性試験)に基づいて近所を選ぶ
・さらに家族の社会経済的地位(SES, socio economic status)は、アメリカの8年生が大学を卒業するかを予測する上でSATより重要
・貧しい十代の若者たちが過ごすのは、無関心で軽蔑的なスタッフしかいない、暴力と薬物乱用の子どもが蔓延する悪夢のような場所
・階級格差は各人種グループ内で拡大しているが、人種グループ間の格差は縮小
・上流階級はアメリカ史上初めて兵役を大幅に回避している

"Hillbilly Elegy: A Memoir of a Family and Culture in Crisis" J.D. Vance(邦訳は『ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち』光文社)
「バラク・オバマの存在は私たちの最も深い不安のど真ん中を叩く。私たちヒルビリーの多くはそうではないが、彼は良い父親だ。私たちが運が良く職にありついて、オーバーオールを着る間、彼は仕事に合ったスーツを着る。オバマの妻は、子供たちに特定の食べ物を与えるべきではないと語る。私たちは彼女が間違っているからではなく、正しいことを知っているから憎くらしく感じる」「バラク・オバマの存在は私たちの最も深い不安のど真ん中を叩く。私たちヒルビリーの多くはそうではないが、彼は良い父親だ。私たちが運が良く職にありついて、オーバーオールを着る間、彼は仕事に合ったスーツを着る。オバマの妻は、子供たちに特定の食べ物を与えるべきではないと語る。私たちは彼女が間違っているからではなく、正しいことを知っているから憎くらしく感じる」あたりが印象に残りました。

 コロナが酷かった頃には微分・積分に関する本をよく読んでいました。

『微分・積分を知らずに経営を語るな』内山力、PHP新書
 《「コンピュータで最大値、最小値を出す」というのは、ビジネスのありとあらゆるところで適用されており、微分の基本的な活用法》《成熟期の時間を長くしていくことの大切さがよくわかると思います。 また、衰退期も意外と面積(売上)が大きいことに気づきます。「日が経って売上が落ちても、企業への貢献度は高い」》《「偏差を2乗してその平均を取り、その平方根(ルート)を取る」――これが標準偏差の定義です》が、《この〝標準偏差を小さくして在庫を減らす方法〟は、あちらこちらでよく使われます》《ムダ(欠品、売れ残り)、ムリ(欠品率)、ムラ(標準偏差)》を減らすために微分・積分を用いる、というあたりは蒙を啓かれました。

『「ファインマン物理学」を読む 電磁気学を中心として』竹内薫、講談社
 これも一度、読みたかった本。「前提1 電流だけが存在するところには、磁場だけが存在する」「前提2 電荷だけが存在するところには、電場だけが存在する」というのにまず驚きました。コイルに電流が流れる時は動いている電荷だけしかないので磁場だけが存在する=「電荷と一緒に動く人が見ると、電荷は静止して見える」のが重要なポイントだ、と(p.40)。《電磁場は「モノ」(=実体)ではない。電磁場は「コト」(=現象)なのである》、と(p.64)。また《人類は、最初に時間変動が少ない電磁現象に気がついたために、長い間、電場と磁場を別々の現象と考えてきた。そのため、この2つが(本当は)切り離せない関係にあるなどとは、思いも寄らなかったのである》、と(p.78)。ニュートンの逆2乗則(物理量の大きさがその発生源からの距離の2乗に反比例するという法則)は、点電荷には大きさがないからR=0としなければならないが、それだと無限大になってしまうという問題があるというのもなるほどな、と。だから「くりこみ理論」が必要なんだな、という流れ(流れだけは理解できましたw。また、くりこみ理論は重力理論には使えないそうです。理解はまったくできませんが、凄いな、と)。

『小数と対数の発見』山本義隆、日本評論社
対数については、大航海時代に需要のあったサインやコサインのかけ算と割り算が面倒で、ネイピアが三角法の式を利用して積を和に直す方法を考えだしたあたりから発達した…ぐらいの理解が精いっぱいなのですが、今は当り前に使っている小数が長い年月をかけ改良されて来たというのは衝撃的でした。小数点(.)を使う表記はネイピアが対数を生み出す過程で考え出した副産物で、普及していった、というのが全体の流れでしょうか。

『モリソンの太平洋海戦史』サミュエル・E・モリソン、光文社、大谷内一夫訳
 これは一度、読みたかった本。特攻は、レイテ湾海戦で最初に使われたとは知っていましたが、沖縄戦の時にあれほど激しくなったのか、というのは不覚にも初めて知りました。どちらも、上陸を阻止するために、上陸部隊を援護するために沖合にいて無防備な船舶を狙ったんだな、と。同時に、虎の子の空母は護衛艦に守られて遠くにいたので、ほとんど打撃は与えられなかった、みたいな。それでも、ロケット推進の菊花は米国艦隊に対する最大の脅威で、ドイツのV1、V2ロケットに匹敵するとまで述べています(p.431)。また、原爆使用の理由を述べる流れで、本土決戦のために5000機以上の機体とパイロットが訓練中だったとしているのは初めて読みました(p.447)。ちなみに菊花は日本語の「馬鹿」にちなんだBaka Bombというコードネームをつけられていたんだなと。

『NHK 100分 de 名著 スピノザ 『エチカ』』國分功一郎、NHK出版
 國分先生は『中動態の世界 意志と責任の考古学』を書くことで、ずっと読んできたスピノザの理解が深まったとして、100分de名著シリーズを引きうけたんですが、そもそも中動態(中動相)というのは日本語文法にはない概念。動詞の示す動作が主語に対し特別に深い関係をもっていることをあらわすもので、例えばλουω(洗う)の中動態λουομαιは「自分を洗う、入浴する」の意味となります。ぼくにとってスピノザとは、非哲学的な言いまわしが多かったデカルトを受け継いで、首尾一貫した理論へと仕上げたものの、神のうちで無限と有限が精神的に一体化するという東洋的な余韻が感じられる哲学者byヘーゲル『哲学史講義 下』長谷川宏訳、p.239-というイメージでした。ところが国分先生の理解は正反対。デカルトによって構築され近代科学の基礎にもなった「自由意志に基づく人間」観ではなく、スピノザはこれを批判して、多くの要因によって人が自分の意思で選択したようにみえるけれども、実は行為の原因は知らないのではないか、という点が重要だ、というんです。神という全体の内で原因は外にあるものの、個人はコナトゥス(自分の存在を維持しようとする力)のために自らの力を表現するのが自由につながる、みたいな流れになるのでしょうか。


『ざっくり分かるファイナンス~経営センスを磨くための財務』石野雄一、光文社新書
 今年はリフォームにあわせてリビングなどに乱立させていた本棚から5000冊を処分し、書斎に3000冊だけ入れる作業を完了させたので、あまり本を増やさないという方針で、kindleによる読書を増やしました。これからは、学術論文でもkindle位置ょ章を示すようなことになるんでしょうか。ハイライト箇所をコピーすればまとめる際にも便利。ざっくりいってこの本は期待収益率=WACCを評価基準にした企業財務の見方の解説と、キャッシュフローの重要性を強調したという感じでしょうか。最も大切な一節は《企業価値を高めるためには-中略-フリーキャッシュフローを極大化して、割引率であるWACCをできるだけ下げる。あとは余計な非事業資産があるなら、それを売却するなりしてキャッシュに変え、再投資に回す、あるいは投資家に還元する》というあたりで、経営者の使命はWACC以上のROIC(投下資本利益率、Return On Invested Capital)を上げることだ、と。そして、ファイナンスとは《事業活動を行うためには、何かにお金を投じること(投資)が必要です。この投資に関する意思決定》である、と。

『刑務所わず。 塀の中では言えないホントの話』堀江貴文、文藝春秋
扉で書かれている「人口の4%は受刑者」という数字は、国立大学の大学院の入学者のパーセンテージと同じだと思います(よく入学式で語られます)。なんつうか、きれいな対比だと思います。《「バブルは悪だから資本主義に代わる新しいイデオロギーが必要だ」っていう人がいるけど、「ウィルスや細菌は人間には悪だから撲滅しないといけない」ってのと同じ》というコロナ騒ぎの今にも通じる言葉を残しているのはさすがだな、と。

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