『藤原定家 『明月記』の世界』
『藤原定家 『明月記』の世界』 村井康彦、岩波新書
『明月記』というと「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を反射的に思い出してしまうのは堀田善衛の読みに影響されているんだな…と感じながら読み進みはじめていたんですが、『明月記』を全体として論じたのは堀田善衛『定家明月記私抄(正続)』ぐらいだったとは…。
「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」が「戦争などおれの知ったことか」というニヒリズムというより、平家滅亡、東国での権力出現から西国が圧倒されていくという日本史を画する大事件などは我関せずという姿勢だったというのは呆れるばかり。
藤原氏などは治天の君への入内が依然として最大の関心事であり、それが兼実失脚という承久の変を生み、さらには東国の武士をみくびって承久の乱を引き起こしたというか。そうした中でも、政治的な危機感も抱かず、自分の官位を上げて家格を上げることだけを考えていた定家というのは、当時の王朝のイメージも含めてアップデートできました。
当時は宮中ではなく里内裏だったことが前提というのは、なるほどな、と(p.11)。定家が子孫に故実を伝える部類化を行わなかったことが日記として残った理由(p.13)など最初から面白かった。
ちなみに、この本では言及されていませんが「春の夜の 夢の浮橋 とだえして 峰にわかるる 横雲の空」という藤原定家の歌は、すべての詩の中で一番好きです。
最初、写生だと思っていたんですが、つくっていたのは死屍累々の京都の街で、悪臭に悩まされながらも、こんな歌をまったくの想像と本歌取りで歌っていたという詩は、あまりないんじゃないかな、と。現実の悲惨さを幻想で凌駕しようとした藤原定家の凄さ、というより、現実がチープだったのは、つい最近までなかったんじゃないかな。
この歌は本歌取りで
「風ふけば 峰にわかるる 白雲の たえてつれなき 君が心か」(壬生忠岑『古今和歌集』)
「霞たつ 末の松山 ほのぼのと 波にはなるる 横雲の空」(藤原家隆『六百番歌合』)
「春の夜の 夢ばかりなる 手枕に かひなく立たむ 名こそ惜しけれ」(周防内侍『千載和歌集』小倉百人一首67)
を元に、『源氏物語』の最後の帖である「夢浮橋」と『枕草子』冒頭の「春はあけぼの」も読み込む技巧の極北だと言われています。
ちなみに著者の村井康彦先生は90歳だそうで、素晴らしい。
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