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July 28, 2020

『プロタゴラス あるソフィストとの対話』プラトン、中澤務訳、光文社古典新訳文庫

出だしは《おや、ソクラテス、どこに行っていたのだ? 答えは明白かな? 若き美青年アルキビアデスのあとを追いかけまわしていた。そうだろう?》と始まるいつものBL展開。

そして「人間は万物の尺度である」という言葉でよく知られるソフィスト、プロタゴラスとソクラテスの議論は《知恵、節度、勇気、正義、敬虔。これら五つの名前は、一つのものにつけられた名前なのか? それとも、それらの名前のそれぞれには、何か独自のありかたを持つもの、つまりそれぞれが自分だけの働きを持っていて、他のどれとも同様だとはいえないようなものが対応しているのか?》というのが対話の眼目。

当時のアテネはソフィストの時代で《伝統的には、 徳 は生まれのよさによってそなわっているものと思われていたからです。そうした 徳 を、教育によって、(授業料さえ払えば)誰にでも教えるというソフィストたちの宣伝文句は、当時は驚くべきものだった》といいます。

《われわれアテネ人が民会に集まるとき、わたしは次のようなことを目にします。たとえば、国が建築にかかわる何らかの事業をしなければならないとき、彼らは建築物に関する助言者として建築家を 招聘 するのです》の民会は新約では教会の意味のエクレシア(Ekklesia)。ところが外交政策などについては《審議しなければならないときには、誰もが同じように立ち上がり、そうした問題について彼らに助言するのです。その人が大工でも、鍛冶屋でも靴職人でも、貿易商人でも船主でも、また裕福でも貧しくても、家柄がよくても悪くても同じです。 そして、先ほどの場合のように、『この人は、学んだことも、先生に付いたこともないくせに、助言しようとしている』と言って、こうした人たちを非難する者は、ひとりもいないのです。 その理由は明白です。 すなわち、彼らはそうしたものを教えることができるとは考えている》と。

《正義と節度と敬虔、つまり、まとめてひとことで言うなら、人間の徳のことだとしよう》というので徳についての議論になりますが、同じギリシャでも新約の正義、節度、敬虔(ホシオン)、勇気の用法とは大分違うな、と。例えば、四元徳(知慮・正義・節制・勇気)のうち、知恵 (φρόνησις プロネーシス)はルカ1:7とエフェ1:8だけですが、ルカでは「分別」みたいな意味で使われています。

こうした罰[を与える制度]には、きみの国でも他の多くの国でも、〈是正監査〉という名前が付けられているの是正監査(エウテュナイ)は初めて知る単語。役人の任期が終わる時に不正がなかったか監査されたそうです。アリストテレスの『アテナイ人の国政』にそんな記述があったかな…。新約にはエウテュナイという言葉は出てこなかったような…。

このほか《〈望む〉(ブーレスタイ)が理性的な欲求を指すのに対して、〈欲する〉(エピテューメイン)は肉体的な欲求を指す》なども調べてみたい。

《プロタゴラスとヒッピアスは、〈不安〉も〈恐怖〉も、そのような意味だと同意してくれた。しかし、プロディコスは、〈不安〉はそうだが、〈恐怖〉は違うと言った》というあたりも面白い。
不安(Deos)も新約ではヘブ12:28だけで、意味は恐怖、畏敬。70人訳では第二マカバイに集中して出てきますが、やはり恐怖の意味で使われます。中澤務先生は註112で《不安(デオス)は比較的長期間にわたる認知的な気分であるのに対して、恐怖(フォボス)は瞬間的に感じる非認知的な感情》としています。

また、四元徳のうち勇気は、恐ろしいものと恐ろしくないものを正しく計量する能力だということになってしまうからです。この計量の技術とは知恵にほかなりませんから、結局、勇気の実体は知恵であるということになります。

《人間は、こんないきさつで、生きるための知恵は手にしたのだが、しかし政治のための知恵を手にすることはなかった。その知恵は、ゼウスのもとにあったからだ》とプロメテウスなどによって火を得たりしたが、政治の知恵は授けられなかった、というあたりの議論も面白かった。

もう少し、光文社古典新訳文庫でプラトンを再読してみようかな…

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