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May 30, 2020

『中世史講義【戦乱篇】』高橋典幸編、ちくま新書

Chuuseishi-kigi

 期待にたがわぬ面白さ。最新の学説によって、日本の中世社会がダイナミックに迫ってきます。

 武士による乱世は保元・平治の乱から始まるのですが、そうした暴力的な中世社会に挑戦し、克服した秀吉の偉大さを改めて実感するとともに、文禄・慶長の役の評価では、日本の軍事力をみたスペインが植民地化を諦めたという功績を見直す論議も出てきていることに驚きました。

 まとめにあたる[第15講 総論]によると、中世は朝廷・貴族間の争いが軍事的に決着をつけるしかなくなることで武士の台頭が始まり、さらには源平合戦などで全国に戦火が拡大した、と。いったんは鎌倉幕府によって秩序は回復するのですが、元寇などで混乱。幕府崩壊に続く南北朝の内乱は戦国時代にまで及ぶ内乱の幕開けとみることができる、と。

 近世も武士の世でしたが、中世が戦乱にあけくれていたのは自己救済でしか権利を守ることができなかったからということが強調されます。考えてみれば、覇者となった以降の秀吉の天下統一の戦い(九州攻め、小田原攻め、奥羽仕置き)は、私戦は秀吉によって成敗されることを全国の武士に示すことであり、同じように争いの絶えなかった村落に発した喧嘩停止令とともに、中世の社会への大きな挑戦だった、という結論は納得的。

 毛利が一時の覇者となった西国の争乱の面白さと、北条氏が籠城と外交で生き残る東国の「国郡境目相論」の地味さの対比も面白かったかな(第10講と11講)。

 あと、武士たちは仲間内、特に兄弟間では殺し合うんだな、と。清和源氏は三流に分かれて争い、実朝で終わるし(とはいっても保元の乱で源義朝とともに主力となった義康の子孫が室町幕府を開く足利氏になるのですが)、時宗はモンゴルを迎え撃つ前に庶兄や北條一門を討つし。

 にしても、室町幕府は鎌倉公方の統率力を早々と失い、九州も支配をあきめたんだから全国が自力救済に向かう戦国時代になるのも無理はないかな、とか。

 全部をとりあげるわけにはいかないので、ひとつだけあげると、特に面白かった[第10講 西国の戦国争乱]は全体の見取り図が示されていて、分かりやすかったかな、と。出雲の尼子、周防・長門の大内氏に挟まれた安芸・備後・石見には有力な守護がおらず、吉川・小早川家を勢力下においた「毛利両川体制」を築いて国衆を束ねた地生えの毛利氏がリーダー的存在になり、尼子と大内を滅ぼし西国の雄となる過程は小説のよう。

 まず、大内義隆が尼子の富田城を攻めあぐねて退却したあげく、重臣である陶隆房によって廃されて自刃。しかし、毛利氏は厳島を攻めた陶氏を破って逆に防長両国を治めることに成功。さらに、石見から富田城を包囲して大内氏も倒せなかった尼子氏を滅亡させるという見事な両面作戦を成功させた元就はたいしたもんだな、と。

 さらには、西国の雄となった時点で織豊政権と対立するわけですが、毛利は秀吉の中国大返しの追撃せず、関門海峡を挟んだ大友と戦いに備えたことで乱世を生き延び、さらには関ヶ原で負けても幕末には雄藩として明治維新を達成することに繋がったんですから、たいしたものです。

以下目次

[第1講 保元・平治の乱]
[第2講 治承・寿永の乱]
[第3講 承久の乱]
[第4講 文永・弘安の役]
[第5講 南北朝の内乱]
[第6講 永享の乱]
[第7講 享徳の乱]
[第8講 応仁の乱]
[第9講 明応の政変]
[第10講 西国の戦国争乱]
[第11講 東国の戦国争乱]
[第12講 石山合戦]
[第13講 豊臣秀吉の統一戦争]
[第14講 文禄・慶長の役]
[第15講 総論]

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