『『室内』40年』山本夏彦
#7日間ブックカバーチャレンジ
#BookCoverChallenge
でこの時期に読める、気楽な本を紹介させていただいているのですが、『『室内』40年』はblogをつけはじめる前に読んだ本で、テキストにまとめていなかったので書いておきます。
売文家業にありつくことができ、なんとか生き残るため、文章の勉強で写経のように文章を写したのは山口瞳さんと山本夏彦さん、それにコピーライターの方々のボディコピーです。
山本夏彦さんのこの本は、自ら主催していたインテリア雑誌「室内」の40年を美人才媛ぞろいの女性社員との対談で振り返るという内容。「命は旦夕にせまっているんですぞ」「メイハタンセキって、なんですか。胆石をわずらってるんですか」というかみ合わぬ会話に味わいが。タイトルおそらく柳宗悦の『民藝四十年』にインスパイヤされたものだと思っています。
ちなみに刑務所内では刑務作業に木工があるため、所内で『室内』が自由に読め、安部譲二さんは山本夏彦のコラムを愛し、弟子入りし、デビュー作『塀の中の懲りない面々』は『室内』に連載されました。
安部譲二さんは「ヤクザは街の潤滑油」と組の事務所に大書していたといいますが、コロナ騒ぎに乗じてヤクザ顔負けの恫喝でカタギの商売をやめさせた首長がもてはやされたり、芸人が深夜ラジオの失言で干されそうになったりするコロナヒステリーが蔓延する状況にも想いを致しますね。
《町にはその町の歴史がある。神保町は古本屋の町、彦根は仏壇の町、富山県の井波は透彫の町-中略-昔はねそういうふうに分業になっていたんですよ》というあたりは、永井荷風の日和下駄を思い出します。小さな木工といいますか不断使いの品物、例えば「よのや」の櫛、「さるや」の楊枝、「榛原(はいばら)」の和紙、「阿波屋」のはきものなどは街のシンボルでした。
以下、気に入ったところを。
《創元社の経理にいたというので信用したら、半年たらずで筑摩書房へ移ったのはいいが、帳面をひとつもつけていませんでした。私が見ないのをいいことに一行もつけてないとは驚きです。のちにその筑摩はつぶれました(今あるのは新社)》
《歳をとったぶんだけ利口になったと思うのは思いたいからで、老人が教えたがるのはそのせいで、歳とったことを自慢するのは、ほかに自慢するものがないからです。人生教師になるなかれ》
《人間の根本的な疑問に答えることはできません。いわんや教え導くことなんかできるわけがありません。どんな商売も「いかさまの才」がなければ成功しません。いかさまの才は売れなくなれば何でもします》
《日光は日本中の腕におぼえがある職人が集まって作ったものです。だからあそこには技術の粋が集まっている-中略-あんまり腕ばかりふるったので、全体の調和を忘れた-中略-ブルーノ・タウトは左甚五郎の龍の彫物なんかには感心しないからね》
《明治三十年代に三浦環って声楽家がいただろう?「お蝶夫人」で有名なプリマドンナ、彼女が上野の音楽学校(いまの東京芸大)へ通ったとき十七、八かな。大振袖を着て自転車に乗って通学したんだって。東京中の評判になった。そのあと、下谷の芸者でさかえ(栄)っていう美人が負けずに自転車に乗った-中略-彼女はのちに、二代目市川左団次と思い思われて一緒になった》
《「摩訶止観」なんて読破したのは比叡山でも大僧正ひとりだったと言います。けれど幸田露伴は読んだ-中略-幸田露伴は文士で仏典を読める最後の人でしたね》(そして「五重塔」の話しに)
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