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March 16, 2020

『NHK 100分 de 名著 スピノザ 『エチカ』』國分功一郎、NHK出版

 

Ethica  水回りをリフォームして、最近ではオフロに入りながら防水のkindle Paperwhiteで読書しています。浴槽に肘を支える出っ張りがつき、お湯に浸かりながらkindleを肘で支えて読むのにちょうどいいので、むかし随分ムダに買ったコンテンツの中で読んでいないのを読もうかな、ということで、最初に読了したのが國分・中動態・功一郎先生によるNHKの100分de名著シリーズのスピノザ編。

 國分先生は『中動態の世界 意志と責任の考古学』を書くことで、ずっと読んできたスピノザの理解が深まったとして、100分de名著シリーズを引きうけたんですが、そもそも中動態(中動相)というのは日本語文法にはない概念。動詞の示す動作が主語に対し特別に深い関係をもっていることをあらわすもので、オフロつながりでいいますと、λουω(洗う)の中動態λουομαιは「自分を洗う、入浴する」の意味となります。

 この中動態について、國分先生はリストカットなどの自傷行為が知らぬ間にやってしまっていることが多いことなどをあげ、こうした行為は能動態でもなく、受動態でもない中動態が表現できる、みたいなことを書いていると思います。個人的には中井久夫先生が『徴候・記憶・外傷』で紹介していた行動の0.5秒前に実は意思されているというリベの実験で初めて「自由意志は万能ではないんだ」と知ったあたりと似ているのかな、と感じました。その後、『脳の意識 機械の意識』渡辺正峰、中公新書で、意識は単なる電気の流れでシナプスが発火するためには一定程度の閾値に達しなければならず、0.5秒とは考えてから行動を制御するには時間がかかることを意味する、みたいなこととして今は理解しています。

 ぼくにとってスピノザとは、非哲学的な言いまわしが多かったデカルトを受け継いで、首尾一貫した理論へと仕上げたものの、神のうちで無限と有限が精神的に一体化するという東洋的な余韻が感じられる哲学者byヘーゲル『哲学史講義 下』長谷川宏訳、p.239-というイメージでした。

 ところが国分先生の理解は正反対。デカルトによって構築され近代科学の基礎にもなった「自由意志に基づく人間」観ではなく、スピノザはこれを批判して、多くの要因によって人が自分の意思で選択したようにみえるけれども、実は行為の原因は知らないのではないか、という点が重要だ、というんです。

 「哲学研究の世界ではここ100年ほど、自発性、主体性、言い換えれば“意志"の存在が疑われています。僕は実際に“近代的意志"の存在を前提とした“常識"が人間に明確な害を及ぼしている現場に遭遇した。依存症の方々は、意志が弱い、と周囲から思われ、自分を責め続けています」というあたりは、経済の領域において合理的な存在であるホモ・エコノミクスが疑われていることとパラレルかな、と。

 また、「すべては神の中にある」「神には外部がない」などの考え方からスピノザは汎神論的だとヘーゲルなども考えているんですが、100分 de 名著では八百万の神を連想するとまで書いています。

 国分先生は「自分の存在を維持しようとする力」としてコナトゥス(ラテン語 conatus)を考え、そのコナトゥスが状況により変化することを「変状」と呼ぶのですが、「うまく生きていくためには、自分のコナトゥスの性質を知ることがとても大切になります」として、スピノザは「自由であるとは、必然の中で自分が原因になること」だと自由を重視しているとみているようです。

 そしてスピノザのさまざまな概念を「組み合わせとしての善悪、力としての本質、必然性としての自由、力の表現としての能動、主体の変容をもたらす真理の獲得、認識する力の認識」とに分類してとらえるべきだ、と。

 つまり神という全体の内で、原因は外にあるものの、個人はコナトゥスをのために自らの力を表現するのが自由につながる、みたいな流れになるのでしょうか。

 もちろん、こうしたスピノザの哲学に関する見方には蒙を啓かれたのですが、kindleで「今私が読んでいる本の一節を紹介します」とメールで線を引っ張った部分を送信できるのを知ったのも、ありがたかったな、とw

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