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January 10, 2020

『候景の乱始末記』吉川忠夫、志学社

Koukei

 南北朝時代は中国も、日本も複雑で捨てキャラのような人物が多数出て、混乱を増すので、全体像を描きにくいと感じます。しかし、南北朝時代という混乱の時代区分は日中両国の歴史認識に深く根を下ろし、アメリカのCivil Warも「南北戦争」と思いっきり意訳しつつ、その本質をズバリと言い当てています。必ず勝つのは軍事力に秀でた北朝であり、南朝は日米中とも大義名分を唱えるだけで敗れさります。しかも文化、経済の画期となる分水嶺でもあり、事実上の今につながる領域での国家統一も南北朝と南北戦争はなしとげています。

 やがて中国は鮮卑族の北魏の将軍から身を起こした楊忠の子、楊堅が隋を建て、黄巾の乱以来と405年ぶりに統一を果たすのですが、『候景の乱始末記』はそうした主要な政治勢力となる北朝から簒奪を受ける南朝の話し。特に梁が中心となっています。

 梁の武帝はヤル気にあふれて善政を敷きますが、仏教に溺れるという残念なところがあり、やがて政治も放縦に流れていきます。貨幣経済が発達した中で、無価値な鉄銭を鋳造して貨幣価値を暴落させるという致命的な経済的失策を重ね、そこに発生したのが候景の乱。北魏で立場が危うくなった候景が梁の武帝に帰順しますが、そこでも居場所をなくして破れかぶれで反乱。少人数による反乱だったにもかかわらず弛緩しきっていた都「建康」を落とし、なんと皇帝に即位しますが、すぐに敗北。無残な死を遂げます。

 中国本土で失われ、雅楽にだけ残っている同時代の「蘭陵王」のようなアナーキーな世界。

 しかし、複雑すぎる中国の南北朝をドライブさせた推進力が、少なくとも著者である吉川忠夫先生は分かっていると確信して書いてるような説得力があります。今は多少、疑問視されている「南朝は貴族の時代」だったことを前提にしているのは、昔の本(元は新書)なので仕方ないんでしょうけれど、そんなことはどうでもよくなる。

 第二章の徐陵も面白い。徐陵は南朝文化の象徴。武帝の皇太子である昭明太子が長命を得ていれば、歴史は変わったかもしれませんが、昭明太子の死後、こんなにも早く梁は瓦解してたのか、と驚きます。昭明太子が編纂した『文選』に対抗して、簡文帝が皇太子時代、徐陵に編纂を命じたという恋愛詩の集大成『玉台新詠』も読んでみるかな。徐陵は文化的に進んでいるとみられていた南朝文化を代表し、梁の武帝の親善使者として東魏の首都に派遣されるのですが、候景の乱によって帰国ではなくなり、さらには東魏も滅んで北斉となり、候景の乱が終わって梁に戻ると、梁を滅ぼした陳に仕えることになるという数奇すぎる運命を生きます。

 第三章は後梁。中国の南北朝、ホント、混迷の度合いが深すぎですが、後梁がこんなに重要な役割を果たしていたとは、全く知りませんでした。文化的にも、南北統一に果たした江陵の地政学的な役割にしても、非常に大きいものがあるな、と。

 補章の「史家范曄の謀反」では《上昇のモメントもなければ下降のモメントもなく、あるのはただ均衡と調和と平静のみ》という退屈な貴族の生活の中で、范曄(はんよう)は南朝宋で意味もないクーデターを起こそうとして失敗、一族もろとも刑死します。仏教に溺れた梁の武帝、昭明太子と対照的に、後漢書をまとめた范曄は無神論者で刹那的。そうした出口のない気分が南朝を覆っていた、ということなんでしょうか。

 しかし、匈奴系の宇文泰も北周の基礎を築いたものの、楊堅に男系は根絶やしにされてしまいます。遊牧民も漢化されて徳治を目指しますが、宇文泰の時代ではまだ早く、子孫である唐の第2代皇帝李世民をまたなくてはならなかった、と。しかし、これによって中国は、それまでの中原に加え、経済の発展した揚子江以北と遊牧民の住む北方も領土となっていった、みたいな。

第1章 南風競わず―侯景の乱始末記(白日黯し朔北の嵐、蕭衍老公を縛取せん ほか)
第2章 徐陵―南朝貴族の悲劇(江南の使臣 公宴)
第3章 後梁春秋―ある傀儡王朝の記録(江陵の陥落 長子に利あらず 竜躍の基趾 ほか)
補章 史家范曄の謀反

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