『日本史の謎は「地形」で解ける【文明・文化篇】』竹村公太郎、PHP文庫
台風19号では、河川への意識の高まりというか、治水レベルが向上したため、普段はほとんど意識もしなかった河川が、ひとたび大雨が降ると、甚大な被害をもたらすということが改めて認識されたのは、不幸中の幸いだと思います。
台風19号の減災は徳川家康の利根川東遷からの長い歴史があって、八ッ場ダムが奇跡的に間に合ったという僥倖が大きいと思いますが(八ッ場ダムが役に立たなかったというのは愚かな考え方です)、多摩川や相模川の城山ダムの件も家康以来の治水の取組みに端を発するのかもしれないと感じました。
竹村公太郎さんは国交省の元河川局長なんですが、近代的な治水の常識として
1)河川の氾濫を防ぐの流れの直線化=ショートカットが基本
2)台風の進路は正確に把握できるので、上陸3-4日前から計画放流して貯水池を下げる洪水調整操作が行われる
ことがわかります。
八ッ場ダムが役に立たなかった(利根川最上流で一気にため込んだ今回の貯水が役に立たないわけがないのに)という暴論だけでなく、多摩川のショートカットついて様々な方がインターネット上で独自の見解を示されていますが、全長100km、30%もカットした石狩川については増水時に海へ素早く流すだけでなく、川底を深く掘り、地下水を下げるという効果も直線化にはあるということも書かれています。
洪水対策はどこかで水を溢れさせる、ということが古今の知恵だということは前著の『日本史の謎は地形で解ける』でも繰り返し書かれていましたが、渡良瀬遊水池や横浜スタジアムの遊水池の写真をみても設計通りだったことがうかがえます。
多摩川については、以下のような流れがこの本では書かれています。
家康の関東移封→関ヶ原の戦いの3年前に多摩川の測量開始→二ヶ領用水を川崎領と稲毛領にわたって開通させる→幕末に横浜開港→急激に発展した水源のない横浜は二ヶ領用水からもらい水→川崎が嫌がらせ&芦ノ湖の水は静岡に取られる→横浜はパーマーを招聘して1885年に相模川を水源に水道の建設に着手→さらに発展して人口増加→相模ダム、城山ダムを戦前から戦後にかけて建設→高度成長→酒匂川で三保ダム建設→さらに相模川に最大級の宮瀬ダムを2001年に完成
しかし横浜に発展の産湯を与えたのは家康の二ヶ領用水だった、と。
また、前著では家康が利根川を東遷させたのは湿地を耕地にするためだとしていましたが、この本ではさらにエネルギー源としての森林に注目したからだ、とも付け加えています。とにかく、結果的には利根川東遷の結果として乾いた耕作地が生まれ、人口増加、明治の首都となって荒川放水路も完成したわけですが。
日本は春から秋にかけての半年間で一年分の食糧をつくらなければならなかったので、働きモノでせっかちな民族性が生まれたとか、ピラミッドはすべてナイル西岸に並んでおり、それは砂を貯めて流れを下流まで持たせる堤防づくりのための「からみ」だった、という仰天の新説を唱えていたりします。
既存ダムを10mカサ上げして電力不足を補うという考え方も面白かった。
面白くてタメにになるという本ですので、ぜひ、ご一読を。
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