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October 10, 2019

『行動経済学の使い方』大竹文雄、岩波新書

 
 
 経済学は一時期、数学の方向に走って、社会を対象にして変数を変えたらどう動くか、みたいな理論経済学の方向にいきましたが、後付け説明以外にはあまり有効ではないと認識されているのではないでしょうが(もちろんマクロ経済では、動学的一般均衡モデル=DSGEモデルなどでパラメーターを変えつつ、現状報告的なことはしなければならないのでしょうが)。こうした自然科学的アプローチは、有効化もしれませんが、おそらく変数が多すぎて入力と出力の時間差なども含めて、今の技術では役に立たないという認識が広まる中で、それまでの主流派経済学に対する批判として行動経済学は出てきたんだと思います。
 
 セイラーのナッジの例などを断片的にみると、確かに面白いのですが「それって心理学の応用じゃないのかな」と感じていました。といいますか、個人的に行動経済学的センスを最初に感じたのは80年代に「問題解決の人間学」と副題がついた『ライト、ついてますか』ゴース、ワインバーグ、共立出版。
 
 トンネルの出口でライトをつけたままの運転手にバッテリーあがりを含めた注意を呼びかけるとしたら
 
・もしいまが昼間でライトがついているならライトを消せ
・もし今暗くてライトが消えているならライトをつけよ
・もし今が昼間でライトが消えているならライトを消したままとせよ
・もし今暗くてライトがついているなら、ライトをついたままとせよ
 
という4つの場合に分けなければならないのですが、それより「ライト、ついてますか?」で十分なのだ、というあたりは実に効率的だと感心しました。このほか「人が問題だと言っていることが本当の問題とは限らない」とか「誰の問題か?」「問題はどこから来たのか?」「最も重要なことは問題は解決されることがないと知ること」というあたりも含めて印象に残っています。
 
 ワインバーグのコンサルタントの第二法則に「一見どう見えようとも、それはつねに人の問題である」というのがありますが、こうしたエッセンスを統計的によって説得力のあるものにしたのが行動経済学なのかな、と個人的には感じています。『ライト、ついてますか』は試行錯誤を通じて解決しようとするのですが、行動経済学は個々人の行動を統計を元に予測可能だとして、人々をナッジによって自発的に望ましい行動を選択するよう促すことができるというものなのかもしれません。
 
 前置きが長くなりました。とにかく、そんなことを考えながら読み始めたのですが、「はじめに」によると、で人間の意思決定のクセを理解することで、金銭的なインセンティブや罰則付きの規制を使わないで人々の行動をよりよいものにするのが行動経済学の目的だということでしょうか。そして、それが使える段階にあり、実用段階にきいてる、というのが著者の主張。
 
 生意気にも知ってる事ばかりじゃない…と読み進んでいったんですが、確かに使える!と思ったのは、人間は確率0%の状況から小さい確率でも発生する可能性が出てくる思うとそれを過大評価し、100%から僅かに下振れのリスクが生まれると確実性が大幅に低下すると感じるというあたり。東日本大震災の福島第一原発事故では、班目春樹・原子力安全委員長が菅直人首相らに「再臨界の可能性はゼロではない」と答えて海水の注入が一時中断されたといわれていますが、これも「ほとんどありえない。真水が無くなれば海水を入れるしかない」と答えれば、燃料棒が溶けて水に触れる水蒸気爆発までには至らなかったのではないか…と考えてしまいます。
 
 また、株で負けてる時に損切り出来ずに損失を拡大し、逆に上がっている時には僅かな利益確保を急いでしまうという個人投資家の行動のそのパリエーションだな、とも感じました。本文では、利確は出来るけど、損切りは出来ないと一般的に書いているだけですが、もう一歩進んで、利確が小さいというのが、こうした場合のパターンだと思うんで、研究してほしいと感じました。
 
 また、現状維持バイアスは確かにつよいとも感じます。株でも一旦買ったら、持っているということだけでその価値が倍以上に感じるから、なかなか損切りできないんじゃ、と。保有する前後で価値は倍になると感じるとか、企業のキャンペーンの試供品配布は保有という現状維持バイアスに働きかけてるというの納得的(p.20)。
 
 とにかく、人生にとって大切なのは命とカネだから、医療関係と金融関係の例を増やしていってもらいたいな、と。ただ格差の問題でそうした医療にしても金融でも、選択のシチュエーションにすら到達出来ない層があるという問題はあるかもしれません。ということは、実験をするにしても、前提として保有する資産別の研究なんかも必要ではないか、というか、そうした方向で深められないか、とみたいなことも考えました。
 
 他人から損失をこうむったら自分が得にならなくても仕返しや罰を与えたくなる性向(まるでホワイト国をめぐる最近の対応…)、回収できないサンクコストを理解できない誤謬、精神的・肉体的に疲労していたり金銭的に不如意だと意思決定能力が落ちるとか、納得的な話しが続きます。
 
 サイコロで6が連続して出るなど平均から乖離した後は、平均に回帰する確率が高くなりますが、こうしたことから、人の健康が悪化した場合、たまたま健康を回復する過程で民間療法を試すと「効果がある」と錯覚されやすいというのも面白かった。さらには、仕事や子育てスポーツでの失敗の後に叱責すると効果が出るというのも同じ錯覚といのには唸りました。たまたま失敗しただけで、普段は出来ているわけで、その時に叱って次にうまくいったとしても、実は平均へ回帰しただけというのは、実に説得力がありすす(p.38)。スポーツの世界では口で言ってもわからない時は…というのも少しはアリなのかなと思ってはいたんですが、確かに、失敗する方が少なくなるほど上達した後の習熟訓練などでは、たまたま失敗されたのをいちいち怒られては気分悪くなりますし、出来るようになるための上達訓練の時には、褒める方が効果ありそうで、叱るというのは良くない選択なのかな、と。
 
 証券ディーラーが半日単位で成績を確定する会社と一日単位で確定する会社では、行動が異なるという話しも面白かった。午前中に損失を抱えたディーラーは、午後によりリスクの高い投資をする傾向があるそうです。こうした一発逆転はたいてい上手くいくはずないので、長期的には問題に鳴ってくる、と。どちらも同じ人間がやるわけですから、いくらプロとはいっても、こうしたところは損切できない個人投資家と同じだな、と。長期的な目標のためにはその時点その時点で最適な行動をとるのがベスト。もし、出来なかったら、次善の計画をたてるべき、というのも納得的(p.139-)。
 
 あと、インターネットで放射脳みたいなことを撒き散らすヒトたちは本当にどうしようもないな…と思っていたんですが、そうしたヒトたちは考え方にバイアスがあり、計算能力に限界を持ち、自制力もなく、損失回避の傾向が強い(ケチくさい)ために、合理的な意思決定ができないと考えれば優しく対応できるかも、と申し訳ないですが思いました(p.199)。
 
 大竹文雄さんは、あとがきで『医療現場の行動経済学』を紹介していて、それも読もうと思いました。そこでは、医師がどうして患者は合理的な意思決定が出来ないのか疑問に思っていた、と書かれています。待合室などでも、精神を病んでるんじゃみたいな方に会うことがありますが、それはただでさえ低下している能力が、病気による不安でさらに低下するからかな、とか。とはいっても、病気だけでなく、加齢でも人間的な能力は低下していくわけで、他山の石としなければ…
 
 政策ミックスで法案のイメージが変わるあたり(p.189-)は知り合いの先生に紹介しようかと思いました。バカにされてる軽減税率も、よく考えれば、政策ミックスによる効果を狙ったものなか、それか!なんて思うほど。よく、昔の自民党の政治家は「足して二で割る」みたいな解決策で乗り切ってきただけ、なんて馬鹿にされていましたが、意外と、それは正しい方策だったのかな、と。

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