« 『熱学思想の史的展開3』山本義隆、ちくま学芸文庫 | Main | 『玉三郎 勘三郎 海老蔵』中川右介、文春新書 »

September 19, 2019

『ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック』村上春樹、中公文庫

 短編の傑作『リッチ・ボーイ』が80年代という若い時代の村上春樹によって翻訳されています。。

 《個人というものを出発点に考えていくと、我々は知らず知らずにひとつのタイプを創りあげてしまうことになる。一方タイプというところから考えていくと今度は何も創りだせない―まったく何ひとつ。たぶんそれは人というものが見かけより異常であるせいだろう。我々は他人や自分自身に対してかぶっている都合の良い仮面の裏では、どうして風変わりでねじくれているのだ。「私はごく当たり前の、包み隠すところのない、あけっぴろげの人間ですよ」と言う人に会うたびに、僕はこう思う。この男には、おそらく身の毛もよだつようないかんともしがたい異常な部分があって、意識的にそれを押し隠そうとしているのだろう、と。そして自分をありきたりの包み隠すところのないあけっぴろげの人間だといちいち断るのは自分の異常性をうっかり忘れぬための方便に違いあるまい、と》という書きだしはうなってしまいました。

 おそらく自身の小説のように書きだしには凝ったと思ったのですが、原文を読むと、さらに驚きました。

"Begin with an individual, and before you know it you find that you have created a type; begin with a type, and you find that you have created--nothing. That is because we are all queer fish, queerer behind our faces and voices than we want any one to know or than we know ourselves. When I hear a man proclaiming himself an "average, honest, open fellow," I feel pretty sure that he has some definite and perhaps terrible abnormality which he has agreed to conceal--and his protestation of being average and honest and open is his way of reminding himself of his misprision."

 なんと簡潔な文章でしょうか。それを普通の日本語に小説として訳すとすると、この翻訳のようにかなりの敷衍が必要なんだろうな、と。

 主人公はニューヨークの上流階級の一族で育ったアンソン。彼にについて思い出したのは『紳士は金髪がお好き』に出てくる人生に絶望している6歳の少年、ヘンリー・スポフォード三世のようだな、と。そんな何不自由なく生きているリッチボーイでも、人生に痛々しいものが突き刺さっていきます。表面的には少しばかりプライドが高く(『春の海』の清顕のように)、冷笑的でもあるため、真の愛を手に入れることの出来なかった青年の物語とも読めますが、全体の雰囲気、二度と帰ることのない時代の空気が描かれているのかな、と。

 《リッツ・ホテルにはポーラの従姉も同泊していた》(p.247)という一節がありますが、『夜はやさし』やタイトルそのものに使われた『リッツくらい大きなダイアモンド』のように、フィッツジェラルドはリッツが好きなんだな、と。イェールや自身の卒業したプリンストンなどアイビーリーグの生活、同窓生との交流など狭い世界を描いていた彼にとって、『グレート・ギャッツビー』は少し世界を広げた小説だったのかな、ということも感じました。
 
 『ゼルダ・フィッツジェラルドの短い伝記』では「朝食には桃ね」という夏の過ごし方が印象的。5ドル札でタバコに火をつけていた時期からの転落振りは、非現実性を感じてしまうほど。

|

« 『熱学思想の史的展開3』山本義隆、ちくま学芸文庫 | Main | 『玉三郎 勘三郎 海老蔵』中川右介、文春新書 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




« 『熱学思想の史的展開3』山本義隆、ちくま学芸文庫 | Main | 『玉三郎 勘三郎 海老蔵』中川右介、文春新書 »