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August 08, 2019

『日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学』小熊英二、講談社現代新書


 新書とはいえ、序章で簡単に先行の研究史と方法論にふれているのもいい感じ。各章の扉にまとめが簡潔に記されているのは分かりやすい。時間のない方は、各章のまとめと3-6章だけでもご覧になったらいかがでしょうか。

 第一章「日本社会の「三つの生き方」で大企業型、地元型はわかるけど残余型という言い方がわかりにくいな、と思ったけど職域と地域という《基本的な単位となる帰属集団》に根ざしていない、という言い方がやっとわかりました(p.35)。大企業型は大卒で大企業や官庁の終身雇用、地元型は高卒で農業や自営業、地方公務員など。大企業型は給与は高いかもしれないが、住宅ローンを考えると使えるカネは少なく、政治力もない。地元型は給与も低いが、家があるのでそこそこやっていけるし、政治力もある。残余型はどっちもない、みたいな。

 第二章では《その社会で「あたりまえ」であるような慣行ほど、本や論文を調べてもよくわからない》《研究書その他で得た情報をもとに書いているので、最新事情とは言いがたい部分もある》というあたり、お、これまではとは違う感じと感じる(p.97-)。

 【三章】

 米英仏独の雇用習慣がどのような歴史を経てかたちづくられたかを説明してくれて、ここから六章までが本書の白眉。日本的雇用システムの特徴を欧米と比較して説明する試みはこれまでも読んだことはあったけど、どれも現象面だけのような記憶だったので、新書ながらもコンパクトにまとめてあって納得的(もちろんぼくが圧倒的に読書量は少ないのが原因かもしれませんが)。

 結論として日本型雇用は「企業のメンバーシップ型」、欧米は「職種のメンバーシップ型」と形容すべきという指摘にはハッとさせられる。この違いは長期雇用や安定した賃金を「社員の平等」で実現するか「職務の平等」を通じるかの違い。ただし、それは経済成長期の人手不足を背景に広がった、と。

 《どこの社会の労働者も、雇用や賃金の安定を求めるし、経済状況が許せばそれが可能になる》(p.205-)わけだが、日本の非正規の問題は、グローバル化にフィットした「職務のメンバーシップ」が不況期に拡大して、日本国内でも改善される見込みがないことなんだろか、とも考えさせられました。

 同時に欧米的な「職務のメンバーシップ」がすべての解決策ではないし、歴史的な必然の束で形成された制度を、欧米で権利意識が強いからと、現象面だけに着目して指摘する自称欧米通は全く役立たずというか《質的に違うものを、量的に比較しても意味はない》(p.147)という指摘は納得的。フランスのストなどを「権利意識が強いから」というひと言では片づけられないわけで。

 米国の場合、現場を丸投げされた職長が恣意的に労働条件を決めたり、解雇出来たことへの反発から職務の平等は勝ち取られたものだし、それを通じての同一労働同一賃金は、日本型でも社員の平等が実現されてないのと同様に実現されてはいない、というあたりはなるほどな、と。

 大学教授でも使う「テュニア」は職務の「保有権」であり、解雇されない立場のこと。米国で大学院が発展したのも四年制大学卒が多くなり、差別禁止もあって採用基準として便利だったから。独仏の大学制度も歴史的な必然で整備されてきたもので、そうなると日本の大学ヒエラルヒーも必然?

【四章】

 いきなりちょっとあやしげな記述に遭遇。それは明治維新後、士族が早々に退潮したことを学歴が身分的指標に転化した理由だとp.224,267で強調しているあたり。224頁では欧州貴族は土地を持っているが、武士は土地と切り離されていたからと、『ドイツ官僚制成立論』と日本近世史意外の資料を典拠に語っているけど、出典も問題だし、指摘も疑問。

 ぼくも専門ではありませんが、Lehen(封土)からPfrunde(俸禄)の移行は欧州でもあったろうし、後半で例にあげられているイギリス貴族は大規模な大名クラスじゃないの?と思いました。明治政府の身分の三層構造が民間企業に持ち込まれたって論旨だけど、幕藩体制の武士の身分だって似たような感じだったのでは?

 単に能力主義選抜による三層構造に変わったといえば分かりやすくていいのにな、と。払い下げで民間企業となっても官営企業時代の影響が残り、そこから広かった子会社にまで波及したですみそう。あと、259頁になってやうやく「職員」という言葉が出てきたが、この言葉の持つ複雑なニュアンスの説明は不足していると感じる。

【五章】

 日本が制度を真似たプロイセンでは大学卒業者が供給過剰で、高級官僚になるには40歳になるまで生計を確保する必要があったため資産家か貴族、あるいは資産家の娘を嫁にもらわなければならず中間層以下は10%に過ぎなかった、というあたりはなるほどな、と。

 ホーエンツォレルン家には「官吏は多ければ多いほど盗っ人が多い」を家訓とするなど、官吏と王政は緊張関係にあり、職務と権限の明確化・文書化がうながされた。出自によらず帝大を出て高級官僚になれた日本は平等だったが、明治維新直後は帝大卒が少なすぎた、と。

 日本の中央官庁では本省の「課」が事実上、日本国政府そのものであり、課長は一国一城の主だが、それはプロイセンの君主やアメリカの世論などの対抗勢力がなかったため。日本の場合、軍隊の影響も大きく「現役」と同じく「定年」も軍隊用語。徴兵制なので日本の男性社会には良く馴染んだ、と。

 1920年の大学令で早慶など10校が大学と認められ、一気に供給過剰となり、成績上位者が必ずしもビジネスで役に立たないことも分かってきたので、企業の採用も人物本位となり、学校の紹介が重要視されるようになった、というあたりは納得の流れ。こうした動向は中学、実業学校にも及んだ。これは学校の制度が州ごとに違う米国ではありえないこと、というあたりも面白かった。

【六章】

 日本で企業別労組が発達したのは大平洋戦争後、食糧難の中で、疎開にも行けずに荒廃した都会に残された、帰るべき田舎を持たない工場の従業員が互助的に工場内の土地や物資を使って自活するなどの経験が大きかった。工場は配給ルートとしても重要だった、というあたりはハッとさせられた。

 愛国的な工員たちは敗色が濃くなると幹部たちが物資を横流しして必需品を得ていたのを知って、それが武器の不良品を生み負けたことを戦後、糾弾した。共通の生活苦を共に味わったこともあり、上級社員と工員を平等に扱えという要求は《日本の労働者が理解した戦後民主義であった》(p.363)というあたりは妙な感動も。

 労働者は家族が食っていける生活給という考えを重視(家族手当など)。経営側の裁量を減らすという目的もあり、効率化を目指す経営陣とは同一賃金同一労働でも対立。やがて経済が成長すると高給を貰える方を選んだ労働者は第2組合をつくっていき、混合組合の弱点があらわになった、と。

 経営側も厳しい対立を続けるより、長期雇用や年功賃金と引き換えに組合と妥協する方を選んだ。軍隊という共通経験は大きく、荒畑寒村は組合委員長として隊伍を組んだ組合員から敬礼をうけた。また、国民皆保険は国民皆兵からもじったというのは知りませんでした。

 地元に住んで親の家を継ぎ、地域社会に溶け込んで…というのが一番ラクそうに描かれていたけど、そうした地域社会がなくなったら、大変なんだろうな、というのは実感できる。ただし、その類型ともいうべき「半農半鉄」にひと言も言及していないのは瑕疵かな、とか。

【第七章】

 ここでも、通奏低音のように大学院進学率は伸びず(p.457)と書いています。一方で米国ではより良い職種に付くために大学院進学率が伸びた、と。今後、この方向で分析を「日本社会のしくみ」の解析を進めていくとしている筆者にとって鬼門にならないかな。

 吉本隆明さんは「不況で就職口がなかったから大学院に進んだし、指導教官もそう心得ていた」と自身の戦争直後の体験の中で書いていたんですが、60-70年代にそうした現象が日米で対照的に起きたとしたら、日本が高度成長期、米国に陰りが見えたからかもしれないかな、とは思いますが。米国の当時の大学院進学状況には、吉本さんが語っていたようなものがあるのかないのか。マクロレベルしたら小さな問題かもしれないけど。

 八章では中井久夫の《論文を読後感によって二つに分け「なるほど」型と「それがどうした」型》に分けられると『私の「本の世界」』筑摩文庫で述べているあたりを思い出しました(p.155)。1-6章は「なるほど」型だったけど、7-8章は「それがどうした」型かな。労務管理のハウツー本に書かれているような内容に、強引に大学院進学率が低いという指摘を付け加えただけのようなというのは言い過ぎにしても。

 会社勤めなど経済の実態の経験の少なさから頭でっかちな浅い分析になっていそうな気もしたので、あまり期待はしなかったんですが、3-6章は面白かったです。文体も変わったというか、重苦しくなくなって、対象により真摯に向き合う姿勢も感じられます。これまでみたいに、最初に結論ありきで書いてる感じはない。『1968』は良かったけど(テキストだけじゃなくて、少しは自分の記憶もあるだろうから)、それより以前の近現代の過去は「書いてないこと」には言及できず、かといって現代は思い込みが過剰な感じがしたんですが、今回は記述もフラットでバランスがとれている感じ。小熊さんはテキストは大量に読むが、確か谷川健一さんにテキストにないからそう言えるとは限らないと柳田国男に関して言われたことを思い出します(『対話の回路 小熊英二対談集』p.239-)。

 ただ、竜頭蛇尾というか、最初から言及している大学進学率は上がったが、大学院進学率は伸びず、日本は国際的には低学歴化しているという見立ては面白いものの、その原因を企業が『地頭の良さ」を求めるからというステロタイプの分析以上のものがない感じ。企業は絶えず変化していく環境に対応しなければならないし、大学院への進学率向上よりも、大学教育の充実など、他の処方箋もあるだうに、という印象。

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