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August 13, 2019

『独ソ戦』大木毅、岩波新書

 日の下に新しきものなしというコヘレトの言葉を知っていれば、TVで流れる悲惨なニュースは意味がないことはわかるし、たとえそれがいくら規模が大きくなったとしても、今のところ人類史上最悪の地獄となった『独ソ戦』とは比べものにはならないことが分かります。独ソ戦は70年数前にあった本当の狂気と地獄。それが東部戦線。人類はそれまでも、それからもこんな悲惨な事態は経験してないな、と改めて思います。

 旧帝国陸軍のノモンハン、インパールなどはほんと、「アホな上官、敵より怖い」という感じで、ホラー映画を観るより背筋が凍ります。あまり、こういうことを露骨に言うと尊敬されませんが、「こんな目にあわなくてよかった…」と自分の現状を多少、幸せに感じられるというメリットも正直ありますので、この時期の読書計画に入れることをお勧めします。

 ということでビーヴァーの『ベルリン陥落1945』と『スターリング 運命の攻防戦 1942-1943』、ナゴルスキー『モスクワ攻防戦』などのほか、スナイダーの『ブラッドランド』を含めて大部な独ソ戦の本は時々、読みたくなるので、たまにはコンパクトな岩波新書で『独ソ戦』でも読んでみるか、とあまり期待せずに手に取った本書ですが、これまでの独ソ戦の見方が180度変わりました。

 従来は軍曹あがりで軍事的に素人のヒトラーが無理難題を押しつけたため、優秀なドイツ軍が目的を達することが出来ず、人海戦術のソ連に押されてしまったという認識だったんですが、スターリングラードの独第6軍を逆包囲して殲滅してからは、ソ連軍が見事な連続打撃による有機的な大作戦をみせるですね。

 無傷の日本軍もソ連軍には鎧袖一触で粉砕されるんですが、それはソ連軍の見事なまでの有機的で連続的な作戦にあったんだな、と分かりました。

 本書はいきなり出だしから良いんです。スターリングラードを東京として考えると、戦いの発端となったハリコフは金沢から300kmの日本海の海中、黒海に注ぐドン河の河口という交通の要衝のロストフ・ナ・ドヌーは奈良県という広大さ。ヒトラーが、いくらスターリンがトハシェフスキー以下の軍幹部を粛清していたのを知っていたにしても、よくこんな大作戦を勝利に導けると思ったな、と。まさに「アホな上官、敵より怖い」わけです。

 もちろん、これはイギリス上陸作戦が再建途上のドイツ海軍では不可能なので、空軍力に頼った力押しをしていたのが不可能になったことが遠因。この時点で、リッベントロップはモロトフに日独伊ソ四国同盟でイギリス解体をソ連に提案したんですが、にべない反応だったので、独ソ戦を決断するという乱暴な判断なんですね。

 しかも本来、ヒトラーは独ソ戦を主眼目にしていたんですが、チャーチルが徹底抗戦の方針を固めたため、英本土上陸作戦を指令したが、再建途上の海軍が困難であると難色を示したため空軍力に頼ったという経緯があった上での話し(p.11)。

 こうした動きはゾルゲ電だけでなく、ドイツが攻め込むという情報は百数十件に及んでいたというのに、スターリンは無視(p.3)。自分だけが正しいという今の日共などにも通じる唯我独尊がソ連の国民に2700万人もの死者を出すわけです。

 ヒトラーやスターリンだけでなく、ドイツ軍も全く相手の思惑を読めずに最悪の事態に備えて準備をエスカレートしていったということを含めて、疑心暗鬼によるエスカレートと、思い込みによる現実無視は人類に共通する問題かも。現在でも文在寅大統領が安倍首相の意図を読み間違えたというか読めなかったのは、スターリンがまさかドイツ軍が攻め込むとは思わなかったのと似てるな、とか。

 それにしても、ドイツ軍は41年7月のスモレンスク包囲戦で辛うじて勝利したものの、補給路が伸びきり、部隊の消耗も激しく、この時点で打撃力が足りなくなり事実上ソ連打倒は不可能になっていた、というんですね。まったく、当時の日本の駐欧州武官は何やってたんだ?と思います。12月の日米開戦まで半年もあるのに、まだ「バスに乗り遅れるな」と思い込んでいたなんて。しっかり情報収集していれば、乗ろうとしたドイツのバスはすでにポンコツとなりかけていて、谷底に向かってることがわかったハズなのに(p.62-)。

 当時の情報収集というか、旧帝国陸海軍や外務省は当たり前の公開情報の把握なんかをやっていたのか?と改めて思います。

 ヒトラーはモスクワ侵攻が不可能となるや、今度は戦争継続のために石油を取ると言って、大コーカサス山脈の北麓にあるマイコープを占領したものの、ソ連が退却する前に破壊したため目的は達せられませんでした(p.140)。マイコープ油田は再稼働は戦後の1947年だそうで、これはイラクも湾岸戦争でクウェートの油田でやってるけど、最悪なんすよね。

 こうしたソ連軍の作戦が進展するにつれ、モスフィルムの『ヨーロッパの解放』を再び観たくなりました。当時は単なる大がかりな戦争映画、しかもソ連のプロパガンダじゃないと思いながら見ていたんですが、多少、舞文曲筆はあるにせよ映画『ヨーロッパの解放』は作戦行動通りに描いているんですね。クルスク大戦車戦で、ソ連軍の対戦車砲がやたらドイツの戦車に当たった場面が続いて、子供ながら「そんなわけないでしょ」と思っていたけど、ソ連軍は突出部となっていたクルスクを泥濘期が終わったら必ずドイツ軍が標的にすると踏んで、入念に測定などの準備していたとは知りませんでした。

 p.204の地図はフィンランドからルーマニアに至る長大な戦線を見事にコントロールして、10の軍団から構成される《五つの連続打撃を行う》《攻勢が相互に連関》する見事な戦術を説明しています。これまで東部戦線を描いた本、映像作品は「ヒトラーが口出ししなけりゃ」というドイツ惜しかった史観だったことが痛感されるのが、この独ソ戦の終わりの始まりとなる「バグラチオン」作戦です。

 それにしても、スターリングラードを包囲した独第六軍を逆包囲してからの見事な展開には驚かされます。そして《こうして磨き上げられた作戦術は、翌年の「満州国」侵攻でも猛威をふるうことになる》わけです(p.206)。大事なことなので二度言いますが、ほぼ無傷の旧関東軍が鎧袖一触で粉砕されたのは、相互に連携され、相乗効果を産むソ連の連続打撃だったのかと蒙を啓かれました。

 文献解題で、参考文献としてあげられていた書籍に白水社から刊行されたものが多いのにも驚きました。あまり戦争モノには縁がない版元と思っていたが、読書量不足も実感できました。

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