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May 02, 2019

『乱と変の日本史』

 本郷先生の素晴らしさはどの中世史家よりも分かりやすく、才気煥発な文章で日本史を面白く紹介してくれる能力だと思うのですが、実は、大きな前提に乗っています。この本も中世史の見方のひとつである佐藤進一先生の東国国家論で読み解く武家の歴史という感じ。尊氏、直義の関係も佐藤先生の「将軍の二つの機能論」で押し切っている感じで、結論は日本では時流に乗った奴が勝つ、と。

 本郷先生は佐藤進一先生の流れをくむ石井進先生と五味文彦先生に師事し、現在は東京大学史料編纂所教授。つまり公式な日本史を書いている立場の先生で、中世史に関しては権門体制論を批判して東国国家論(二つの王権論)に立っています。ということで、この本でも最近の日本史ブームをつくったと紹介し、実証派=権門体制論の立場に立っている呉座勇一『応仁の乱』と亀田俊和『観応の擾乱』に関してはライバル心を燃やしている感じ。いきなり観応の擾乱は他に擾乱を使った事例がないので観応の乱にすべきだし、応仁の乱は11年も続いたのだから、応仁の大乱にすべき、と軽くジャブを放ってから描き始めています(p.18-)。

 本郷先生は、ヘーゲルを継ぐ歴史哲学者であるコジェーブが「人間の歴史を学びたいのであれば、日本の歴史を学べ」と述べていることを「はじめに」で紹介し、日本は気候、異民族支配などの影響がないところで歴史が展開されたので、人間がどのように発展するかを見る上で、もっともいい教科書になるとしています(p.22-)。つまり、通史志向なのかな、と。

 また、何をもって乱、変、陣、役、合戦というか学問上の定義はなく、学術的に分類していくべきだとして、規模別に戦争、役、乱、変、戦いとすべきとしています(p.20)。

 本郷先生は『軍事の日本史』で《学問とは、理念を明らかにすることだと言えます》と書かれていて(p.52)、至極まっとうなことだなと読み飛ばしましたが、紛争を分類して序列化したいというあたりを含めて、戦後史学の発展史観がベースなのかなと門外漢ながら観じました。

 また、現在では非主流派になっている東国国家論を堅持するために、呉座『応仁の乱』については《土岐康行の乱、明徳の乱、応永の乱の時とほぼ同じ構図を引きずり、負け組(山名氏・大内氏・土岐氏)が勝ち組(細川氏・赤松氏・京極氏)に再び挑んだリベンジの戦い》であり《それは「宿命的なもの」だった》として、細川頼之の役割を大きく取り上げて反論しています。

 一方の観応の擾乱については「将軍権力の二元論」で主従的支配権(軍事)を握った尊氏と統治的支配権を保持した直義という関係を説明するばかりで、直義が軍事催促状と感状を一元的に発給していたという問題には触れていません(亀田隆和『観応の擾乱』p.11)。本書では《佐藤進一先生が提唱しましたが、実は尊氏と直義の二党政治を根拠として論証されたものです》として、ずっと「将軍権力の二元論」で二人の関係を説明し、後は直義が東国国家論的に鎌倉に帰りたかったという感じに終始しておられます。

 ということで『乱と変の日本史』は呉座先生をターゲットに、頼之を大きく取り上げて反論してますが、次あたりはキチンと反論して欲しいところです。

 また、これはTwitterでご指摘いただいたのですが《ほかに「擾乱」という言葉を使った事例がない》とまで書くと問題かな、と。「事例が少ない」「馴染みがない」ぐらいにしておけば良かったのに、これは亀田先生から教えていただいたのですが、中世の島津氏の歴史を叙述した『三国擾乱記』という書物もあるし、『大日本国語辞典』の「擾乱」項を見ても、これが本来は一般名詞であったそうです。

 あと、山川の日本史広辞典で観応の擾乱を引いてみると、ほぼ本郷先生は広辞典の記述から出てないし、直義は殺害されたとしている研究者が多いとして、自然死だったのではないかという亀田先生の説をわざわざ否定しています。山川は史学雑誌の発行元を引き受けて以来、教科書を東大の先生方が執筆してもらっているという大人の事情もあるだけに、本郷先生もこうした定説から出られないんだろうか、なんていうことまで考えてしまいました(念のため「擾乱」も引いてみましたが項目はありませんでした)。

 ぼくなんかは網野善彦先生から中世史の本に興味を持ったクチで、だから東国国家論の方が権門体制論よりしっくりくるな…と思っていたんですが、それは、やはり戦後史学とバックのマルクス主義的発展史観に慣れていたからなのかな、と改めて色々、考えさせられました。

 ちなみに鎌倉幕府を東国において朝廷から独立した中世国家と見なすのが佐藤進一先生の系譜である「東国国家論または二つの王権論」。公家、寺社、武家がそれぞれ荘園を経済的基盤とし、対立点を抱えながらも相互補完的に分業に近い形で権力を行使したというのが権門体制論です。

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