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April 12, 2019

『世界史の新常識』

 

Shijoshiki-0 Shijoshiki-0 Shijoshiki Shijoshiki-0 『世界史の新常識』文藝春秋編、文春新書

 古代、中世・近世、近現代にブックガイドも加えたところが良心的だな、と感じるアンソロジー。出版社というか季刊文藝春秋SPECIALに掲載された原稿が中心。加藤隆、佐々木毅、樺山紘一先生など宗教学、政治学、歴史学などの研究者のほか、アカデミックな世界の著者だけではありませんが、退屈せずに読み進められました。

 年代別に少しずつ紹介していきたいと思います。

[古代]では、やはり加藤隆「キリスト教」はイエスの死後につくられた」が面白かった。

 ユダヤ民族は「出エジプト」で約束の地を得ることができたが、北王国の滅亡などの際にヤーヴェの沈黙が問題になった、と。ここで、ヤーヴェが沈黙しているのは民の態度がダメだから、という合理的な解釈が出てきた。しかし、人間が義しい状態を実現したとして、神はその者を救わなければならないとすれば、神は人の操り人形のようなものになってしう。そこで「人が何をしても救われないし、神を動かせない」という認識が熟すとともに、罪の概念も希薄になってきたのがイエスの頃のユダヤ教だ、と。

 イエスの流れで重要なのは、こうした状態の中で「神が、一方的に動いた」ということ。イエスの福音=良き知らせは「神が動く」可能性が実際的になったということですが、イエスは神を都合よく動かす力まではなかった、と(神の国が近づいたというメッセージの意味は神が動く可能性が出てきたということなのでしょうか)。

 十字架事件の後、ペトロたちの行動をローマ側が黙認したのは、民族を分断支配するという原則に従ったから、というあたりは、加藤先生の師事されたトロクメ先生が『聖パウロ』文庫クセジュで書いておられた「ローマ殉教はパウロvsペトロの使徒内ゲバ対決だった!?」ようなことに通じるかな、と感じました。

 こうしたこともあってペトロは初期共同体をエルサレムでつくることができたのですが、そこではペトロが指導者になり《「人(指導者)による人(従属者)の支配」というべき事態が生じた》のですが、アナニアとサッピラの事件で明白な財産処分をめぐる躓きから「すべての財産を寄付する」という教えが変更されてしまいます。しかし、教えが変更可能なものだという軽さは、逆に社会的に有効だと考えられる教えによって様々な指導者が信者を集めることも可能になり、初期キリスト教の様々な文書も生まれた、と。

 これは同時に教会が様々な分派に分かれて鋭く対立するという構造も生むのですが、個々の共同体のメンバーであり続けるためには「いい加減なメンバー」でも構わないという柔軟性も生み、それはローマ帝国を支え、やがては中世ヨーロッパの信仰共同体にもつながっていったんだめろうな、と。

 また、イエスの出現によって示された神の小規模な介入は、ユダヤ民族の枠に捕らわれず、使徒行伝の記述などからも非ユダヤ人からも対象となる者を選んだことが注目されます。

 ここまで加藤先生は書いておられませんが、トロクメ-加藤の使徒行伝を含むルカ文書のざっくりみてみると、イエスに降りそそいだ聖霊は初期エルサレム共同体からパウロ、ローマ兵などへと次々と降りそそぐという構造があります。そして、神の介入がこの程度の小規模なものであるから、守れない律法は避けた「人による人の支配」の有効性が示され、それが2000年も続いた姿になっているのかな、と。

 このほか、森谷公俊「古代ギリシアはペルシア帝国に操られていた」では、ペルシア戦争の背景には東方世界の豊かさとスパルタに代表されるギリシア世界の貧しさがあったというクリアカットの指摘にはなるほどな、と。だからアレクサンドロスはペルシア帝国の後継者だ、というあたりが面白かった。

呉智英「どうして釈迦は仏教を開いたか」では、禅宗は、六世紀支那で荘子思想を読み換えて成立というのはなるほどな、と。


[中世・近世]以下は箇条書きで。

山内昌之「預言者ムハンマドのリーダーシップ」
《イスラームでは、合法的婚姻関係以外で性的交渉をもつのはすべて姦通とされる。婚姻をしているムスリムは男女問わずに、石打ちの刑となる。未婚者の場合は、100回の鞭打ちと1年間の追放》

宮崎正勝「中世グローバル経済をつくったのは遊牧民とムスリム商人」
《広域ネットワークというと、「大航海時代」ばかりが目につきやすいが、世界史で、先駆的にそれを作り上げたのが、ムスリム商人と遊牧民》
ユーラシア大陸で《ムギに依存する「南」と馬に依存する「北」の分離、つまり経済と軍事の分裂が、世界史のダイナミズムを生み出していく》
《大航海時代は、ユーラシアの陸の世界史(小さな世界史)から3つの大洋が五大陸を結ぶ世界史(大きな世界史)への転換をもたらした》
遊牧民とムスリム商人が定住農民を支配するシステムは1)7世紀のウマイヤ朝(アラブ)からアッバース朝(イラク)、11世紀のセルジューク朝(トルコが実権)2)トルコ人のセルジューク朝に移るが、イスラム帝国のセンターはシリアからイラン高原寄りにずれて商業圏を膨張させた。これは主導勢力が砂漠の遊牧民から、草原の騎馬遊牧民に移ったことを意味する
さらに13世紀のチンギス・ハーンから始まるモンゴル帝国がつながる
18世紀になると、ともにトルコ人が支配するオスマンとムガル帝国、女真族が支配する清帝国とロシアがユーラシアを分けた
一帯一路は中華思想によるモンゴル帝国の円環ネットワークの組替え

杉山正明「異民族を活用したチンギス・カン」
チンギスはいろいろな遊牧民を自分たちの騎馬軍団として組織したが、出身や人種でわけへだてなかった。それは在地支配への関心が薄かったから
(遊牧民の在地支配欲の薄さは、日本中世の武士による在地支配欲と好対照かな。日本中世史の素晴らしさは、武士による地に足のついた在地支配欲が貴族や寺社の荘園支配を打破したことだと思うのですが、他のアジア諸国では、在地支配欲の少ない遊牧民が軍事支配してるが日々の生活には干渉しなかったから武士のような存在が育たなかったのかな。つか中国などの武装勢力はうまく利用・再編されたのかな?)
4つに分かれたモンゴル帝国は、全体として眺めれば比較的仲は悪くなかったというより、エリート意識からモンゴル人は殺さないなど仲間内の紐帯は強かった

樺山紘一「ルネサンスは魔術の最盛期」
現存する最古の木版印刷は法隆寺などにある奈良朝の「百万塔曼荼羅」だが、紙のないヨーロッパではルネサンス直前まで印刷技術がなかった

久芳崇「明を揺るがした日本の火縄銃」
朝鮮に到着した明軍に浴びせかけられたのは火縄銃の一斉射撃。明では倭寇の捕虜から火縄銃の製法は伝わっていたが、鋳銅なので暴発の恐れがあった。
朝鮮の役以来、明朝は火器の導入を図るが、それは軍団単位にとどまった。一度、解任された劉ていは火縄銃部隊を失い、女真族とのサルフの戦いに敗れる。保守的な官僚はそれでも積極的な火器導入に踏み切れず、ホンタイジによって火器受容を行った女真族に圧倒されていく。

柳谷晃「戦争と疫病がニュートン、ライプニッツを生んだ」
『三銃士』のダルタニャンはやたら「オレはガスコンだ」と誇らしげに語るが、ワインで有名なボルドーもあるガスコーニュ地方からは多くの人々が十字軍に参加し、進んだイスラムの文化や科学と出会ったからデカルトやフェルマーなども生まれた


[近現代]
小野塚知二「産業革命がイギリス料理をまずくした」
 囲い込みによって、入会地を失った農民たちは果実、ジビエ、魚、キノコなどを入手できなくなり、自営農家は季節労働者となっ村祭もすたれ、保持されてきた食の能力を失った、という説明は納得的。

中野剛志「保護貿易が生み出した産業資本主義」
英仏は近世、ずっと戦争ばかりしている感じですが、1689-97の対仏戦争の際、イングランド銀行は政府に戦費を貸し付けるかわりに銀行券を発行する組織として設立された、というのは知りませんでした。イタリアのバルディ、パルッツィ家は百年戦争を始めた英国王エドワード3世(1312年 - 1377年)の借金踏み倒しにあって破綻したんですが、銀行券を発行できる権利とバーターなら安心なのかも。
他の銀行はイングランド銀行に口座をつくるようになり、こうした信用制度によって工業地域は資本の調達が可能となった、と。
さらに、保護貿易によって自国産業を育成したのですが、供給過剰と資源不足が起こって、帝国主義的な紛争も激化した、と。

平野聡「アヘン戦争 大清帝国VS大英帝国」
領事裁判権は清の皇帝からすれば、夷狄は彼らの法律で管理すればいいということで容認されたというのは、なるほどな、と。
イギリスはインドからチベットを経由する対清貿易ルートを築こうとして北京に協力を要請し、北京もチベットを説得しようとしたが、頑迷なチベットは仏教徒ではないイギリス人を嫌い、それがチベット問題の源流になっている、と。
総じて英国は要求しつつ利益をえる対中関与を続けている、と。

脇村孝平「インド グローバルな亜大陸」
ガンジス文明は紀元前6世紀に、モンスーンと大河に支えられた稲作によって人類史上初めて熱帯における人口稠密社会をつくった、と。
イギリスが少数でプラッシーの戦いなどに勝利し、その後も支配が可能になったのは、商人・軍人・官僚などに「協力者」を得たから。商人たちはイギリス資本と結びついてインド洋を取り囲む交易網をつくった、と。

竹森俊平「世界大戦の負債が起こした大恐慌」
《「過去」を振り返ることで、「現在」の意味が分かるというのが歴史研究の醍醐味だが、その反対の論理も働く。つまり「現在」を見つめると、「過去」に起こったことの意味がはっきりする》というのはなるほどな、と。
ワイマール政府の賠償金支払いが行き詰まったことで、ドーズ案による猶予と(1924年)アメリカのJPモルガンなどが立て替え計画をまとめ、危機を脱出。その支払い期限は1988年だったというの知らなかったな。
アメリカ資本はドイツに貸して貸して貸しまくり、貸し先がなくなると中欧や東欧まで貸しまくった、というのも知らなかった。
これによって米国の民間貸出に極度に依存する体質が生まれ、と。
ワイマール文化の不健全な感じは、こうした経済構造からなのかな、と思うと同時に、フィッツジェラルドなどの小説で、ヨーロッパがアメリカ人によって支配されたような感じに描かれるのも、こうしたことが背景なのかな、と。
米国のNY連銀のストロング総裁は、金利引き下げを行い、利ざやを稼ぐために資本がイギリスに流入するようにして、イギリスが金本位制の金を拡充できる仕組みをつくったが、連銀保守派はバブルを煽る行為だと批判。ストロングが1928年に死去すると金利を引き上げたのが翌29年の大恐慌につながり、あわてて今度は利下げしたにもかかわらず、中東欧の経済は悪化。31年にはオーストリアのクレディットアンシュタルトが経営破綻。クレディットアンシュタルトは31年6月に支払いを停止し、連鎖的に大銀行の支払停止が拡大してゆく、と。

渡辺惣樹「共和党対民主党 日本人が知らないアメリカ史」
南北戦争前の共和党と民主党の今とのネジレ感を、共和党→英語に伍していこうと志向vs民主党→英国に追随していけばOKという感じでスッキリと説明。
リンカーンの奴隷解放宣言は奴隷貿易法を禁止していたイギリスが、南部同盟に肩入れしないようにする奇策だったにせよ、共和党はKKKを抑え込むなどの対策は続けた、と。しかし、黒人差別を続けたい民主党では地盤の南部で州法による分離政策を続け、これが公民権運動まで続いた、と。
ウィルソン大統領の父親は奴隷制は神がつくったとする長老派牧師で、差別の日常の中に育ち、共和党大統領が続いた開放的なワシントンで白人と黒人の職場分離を行ったほど。民主党のウィルソンが大統領に当選できたのは大恐慌時のフーバーの不人気が原因だった、と。
日系人を収容所に送り込んだルーズヴェルトもNY出身だが、人種差別意識の強い典型的な民主党の政治家(ルーズヴェルト一族は中国に阿片売って財をなした)。副大統領のトルーマンは南部のミズーリ出身でさらに人種差別意識が強く、原爆使用もためらわなかった、と。
戦後、南部の白人層が豊かになって共和党支持に傾くと、民主党は「アメリカ全てが人種差別的だった」というレトリックで、マイノリティ票を獲得していった、と。

このほか、ブックガイドも充実しています。

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