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February 01, 2019

『評伝菊田一夫』

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『評伝菊田一夫』小幡欣治、岩波書店

 宝塚星組公演『霧深きエルベのほとり』に感動してしまい、改めて菊田一夫とはどういう人だったか調べてみようと思って、この評伝を読んでみました。

 複雑な生い立ち、あくまで大衆的であろうとした姿勢、無尽蔵の発想と多作、その根底にあるリリシズムなど、ある程度、菊田一夫の背景は知っているつもりでしたが、もっと凄い演劇人でした。そして、宝塚の若手作家No.1の上田久美子がいま1963年初演という50年以上前に書かれたこの作品を取り上げた理由もなんとなく理解できました。

 それは物語が構成がほぼ完璧で、その上に昭和な義理人情の世界が描かれているから。

 「昭和な義理人情の世界」の世界観は悲劇でも喜劇でも、日本の大衆が反応しチケットを買ってくれるほぼ唯一のジャンルであり続けました。まだ喜劇を看板にした劇団もあるぐらいですが、さすがに飽きられたかもしれません。個人的には最も苦手なジャンルです。

 自分は悲劇しか書かないと言っていた上田久美子が、このジャンルの作品の潤色に乗り出したのは、完璧な構造ならば、今ではファンタジーのような内容も受けいれられるからなのかな、と思っていましたが、この評伝を読めば、それだけでなく、菊田一夫の生きた時代、生い立ちも含めた苦闘がリアルを支えているからなんだろう、と思うようになります。そうしたリアルを喜劇の背景に見つめてみようか、ということなのかな、と。

 菊田一夫の影響を知らぬ間に受けていると思ったのは、『鐘の鳴る丘』が彼の作詞だと知ったから。曲というかメロディは聞いたことあったんですど、太平洋戦争による戦争孤児をテーマにしたラジオドラマの主題歌だったんですね。しかも、それは軍部からの依頼で戦意高揚の芝居を書いてしまい、戦後は戦犯として告発を受けそうだったという贖罪意識から手掛けたというのも初めて知りました。

 ♪とんがり帽子の時計台♪という歌詞とメロディは有名ですが、その三番の歌詞がこうなっているとは知りませんでした。

♪とんがり帽子の時計台
夜になったら星が出る
鐘が鳴ります キンコンカン
俺らはかえる屋根の下
父さん母さんいないけど
丘のあの窓俺らの家よ♪

 社会的なテーマを取り上げる際にも、それは表に出さず、裏に隠すという計算が感じられます。そして、次に手掛けた『君の名は』は、戦争の悲劇を『鐘の鳴る丘』では子どもを通して描いたのに対し、大人の目を通して描こうとした、というのも言われてみればなるほどな、と。しかし、そうした社会性を表に出した連続ドラマの最初の頃はまったく受けず、男女のすれ違いに絞ったあたりから爆発的な人気を博すのを目の当たりにして、以降、社会性は絶対に表に出さないようになる、と。

 『霧深きエルベのほとり』から評伝を読んだり菊田一夫のいろいろな資料を読んできて、やっぱり分かりやすさ、親しみやすさ、暖かさを抜きに商業演劇は考えられないし、商業抜きに演劇の発展もないだろうな、と改めて感じます。だいたい、『鐘の鳴る丘』『君の名は』もGHQの指示でNHKが制作したものでした。それを考えると第二次大戦後、アメリカ文化が世界を席巻したのも、分かりやすさが決めてだったのかな、と改めて感じます。

 『評伝菊田一夫』で最初に驚いたのは商店で働いていた時代、美しい女性に恋をしたが振られたという経験を持っていること。義理の父親に捨てられるように丁稚に出された大阪の修行時代、店にやってきたお嬢様に恋をして、その美也子さんが関西のお嬢様らしく宝塚が好きで、気を引くために「歌劇」に詩を投稿していたというんですから健気ですよね。しかも、その内容がまるで『霧深きエルベのほとり』のハンブルグ港のシーンみたい!

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石段に腰を下ろした一人のマドロスは
背中をまるめてパイプをふかしながら
じっと沖を見つめてゐた

というのがその詩のラスト。

 時代背景は日本の戦前。身分違いのお嬢様の気を引くために「歌劇」に投稿した詩が掲載されるなんていう厳しい時代のリアリティが『霧深きエルベのほとり』の主人公カールに投影されているんだろうな、と。

 また、『霧深きエルベのほとり』では、カールが酒場の女性ヴェロニカ相手に泣くシーンがベタで凄いな、と思ったんだですが、菊田一夫は、主人公が最後に泣く芝居を得意としていた、とも『菊田一夫評伝』岩波書店では書かれています(p.68)。

 さらにはエルベに出てくる子どものこそ泥ヨニ公ことヨーニーも割と重要な役を与えられています。これは、親に捨てられ丁稚に出された頃の自身だと分かりました。菊田一夫は「余りに悲惨だとリアルじゃないと言われる」と後年語っていますが、そうしたあまりにも悲惨な自身の境遇がエルベには反映されているんだな、と。

 とにかく《菊田さんにとって演劇とは、同時代の観客、それも芝居など見たこともない一般の大衆にも楽しんでもらえるような作品を書くことが第一義であって -中略- アチャラカの芝居から戦意高揚劇、そして中間演劇、ミージカルと領域をひろげながらも、菊田さんの視座は常に大衆にあった》(p.274)ということがよくわかる評伝でした。

 ちなみに著者の小幡欣治は『恍惚の人』の脚本家です。

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