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December 17, 2018

『文選 詩篇 四』

Monzen4

『文選 詩篇 四』川合康三ほか、岩波文庫

 12月上旬にあった川合康三先生の講演をお聞きする前に、刊行されている文選は読んでおかなければ、と思い、旅先で読みあげました。

 楽府第の「長歌行」に《百川東至海(すべての川は東に流れ海に注ぐ)》とあって、中国の河川は東流して海に注ぐだけの一方通行なんだな、と思う(p.368)。そうなると基本的にインドは南流、ロシアは北流するだけなのに対して日本や欧米のように東西どちらにも流れる川が多いのは珍しいのかな、とか。解説では「過ぎ去った歳月が二度ともどらないことをたとえる」としているけど、日本の時間感覚が一方通行ではなさそうなのは、そうしたことからなのかも。

 顔延之はあまり顧みられない詩人ですが、山に登ると「清雰岳陽に霽(は)れ」という句を思い出すようになりました(p.273)。
清雰霽岳陽 清雰(せいふん)岳陽(がくよう)に霽(は)れ
曾暉薄瀾澳 曾暉(そうき)薄瀾(らんいく)に澳(せま)る
雨上がりのすがすがしい気が山の南に広がり
日の光が波立つ水際まで照らす

 同じように謝眺の華麗な詩にも驚く。贈答篇はエリート官僚同士がお互いを褒め倒すみたいな感じの詩が多いが、謝眺、王僧達など、ここでも刑死、獄死する人たちが多いな、と。才気煥発で生意気というか、才能をもっと認めて欲しいために、お互いをインフレ気味に褒め称えるみたいな感じなんだろうか。

 それにしても一巻から頁数にして1400頁をめくってやっと、陶淵明の詩が出てきたのにはホッとしたが、こんなのが選ばれるの…という凡庸な作品。選考基準が分からないが、当時はまだ評価が定まらなかったという解説に納得。

 謝霊運の恵連に送る詩、こういう詩もあるんだ、みたいな素直で好感がもてる。
《開顔披心胸 顔(おもて)を開きて心胸を披(ひら)く》

 東洋的教養を深められます。

 といったところですが、川合先生の講義で漢詩に関する理解を深めることができました。

 東洋大学白山キャンパス6号館2階の6209教室で川合康三先生(京都大学名誉教授、國學院大學特別専任教授)による講演「中国の文学・日本の文学」を聴いてきました。

 元々、なぜか漢詩は好きでずっと読んできたのですが、岩波文庫から膨大な『文選』の詩篇が全六巻で刊行中ということもあり、中心となって訳注を加えている川合康三先生の講演を聞けるというので、ありがたい限り。質問までさせていただき、漢詩に対する理解が圧倒的に深まったな、と感じています。

 本だけを読んでいてはわからないことも、話しの中でポロッと出て来る情報ですっきり見通しが効くようになる、という経験は大学院以来でしょうか。

 ぼくは陶淵明、オマル・ハイアームが大好きなのですが、それは和文学の環境に浸る中で、彼らの厭世観が好きなんだなということが初めて自覚できたのは貴重でした。

 漱石は『草枕』で《余が欲する詩はそんな世間的の人情を鼓舞するようなものではない。俗念を放棄して、しばらくでも塵界を離れた心持ちになれる詩である》《うれしい事に東洋の詩歌はそこを解脱したのがある。「採菊東籬下 悠然見南山」(きくをとるとうりのもと、ゆうぜんとしてなんざんをみる)ただそれぎりの裏に暑苦しい世の中をまるで忘れた光景が出てくる。垣の向うに隣りの娘が覗いてる訳でもなければ、南山に親友が奉職している次第でもない。超然と出世間的に利害損得の汗を流し去った心持ちになれる。「独坐幽篁裏、弾琴復長嘯、深林人不知、明月来相照」(ひとりゆうこうのうちにざし、きんをだんじてまたちょうしょうす、しんりんひとしらず、めいげつきたりてあいてらす)ただ二十字のうちに優に別乾坤を建立している》と書いていますが、漢詩はそうした隠逸への憧れや、厭世観などが素晴らしいのだと思っていました。

 しかし、川合先生は「そうした気分を詩にすることは、そう珍しいことではない。例えばオマル・ハイヤームのルバイヤートもそんな詩ばかり」として、中国の文学で厭世解脱の精神で描かれているのは『桃花扇』『紅楼夢』だけという王国維の『紅楼夢評論』を紹介した後、曹操の『歩出夏門行』のように

老驥(ろうき)は櫪(うまや)に伏すも
志 千里にあり
烈士暮年
壮心不已(やまず)

 悲観主義を乗り越える詩が上等とされた、というんです。詩の意味は「千里を駆けた駿馬は、たとえ老いて馬屋にあっても志は千里を駆け巡っている。男児たるもの、年老いたからといって志を止められるものではないのだ」。

 これは漢文学の担い手は士大夫なのに対し、和文学は貴族、武士、禅林、儒者、知識人と一貫性がないということも関係しているかもしれません。また、和文学の担い手は女性から始まりましたが、漢文学の女流は本当に少ないそうです。だから、漢文学では虚しさを乗り越えて、ポジティブな詩が上等とされたのかな、と。和文学にない人生の肯定感があることに漢詩を読む価値があるとも。

 ここは本当に気付かなかったところなので、講演終了後に、質問をさせていただきました。「中国では儒教思想が浸透していたのは士大夫など上層だけで、庶民はずっと任侠の世界で生きてきた、という議論と関係はあるのでしょうか」と。これに対して、「中国では士大夫は礼に従わなければならないが庶民はそれに及ばない。しかし、士大夫は庶民の生活に対する責任を持ち、それを庶民も尊敬するという倫理があったから中国文化は三千年も続いたという構造も忘れてはならない」と指摘していただきました。

 このほか、「文字を持っている言語は少ない」という指摘もなるほどな、と。

 日本ではひらがな、カタカナも漢字から得たのですが、初の漢詩集『懐風藻』は751年成立と759年の『万葉集』より古いほど。全てを中国から学んだのになぜ、こんなに和文学は違ったのか?として、中国で月は満月、花は満開が貴ばれることを指摘。

 一方、和文学では月を分節して三日月なども読み、花は散りゆくものとして死の理念と結びつく、と。花を死と結びつける日本文化は特殊だそうです。

 中国に恋の歌がないと本居宣長は指摘しましたが、アーサー・ウェイレイは恋の代わりが友情と指摘。中国では夫婦の関係が重要で、恋の詩は少ないそうです。

 また、和文学で白楽天がすぐに受容されたのは、当時の唐で大流行していたからだ、というのも面白いな、と。だから五山文学の僧侶も流行っていた蘇軾を受容したわけですし、森鴎外の翻訳小説も当時ドイツで流行っていたもので忘れさられたのが多いとのこと。

 その上で、『文選』は難しい、果たして日本で受容されたのかと刊行中の『文選』に触れておられました。

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