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November 10, 2018

『家族の深淵』

Kazoku_no_shinen

『家族の深淵』中井久夫、みすず書房

 95年発刊の二冊目のエッセイ集。残念ながら、まとまった感想は残していない時期だったのですが、断片を寄せ集めてみました。当時はまだ、読んだ本の重要な箇所は開きさえすれば、すぐに引けると思っていた時期でした。

 《韓国と日本では知識人の基準が少し違う-中略-韓国では、専門の力量に加えて高度の一般教養がなくてはならない。いま小学生から英語を教え、高校でニヵ国語を必修としている隣国の教育の凄さに日本人は無知である》(p.29)。

 1968年前後の世界的な学園紛争については、ベビーブーマーたちの就職問題がからんでいたということは、文化大革命の場合でも言えるということが通説になりつつあると思いますが、中井さんは「父の不在」しかも、二世代にわたる不在を指摘します。それは戦後の混乱の中で生活に追われて子育てをせざるを得なくなり、古い父の像を捨て去ったものの、新しい父を確立できなかった時代の子どもたちであり、さらに彼らが強く共感したのはカミュ、バルトなど第一次世界大戦の不遇な戦死者の子だった、と(p.73)。

 個人的な話しですが、どうみても回復しようがないほど親戚の間の関係がこじれていても、どうにか回復させたいという知り合いなどをみると、日本人が一所懸命で頑張れば報われるという歴史的自己救済を信じているからで、米国人などは故郷を捨て移動してきた地理的自己救済派だから、そんなことは考えないんだろうなという議論を思い出しました(p.128)。

 中井先生は治療に絵画を使うのですが、その理由のひとつは《患者にとって有害になりそうな場合には、自然に描けなくなるなるような工夫が比較的容易だからである。逆にいうと、言語的精神療法には、この自然的な歯止めが乏しいという欠点が現れる可能性がある-中略-語ることは一般によいことではなくて、ある条件下にのみよいことなのである》というところでは、言語の怖さに想いをいたしました(p.137)。

 中井先生は最後に神戸大学の精神病棟の設計に携わるのですが、そこで描かれたパース図が手慣れた感じなのには驚きました。もちろん才能もおありなんでしょうが、手慣れた感じを受けるのは、患者さんたちと一緒に絵を描くことからきているというのは後に知ることになります(病院関係者にみせるための口絵。ちなみに「先生も一緒に絵を描くのは初めてみた」という感想をもらす患者さんが多かったようです)。

 《執筆依頼が来ると、私はまず。折口信夫が弟子にかねがね〈心躍りのしない文章は書くものじゃないよ〉と言っていたことを思い出す-中略-自分の領域で、しかも今までにない新しい切り口をみせることができるものが私にはいちばんいい。20パーセントぐらいは冒険的要素があっても、つまり未知の領域に乗り出す冒険があってもいい》というのは、売文をしていた時には、時々、思い出していました(p.348)。

 日経の「私の履歴書」で利根川進先生が、恩師である渡辺格先生に米国留学の手はずを整えてもらったみたいな回があったのですが中井久夫さんも「分子生物学者を輩出させた渡辺格」と書いていたことも思い出します。《天才とは、個体の才能発露ではなくて、小集団現象ですよ》という言葉も。

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