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November 08, 2018

清元栄寿太夫の十六夜清心

Kabukiza_1811

 今月の歌舞伎座には、ぼくが全ての演劇の中で最も好きな『花街模様薊色縫 十六夜清心 さともようあざみのいろぬい いざよいせいしん』がかけられています。

 初演は安政の大獄が猖獗を極めていた安政六年。トルストイの『にせ利札』に先立つこと40年あまり前に、めくるめく悪の自己増殖運動をあますところなく描いています。

 女犯の罪で寺心中しますが、二人とも死にきれず、別々に助かります。しかも死にきれない清心は、ふとしたはずみで殺人まで犯してしまう。さすがに腹を切って死のうとしますが「しかし待てよ…今日十六夜が身を投げたも、またこの若衆の金を取り、殺したことを知ったのはお月様と俺ばかり。人間僅か五十年。首尾よく言って十年か二十年がせきの山。襤褸を纏う身の上でも、金さえあれば出来る楽しみ。同じことならあのように、騒いで暮らすが人の徳。一人殺すも千人殺すも取られる首はたった一つ。とても悪事をし出したからは、これから夜盗家尻切。人の物は我が物と、栄耀栄華をするのが徳。こいつあめったに死なれぬわい」心変わりする場面の素晴らしさ。

 こんな作品が大劇場で上演されて受けていた江戸時代の文化度の高さを感じるとともに、所詮、悪事などはバレなけばOKで、良心などはハナッから信じない日本人のホンネを見事に描いていると思います。

 序幕で演奏される「梅柳中宵月」(うめやなぎなかもよいづき)も清元の傑作。なにせ文句が素晴らしい。

♫朧夜に星の影さへ二つ三つ、四つか五つか鐘の音ももしや我身の追手かと、胸に時うつ思ひにて、廓を抜し十六夜が
落て行衛も白魚の、船の篝に網よりも、人目厭ふてあと先に、心置く霜川端を、風に追れて来りける
嬉や今の人声は、追手ではなかつたさうな、廓を抜てやう/\と、爰まで来たことは来たれども、行先知ぬ夜の道、何処をあてどに行うぞいの
暫し佇む上手より梅見帰りの船の唄
負んぶ忍ぶなら/\闇の夜は置しやんせ月の雲に障りなく辛気待宵十六夜のうちの首尾はエヽよいとの/\
聞く辻占にいそ/\と、雲脚早き雨空も、思ひがけなく吹晴て、見かはす月の顔と顔♫

 これを謳うのが清元延寿太夫の二男の歌舞伎俳優、尾上右近というより、二刀流で襲名した七代目栄寿太夫。今回は栄寿太のお披露目興行でもあるんです。なにせ、右近=栄寿太夫の祖父は清心を演じる菊五郎…と勘違いしていたのですが、右近は菊五郎の孫ではなく、六代目菊五郎の曽孫、鶴田浩二の孫でした。

 そうした縁のある爺様が、孕ませた女郎との心中に失敗し、ついでに辻斬りまでしてしまうが知ってるのはお月さんだけ、と居直る話しの心根をうたうのが孫の右近=栄寿太夫という図式。遠縁の乱業を切々と歌う舞台を、父親の延寿太夫が後見するという素晴らしさ。

 女郎を孕ませて心中したけど死に切れず、上がった岡で人を殺してバレなきゃこのままという狂言を遠縁の一家が総出で謳いまくるという日本文化の幅広さの極北のような舞台でした。

 延寿太夫は元々大好きだったし、栄寿太夫も高音が延びてました!延栄太夫もソロパートでうたわず、栄寿太夫を支えていた感じ。いつものイキ顔でうたうすがたも見たかったけど、ま、仕方ありません。いやー、良い十六夜清心でした。あとは玉孝の一世一代で見たいかな十六夜清心は。

 昼の部の一幕は『お江戸のみやげ』。贔屓にポーンと花を入れ、小袖を御礼として貰うという、実に芝居好きの琴線に触れる川口松太郎の心温まる本。そんな良い芝居を観て、安田靫彦や堅山南風、東山魁夷の絵を見ながらお弁当を使える歌舞伎座は、やっぱり良いところだな、と。

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