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September 20, 2018

『初期仏教』

Early_buddism

『初期仏教』馬場紀寿、岩波新書

 夏前に、特に読みたい新刊もなくなったので、ヘーゲルの『哲学史講義』を再読しているのですが、その上巻を読んで、あっさり触れられているインド哲学に関しても、ほとんど知らないな、と感じました。

 例えば、ヘーゲルは『哲学史講義 上』のなかで、ガウタマとカナーダの遵守する規則はヴェーダの一節に、教育と研究のために必要なあゆみとして示唆されている言表、定義、探求の三つであり、インド哲学にとって大切なのは、霊魂の自己内集中、自由な境地への高揚、自力でつくりあげる思考なんて書いてますが、このガウタマはニヤーヤ学派の祖でアクシャパーダ・ガウタマだったりします。シッダールタではありません。

 『哲学史講義』の再読は中巻まで進んで、プラトン、アリストテレスと佳境に入ってはいるんですが、ほとんど意識したことない古代インドに関して何か読んでみるか…ということでヘーゲルを中断して『初期仏教』馬場紀寿、岩波新書を読み始めたら、面白い。

 いきなり

・初期仏教の神々は寿命の長い天界の住人にすぎないので祈ることはしない
・宇宙原理も説かない
・生の不確実性を見据え、自己を再生産する「渇望」という衝動の克服を説く

 というあたりから書き始めています。

 そしてパーリ語の仏典からの引用を中心に後世の諸教団(小乗、チベット)の解釈などは排除して解説、と原典主義を宣言しているのが潔い。

 読書量の少なさ、知識の欠如は自覚していますが、仏教が誕生した当時のインドの社会、経済的背景もほとんどしらなかったな、と。当時はヴェーダを基礎としたアーリア人社会なんですが、元々アーリア人は遊牧民。衰退したインダス文明の先住民と交流・対立しながらガンジス川流域に拡大していったのがアーリア人だ、と。

 ちなみにカーストの4階級のうち人間扱いされている上の3つはアーリアで、下層は先住民だろうと。

 また、当時は富を長期的に蓄積する思考は見えなかった、というあたりも面白かった。

 ヴェーダを通してみえる当時のアーリア人社会は、祭官に対する贈与と、儀礼における富の消費を中心とした威信経済で成り立つ部族社会だった、と。時代が下るにつれて王権の強大化が進んだが、高度な官僚機構と強力な軍隊に支えられた専制政治ではなく、部族王制に留まった、と。

 威信経済という言葉を初めて読んだんだけど、これはポトラッチなんかを含む新しい言い方なんでしょうか。富を長期的に蓄積する手段がないので、そうした思考も持たなかったので、富を発作的に消費する、みたいな。とにかく、インドに関する学問は急速に発達しているという著者の言葉に納得。読み進めていきます。

 仏教成立前のインドはキリスト教出現前のユダヤ教と似ている感じがするし、仏典の成立過程は新約聖書の成立過程とパラレルのような感じもして興味深い。

 ちなみに、仏陀が悟りを開く前にも、悪人正機説みたいなのを唱えていたプーラナ・カッサパなどがいて、こうした六師外道の唯物論者たちはギリシャ哲学の先駆者のような感じ。ただし、その背景は全て輪廻。輪廻を前提としているか、それを否定しているかの違いのような。

 仏典で、仏陀と祭官との問答がさかんに行われるのも福音書と似ていると改めて感じる。

 アケメネス朝ペルシャを滅ぼしたアレクサンドロスはインドのナンダ朝とは一戦を交えずインダス川を下って帰還。ナンダ朝を倒したマウリヤ朝のアショーカ王は法(ダルマ)による統治を目指したが、これはいち早く中央集権体制をつくっていたアケメネス朝の影響。

 当時の出家集団は遊行生活を送っていたが、紀元前1世紀に季節風「ヒッパロスの風」が発見されてローマとの海上交易が隆盛(『後漢書』西域伝に大秦王安敦=マルクス・アウレリウス・アントニヌスの使が日南=ベトナム北方のユエ付近から入貢したことがみえるのも、これが原因だったか!)。

 出家集団にも富んだ商人などからの定期収入が入ることなり、恒常的な運営が行われる組織へと変貌。

 出家者が遊行している状態では仏典の写本を持っていくのは不便だったが、恒常的な僧院が運営されれば、そこに口頭伝承されていた仏典の写本を置くことは重要になってくる、

 この時期は紀元前後。

 さらに、写本を前提とした個人の作品も著されるようになるが、これは福音書がユダヤ教に染まったキリスト教からのギリシャ語とヘレニズム文化を前提としたキリスト教の「離脱」を進めるために、ギリシャ語で書かれた、みたいなのを連想させるし、地域ごとに成立した教会で、福音書を前提に使徒たちが手紙を書き始めて、それが正典になっていった、みたいなのとパラレルのような気がする。

 あと、般若経、法華経など大乗仏典には、それ自体を書写するよう勧める箇所があり、それだけで初期仏教とは異なることが端的にわかる、と。

 インドは文字の成立が遅れ、最古の資料はアショーカ王の碑文。ブラーフミー文字はアケメネス朝ペルシャで使われていたアラム文字から派生した可能性が指摘されている、と。

 これは凄いな、と。

 実はユダヤ教徒もユダヤ教の写本(旧約聖書)はヘブライ語で書かれていたけど、それは、例えば古典を読むような感じで読まれていて、ローマ時代などでも話し言葉はアラム語だというのが有力で、ナザレのイエスもおそらくアラム語で語っていたと言われているので、本当に胸熱。

 実は仏教、ユダヤ教、キリスト教の基層はササン朝ペルシャだったんじゃないのかな…その上にきたヘレニズムによって仏教では仏像がつくられたり、仏典が新しくつくられたり、キリスト教がユダヤ教から離脱したんじゃないか、みたいな。さらに、神殿を中心としたユダヤ教はそれ以上のグローバリズムに耐えられず、ローマに対して無謀な戦いを起こして離散した、みたいな。

 それを考えると、仏教の弥勒も、キリスト教の「人の子」もゾロアスター教の影響とかいう話しが凄く現実味を帯びてくるような(床屋政談ですが)。

  当時、仏典は口承伝承で伝えられ、知識も師から直接学ぶべきものと考えられていた。また、最初期の仏典はアーリア語で口誦されていたが、各地に伝播するにつれて、パーリ語、ガンダーラ語、サンスクリット語でまとめられていった、というのが前提。

 仏陀が没した後、弟子たちが仏典をまとめたという結集の意味は「共に唱えること」。マハーカッサパ(大迦葉)が各出家教団に法と律を唱えるためにラージャガハ(王舎城)に集まることを提案、実行された、と。

 出家者の規律である律はウパーリ(優波離、シュードラの出身)、教えである法はアーナンダ(阿難、仏陀の世話係)が答えてまとめられた、と(漢訳経典の冒頭の「如是我聞」は「我はこのように聞いた」という意味で、その我は多くがアーナンダ)。

 こうして、いったんまとめられると分裂していくのが世の常で、出家集団が各地に展開していく過程で「部派」が出現。紀元後4~5世紀まで「上座部大寺派」など五派が、結集された仏典の伝承を担っていると主張。「法と律」の枠組みから「律蔵、経蔵、論蔵」の三蔵の枠組みを作り出す、と。

 インド本土で仏教が滅んで以降、スリランカや東南アジアに伝承に伝承されるパーリ仏典の三蔵は、もともとスリランカの上座部大寺派が伝承。

 パーリ三蔵は1)出家者の生活規律と出家教団の運営方法を示した「律蔵」2)仏陀や弟子の教えを示した「経蔵」3)教理要綱の「論蔵」から成る。

 このうち、最初にまとめられたのは「律蔵」の経分部(出家者の生活規律)とけん度部(出家教団の運営方法な衣・薬などの使用方法)、「経蔵」の四部(経典)で、他の部派とも共通するので、ほぼインド本土で成立されたのは間違いない、と。その後に「論蔵」や付属する文書が追加された、と。他の部派でも似たような成立過程を経て、最後に「経蔵」へ小蔵を付け加えていった、と。

 教えである法に、各部派が付け加えていった小部に収録されている仏典は《もともと結集仏典に位置づけられなかったことを示している》(p.70)。こうした小部は基本的に韻文仏典であり、権威を持っていない、と。例えば、自己犠牲の話しなどは、他の伝承説話と共通するものが認められ、布教のために有効だと判断されて取り入れられた、と。
 
 これなんかは新約聖書でも、福音書の他に、いわゆるヨハネ教団が独自の書簡や黙示録をまとめたり、使徒の中でも別格の地位を占めていたパウロやペトロの名前をつかって新たな文書を各地の教会がつくっていった、という流れと似ているな、と。

 とにかく、こうしたことを前提に「仏陀が教えた」と初期仏教が伝承した思想に本書は焦点を当てていきます。キリスト教の世界では、一時「史的イエス」の再構築が盛んに行われました。様々なパピルスが残っていたことなどから、比較検討が可能と考えられたのですが、多くは「私的イエス」の造詣に終わっています。

 仏教の場合、数十年にわたるこうした「史的イエス」の試みの失敗を見ていたのか、最初から「仏陀の肉声を復元しようというのではなく」という姿勢なんでしょうかね(p.78)。学問の進歩を感じます。

 とにかく、そうなると教えである四部(四阿含)と経分部、けん度部が原型になる、と。

 四阿含に収録されている仏典は如是我聞という定型句から始まり、こうした仏典の名称としてサンスクリット語、漢訳、チベット語訳では阿含(伝承の意味)が使われている、と。

 にしても、仏陀の前世の物語として、自己犠牲を払った動物の話などが残されている、というあたり(p.72-)。現代において、数少ない経験ではあるのですが、インドの方々と接すると自己犠牲という言葉は全く感じられないのは、やはり仏教を放逐したからでしょうか(んなわけないかw)。でも、そのコントラストは実に見事だな、とw


 白眉は三章で文献学的研究の紹介するところですが、前提となるさわりを。

 19世紀に古くなった書物を捨て置く跡などから多くの写本が発掘されるなど、新約聖書の写本はパピルス断片を含めて膨大な数となり、それを元に本文批評が進みました。例えば割とフツーの人たちも感動してSNSなどでも引用されるぐらい有名な「罪のない者だけが、この女に石を投げなさい」は後世の付け足しです。カトリックと多くのプロテタントが共通して使用している新共同訳はヨハネによる福音書8章のこの部分を[]でくくって、オリジナルのテキストでないことを一般信者にもわかるようにしているぐらい(原理主義的な福音派などはそうした処理はやっていません)。

 こうした聖書の研究は、近代とともに始まりましたが、当初は死をも覚悟しなければならない作業でした。しかし、地道なテキスト探索(中東の古い修道院巡り)、市場の確立(こうした断片は高く売れますから)などにより、膨大な数のパピルス断片、写本などが集まり文献学的研究が進んだことが聖書学を学問として成り立たせる基礎となり、西欧社会を古い軛から解き放ちました(コーランの研究も進めば、同じようになることでしょうが、勇気ある研究者は少ないんですかね)。

 仏教は国家宗教とはならなかったので、弾圧・迫害に抗するようなドラマは生んでいないようですが、文献学的には同じような変化が150~200年遅れぐらいで起きているようです。それはアフガニスタン内戦がもたらしたものらしいというのが、死海文書が中東戦争の最中にもたらされたことに類似していて心が痛みますが。

 内戦で流出した仏典写本の中には日本画家、平山郁夫さんが手に入れたものもあります。

 なぜガンダーラ写本が重要かというと、ネパールや中央アジアのサンスクリット写本が7-8世紀につくられたのに対して、紀元前後から3~4世紀にさかのぼることができるから。死海写本はそれまで最古だったレニングラード写本を1000年ほどさかのぼるものでしたが、それ匹敵するような証拠となります。

 というあたりまでのことを頭に入れておいていただくと、以下の『初期仏教』第三章の意義がより深く理解できると思います。

 上座部大寺派、化地部、法蔵部、説一切有部、大衆部の五派が、法(ブッダの教え)と律(出家集団の規律)をそれぞれ再構成した三蔵を比較すると、四部(四阿含)と経分部、けん度部が結集につながる原型として考えられる、というのが前回までの話しでしたが、仏典結集の物語は「律」の末尾に置かれていた可能性が高い、と筆者はしています。

 また、律で興味深いのはブッダの伝記が含まれていること。

 本来、法(ブッダの教え)に仏伝は収められていてもいいと思うのですが、各派の四部=四阿含には様々な人物がやってきてブッダと言葉を交わして、ブッダが説法するというのが基本となっており、ブッダの生涯を追う記述はありません。

 そうした仏伝的記述が、戒律を示す「律」に収められているのは《出家集団が大規模となって受戒の制度が確立するまでの経緯を説明するために、「律」に仏伝的記述が組み込まれた》からではないかという平山彰の研究を本書では紹介しています(p.86)。

 五派の仏伝的記述を比較検討すると共通しているのは、悟りを開いた後の梵天勧請、転法輪、ヤサの出家、カッサパ三兄弟の回心、ビンビサーラ王の出迎え、舎利佛と目連の回心。

 これは新約聖書に喩えると、最初に成立したマルコによる福音書が、イエス伝をヨハネによる洗礼から十字架刑の後の女たちによる空墓の発見までしているという抑制された内容だったことに対応していると感じます。

 マルコに対応するのは仏教の場合、上座部大寺派のパーリ律なんでしょうかね。他の部では、化地部、法蔵部には釈迦族の系譜、誕生、成仏(悟りを開くこと)を付け加えたり、説一切有部、大衆部では人間界の誕生が加わります。

 新約聖書でも、マルコを参考にして後に書かれたマタイ、ルカではイエスの系譜、誕生物語、幼少期の奇跡などが加わり、さらにその後に独自展開をみせるヨハネ教団による福音書では有名な「初めに言があった」と原初までをも語るまでになってしまうことが似ているな、と。

 さて、共通する仏伝的記述では、ゴータマが悟りに達してブッダとなった(成仏)後に教えを説き始めているので、何を認識して悟ったのかは重要になってきます。

 それを成仏伝承としてみると1)四聖諦2)縁起3)五蘊・六処を認識することで悟った、と語られている、と。四聖諦は「この世は苦であり、苦の原因は煩悩だから執着を断って解脱する」みたいな話し。

 しかし、ガンダーラ写本には三蔵がまとまった形で存在していたことを示す写本はみつかっていません。

 でも、2世紀に安世高によって訳出された漢訳仏典や1~2世紀に著されたアシュヴァゴーシャ(馬鳴)の『ブッダチャリタ(仏所行讃)』にも、四聖諦、縁起、五蘊・六処などの教えはみられるので、紀元前、大乗仏教の隆起以前に存在してただろう、というのが著者の立場です。

 『初期仏教 ブッダの思想をたどる』の目次は以下の通り。

はじまりの仏教
第一章 仏教の誕生
第二章 初期仏典のなりたち
第三章 ブッダの思想をたどる
第四章 贈与と自律
第五章 苦と渇望の知
第六章 再生なき生を生きる
ひろがる仏教
あとがき

 面白かったのは三章まで。それまでは初期の出家集団がまとめたと考えられる最古層のテキストはどう確定できるか、という方法論で、四章以降は、その教え。

 哲学も進化していくので、2000年前のナイーブな教えそのものにいま見るべき内容はあまりないのですが、それを書かないでおくのも不完全なので、まとめてみます。

[第四章 贈与と自律]

 当時の社会は輪廻思想を前提にしており、祭官への贈与で輪廻から脱出できるというバラモン教、苦行の末に脱出できるというジャイナ教の中庸を行け、みたいなのがブッダの教えだったと思われます。《仏教以前から存在していた先天信仰を、祭式から切り離し、贈与と良い習慣をその条件とすることによって「倫理化」した》(p.117)もので、《仏教の輪廻思想は先行する輪廻思想を継承したものであり、善悪の基準も、古代インド社会で広く認められた道徳と大差はない》(p.121)。

 仏教の独自性は行為(サンスクリット語ではkarman、パーリ語ではkamma、漢訳では業)を意思(サンスクリット語、パーリ語ともcetana)と定義したこと。意思を核にして行為論を組み立てたために、仏教は生命の範囲を植物には広げていません。また《自らの心を正すことで行為を正すことを目指しており、共同体の秩序に従うとか神の命令に従うといった他律ではない》ことも特徴でしょうか(p.123)。

 また、社会の混乱を回避するために合意により為政者を立てたという仏教的社会倹約論は北畠親房にも影響を与え、『神皇正統記』で仏陀も言及しているマハーサンマタ王を平等王と呼んでいます。マハーサンマタは大(マハー)衆によって認定された(サンマタ)という意味。また、法と貧者への施しを行った輪転王伝説を理想の為政者としていますが、日本でも徳川家康の日光の寺院は輪王寺と名付けられている、と。

[第五章 苦と渇望の知]

 仏教は輪廻の《主体としての「自己」を否定するいっぽう、諸要素の集合としての「自己」の存在は認め》ます(p.143)。

 生まれ死ぬ個体を「存在」(サンスクリット語ではsattva、パーリ語ではsatta、漢訳では衆生、有情)とし、個体は認識器官の束=六処(眼耳鼻舌身意)、身体と諸機能の合奏=五蘊であると理解します。

 つまり人間は六処などを離れて世界を認識できない、と。存在するのは個々の認識器官だけだが、しかもそうした器官は永遠ではなく、思い通りにはならず、自己ではないし、自己と思われている身体と諸能力も思い通りにはならない、と。

 さらに、執着することも苦であり、その原因は誕生で、繰り返される生存の原因として渇望を発見。つまり、主体としての自己の不在と諸要素としての自己の再生産という概念を打ち出した、と。

[第六章 再生なき生を生きる]

 本来は不在である自己なのに、さらに不確定な未来の自己のために今という時を使って行動すること=自己の再生産という運動は現代社会で全面展開され、生で唯一確実な死が無限に遠景化されている、と。

 それに対して仏教が究極の目的とる涅槃は自己を作り上げることの停止です。

 涅槃(サンスクリット語ではnirvana、パーリ語ではnibbana)は「消滅する」という意味の語根(va)から派生しているそうです。執着も元々は燃料であり、火を消すようにそれをなくせば自己の再生産は停止できるし、再度の死もないから涅槃は「不死」とも呼ばれる、と。

 そして渇望の停止は知的な認識=悟りによって実現し、それは欲望・生存・無知からの心の解放だ、と。

 将来に対する不安にかられている限り、再生産活動を続けることが求められ、アショーカ王の碑文には「未来恐怖経」という経典があるそうです。
 
 ちなみにカート・コバーンの「ニルヴァーナ」もここからとられていますが、英語では「ナヴァーナ」と発音されていて、どんなバンドなんだろ、と思ったこともありましたが、それも、もう30年近い前なんですね。諸行無常。

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