『ファーストエンペラーの時代 秦漢帝国』
『ファーストエンペラーの時代 秦漢帝国』鶴間和幸、講談社
普段はTwitterで読んでいる本の気に入ったところをつぶやき、読み終わったらFacebookでまとめ、それをブログにあげていたが、noteにも書けばと言われて、見直してみると、まとめてなかった本があった。それが「中国の歴史」シリーズの3巻『ファーストエンペラーの時代 秦漢帝国』。
中国でも竹簡が近年、いっぱい発掘されて、史記の記述だけしかなかった漢以前の世情が行政面だけにせよ見直されているという。中国史の多様さに圧倒される。
漢字文化圏の東アジアでは中国の律法を国家の基本法として受け入れ、官僚は法に基づいて行政を行い、社会は法によって秩序を維持する。日本が受け入れたのは唐の律法だが、淵源は秦漢の律法。秦律は六篇、漢は九章律。基本法である律の中に刑法も行政法も入っていたというのには、人間の思考の根源に迫っている感じがする。
周王朝以来の太陰暦の話で、金星に次いで明るい木星は、明け方に東方に出て、黄昏に西に入るので観測しやすく、十二年で天を一周するので(実際は11.86年)、12年をスパンとする時間の意識を生んだというのを、本書で初めて知る。今さら自分の無知には驚かないが、こんなことも知らなかったのか、と。
漢では儒家が重用され、貧困対策で実施されたのは、土地制限を制限する名田政策。東洋的デスポチズムでは、必ず土地公有の公田制に戻ろうとするが、日本も含めて必ず失敗するな、と。失敗するけど精神的平等性が強調されて、儒家は「負けて勝つ」戦略で生き残ったのか(p.252)。
しかし、儒教の受容はエリート層に留まっているという指摘もあり、「中国の歴史」シリーズの第7巻『中国思想と宗教の奔流』を読むのが楽しみになってきた。
後漢時代に儒教が国家イデオロギーになった背景には、郷里や家族内の秩序が戦乱や自然災害がもたらす貧困や流民化によって崩壊し、子殺し、売子、奴婢売買、飢餓時の食人などが行われていたため、という指摘もなるほどな、と思うが(p.402)。
前漢から皇帝を簒奪した王莽は華夷秩序を厳格化しようとして、冊封していた周辺諸民族の支配者を王から候に格下げし、それに反撥した匈奴、高句麗などが離反、一代で滅んだ、と。後漢書東夷伝、魏志倭人伝で倭を遇したのは、この失敗を反省したからなのかな?もちろん、呉と倭が連携されて挟撃されてはかなわないということで魏が倭に「親魏倭王」という最上級の地位を与えたんでしょうが。
夏殷周三代は女食で、秦は暴虐な政治で、前漢は外戚で、後漢は宦官で国が傾いた。後漢の指摘は曹操が宦官の養子だったことを非難するという意味もあるが、幼帝が続き、皇后の力が強くなると、後宮に自由に出入りできる宦官の発言力が強まった、と(p.407)。
秦の始皇帝は人質の子から中国の支配者になったが、儒教が国教的になって以降、夷狄からは人質とらなかったのかな…とふと思う。人質取ればあそこまでやらられなかったんじゃ…騎馬民族は末子相続とか、嫡男の母親を外戚が猛威を振るうので殺すとかの奇習は人質を取られないためのだったのかな…。
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