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April 16, 2018

『鉄道貨物 再生、そして躍進』

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『鉄道貨物 再生、そして躍進』伊藤直彦、日本経済新聞出版社

 昨年、日経産業に連載されていたインタビューも読んでいましたが、JR貨物の社長会長をつとめた伊藤直彦さんの『鉄道貨物 再生、そして躍進』を読みました。一読、最初に想いをいたしたのは貨物が1000億円近い長期債務を背負わされたこと。国鉄末期には赤字の元凶とまで言われ、赤字必至とみられた貨物会社にしては、随分、ハードルの高い船出だったなと改めて思います。

 長期債務を負わせられたのは、この本でも書いている通り、いずれ経営が立ちゆかなくなり、5年後ぐらいに本州3社を中心に再統合する構想があったことが遠因かもしれないな、と。本州3社は三島・貨物とは比べものにならないほどの優良資産を継承していたわけですが、大都市に広大な土地を保有する貨物の資産もいずれ自分たちのものになると考えれば、多少はハードルを高く発足させた方が後々、早く回収できるし、自分たちの会社の長期債務も少なくてすむ、という考えもあったのかもしれない。

 『国鉄改革の真実「宮廷革命」と「啓蒙運動」』でJR東海の葛西さんは、JR東日本には東海道新幹線も入っているのに東京駅などの分割で重要資産を軒並み持っていかれたと不満をぶつけていますが、国鉄改革の最終局面では、時間がなかったということもあり、資産の振り分けなどは、相当、恣意的に行われていたようです。

 それを考えると、バブルとともに発足したことは天佑だったのかもしれない。

 当時は「人手不足のトラックからこぼれ落ちた貨物が鉄道に回ってきたただけ」という現実を経営陣が認識しないまま緊張感を失い、本来は機関車や貨車などの取り替えに利益を使うべきところを、一時期はまことしやすにささやかれていた「貨物を上場一番手にして、株高を誘って東日本、東海を高値で売る」という構想に乗って、税金を払うためだけに利益を積み重ねていたのは残念だと思っていました。

 しかし、それでも、旅客会社からは独立した全国一本の会社としてやっていけるという方向がハッキリし、黒字続きということで荷主や代理店である通運会社からも「これなら使っていける」と認識されたのは、長い目でみれば本当に運が良かったのかも。バブルの恩恵に浴することなく、最初からギリギリの経営が続いていたら、阪神大震災あたりの時点で貨物は地域分割されていたかもしれません。

 本書は貨物会社の発足に関しては伝聞調で書き、それよりもなぜ国鉄が大幅赤字に陥ったかということについて詳しく書いているな、という印象。

 国鉄は同じ公社でも市場を独占していた専売公社や電電とは違っていたとか、敗戦処理で満鉄の引き揚げ者を24万人を受けいれたため、ピーク時の職員は62万人に達し、定員削減に伴い下山・三鷹・松川事件も発生したというあたりから書かれても…とも思ったが、こうした事実を知らない世代も多くなっているのかもしれない。また、戦後、国鉄が新規投資を抑えざるを得なかったというあたりは、JR貨物の姿ともダブった。機動的な投資を怠り、それが後々、ツケとして回ってくる、という問題は貨物だけでなく北海道も抱え、後に大きな問題になることも。

 また、国鉄時代の職場規律の問題を最近の類書より大きくとりあげているのも特徴。第二章で、現場での「説明事項」が「定員交渉」という名に変わってしまい、怒号と喧噪の集団交渉になっていったというあたりを詳しく書いるが、伊藤氏など労務畑の幹部が貨物に多かったのは、北海道と比べてラッキーだったな、と(総連系の組合のコントロールなど)。
 
 順法闘争に怒った乗客が暴れた際、北局人事課長として警視庁に赴き、現場に対して「足止めされた乗客には後日タクシー代を国鉄が支払う証明書を出して対処しろ」と権限もないのに指示を出して収拾させたが、「機転がよく利いた」と褒められたというあたりは、この程度のカネは国鉄にとって何でもないということだったんだろうな、と改めて思います。JRグループの大物だった人が「国鉄末期の年度末には、毎年、多額の利子を支払わなければならず、その時は百億円以下のカネはカネとは思わなかった」と語っていたことを思い出す。

 「第二臨調と国鉄再建監理委員会」の章では「国鉄は、第二臨調の高度の政治性に気がついていなかった」というあたりは新鮮というか「マジかよ」と。やはり、当時の田中派の力を信頼しきっていたのだろうか。葛西氏の本でも、この本でも政治がらみというか、田中派についてはほとんど書かれていないのが特徴。

 p.61の分割論に関しては電力を参考にした、というあたりは、葛西氏も分割・民営化で推進派の立場の朝日の大谷健『興亡』と、分割反対の立場から書かれた近藤良貞『電力再編成日記抄』を参考にしたと書いていたことを思い出した。

 正直、就業規定の改正がどれほど大きかったということについては知らなかったが、これが出来ていなかったら余剰員対策もできなかったというあたりは、そうなのかな、と(p.99)。

 四章「国鉄改革と鉄道貨物輸送」で、国鉄貨物部門を残せと後輩の事務次官だった再建監理委員を事実上取り仕切っていた、後に東日本社長となる住田正二さんに広瀬真一日通会長が指示を出したとまでは書かれていないものの、広瀬さんの役割に触れているのも、こうした本では初めてのこと。八章「JR貨物、ついに出発」で、貨物はどうせ赤字で立ちゆかなくなるので、旅客に分割することが暗黙の了解だったということも、この手の本では初めて。

 貨物会社が引き継ぐ資産を圧縮したことについては、第八次石炭政策で国内炭生産の段階的縮小を図ることことが決まり、貨物会社の石炭輸送に係る資産も圧縮されたというあたりが抜けているかな、と。

  58年6月に日通で信澤専務が子会社の日通総研社長となり、8月に広瀬、住田、信澤氏と国会議員の三塚博、鹿野道彦それに後に運輸事務次官となる林淳二監理委員会事務局長が貨物をどうするかの協議を行ったことについて、国鉄は知らなかったというのは、どうなんでしょう。 信沢委員会の発足当初は知らなかったのか、あるいは知っていても、そんなものは無視するという感じではなかったのか、と言いたかったのか。

 60年4月に運輸省が国鉄改革推進本部を発足させ、貨物については熊代審議官のチームを設けたわけですが、本当にあの頃になると国鉄は急速に当事者能力を失っていたな、という印象。8月に須田さんが中心となった貨物プロジェクトがつくられたけど、やっぱり貨物局が中心となってやるべきとなったというあたりは混乱というか。

 六章「貨物輸送と線路使用料」については、回避可能原価と追加発生コストの名称に固執しすぎたかな、と感じます。

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