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January 05, 2018

『ギリシャ人の物語』が「III 新しき力」で完結

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『ギリシャ人の物語III 新しき力』塩野七生、新潮社

 ローマ人の物語から毎年、年末は肩の凝らない塩野さんの本を読んで息抜きするのが楽しみでした。中世ヨーロッパを描いてデビューした塩野さんが、普遍のヨーロッパの原点ともいうべきグレコ・ローマンの歴史を描いて「歴史エッセイ」を閉じることになったわけですが、資料が多くのこっているとはいえ、その膨大な仕事量には改めて凄いな、と思います。

 この『ギリシャ人の物語III 新しき力』はアテネの凋落とペルシャの傭兵となってしまったスパルタ、それをいったんは打ち破ったテーベの没落で、ポリスとしての古代ギリシャに人材が枯渇したところに、僻地だったオリンポスの北にあったマケドニア王国がフィリッポスから隆盛となり、息子アレクサンドロスがインド王までをも征服する過程を描いいています。

 「新しき力」というのは、アレクサンドロスがペルシャからインダス河流域まで制服し、各地にアルキサンドリアと名付けた都市を建設、通貨も統一して(貨幣に横顔を彫らせたのは彼が最初とか)ギリシャ商人などが行き来することによって、ヘレニズムという新しい世界が現出したことをさすと思います。後にカエサルがブリタニアを征服しますが、大航海時代が来る前のヨーロッパ社会にとって、世界とはインドからイギリスまでのことを指していました。アレクサンドロスはそうした「世界」をつくりあげたことになります。

 それまでのアッティカ方言ではなく、コイネーがギリシャ語の共通語になり、オリエントの宗教であったユダヤ教も普遍と出会うことによって、変わっていくことになります。ユダヤ教社会は、いったんセレウコス朝が弱まった時にマカバイ戦争によって、その軛から逃れることはできましたが、やがてはローマというより組織的で合理的な普遍社会によって征服され、ユダヤ戦争によって神殿を中心とした旧来のユダヤ教は根拠を失い、1900年間はディアスポラの宗教となり、民俗宗教としての性格も元々の中近東から東欧などに広がることで変質していきます。もちろん、この過程でキリスト教も生まれるわけです。

 こうした変化は、アレクサンドロスのインフラ整備とともに、彼が奨励したギリシャ人部将とイラン人貴族の女性との結婚によって生まれます。セレウコス朝はギリシャ人武将のセレウコスが起こし、エジプトのプトレマイオス朝も現実主義者でエジプトを支配することだけに満足したプトレマイオスが建てます(クレオパトラはギリシャの女性の名前)。

 アレクサンドロスは彼の帝国の中心としたスーザとエジプトをペルシャ湾~インド洋~紅海で結ぶことを構想し、そのためにもアラビア半島を征服しようとしましたが、常に最前線で戦っていた彼の身体は満身創痍の状態となり、32歳で夭折します。彼が征服できなかったアラビア半島はグレコ・ローマンの世界には入ってこない状態が続きますが、やがて、そこからイスラムが生まれるというのも示唆的かな、と。

 情けないことに、ギリシャの古典にはまだまだ未読のものが多いのですが、そうした中でもソクラテスの弟子、クセノフォンがスパルタがそそのかされて大失敗したペルシャからの逃避行を描いた『アナバシス 敵中横断6000キロ』は未読なので、読んでみようかな、と。

 プラトンはアテネの市民だから土地を購入してアカデミアをつくることが出来たが、余所者のアリストテレスは土地を購入する資格がなく、リュケイオンの土地も借りていたというのは知りませんでした(リュケイオンが高等学校を意味するフランス語のリセ、イタリア語のリチュオに続いていることも)。

 テーベがマケドニアの父子が参考にする歩兵と騎兵の有機的運用を産みだしたというのも知りませんでした(p.77)。しかし、小国テーベはペロピンダスとエパミノンダスが死ぬと衰え、やがてはマケドニアに滅ぼされます。フィリッポスはマケドニアと同盟を結び、その証としてフィリッポスは人質としてテーベに赴き、こうした戦術を学びます。

 都市国家のポリスからすれば、王制のマケドニアは野蛮な国だったようですが、やがてフィリッポスが全ギリシャの盟主となります(フィリッポスが王となって3年後にローマは「リキニウス法」で貴族と平民の抗争に終止符を打ちます)。

 フィリッポスはホプリーテス(重装歩兵)の要員を農民層まで拡大、槍も長大化させファランクスとして大型化。ポリス連合国を打ち破ったカイロネアの戦いでは、アテネ軍に対するフィリッポス指揮軍、中小ポリス連合に対する副将パルメニオン軍とテーベ軍の間にできた隙間をくぐり抜け、弱冠18歳のアレクサンドロス率いる騎兵部隊が後ろに回り込んで挟み撃ちして勝利、マケドニアに覇権が確立されます。

 七海さんは、カエサルを描いた二巻で、畢竟、戦闘というものは、相手を挟み撃ちにすれば勝てるもので、そのためには敵の猛攻を耐える防御部隊が支えている間に、機動力を活かした騎兵が挟み撃ちにする、と書いていたと思います。この戦法は、基本的には第一次世界大戦まで続くことになります。そして、『ギリシャ人の物語III 新しき力』では《ミもフタもない言い方で言えば、戦闘で勝つ方法は一つしかない。味方はパニックに陥らないようにしながら、的をパニックに陥らせることにつきる、のである》(p.250)と書きます。つまり、挟み撃ちにして、背後を突かれた敵をパニックに陥らせる、と。

 グラニコス、イッソスの会戦で勝利したアレクサンドロスは、ギリシャとの補給路を万全のものとするため、フェニキア海軍を頼みにパレスチナ沿岸で唯一、降伏しなかったティロスを攻め落としシーレーンを確保します。

 ガウガメラで三度、ダリウスを破ったアレクサンドロスは現代でいえばアフガニスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタン。タジキスタンなど、ペルシャにとっても不安定要素となっていた難治の中央アジアの制覇に向かいます。アレキサンダーの時代から、難治というか腹面背従という土地柄らしいのは笑えます。変わらないな、と。その地で味方についた部族長の娘ロクサーヌと結婚しますが、子どもが生まれたのは死後で、この本には書かれていませんが、幼友達でもあったヘーファイスティオンを愛していたようです(父が破ったテーベの神聖部隊も全員がゲイみたいです)。

 アレクサンドロスはアリストテレスから教えを受けたことでも有名ですが「非ギリシャ人(野蛮人=バルバロイ)は動物か植物とでも思って接するべき」という教えには従いませんでした(p.187)。まあ、確かに「野蛮人どもをギリシア人が支配するは当然なり。 野蛮人と奴隷は本来同じだからである」( 政治学』第1巻第2章1252A31B9)と語っていますが、アレクサンドロスはアリストテレスの自己拡張的なフィリア(同胞愛)による閉鎖性の壁をも破ったのかもしれません。

 それにしても、アレクサンドロスの東征は父の暗殺による急死を受けた21歳からスタートし、しかも、資金繰りもままならない状態で進められたとは(p.203)。

 アレクサンドロスは父フィリッポスが創造したファランクスから、現代で言うならば海兵隊的な身軽な特殊部隊「ヒパスピスタイ」をつくり、機動力を活かした戦いで四度の会戦に勝利し続けます(p.206)。

 アレクサンドロスが東征でペルシャを滅ぼすのは、今はトルコ沿岸部となっているレスポス、ミレトス、エフェソス、ロードスなどがギリシャ文明の生みの親でもあるですが、当時は海岸部と内陸部は今のように有機的には結びついてはいなかったんでしょうね。アレクサンドロスが東征したルートは、300年後、パウロがキリスト教を携えて歩き、航海することになります。
 
 29歳でインド王ポロスをヒダスペスに破りますが、それ以上の東征は兵士たちに拒否され、テーベへの帰路につきます。アジア入りしたアレクサンドロスの第1戦はグラニコスの会戦は、グラニコス川の両岸に開けた平原で行われましたが、最後の会戦もヒダスペス河畔。といいますか、地形的に大軍同士の会戦は川が削った両岸とか、扇状地になんじゃないかな、どうなんでしょ。

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