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September 15, 2017

『自民党』

Ldp

『自民党』中北浩爾、中公新書

 事実上、冷戦終結後に可能となった日本の政権交代は、だいたい15年に一回ぐらいの割合で起きましたが、政権交代が目的のようになってしまい、求心力を失うと、その後は野党の方が再編を強いられるような展開が続いていています。民主党の政権交代は本当に期待したのですが、今回も野党再編に向かう似たような流れになるんでしょうか。

 細川連立政権の時は、旧田中派から続いた金権キャンダルに飽き飽きした人々が発作的な投票行動で実現させたような印象で、それと比べると民主党の政権交代は十分な準備が出来ていると思ったにもかかわらず、対米国、中国との安全保障の問題で早々に躓いてしまいました。

 ただ、細川政権で実現した労組代表が省庁の審議会に入ることや、民主党による歳出評価重視という視点はこれからも残っていくと思いますし、可塑的な日本の政治システムにしっかりとした刻印を残したと思います。

 仕事柄、狭い視点からでしたが、二回の政権交代を間近で見られたことは貴重な経験でした。

 今は盤石に見える自民党ですが、このままずっと与党にいると、一人区に候補者がいない空白区がなくなり、二世三世議員ばかりになってしまい、以前、優秀な候補者が皆んな民主党から立候補せざるをえなくなっていたような状況が再びやってきて、新たな展開も生まれるんでしょうか。

 個人的には維新とかみんなに行った候補者は軽蔑していたんですが、単に勝てそうな政党選んだだけかもしれないし、そうした候補を「ゆとり」とか言ってバカにしちゃいけないのかな、なんてことも思いました。

 それにしても、p.158-あたりを読み、自前の勝てる候補を着々と育てている感じのある自民党と比べると、自分の選挙だけは強いけど、渋谷などの地方議員(区議、都議)の面倒も見ずに放ったらかしで先細りさせてるミスター年金あたりを選挙対策委員長に選んだ執行部はちょっと残念ですが。

 本書の分析の白眉は公明党も含めての政府・与党の政策決定プロセスと自民党のリクルート方法の変遷でしょうか。

 まず、前提として1973年の石油危機で高度成長が終わると、複数の政策分野にまたがる課題が生じ、官僚に対する自民党の優位が進んだ、と(p.100)。さらに、第2次小泉内閣では政務官を担当分野の自民党の部会の副会長と兼務させたたのですが(p.112)、軽めのポスト同士とはいえ、それは「内閣・与党の政策決定一元化」を実現するための措置だった、と。

 党議決定された案件は公明党との与党政策責任者会議(与責)にかけられ、これを経なければ閣議決定に進むことができない、というルールが12年の政権復帰の際にも確認されたのは(p.125)、空中分解した新進党の失敗もあり、創価学会を支持母体としている以上は自民党と合併することが難しいため。こうしたルールがつくられたもうひとつの理由は、公明党の政策には民進党に近いものが多く、事前審査の手続きを経て、党議拘束をかけなければ、国会で足並みが乱れるため、必要不可欠のプロセスとなった、と(p.126-)。

 政治主導は元々、21世紀臨調の後押しで進められ、自民党もそうした方向を目指していたが、民主党による「事前審査の廃止による政策決定の内閣一元化」が鳩山政権で失敗したことから、現在では事前審査制が活用されるようになった、と(p.129)。

 鳩山政権の時、年末までほとんど情報が漏れてこなくて、各省庁の三役が何をやろうとしているのか、平場の記者会見ぐらいでしかわからなくなった時期があったんですが、それで出てきた政策が猛反対を産んだ中途半端な高速道路無料化などであったため、優秀な人間でも少人数では間違う、ということになったのかな、みたいなことも思います。

 候補者の公募の目的は1)有権者のアピールできる清新な候補者を自民党外に求めること2)開かれた政党であるというイメージを浸透させることなんですが(p.159)、公募の歴史を簡単に整理すると以下のようになります。

94年の政治改革後に敗れた自民党は地方組織が自主的に公募を開始→
与党復帰で先細り→
小泉総裁が公募と予備選を公約に当選→
空白区と補欠選は原則公募に→
しかし、ウラで事前に決められるなど形骸化→
郵政解散で緊急公募するなど中央主導に→
しかし、あまり党主導でやると杓子定規になりすぎ、実情に合わず再び地方主導に

 こうした優柔不断さというか、すぐにシステムを変えられる柔軟さは凄いと思います。

 こうした結果、自民党代議士は中央官庁の役人、企業経営者、JC役員などが減少。地方政治家や議員秘書は増減なしですが、一般の会社員、弁護士や医師などの専門職、大学教員は増加しています。つまり、自民党は、自身が有する既存のネットワークの外部からスカウトできている、というわけですが、同時に議員は二重構造化しているともいいます(p.170-)。

 以下は面白く感じたところを箇条書きで。

 ノンイデオロギーで《非社会主義勢力をすべて糾合した自民党では、派閥が人事ないし離縁に依拠する度合いが強かった》(p.14)。かくて総裁選によって《八個師団と称された派閥が明確な姿を現した》(p.18)。

 派閥の《事務総長会議は、竹下内閣の発足を受けて1987年12月に「師走会」と名付けられ、毎月一回、ほぼ定期的に開かれることが決まった》(p.23)。それは、総主流派体制となって、派閥間の競争も失われたためだけど、竹下内閣が派閥の時代のピークだったんだな、と。

 2015年に石破茂を領袖とする水月会が結成されたのは、1979年に中川一郎率いる自由革新同友会が結成されて以来のこと(p.26)。

 派閥はすべて木曜日の正午から定例会を開くことで互いにメンバーを囲い込んでいる(p.36)。相互認証によるシステムなので持続性を有している、と。

 若手議員には派閥に所属るメリットがそれなりにあるが、有力・中堅議員となると、政治資金上の負担が重くなり、野党に転落すると脱退するケースが多くなる(p.38)。

 自社さ政権でリベラル色を強めたことを危惧した安倍などは歴史教育の見直しなどを求め、国民的な人気を得て小泉政権で幹事長に就任した時、自主憲法制定を再び掲げた(p.54-)。

 二大政党の一角として台頭した民主党が社会党の流れを引いていたので、自民党は必然的に右傾化していった(p.56)。

 現在、当選五回以下の衆議院議員で大臣・党四役の未経験者は「希望役職に関する自己申告書」を幹事長に提出する(p.75)。

 《政治改革をよそに参議院改革がほとんど進んでこなかったので、依然として参議院は自民党の「党中党」》(p.79)。

 田中内閣までは総裁派閥から幹事長が起用されてきたが、椎名裁定以後、自派からは幹事長を出さない「総幹分離」の慣行が始まった(p.82)。→大平が幹事長就任を談判しに行って、外相でごまかされたという『自民党戦国史』の一節を思い出しました。

 自民党総裁選で無投票が少なくなっているのは、推薦人が50人から順次20人まで減ってきたから(p.89)。

 第2次安倍内閣の経済財政諮問会議はマクロ政策を、日本経済再生本部はミクロ政策という役割分担となった(p.113)。また、14年の内閣人事局の設置によって官邸主導は一層強化された(p.114)。

 小泉内閣の郵政民営化の時と違い、農協改革ではJAグループが割れ、一部が容認にまわった(p.120)。これは農協の金融事業を支えている準組合員の規制強化を阻止することを重視したから(p.120)。

 小選挙区では、あらゆる要望に対応しなければならず、族議員の底が浅くなった(p.122)。

 自民党の広報改革は小泉政権下の03-05年と野党時代の09-12年に行われたが「悪いものを良く見せる効果はない」と(p.142)。

 自民党と民主党の固定票の差は2倍(p.145)。

 橋本内閣での参院選挙敗北で生じたねじれを解消するため、自民党は公明党との連立に踏み切り、2000年の国政選挙に臨んだ。学会員と友人・知人への依頼によるフレンド票(F票)はかなり細かく把握され、コントロールされており、自民党の固定票と比べても圧倒的に頼りになることがわかっていく(p.147)。一方、自民党との選挙協力で、公明党には比例代表で5議席がもたらされている(p.148)。

 公明党は50-60年代に急激に信者を増やし、70年代以降は、家庭内再生産の段階に入った(p.149)

 公明党の非推薦者は麻生太郎、小泉進次郞、平沢勝英(p.152)。

 創価学会による自民党後援会へのアグレッシブすぎる働きかけは摩擦を生み、地方議員の反撥もある(p.154)。
 自民党の世襲議員は逆風に強い。大敗を喫した09年での選挙では広義の世襲議員の割合は54.7%、狭義の割合は34.4%に達し、55年体制以来の最高となった(p.176)。

 三角大福中は全員世襲議員ではなかったが、麻垣康三は全て世襲議員だった(p.177)。

 自民党は郵政選挙での造反議員を受けて、党本部の権限で支部を解散できるようにして、造反したら政党交付金などを受け取れないようにした(p.178)。

 自民党は日本宗教連盟に加盟している団体のうち、日本キリスト教連合会を除く神道、仏教、新興宗教団体の連合会と協議を行うほか、いずれにも加盟していない霊友会、世界救世教、仏所護念会教団とも話し合いの場を持っている(p.184)。キリスト教団体は政治に弱いな、と思うと同時に、他の新興宗教がいかにキタナイか、という感じを受けます。にしても、政策と票・カネの交換が循環的だな、と。

 自民党で個人後援会が発達した遠因は、政治献金が経済再建懇談会~自民党というルート一本化が中選挙区制の固定→派閥の固定によりできなかったから(p.187)。

 最初の族議員は農政だったが、予算に占める割合は53年度の14.9%から59年度には7.5%まで減少したが、農民からの突き上げで米価は上昇していった。80年に建設業は就業者数で農林業を上回り、選挙マシーンの中枢を担うようになった(p.188-)。92年に米価は引き下げられなかったが、それは財政上可能だったから(p.191)。

 宗教団体は得票数を通じて自らの組織力が明らかになることを避けるため、他の教団と相乗りしたり、著名人を推したりする傾向が強い(p.209)。非拘束名簿式となった2000年以降、宗教票は下り坂(p.211)。

 団体別では世界救世教、全特、建設、賃貸、看護が上位(p.214-)。

 自民党所属の地方議員は1万数千人と推定されるが、立候補の時に党籍を明確にしている議員は1717名にすぎない(p.231)。

 市区町村といった行政単位が重視され、都道府県が自主的に選挙区を設定する余地が少ないため、都道府県議会の選挙制度は、都市部が中・大選挙区制、農村部が小選挙区制の混合になっている(p.233)。

 813市議会ま平均の議員定数は24.1人で、人口50万人以上の市では平均45.8人。船橋市、鹿児島市、東京都の太田、世田谷、練馬も50名(p.235)。

 町村議会の議員報酬は月額21万円で、兼業がかのうな自営業者や会社・団体役員が多くなる(p.238)。

 自民党の東京都連は、区議会選挙で公認候補の擁立を重視し、推薦を認めてこなかった(p.240)。

 自民党は地方議会を民主党政権の反抗拠点とるため、09年には民主党との違いを強調する右寄りの意見書が地方組織から出されるようになった(p.248)。

 自民党の選挙対策本部が編集した『総選挙実戦の手引』では、個人後援会を結成る手順について《世話人会議、事務所開設、準備委員会または拡大世話人会議、ホッ金人・発起人代表委嘱、会員募集、結成大会、選対会議、総決起大会もくしは「励ます会」という一連の流れ》を説明している(p.252)。

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