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August 11, 2017

『中国の近現代史をどう見るか』

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『中国の近現代史をどう見るか』岩波新書、西村成雄

 久々に読みにくい文章で辟易したのですが、内容は素晴らしかったのが岩波新書のシリーズ中国近現代史シリーズの掉尾を飾る『中国の近現代史をどう見るか』西村成雄。

 存亡の危機に直面しながらも近代世界のなかで自己変革を遂げていった清朝末期を描く『清朝と近代世界 19世紀』。日清戦争の敗北、辛亥革命、そして中華民国の誕生と様々な近代国家建設の道が構想された30年を描く『近代国家への模索 1894-1925』。国民党と共産党は日本の侵略にどう向き合ったのかをを描く『革命とナショナリズム 1925-1945』。人民共和国の成立から文革の嵐までの混乱と迷走の四半世紀をたどる『社会主義への挑戦 1945-1971』。鄧小平が計画経済から市場経済、改革開放を目指した道程をたどる『開発主義の時代へ 1972-2014』という5巻を受けて、清朝末期から現代までの200年中国を俯瞰したのが『中国の近現代史をどう見るか』。

 これまでのダイジェストではなく、世界システム論からみて、中国の地位が中枢から周辺に下降した後、再びセミ中枢まで上昇する「200年中国」という時間軸を設定して、この間の動きを俯瞰してみせてくれた。

 個人的に蒙を啓かれたのは、東洋的デスポチズムの典型であった清朝が滅んだ後も、中国の権力を担った勢力は通常の意味における民主主義的な政治形態を目指していなかった、ということ。

 袁世凱は皇帝となったほか、孫文も「訓政」という名の国民党による一党独裁を進めようとしたわけで、蒋介石から毛沢東へのメインランドにおける権力移行(国民党→中共)は、ソフトな国家社会主義からハードな一国社会主義への移行と見た方がいいんだな、と感じる。こうした理解の方が東洋的デスポチズムから一党独裁(国民党も中共も)という流れがスムースに行ったことがよく理解できると感じた。

 孫文というと三民主義と脊髄反射になるけれど、いくら最終的には憲治を目指していたとはいえ(マルクスだって最終的にはユートピアを描いているわけで)、旧清朝勢力との権力争いの中で国民党もレーニン主義の影響を受けてるな、と改めて感じた(p.112)。

 国民党の「以党治国」に基づく「訓政体制」は、殷の宰相伊尹 (いいん)が皇帝を諫め「訓」したことが先例とか(p.18)。孫文~蒋介石~毛沢東~鄧小平が採用した党主導=以党治国(党を以って国を治める)は、殷の時代を先例とし、乾隆帝が子の喜慶帝を「訓政」した「訓政体制」に基づいている、と。

 実際の政治過程でも、中華民国が北京政府の正当性を否定し、打倒を目指した北伐を通じ、国民党の中共弾圧で、蒋介石の南京政府が樹立されたため、孫文の以党治国という、一党支配の正当性が制度化された、と。中共の独裁はある意味、100年の歴史を持つ、と(p.43)。

 戦後、国民党勢力を本土から駆逐した毛沢東は、国民党による官僚独占資本主義の没収を自身の新民主主義経済の政策の一つとしてとらえていたが、それは国民党政府の元での国家資本主義の集積所・集中が基盤となっていたという指摘はうなる。これは、レーニンの言う国家独占資本主義は社会主義の完全な物質的基盤だとも言えるわけで(p.147)。

 旧満洲の工業施設は日本軍、国民党、中共と次々と接収されていったが、その中でも張学良は東北地区で民族主義的経済体系づくりに奮闘し、それが基盤になっていたんだな、と。戦前における企業設立のピークは日露戦争後の数年だったというのも驚き(p.135)。もっとも、こうした先進性は、現在における「東北現象」という国営経済企業の不振を産んでいるというのは面白いな、と(p.152)。

 孫文の以党建国、党国体制は中共や民主諸党派に批判され、聯合政府樹立が求められるようになり、張学良の西安事件はその波頭だった、と。そうした動きを毛沢東が簒奪して、中華人民共和国にもっていった、と(p.48-)。

 この本は図表が多用され、特に60頁の「伝統的政治文化の構造」の図、素晴らしい。辛亥革命で専制的王朝時代の屋根はなくなったが、その柱と土台は残り続けていることがよくわかる。

 中共は社会主義国の一員として自己規定することで、資本主義的ネイション・ステイト圏からの離脱を図ることで、政治経済的「自立性」を獲得し、それが遠回りながらもセミ中枢まで上昇する基盤となった、と(p.15)。そして、日米との国交回復後は、世界のネイション・ステイトとして自己規定することになった、と(p.50)。

 以下は箇条書きで。

 清朝の士大夫に国境が可視化されたのは日清戦争の敗北だった(p.22)。
 
 中国が国際的秩序に埋め込まれたのは義和団鎮圧戦争の結果結ばれた辛丑条約(しんちゅうじょうやく、北京議定書)だった(p.32)。中国を個人にたとえれば義和団が「底付き体験」だったんだな、と。

 清朝衰退期の道光帝の時代、西北辺境(新疆南峰)でジャハーンギールの反乱が起こり鎮圧するのに7年かかったというんですが、このジャハーンギールという名は宝塚の花組公演『金色の砂漠』で描かれていた人物で、そうした名前の実在の人物がいて、張格爾という中国名も持っていた、というのには驚く。

 中共は「人民の敵を打倒する」ことによって政治的委任を受けたと理解できる(p.83)。

 ネイション・ステイツには1)ブルジョワ主導による内的発展をとげたグループ2)フランス、ドイツ、日本のように官僚主導でキャッチアップを目指したグループ3)ロシアと中国のように単一政党主導によるキャッチアップを目指したグループに分類できる、と(p.139)。

 清朝は支配権力内の洋務派権力の形成という部分的変動だったが、日本は江戸幕府の崩壊という政治的転換を行った、と(p.132)。

 マディソン推計で日本のGDPが中国を越えたのは1961年というのは驚き(p.162)。

 現在の中共は政治的エリートと経済的エリートの同盟となっている(p.196)。

 中国の基層は「中華世界層」、中層が「資本主義ネイション・ステイト」、表層が「社会主義ネイション・ステイト層」(p.204)。

 ロシアはメキシコの一党独裁が約70年で崩壊したが、中国ではそれが2020年前後となる(p.208)。

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