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July 20, 2017

『モラルの起源 実験社会科学からの問い』

Moal_iwanami

『モラルの起源 実験社会科学からの問い』亀田達也、岩波新書

 2012年にNHKで放送された『ヒューマン なぜヒトは人間になれたのか』シリーズは印象的でしたが、本書はそこで描かれていた内容を、より学術的にまとめたような印象です。

 紹介したNHKスペシャルは、なんで人間は協力するように心を発達させてきたのかを扱っていいたんですが、協力には直接的に人を助ける直接互恵のほかに間接互恵も重要だそうで、『モラルの起源』では《情に流されて行動してしまう人情家は短期的には損をしても、長期的には人に選ばれていく》とまとめられています。

 ヒトは社会の中でしか生きられないので、その中で安定的な地位を保たねばならないのですが、戦略上、最も有効なのが周りを気遣い、時には自分が損をしてもヒトを助けるような「寅さん」みたいな生き方だそうです。

 若干、ヒトの目を気にしすぎるのでは、と思われるようなこうした生き方は、狩猟社会の時からの平等を気にする性質がさせている、という理由もNHKの『ヒューマン』と一緒だと感じました。

 平等で問題はありませんが、そこからはなかなか発展が生まれません。随分昔に聞いた、「アポロ計画の資金を貧困救済に使っても、あまり意味のある結果はでなかったろう」というような話しを思い出しますが、とにかくアフリカにある狩猟段階の社会で「もっとも嫌われるのは、ケチと自慢」だそうです。とにかく平等であることが原始社会では生き残りの条件だった、と。

 こうした内向きな傾向は現代においても、例えば、社会政策では、思わぬ不合理を生むそうです。どういう分配が好ましいか人々に問う実験では、社会全体の資産総額が小さくなっても格差が少ない社会を求める傾向がハッキリとみてとれるそうです(p.142-)。

 ここで、ハタと思いついたことがありました。

 多くの人々が基本的にはこうした考え方であるとすれば、資本主義社会では逆に大きな勝負に出るような性格のヒトというのが成功するのではないのかな、と。日本でも「今の日本社会にはアニマル・スピリットを持った資本家が少ない」なんてことをよくいいますが、資本主義社会で極く一部の人間が成功して、大多数の人々が平等に貧しくなるというのが、人類の宿命なのかな、みたいな。

 『モラルの起源』の著者は適応は10万年以上の長い進化時間、数百年・数千年の歴史・文化時間の両面から考えるべき、と場合分けをしします。そして、人間の社会行動は複雑で矛盾するように見えるが、全体としては生き残りのためのシステムと考えることができるから分析は可能だ、と。

 霊長類の大脳新皮質は群れのサイズが大きい種ほど大きいそうで、他の霊長類とのサイズ比較で、ヒトにとって本来の社会集団(群れ)の大きさは、だいたい150人と予想され、これは伝統的な部族社会におけるクラン(クラン)の大きさと一致するんだそうです(p.16)。

 なんで、こんなに大脳新皮質を発達させたのかというと、それはヒト付き合いのためだ、とというあたりが導入部。

 2章では極端にヒットする歌や本、映画が出るのは人気が人気を呼ぶプロセスが生じるから、という話しからスタートします。どうしてそうなるかというと、ヒトは他者の意図を敏感に察知し、戦略的に反応する「空気を読む」動物だからだ、と。「自分の目だけを信じて判断を下すことは個体に不利益をもたらす」ということが経験則となり、他者の福利やステイタスに敏感なのもこのためだ、と。付和雷同はヒトの本性なのかもしれません。

 集団のために汗をかくことは「自らの適応度を下げてまで相手の適応度を上げる行動」と定義されますが、こうした利他的行動はハチのような群れ全体での生き残り戦略をとる血縁淘汰なら説明できるが、ヒトを含む強い血縁社会を作らない動物たちは、どのようにして協力して関係を作ることができるのか、が3章のテーマ。著者によると

・「罰に社会的な実効性がないはず」と冷徹に計算したずる賢い掟破りは、人々が、そのように感じてしまうことで実効性を持つ
・こうした行為に罰を与えることは、自分に直接的な見返りがなくても「快」が伴う
・相手との社会関係をうまく築くためには直感、身体感覚が重要なポイント
・道端に倒れている人を助けるなどの間接的互恵行動はヒト以外に観察されない
・その仕組みには、評判の働きがある
・ヒトは毛づくろいに代わって、言葉を使い「今ここにいない誰か」についての噂話をすることが、お互いの絆や連帯感を強めている

 んだそうです。

 ゴシップを通じて他者の本当の利他性についての情報を得ることで、評判の良い人と付き合い、悪い人は避けようとする。付き合う相手として他人から選ばれることは、集団生活を選択したヒトにとって適応条件となり、ツイッターやLINEではその影響が大きくなる、と。

 ということで、情に流されて行動してしまう人情家は短期的には損をしても、長期的には評判が評判を呼んで人に選ばれていく。合理的で冷徹な計算よりも「情に流されること」は適応上の意味を持つんだそうです。

 最期も個人的な感想になるのですが、リベラルであったり左翼的な発言は冷たいイメージを持たれることが多いと思うのですが、これは人々が「合理的で冷徹な計算」を信じていないからなのかな、と。だから、どこでも保守勢力が強いのかな、と。

 大いなる反省とともに。

 あと、人間でもイヌでも、見つめ合うと脳内でオキシトシンの分泌がたかまり、相手への愛着行動が増す、んだそうです。舞台でも贔屓から見つめられとオキシトシンが分泌されて、さらに贔屓度が増すという事もあるけど、その他のリアルな場でもあるかもしれません。

 見つめ合うことは大切なようです。

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