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May 02, 2017

『日本の近代とは何であったか』

『日本の近代とは何であったか 問題史的考察』三谷太一郎、岩波新書

 個人的によかったのは、アジア諸国の人々と一緒に歌える歌がないなど、アジア諸国との文化的断絶を強調したところや(丸山真男的?)、近代日本は機能的ヨーロッパ化を図るも、根源的な原理には想いを致さなかったあたり。田中王道東とか取り上げてるし。

 三谷先生の論旨は明快だが、批判する明治憲法における擬似宗教的な補足は、唐突に提示される東日本大震災における原発事故への過剰反応と似ているのではないかとも感じた。マルクスを最初から引用しているけど、最も大切な合理性の部分を見失っているようで個人的には残念。

 とはいえ、いつものように箇条書きでまとめてみます。

[序]

 バジョットは「議論による統治」を成立させる要因として熟慮を求める受動性を重視。一方、英国の国王権力は宗教勢力などの対抗勢力から不断の挑戦にさらされ、自由の付与と議会政治を回避できなかった。そして一旦、議論の対象となると神聖を汚す討議となる。

 『失敗の本質』以降、前の体制が、今の体制を準備している的な議論をすれば一丁上がりみたいな論議もあるけど、トクヴィル『旧体制と大革命』から、幕藩体制から立憲主義の準備を解き明かすとは思いませんでした(p.42-)。

 ウェーバーは『経済と社会』の中で、合議制は行政任務の専門化が進行し、専門家が不可欠となってきたような状況で、支配者が専門家を利用しつつ、その優勢が増大していく中で、自己の立場を守ることに適合した形式、としている、と(p.44-)。

[第1章]なぜ日本に政党政治が成立したのか

 徳川幕藩体制は権力を抑制する均衡メカニズムを持っていた。また森鴎外の史伝にみられる「公権力の公共性の傘の下で非政治的形態の公共性が形成される。これが政治的機能をもつ公共性の前駆をなす文芸的公共性」(ハーバーマス)も江戸時代にはもあった。

 実は分権的だった明治憲法には最終的に権力を統合する制度的な主体を欠き、まず薩長藩閥がこれを担った。衆議院を支配する政党もそれだけでは権力が保証されず、双方が接近、複数政党が出現した。これは同じく分権的な米国での二大政党の成立と似ている。

 米国のファウンディング・ファーザーズたちは、政党政治政治は自由の要請に反すると考えていたが、大統領を補佐する非制度的な主体が必要となり、大統領選出母体となる二大政党を自身でつくることに。

 ナチスの出現、英国の挙国一致内閣、米のニューディール政策を見て、蝋山政道はデモクラシーを分離した立憲主義としての立憲独裁を唱えた。現在の日本でも専門家支配が強まっており、立憲デモクラシーが問われている。

 国民国家の形成と自立的資本主義の形成は不可分。その論拠となったのが軍事型社会から産業型社会への図式を示したスペンサー。堕落した宗教しか持たなかった日本ではウェーバー流の精神よりも機能的にうつり、政治リーダーが同時に経済リーダーとなった。

 その最初の例が大久保利通で、松方正義から高橋是清と受け継がれる。官営事業による先端技術導入、地租改正による歳入増、質の高い労働力を生む公教育の確立、資本蓄積を妨げる対外戦争の回避。外債を極力回避したことは経済の尊王攘夷でもあった。

 江戸時代には村単位でしか把握できなかった貢租が農民単位となり、租税収入を確保。外国資本に頼らない資本主義化が可能に。小学校の数は学制導入三年後には現在を上回る数に。女子師範学校も男子の2年後に設立された。

 本格的な対外戦争も日清戦争までは回避され、テロに倒れた大久保に変わって松方正義がデフレ財政による正貨の確保に努めた。日清戦争後は対外信用も高まり、外債も導入。井上準之助は金本位制と軍縮による日本の国際資本主義化を目指すがテロに倒れる。

  政治リーダー=経済リーダーの系譜は大久保利通、松方正義、高橋是清、井上準之助と受け継がれていくが、松方以外は全員、右翼のテロで倒れているというのは、利潤に悪を見る日本的な暗さを感じさせる。

[第2章]なぜ日本に資本主義が形成されたのか

 日本は政治リーダーが同時に経済リーダーとなった。その最初の例が大久保利通で、その役割は同じ薩摩の松方正義に引き継がれ、高橋是清も薩摩系のリーダーたちに薫陶を受けて育った(p.84)。

 大久保は正倉院所蔵の布地を収集させて外国人の嗜好に合う装飾品のデザインを試みさせたりしている(p.94)。

 日清戦争以前に日本には1)官営企業により先進技術の導入2)高い歳入を保証する租税制度3)公教育4)対外戦争を避けたことによる資本蓄積-という条件が揃っていた(p.86)。

 外債の調達は鉄道建設、俸禄処分の費用捻出など限定的に行われ、正貨の流出を防ぐとともに(p.95)、地租改正で直接、農民を把握して租税収入を確保した(p.99)。江戸時代まで「村」単位でしか生産高を把握できていなかった。

 優秀な労働力を確保するための教育にも熱心で、寺社の催しを禁止したり、警官による授業時間帯に徘徊する児童への登校督促なども行われた(p.102)。

 日本に国賓として来日したグラント元米国大統領は、明治天皇に外債の危険を伝えるとともに、事前に清国の李鴻章と会い、沖縄処分に対する不満を聞いている(p.107)。

 大久保に次ぐ経済リーダーとなった松方正義は、政府の準備金を横浜正金銀行で運用することで正貨準備の増大を図った(p.117)。

 日露戦争後に高橋是清から属目され、国際金融家として台頭してきたのが井上準之助。井上は満鉄への米国資本の導入を目指し、ストロングやノーマンのような金本位制という価値体系を共有していた。このため金準備の蓄積のために緊縮財政を志向した(p.137)。

[第3章]日本はなぜ、いかにして植民地帝国となったのか

 三国干渉による遼東半島還付が与えた挫折感が、自覚的な植民地帝国の内的動機となった(p.148)。日本が手本とすべきだったのはイギリス流の「自由貿易帝国主義」だったが、高コストの実体的帝国主義の道を選んだのは軍事的安全保障への関心から。このため主権線と経済線という概念が出てくる(p.152)。

 日本の枢密院には、米国の上院のように、政府が批准した国際条約への審議権があったので、この章では、残された枢密院の議論を通じて、植民地形成過程を追う(p.155)。

 伊藤博文が韓国統監となったのは、植民地においてシビリアンとミリタリーを兼併するという例外的存在が元老第一位の座を占める伊藤に相応しかったから(p.159)。三代目から陸軍は韓国統監から軍隊指揮権を回収している(p.161)。

 韓国併合後、植民地の憲法上の位置づけが問われた(p.162)。美濃部達吉は立憲政治が適用される範囲は日本の内地のみとして、台湾や韓国などの植民地は「異法地域」と呼んだ(p.164)。しかし、それは立憲主義の普遍性を信じる立場からの植民地批判であり、天皇機関説にも通じる。

 その後3・1運動への同化策として京城帝国大学が設置される(1924年、p.184)。その際、法学部の設置が望まれ、実際に設置されたが、ナショナリズムは沈静化されなかった。

 国際連盟脱退後の青写真として提案されたのが蝋山政道による「地域主義」。ワシントン条約による普遍主義的国際主義は1930年の1年で終わった(p.192)。地域主義は大東亜新秩序の指導原則となったが、文化的意味はほとんど持たなかった。

[第4章]日本の近代にとって天皇制とは何であったか

 日本の近代は明確な意図と計画を持って歴史を形成してきたが、その前提は資本主義の時代の価値観の受けいれを前提としたもの。また、こうした体系をつくる諸機能は移転可能であるとして、個々の機能を導入した(p.206)。しかし、その前に日本が機能の体系として再組織されなければならなかった。

 こうした機能主義の系譜に福沢諭吉、田口卯吉、長谷川如是閑、田中王堂、石橋湛山がおり、日中戦争以降の笠信太郎などのよるマルクス主義を応用した新体制論議にもなっていくが、そこで叫ばれた「近代の超克」を浅いものとして徳川時代の近代的要素に着目したのが丸山眞男。

 こうした機能主義的なヨーロッパ観の中で、近代に還元されない古いヨーロッパを見たのが永井荷風だが、伊藤博文などの憲法起草者はキリスト教的な機能を日本に導入しようとした。

 グナイストは仏教を勧めたが、伊藤は微弱であるとして皇室をもってくくることにした。

 近代ヨーロッパは宗教改革にょって中世の神を継承したが、日本は廃仏毀釈によって前近代から神は継承しなかった(p.216)。

 伊藤は天皇の神聖不可侵性は法律上の責任が問われないだけでなく、議会の論議にも含まれないようにした。このため、教育勅語には国務大臣の副著がない(p.225)。それは憲法外での神聖不可侵性を高めるためでもあった。

 しかし、立憲君主としての天皇と道徳の立法者としての天皇という立場矛盾は恒常的な不安定要因となっていく。

[終章]近代の歩みから考える日本の将来

 略。

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