『丸山眞男講義録2』#4
『丸山眞男講義録2』丸山眞男、東京大学出版会
丸山眞男はフィヒテに仮託して「国家の運命を自らの責任に於いて担ふ能動的主体的精神」が重要だと語ったことがありました。フィヒテはナポレオン占領下のベルリン大学での連続講演『ドイツ国民に告ぐ』で「独立を失った国民は、同時に、時代の動きにはたらきかけ、その内容を自由に決定する能力をも失ってしまっています」として、教育を抜本的に変革する必要を説きました。
これは福沢諭吉の歩みとパラレルのように感じます。それは、フィヒテも福沢も外国勢力による支配という脅威に対応したからでしょう。そして、丸山眞男は福沢の健全なナショナリズムを驚くほど高く評価し、《敗戦がもたらした国民の私的領域への一斉復員現象のなかで丸山が改めて要請しようとした》のも「国民的(ナショナル)なもの」でした(解題、p.204)。
フィヒテの教育論の内容をサマライズすると、全てのドイツ国民を対象にした教育を共通のドイツ語で行うことという民族観念や言語と結びつけていること、だと思います。今では当たり前かもしれませんが、当時としては画期的なものだったようです。
そして福沢諭吉も幕藩体制を否定して、新たなナショナリズムを教育を核にして進めていこうとします。
こうした考え方はナポレオンによる占領、ロシアのグレートゲームに触発された米英の動きに翻弄された日本という歴史的諸条件を忘れては語れない、とも語っています。
[第2章 近代国民主義の古典形成]
[1 全体的問題状況]
19世紀の東洋において、全く異質な外来者に対する本能的な自己防衛メンタリティは、旧来の世界を保持する欲求としてあらわれましたが、守られるべき古い世界は、身分的=地域的な分裂によって、対外防衛の能力をもたなくなっていたという矛盾がありました。
かくて東洋諸国は古い世界を防衛するためには古い世界を変革し、新しい世界のプリンシプルを取り入れなければならなくなります。
この後の日中の比較が興味深い。
《日本の支配階級は自己変革への適応性があったがため、かえって古典的国民主義の形成がゆがめられたのに対し、中国は半植民地的な境涯に陥ったが、日本の場合より旧支配体制の破壊が徹底的であり、支配層に自己変革への適応性がなかった分、それだけ庶民のエネルギーがナショナリズムの担い手として動員された。したがって中国では国民的独立・近代化という課題が、日本に比べて密接に関連しながら発展していった》という相違の指摘はなるほどな、と(p.104)。
いまの中共の怒れる若者(憤青)は、尊皇攘夷で駆け回った草莽の志士たちのようなナイーブなナショナリズムが、大衆化されたようにも感じます。
とにかく明治維新は幕藩体制を瓦解させて国民的統一を阻害する要因を除去し、版籍奉還・廃藩置県による地域的群居性の解消、被差別部落の解放、廃刀令・秩禄処分などの旧武士階級特権の解消による身分的分裂を解消させました。それは、古い世界を根本的に変革しなければ当時の国際環境のなかでやっていけないという危機意識があったためですが、どうしていいのか見当がつかない様々な可能性もあるような思想的真空の時代もあった、といいます。
こうした可能性を含んだ中に福沢諭吉という近代的ナショナリズムの最初で最後の形成者が現れた、と。
[2 福沢諭吉]
維新前の福沢の主張は国際法(万国公法)思想を吹聴し、日本の島国根性を打破するというインターナショナルな契機が強く出ていました。それは外国人を追いはらうとシナと同様の目にあって、国を貴ぶ心がかえってそれを貶める結果になってしまうとして排外的自国至上主義をいましめた、というようなものでした(未刊の『唐人往来』)。
そこには、すでに《視圏の拡大によって前近代的な自国中心的世界像が打破されることが、かえって近代的な国民意識の発生する前提であり、開国=外に向かって国を開くことが同時に、外に対する自己のゲシュロッセンハイト(限界性)を自覚する契機となるというパラドキシカルな関係がすでに暗示されている》と丸山眞男は評価しています(p.109-)。
これによって自国の政権を保持するためには、人民の智力の増進以外にはなく、そこにヨーロッパ近代文明の採用ということが国民的独立の立場から根拠づけられた、と。東洋諸国の人民が自主独立の精神なく権威に隷従し被治者意識に沈淪していたことが、ヨーロッパ勢力に圧倒された最大の原因だ、と。
また、「国体を保つとは自国の政権を失わざる事なり」「日本人の義務は唯この国体を保つの一箇条のみ」と語る国体とは、外人に政権を奪われないことであり、もしそうなった場合、皇統が連綿でも国体は断絶したんだ、というあたりを含めて、福沢においてはリベラリズムとナショナリズムは、必然的な内面的連関において結合されていました。決して、無知蒙昧なものではなかった、と。
そして初期のナイーブなインターナショナリズムは「宗教の高遠な見地から見れば、各国対立して政治は商売を競い、事あるときは武器をとって殺戮する状態はあまりにも鄙劣粗野なものたるを免れない。しかしこれがまさにわれわれの回避するを許されぬ現実であり、そうした現実のなかにあって一国独立のために奮闘することなしに、抽象的に世界主義をあこがれることは結局、日本の置かれた現実をいよいよみじめな低劣なものにするだけのことだ」というリアリズムに変化していきます(『文明論之概略』)。
しかし、愛国心は畢竟、集団的エゴイズムであり「永遠微妙の奥蘊に非ず」とも認識していました。このように福沢諭吉の《リアリズムがシニシズムに陥らなかったことが、そのナショナリズムを根本的に健康ならしめた》と丸山眞男は評価しています。
なぜなら《近代ナショナリズムは、その置かれた歴史的諸条件を忘れて論じることはできない》から。
たとえば《ナポレオンによる征服を経験したドイツでは、国家による、権力による統一を離れて自由ということはありえない。そこに権力と自由を如何にして媒介するかという問題がドイツ・ナショナリズムの正面からの課題となった》ように。
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